▲えっと、デジカメが普及しはじめて、何年くらいかなぁ。
7—8年くらいかなぁ。
デジカメの普及によって、従来の銀塩カメラ関連がどんどん駄目になっていった。
特にフィルムを造っていた会社が他の業界へ参入するとか倒産か…ということになった。
銀塩カメラの頃、世界でのフィルムは、ドイツのアグファ、アメリカのコダック、日本のフジフィルム、小西六というぐらいだった。
アグファはもう5-6年前に倒産した。
フジフィルムは、デジカメとか化粧品とかに参入していった。小西六はコニカ→やがて、ミノルタと合併して、コニカミノルタとなりコピー機などに特化した。
さて、残りのコダックがデジカメとかを造っていたが、劣勢を挽回できないようだ。
アグファといい、コダックといい、なぜ、なすことなく潰れていくのだろう。
そこに一体なにがあるのだろうか。
以下、新聞から抜粋。
かつては写真の全てがあったKodak。
技術が進歩して行く中で少しずつ世界が狭くなって行くKodak。
なんと現在、毎月赤字が7000万ドル(約54億円)というところまできている。
それでもKodakは倒産の心配はないといいます、まだ手元には8億6200万ドルの資産がある、と。
しかし、毎月7000万ドルもの赤字を出していては、その手元のお金もあっという間に尽きてしまいますよ。単純計算ですが、2012年を乗り切る事は不可能です。
Kodakは今までたくさんの写真関連商品を生み出して来たという輝かしい過去があるだけでなく、今でもLeica S2に使われているような素晴らしいイメージセンサーを作っています。
が、それだけでは黒字化は難しい。
今のKodakは、RIMとAppleを相手取った特許侵害の裁判で勝つのを祈るばかり。
今後、みんなが飛びつく様な画期的な商品がでてこない限り、Kodakという名前が歴史の1部となってしまう可能性も十分にあります。
寂しいかな、時代の流れ。何かが生まれれば、何かは去って行く。
▲補足、感想など
う---ん。
--まだ手元には8億6200万ドルの資産がある-—か。
たしか、コダックは同族経営だったなぁ。
上のセリフ、いかにも防御に回ったというか、防御しかできない経営者から発せられたという感じがしないか。
もっと、他の業界へ参入してやろう…という野心をもてよ。もっと、攻撃的になれよ。
そもそも、これが企業を経営しているもののセリフか?
このあたりだなぁ。
同族経営の行き着く果ては。
長い歴史とか伝統とかがあって、簡単に切り替えることができないのだろう。同族ゆえに。
なんの関係もない人間だったら、儲からない—じゃ、捨ててしまえ式に考えられるものを。
そういえば、コダックという会社、デジカメを造っているときも、どこか「必死さ」がなかったなぁ。
なにか、致し方なくしている--という感じだった。
あの感じ、一体なんなのだろう。
銀塩カメラ→デジカメ への転換は、まぁ、日本の企業が主として行ったものだ。もう、10年前くらいか。(そうか、最初の頃はカシオも作っていたなぁ。やはり、光学系の技術が弱くて、脱落してしまったのだろう)
あの時、コダックの技術者はデジカメで主流になるぞ…という感じの「執念」をみせなかった。
設計では見るべきものがあった…とか友人のカメラ技術者が言ってはいたが。
どこか、他人ごとのような感じでデジカメを造っていたなぁ。
欧米諸国での「技術者の保守性」といったものかな。
ヨーロッパ諸国で、どうしてもコンピュータ技術が発達しなかったことに通底しているようだ。
一種の「職人根性」「マイスター根性」なのだろうなぁ。
ある仕事で職人として育ったら、他の仕事へと切り替わることができない…という。
(技術屋として、もっている知識の幅が狭すぎるような気がする。これは義務教育の際の教えられる学科の幅が狭いことによるのだろう。このあたりは、日本の教育制度の勝ちだなぁ)
逆にいえば、日本の技術者の「融通性」というものが世界では際立っているということか。