2011年10月27日木曜日

映画「はやぶさ」が大コケ…か。

▲う---ん、なんというか。

科学って、派手なものではない。どこまでもどこまでも泥臭い代物だ。

そこに派手な見応えのする成果というようなものが存在するわけではない。

そこにあるのは、ただ。

研究者とか技術者の探究心とか、好奇心とか、熱意とか、夢とか…そんなモノがごっちゃになったカタマリなのだ。

だから、映画をつくるとしてもそもそも見栄えのいい派手なものになりようがない。

こういう映画を楽しめるのは、観客側の知識とか科学への畏敬の念という素養があってこそだ。

以下、新聞から抜粋。

小惑星探査機「はやぶさ」の地球帰還を描いた竹内結子主演の映画「はやぶさ」が大コケしている。

 10月1日に公開され、興行ランキングでは5位スタート。

その後も7位、9位と下降の一途である。


「もはや打ち切りも時間の問題。宣伝費などを考えれば最低でも10億円に届かないと赤字ですが、興収は5、6億円の見込みです」(映画関係者)  はやぶさ帰還は日本中が熱狂した一大イベントだった。

なぜ映画はコケてしまったのか。

映画批評家の前田有一氏はこういう。

「『プロジェクトX』のような重厚な人間ドラマを期待していましたが、まったくの期待外れ。

突貫工事で映画を作ったため、全体的に作りが粗いのです。そもそも竹内の役柄は架空の

オリジナルキャラで、はやぶさ帰還とは関係がない。いてもいなくてもいい存在という設定だからガックリです。

もう一つ、唖然としたのは、CGのはやぶさがアニメ声で“僕は今ここにいるよ”“なんだか力が出なくなっちゃった。みんなの声が聞きたいよ”なんてふうにしゃべり出したこと。せっかくの美談が漫画チックな駄作になってしまいました」

トンデモ映画の仲間入りは避けられそうもないが、はやぶさ関連の作品は今後も控えている。

第2弾は渡辺謙主演で来年2月に公開の映画「小惑星探査機はやぶさ―遥かなる帰還―」(仮題)、第3弾は藤原竜也主演で来年3月に公開の3D映画「おかえり、はやぶさ」だ。こちらは期待できるか。


▲補足、感想など

この7年にも及ぶプロジェクトを面白おかしくされても堪らない。

筆者は、上の記事の映画を見た。

筆者の感想は、普通に面白いと感じたし、失敗作とは思えなかった。

竹内さんという俳優がどうとも思わなかったが、このはやぶさのプロジェクトの責任者である「川口さん」を演じていた俳優がいい感じだった。

科学者とはこういうものだし、プロジェクトの責任者とはこういうものだろうなぁと納得した。

「はやぶさ」は、現在の日本のモノをつくる技術だとか、エンジンだとか様々な技術の集大成なのだ。

それぞれの技術が最先端のレベルでなければ、3億キロもの彼方にいって帰ってこれる筈もあるまい。

こういう映画は派手な面白おかしいものになりようがない。

 観客側にこそ、イトカワという名前の由来(糸川英夫さんか、筆者は昭和30年代のペンシルロケットの頃から知っているからなぁ)とか、様々な知識をもっていてこそ、楽しめる映画ではあるまいか。

最後に、このはやぶさについての天皇陛下、皇后陛下の言葉と歌とをご紹介したい。

2010年12月20日の記者会見で、明仁天皇陛下は「はやぶさ」について次のように述べられた。

『小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」に着陸し、微粒子を持ち帰ったことは誠に喜ばしい今年の快挙でした。

一時は行方不明になるなど数々の故障を克服し、ついに地球に帰還しました。

行方不明になっても決して諦めず、様々な工夫を重ね、ついに帰還を果たしたことに深い感動を覚えました』

また美智子皇后陛下は、はやぶさが大気圏に突入した時のことを和歌に詠まれだ。

『その帰路に己れを焼きし「はやぶさ」の光輝(かがや)かに明かるかりしと』

→あれ、もう、10月も終わりなのに、アセが…。















2011年10月26日水曜日

花王の社長は來年早々には辞任するつもり?

▲花王という会社もここまで来たか…と思う。

この花王の尾崎さんという社長も、今期末で辞めるつもりなのだろう。だからこそ、姑息というか一時しのぎの対応をして、後のことは知らないよ…という考えなのだ。

この人は、花王という会社の未来を考えているのではない。

要するに、自分の今期の任期—この12月末までなんとか売上が極端に減少しないことを考えているのだ。自分自身の保身を考えているだけだ。

ヤレヤレ。

一体、誰なんだ? 花王の社長にこの人を選んだのは? 

以下、新聞から抜粋。

花王(4452)の尾崎元規社長は25日、タイ洪水について「工場には影響はないが、現地の小売業の流通センターが被害を受けている」と語り、現地物流網の被災による販売減などの可能性があるとの認識を示した。

業績への影響については「もう少し経過を見て判断する」と述べるにとどめた。
テレビ局のスポンサー契約にからみ、一部消費者の間で同社製品の不買運動が起きていることについては「影響は一切ない。基本的に業績に影響が出るような問題ではないと認識している」と話した。

▲補足、感想など

花王の7-9月期の決算がでた。

前年に比して1300億円くらいの売上減だったか。

なにか、在庫というかストックの金額が随分多いようだった。

小売店舗で売れない商品をどこかにストックしているのだろうなぁ。

もしかして、冬のボーナスは、花王の社員は洗剤などの現物支給だったりして…。

10-12月は、お歳暮としてどれだけ売れるか…というのが大きなハードルとなろう。

花王の製品に対する不買運動は激しくなる一方だ。

花王の消費者をバカにしたような態度が、最大の顧客である主婦層の運動を加熱させ、火に油を注ぐような形となっている。

もはや、尾崎さんが辞任すれば収まるというようなものではない。

恐らく、花王の10-12月の決算は、もっと惨めな、売上減も隠しようもないものとなろう。

逆に言えば、上のようなことが分かっているからこそ、尾崎さんは記事のような発言をしているのだ。要するに、來年の株主総会前には自分は辞任するつもりなのだろう。

後のことは、すべて次の社長が負えばいい…ということか。

当然、こういう組織を支えた部下・社員達も同じように、責められるであろうが、それは自己責任だ。

不買運動というものは、大体3月で影響がではじめるのだとか。

半年もされれば、情弱の人も含めて誰の目にも明らかになろう。













2011年10月25日火曜日

日本の呼称の最古の例が中国で発見。

▲日本という国名をいつから使い始めたのか…という古代史の謎に一石を投じたような史実がでてきたようだ。

678年に死亡した百済人の墓誌に「日本」の文字が刻まれていたという。

日本の朝鮮半島を巡る古代史の「時の回廊」に迷い込んだような思いがする。

以下、新聞から抜粋。

中国の古都・西安で見つかった墓誌(故人の事績を刻んで墓に収めた石板)に、「日本」との文字があることを紹介する論文が中国で発表された。

墓誌は678年の 作と考えられるとしている。

日本と名乗るようになったのはいつからなのかは古代史の 大きななぞ。

大宝律令(701年)からとの見方が有力だったが、墓誌が本物なら さらにさかのぼることになる。

中国の墓誌を研究する明治大の気賀沢保規教授(中国史)によると、論文は 吉林大古籍研究所の王連竜氏が学術雑誌「社会科学戦線」7月号に発表した。

祢軍(でいぐん)という百済(くだら)人の軍人の墓誌で1辺59センチの正方形。

884文字あり、678年2月に死亡し、同年10月に葬られたと記されている。

百済を救うために日本は朝鮮半島に出兵したが、663年に白村江(はくそんこう)の 戦いで唐・新羅(しらぎ)連合軍に敗れる。

その後の状況を墓誌は「日本餘●(●は 口へんに焦) 拠扶桑以逋誅」と記述。

「生き残った日本は、扶桑(日本の別称)に 閉じこもり、罰を逃れている」という意味で、そうした状況を打開するため百済の将軍だった祢軍が日本に派遣されたと記していると気賀沢教授は説明する。

▲補足、感想など

白村江(はくすきのえ)の戦いとは、当時、世界の最強国であった唐と新羅との連合軍に日本が敗れた戦いであった。

—ん、なにかなぁ、と思う。

日本という国は、中国の冊封体制の中に結局は組み込まれなかった訳だが—まぁ、オレはオレ、アンタはアンタという中国との関係となるきっかけをこの戦いはつくったのではあるまいか。

それ以前に、聖徳太子が隋の煬帝(ようだい)に出した手紙で、日出るところの天子うんぬん…と書き、煬帝を怒らしたという逸話で、中国の冊封体制に組み込まれないことは意思表示していたのだろうな。<いささか、聖徳太子のはったりというかつっぱっている感じがするが…>

ウィキペディアの白村江の戦いから、少し抜粋し、当時の日本と唐の関係にふれたい。

648年ごろより新羅と唐の間で百済攻撃の相談が行われ、一方649年には新羅から金多遂が倭国に派遣されるなど、倭国に対する外交工作も活発化した。

この朝鮮半島の動きは倭国にも伝わり、大化改新最中、警戒感が高まった。唐が百済を海路攻撃すると可能性が出てきたことにより、倭国の外交政策はともに友好関係にあった中国王朝(唐)と百済との間で二者択一を迫られることになる。

651年、左大臣巨勢徳陀子が、中大兄皇子(後の天智天皇)に新羅征討を進言したが、採用されなかった。653年・654年と連続で遣唐使が派遣されたのもこの情勢に対応しようとしたものと考えられる。

660年、新羅からの救援要請を受けて唐が軍を起こし、同年に唐・新羅連合軍によって百済は滅亡した。唐は百済の旧領を郡県支配の下に置いた。

こののち、百済の遺臣は鬼室福信・黒歯常之らを中心として百済復興の兵をあげ、倭国に滞在していた百済王の太子豊璋王を擁立しようと、倭国に救援を要請した。

百済再興の為には同盟国である倭国の助けが不可欠だった。

中大兄皇子はこれを承諾し、661年に斉明天皇は九州へ出兵するも邦の津にて急死。

朴市秦造田来津(造船の責任者)を司令官に任命して支援した。この後、倭国軍は三派に分かれて朝鮮半島南部に上陸した。→白村江の戦いとなり、敗戦。

天智天皇は白村江の敗戦のあと、唐・新羅による報復と侵攻を怖れて北部九州の大宰府の水城(みずき)や西日本各地に古代山城などの防衛砦を築いた。

また北部九州沿岸には、防人(さきもり)を配備した。

667年には、天智天皇は都を難波から内陸の近江京へ移して、防衛網を完成。

対して「665年に唐の朝散大夫沂州司馬上柱国の劉徳高が戦後処理の使節として来日し、3ヶ月後に劉徳高は帰国した。

この唐使を送るため、倭国側は守大石らの送唐客使(実質遣唐使)を派遣した。その大使らは、唐の高宗の泰山封禅儀式の際に唐に対しての臣従を誓った。」との説もある。

天智天皇は唐との友好関係を強化しようと、669年に河内鯨らを遣唐使として派遣した。

670年正月)には、佐平(百済の1等官)鬼室福信の功により、その縁者である鬼室集斯(きしつしゅうし)は小錦下の位を授けられた。

『三国史記』によれば、670年頃には唐が倭国を討伐するとの風聞が広まっていたため、遣唐使の目的の一つにはこうした風聞を受け唐の国内情勢を探ろうとする意図があったと考えられている。

→どうだろうか。

白村江の戦いの前後、中国—朝鮮—日本の3国の間で、虚々実々の駆け引きが行われていたことが理解できる。

唐軍の来襲を恐れて、防人(さきもり)を駐在させたのだが、遠く今の静岡県付近からも壱岐、対馬へ派遣された。

万葉集に中にも防人へ出された人々の歌が残っている。

-父母が頭掻き撫で幸くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる(丈部稲麻呂)--

これが千年を越える以前の我々の先祖の歌なのだ。痛いほど意味が分かる。これは凄いことだと思わないか。

いや、話がどこかへいった。

筆者の言いたかったことは、こういう唐・新羅軍に破れて傷つき、唐からの来襲に怯えた状況の中で、倭(やまと) → 日本 と国名を決めたということだ。

奈良時代の日本人が、唐という大国に向かって、オレは冊封体制に組み込まれないぞ、オレはオレだ…と言い放った言葉に聞こえないか。







2011年10月22日土曜日

もういかにも手遅れだろう。花王の不買。

花王製品を買えば、あなたの金が反日朝鮮人の活動資金に化けてしまう。--か。

 ここまで書かれて、さすがに花王はもう、復活することはあるまい。

 これから長い時間をかけて自己崩壊しよう。

 以下、書き込みから抜粋。

 主演は「竹島は韓国領」「日本は殺したいほど嫌い」と世界中で発言し、韓国の反日運動の顔となっているキム・テヒという女優だ。

 消費者が花王不買で、花王は捨て値の特売に躍起になっている。

 しかし、花王製品を買えば、あなたの金が反日朝鮮人の活動資金に化けてしまう。

 1円でも花王に払ってはいけない!

 また花王製品は合成洗剤、悪性添加物など環境や体に最も悪い製品で、意識の高い消費者にずっと不買運動されてる悪名高い企業だ。

 日本には環境や体に優しい製品を作っている良心的なメーカーがたくさん存在している。

 そういう会社は中小企業で地方に多い。

 花王の代わりにそういう製品を買えば地方も元気になる。日本が元気になる。

 花王死亡の見返りは地方の優良企業の発展なのです!

▲補足、感想など

 まず、掲示板の書き込みをご紹介しよう。

□花王のCMは41%がフジ、36%が日テレだ。特にフジにとって花王は最大の顧客のひとつ。
フジと日テレが韓国押しが酷い背景には花王の存在がある。
 花王は年間広告宣伝費900億円で、トヨタ、パナソニック、ホンダに次ぐ4番目の広告主。
 化学業界でも資生堂やライオンの年間広告宣伝費は200億円しかない。
 テレビに大きな影響力がある花王は韓流ブームの真の下手人である。
 また花王の不祥事を多額のCM出稿でマスコミに封印させたのも花王。

□フジには韓国政府の金が流れてる&既にチョンコンテンツに投資済みという理由で、ゴリ押しするのは推測できるんだが、花王がここまでゴリ押しに加担する理由が見えない。
日本人の顧客に喧嘩売る意味が分からない。

□子弟がD2やウジに勤めている、ハニトラに引っかかっている、やばい薬絡みで逆らえない。
 いろいろあるんだろ。

□おそらく危機管理の専門家のアドバイスだろうな。
一般的にネットに構うなというのが定番化した対応なんだよな。コトの理由も分析しないアホコンサルタント。
 花王においらがアドバイスするなら対応を恐れないことだ。
 本当の総会屋はマスコミだということ。
 しかしマスコミはあと10年もすれば倒産する会社も出て来る。強気であの韓国ドラマなら降りると言えばいいのだ。

日本の政府が毅然としないから中国や韓国につけ込まれて賠償問題などのいちゃもんをつけられているのと同じ構図が花王にもいえる。
マスコミと付き合うのはもっとクールになるべき。

□花王の従業員の首が飛ぶ段階になるまでにはまだまだステップがある。
まず外注のOEM生産をしている会社が、花王製品の扱いを停止する。その会社は大きな損害うけるだろうけど、新たにニッサン石鹸などのOEMを作り出すだろうから問題ない。次に、花王の工場の派遣労働者が切られる。そして最後にやっと従業員の首が飛ぶ。

□まあ、花王不買運動は過去の例からして5年は続くだろうね。
よりによって主婦層を敵にまわすとは正気の沙汰とは思えない。
そんなにキムチ連合から抜けたくない/抜けられない理由があるのだろうか??

□毎年5%売上落ちれば上等ですね
社会学者、心理学者、みんな注目しています この社会実験に。

□今さら「ゴメンナサイ」してもだめだろうな。消費者対応を誤った企業はこうなる、という失敗事例としてがんばってもらおうではないか。

今年のお歳暮商戦が惨憺たる結果になりますから、こんなものでは済まないでしょうね。日本の人たちは1度味噌がついたところに対しては驚くほど冷たいですからね。
それまでツキアイがあっても、あそことはいっさい関係がないという顔をしますしね。
あの会社の製品は置いてないし、ウチとは関係ありませんなどと平気で言いますからね。
花王に対するこの流れはもう止まらないでしょう。

→どうだろうか。

 たしかに先のことは読めない。ただ、反日企業花王も日本人も互いに折り合えるところにはないことが分かる。

 日本人には折り合える点・着地点というものはない。

 花王は、もうなにをしても手遅れ状態だ。時間を掛けて自己崩壊していくしかあるまい。







2011年10月21日金曜日

リビア解放って。これからの方が多難であろうに。

▲カダフィ大佐が死去したようだ。(なにか死体を市内で引き回したとか--いったい、いつの時代の話か)

これで民主化…とか書いてあるが、筆者はどうかなぁと思う。

リビアって、そもそも歴史上一度も民主国家であったことはない。

つまり、日本で言えば明治維新のようなものだ。

日本でさえ、始めて選挙が行われたのは、明治も23年になってからだった。

民主主義というものに一足飛びにはなれない…ということだ。

北アフリカの諸国で発生した騒動の根底にあるものは、インターネットの普及によるもので、それまでは隠蔽・制限されていた情報を誰しもが得ることができるようになったためだ。

19世紀半ばとこのインターネットが普及した時代を同じ視点でみるのもどうか…といわれればまぁそうだろうなぁ。

しかし、民主主義を支えるには、その当事者である国民の教育のレベルなどと密接に関わっている。

現在のイラクを見てみよ。

2006年のフセイン大統領がなくなってから、5年を経過したところだ。

そこにあるのは、自爆テロを恐れ、まともな病院すらもない悲惨な生活だ。(戦争の時使用したウラン弾の放射能で障害をもった子供が多数生まれているようだ)

独裁者を取り除けば、すぐに豊かな生活を約束する民主主義国家が出来上がるものではない。

独裁国家 → 民主主義国家の間には、とんでもない距離があることを認識せよ。

以下、新聞から抜粋。

42年間の独裁を敷いたリビア元最高指導者カダフィ大佐の死やカダフィ派最後の拠点シルト陥落を受け、反カダフィ派連合体「国民評議会」は、「全土解放」を22日に宣言する見通しだ。

ロイター通信が20日、国民評議会当局者の話として伝えた。
全土解放という勝利宣言を機に、大統領選などに向けた政治プロセスに本格着手する。
国民評議会のナンバー2、ジブリル暫定首相は記者会見で、「新たなリビア、統一されたリビアを立ち上げる時だ」と語った。

アブドルジャリル代表は8月、 8カ月以内に大統領選挙と議会選挙を実施する意向を示していた。

一方、中部ミスラタに搬送されたカダフィ大佐の遺体について、国民評議会当局者は、速やかに秘密の場所に埋葬する考えを示した。

埋葬場所がカダフィ派残党の「聖地」になるのを避ける狙いがあるとみられる。

▲補足、感想など

アフガニスタンという国も、タリバンからの解放からもう何年たった?

10年くらいか。

しかし、タリバンの勢いはまた活気づいているようだ。

これはなぁ、と思う。

水を飲みたくない馬を水場へもっていっても、飲みはしない。

結局、民族自決という原則へ帰っていくしかない。

タリバンの女性に対する<女性に教育はいらないとか、仕事をする必要はない>…とかいう主張も、外国人の目からはどういうことかと思うが、アフガニスタンの国民の大部分が「そりゃおかしい」と思わない限り、どうしようもないことではないか。

結局、アフガニスタンでは、タリバンの後もタリバンなのだろう。

いかにカルダイ大統領が世界に向かってキレイゴトを言おうと、肝心の国民はついてはこない。

このあたりだなぁ。

冒頭でふれたように、独裁国家と民主主義国家の間の距離は、気が遠くなるほどの距離なのだ。

リビアでもそうなのだろう。

カダフィ大佐の後も、カダフィ大佐(その2)が出現しそうだなぁ。






2011年10月20日木曜日

逃げなかったバカ…か。

▲今年の春の東日本大震災は、不意打ちだった。

地震なんて当然「不意打ち」以外にはないのだが。

日本での大震災は、まったく予期しないところ・予期しないタイミングで発生する。

だから、「予期しない」ために、人は様々に対応する。

じっとしている人もいる。車にのって逃げていてそのまま波にのまれた人もいる。

逃げたけれど、増水のスピードに間に合わなかった人もいる。

判断力とか経験とか、運とかが様々に交差した結果、生き延びた人と亡くなった人とがでてきた。

さて、民主党の平野さんの発言が波紋を広げているようだ。

以下、新聞から抜粋。

平野復興相「バカ発言」友人の死の悔しさか、ただの無神経失言か
「私の同級生みたいに逃げなかったバカなやつもいます」 吟味せずにべらべらと不適切な発言をする大臣がまた出てきた。


「とくダネ!」が「大きな火ダネが生まれてしまうのでしょうか」(司会の小倉智昭)と取り上げた。

■「高校の同級生みたいに逃げなかったバカも」

問題発言をしたのは復興担当相の平野達男(57)=岩手県北上市出身、東大農学部卒の元農林官僚だ。

福島県二本松市で行われた民主党研修会でこんな挨拶をした。
「20人~30人集まって、そこへ津波が来てのみ込まれた方もいます。逆に私の高校の同級生みたいに、逃げなかったバカなやつもいます。彼は亡くなりましたけど…」
さっそく自民党の大島理森副総裁が噛みついた。

「亡くなった方をバカという表現は大臣としては許されない言葉」と批判し、20日召集の臨時国会で追及するという。

平野はその後、記者会見で「友人への思いがこみ上げてきて、そういう言葉が出た。
不快な思いをされた方には心からお詫びする」と語ったが、 大事な時期になぜこうもバカな発言をする大臣が多いのか。

■「とくダネ!」第3次補正予算の審議に配慮?

小倉「この部分だけ抜き出して考えると、津波で犠牲になった関係者は『ふざけるな』と思うかもしれませんが、親しい友人が助かったはずなのになぜ逃げなかったか、なんてバカだったんだという言い方はそんなにおかしいことではないと思う」 田中アナも「愛情を持って出た言葉ですよね」という。

しかし、平野のバカ発言で問題なのは、亡くなった同級生を例にとって、「バカみたいなやつもいる」とした部分。津波で亡くなられた多数の方々を対象にしていると受け取られても仕方がない。

小倉らは第3次補正予算の審議を前に、国会でゴタゴタさせたくないとの配慮で庇ったのだろうが、復興担当大臣の発言としては極めて不適切だ。

▲補足、感想など

まぁ、口の軽い人ではあるなぁ。

平野さんなら、言いかねないという感じではある。

それにしても「逃げなかったバカ」か。

冒頭でふれたように、「予期しない出来事」にぶっつかったとき、それへの対応はその個人のもつ能力・経験・知識などが様々に交差して、行動を決定する。

地震で家屋は殆ど倒れなかったから、そのことに安堵して、津波のことまで頭が回らなかったという人もいるだろう。

津波がきても数メートルだろうから、堤防で防げるだろうと想定した人もあろう。

だから…と思う。

乱暴にひっくるめてしまうと、生死を分けたものは「運そのもの」というしかあるまい。

平野さんが、「同級生は運が悪かった」ぐらいの表現であれば、問題はなかったはず。

それを「バカ」というものだから、聞いた人は気分が悪くなるのだ。

賢くても、増水のスピードに負けたという人もいたろう。それを一律バカ扱いか。

この民主党の議員達の口の軽さ、判断力の鈍さ、配慮の無さ…というものはどこからくるのだろう。

政権政党になったのが始めてだから、慣れないということも当然あるんだろうが。

この平野さんの出自を筆者は知らないが、韓国系の帰化人という可能性も高そうだなぁ。

父親・母親あたりから、日本人への怨念とか怨嗟の声<なんだっけ、やれ日帝36年とか、日本人が我々を朝鮮人といって差別するとか>を聞きながら育っていれば、日本人への態度も記事のような発言となってでてくる可能性が高くなるのだろうな。






2011年10月19日水曜日

中国がアニメで反転攻勢を狙う。

▲中国がアニメで日本に対し、反転攻勢をかけるのだってさ。

 ふん、馬鹿馬鹿しい。身の程知らずメ。

 中国のもっている古典って一体なんだ。

 三国志? 西遊記 …って。

 あれだけか。

 売れるアニメをどうすれば作れるのか?ということが根底から分かっていないのだな。

 いやいや、これが中国人ってものさ。

 だからこそ、イギリスの産業革命に200年も遅れるのだ。だからこそ、アヘン戦争に負けるのだ。

 自分達が産業革命から2周遅れの民族だということをもっと自覚せよ。

 以下、新聞から抜粋。

 中国の若者の間で、日本など海外アニメの影響が強まることに焦燥感を抱く中国当局は今後、国内のアニメ産業育成を強化し、反転攻勢に打って出る構えだ。
 中国政府は2006年9月、日本など海外のアニメ番組をゴールデンタイムに放映することを禁止。

 当時、放映されていたアニメ番組の中で大半を占めていたとされる日本のアニメなどを事実上“追放”した。
 その後、国を挙げてアニメ産業を育成した結果、中国メディアによると、10年にアニメの制作本数は世界一になったという。

 今月23日からは東京で「中国アニメ・フェスティバル」を開催し、中国アニメを紹介する。
 また、13年までに中国アニメの歴史をまとめた「中国動漫博物館」を浙江省杭州市に建設する計画という。

▲補足、感想など

 この中国人のわけの分からなさが核心だろうなぁ。

 民族としてもつ理屈の分からなさというか、民族の特性としての頑迷さとでもいう表現が当たっているのかなぁ。

 為政者の頭が悪い…というのではないのだなぁ。

 これは中国という国の成り立ちのようなものに起因するのだろう。

 中国という国家は、中原で国家が成立し、文化が爛熟してくると、北から騎馬民族が押し寄せ、文化的な遺産を破壊し、民族は逃げまどうというくり返しであった。

 国が覆(くつがえ)るたびに、伝統とか文化が破壊され、技術や芸術を後世に伝えることができなかったのであろう。

 そういえば、中国は各地方に民謡のようなものがないのだそうだ。日本には草刈唄というようなものがあるが、中国にはそれこそなにもないのだと。

 結局、中国の歴史は上のような事情でブツ切りにされ、伝統とか文化の蓄積ができていない国家なのであろう。

 その蓄積のないことによる薄っぺらさが、民族としての行動の薄っぺらさとして顕在化するのだ。

 その例が、アヘン戦争であり、文化大革命なのであろう。いや、もっと近くを言えば、天安門での虐殺なのであろう。

 そこに顕著な特徴は、大衆の「知的レベルの低さ」だ。

 毛沢東も言っていたなぁ。

 教育を受けていない人間のほうが、扇動しやすい…とか。

 一部の優秀な人間が、その他の大衆を知的レベルの低いままにして、その大衆を扇動し、大衆から収奪する…という構造になっているのだ。

 今の共産党独裁なる政治構造でもそうなのだろう。

 太使党の政治家が主席となって、内陸部の知的レベルの低い大衆から収奪している形であろう。

 (現在、中国では文盲が1億人を越すくらい存在していて、小学校の有料化で文盲が増える状況にあるという)

 いや、話がどこかへいった。

 中国のアニメの話だった。

 中国の映画にせよ、アニメにせよ、その薄っぺらさの根底にあるのは、「文化とか歴史とかの蓄積による混沌」が小さいためだ。

 なぜ、小さいかといえば、上でふれたような3千年以上の歴史があっても、北方民族の侵入によってブツ切りになっており、文化が後世に伝承されていないためだ。

 日本のアニメの背景にあるものは、二千年に近い歴史と文化、芸術、技術などが、失われることなく後世に伝わってきたことによる。だから、「歴史・文化の蓄積が大きい」のだ。

 中国の三国志の映画などをみていると、この蓄積の差がよく分かる。

 中国人には、三国志を史実?通りになぞって作るということしかできない。

 日本ならば、同じテーマで、マンガに、アニメに、小説に、女性キャラに変えて…とか様々にバリエーションがでてくる。

 このあたりだろう。

 これが「蓄積の差」「混沌の大きさの差」なのだ。

 そのことを、中国人は意識的に無視しているのであろう。

 えっ、なんだっけ。

 動漫博物館…か。

 そんなものを作ればアニメが面白くなるか? 売れるアニメが作れるか?

 はっきり言って、中国のアニメは面白くない。もう数十年、日本を追い越すこと無理だ。






2011年10月18日火曜日

アメリカ大統領の謝罪って。ばかばかしい。

▲広島市へアメリカ大統領がくる…という話があるようだ。

広島市長は謝罪を求めないと発言すると、おかしな市民団体から抗議を受けたという。

なにかおかしな時代がきた…なぁ。

韓国系か、北朝鮮系の人間が主となった団体であろう。

日本人の名前を使うな。通名を禁止せよ。

以下、新聞から抜粋。

市民団体「広島市政の刷新と文化行政を考える会」は、松井一実市長が米大統領の原爆投下への謝罪について「こだわらない」と発言したことに抗議する文書を市に提出した。
 文書は、米国内で多数を占める原爆投下の正当化の世論に対し、「広島と長崎は対峙すべきだ。 

謝罪と補償のない米大統領の広島訪問は不要」と指摘。

同会の小林正典代表は「原爆投下責任をどこまでも追及してほしい」と訴えた。
松井市長は記者会見で、米大統領の広島訪問について「被爆の実相に触れることが大切」と述べた。

▲補足感想など

—ん。

例えば、日本人が前の戦争末期に原爆を完成させていたら、なんとかして、使用したろうなぁ、と思う。

戦争とは、いわば国として持てる力をぎりぎりにつかった総力戦だ。

もっているものがあれば、当然それを使うだろう。

そして、戦後にアメリカから日本人に対して「謝罪せよ」…とか言われても、それは謝罪という意味が違うだろうと思う。

ちょっとアメリカ相手にやりすぎたかな…くらいには思うかもしれない。

アメリカ人も、日本に対して、上で想定したような感じで受けとめているのだろう。だから、記事にあるように肯定的なのだ。

まぁ、日本人に対しては原爆を使用し、なぜドイツ戦・イタリア戦で使用しなかったのか…という問に対しては、人種差別という側面があったことは否定できまい。

未開のサル同然の劣等な民族だ…という見下した思いが当然あって、その点でドイツ人、イタリア人に使用するより罪悪感は乏しかったのだろう。

現在でもそうではないか。

日本のバブル崩壊など、日本人がアホだからだ。白人は優秀だから、あんなことにはならない…と日本の失われた☓☓年の時、言い続けていたではないか。

ついでながら、日本人が海外で暮らすことの難しさは、この白人からの蔑視になかなか耐えることができない…という点も一つの要因であろう。

話がどこかへいった。

話を戻して、要点を箇条書きとしたい。

1. 戦争とはお互いに自分の正義を信じて、国力をあげて戦うものだ。原爆があれば、日本も当然それを使ったであろう。

2. 戦争は結果として、勝ち負けとなるが、なんとか万人殺害したから、謝罪せよ…というものではない。戦争は善悪ではない。言わば、相手の態度に我慢できなくなって殴りあうものだ。

そもそも罪(つみ)なんかではないではないか。

逆に言えば、日本は戦争負けしていないから、<なんせ、二千年近い歴史で対外戦で負けたことなど殆どないのだから> 簡単に謝るのだ。

戦争をして、日本以外のどこの国が謝ったか。謝る国家など見たこともない。

3. だから、アメリカに謝罪せよ…なんとかいうのはピント外れだし、また、オバマさんはそんなことを無視するだろう。

4. この謝罪せよ賠償せよ…という言い方、在日の北朝鮮人韓国人の言い方とそっくりだ。

  広島市政の刷新と文化行政を考える会、小林正典代表 という集団・個人らは、韓国系北朝鮮系の人間により構成されているのだろう。

  こういうキチガイじみた・的外れの行動を日本人名でされるのは非常に不愉快だ。

  通名ではなく、本名でやれ…と言いたい。