▲なにか、大きな災害が発生すると、▲▲がなにもしなかった—とか他者の怠慢をなじる人間がでてくる。
でも。
自分のことは自分で守るしかないではないか。
そんな当たり前のことに気がつけよ。
他者に責任を押し付けるな。
責める対象は自分自身だ。
以下、新聞から抜粋。
台風18号の影響による豪雨で、栃木県内9市町で約3万7000世帯、9万8000人に避難指示が出されたが、実際に避難した人は約6%の6043人にとどまった。
日光市の避難指示は、特別警報の発表から3日後となったほか、避難を呼びかける防災無線の音声が住民に届かなかったりするなど、課題も浮き彫りになった。
日光市では3人が死傷し、家屋の全半壊4棟、床上・床下浸水139棟の被害が出た。
9日午前に大雨洪水警報、同日午後に土砂災害警戒情報が、それぞれ発表され、10日午前0時20分に特別警報が発表されても、同市は避難勧告や避難指示は出さなかった。
同市が初めて避難指示を出したのは特別警報が解除された2日後の13日午前9時。
孤立した同市芹沢地区の住民を避難させるためだった。
同市の総務課長は「真夜中に避難するのは危険だと思った。遅かったと言われても仕方がない」と釈明。
宇都宮市は、床上浸水被害が出た大谷町に避難指示を出さず勧告にとどめた。
市は「この地区で避難指示を出す際の川の水位の基準がなく、判断するのは難しい」と話した。
▲補足、感想など
行政側での出すか出さないかの判断は難しい。
冒頭でふれた。
自分のことは自分で守るしかない---。
その部分をきっちり押えておこう。
避難指示にせよ、勧告にせよ、アドバイスに過ぎない。
判断するのは自分なのだ。
自分の責任において行動すべきではないのか。
また、個人として追いつめられると、どこか他者に当たり散らす人がいる。
--ここから--
関東と東北の記録的な大雨で、茨城県常総市で鬼怒川の堤防が決壊してから7日目となった。
市内の小学校では16日から授業が再開された。
小学校では授業が再開された。
ランドセルや靴が流されたため、
代わりにサンダルにリュックサックを背負い登校した児童もいた。
全校児童485人のうち417人が登校して授業が始まり、被災の爪痕は残ってはいるが、
日常の風景が戻りつつあった。
鬼怒川の堤防が決壊した現場は16日、仮復旧の工事がほぼ終わり、決壊前の高さに修復された。
決壊現場には常総市の市長も訪れたが、被災した市民が
「どんだけ偉いのか知らないけど状況分かってよ」と詰め寄る場面もあった。
また、今回の水害で、茨城県境町で行方不明者が1人いることが明らかになった。
その一方で、常総市内全域の停電も16日中に解消する見通しで、復興への歩みが進んでいる。
--ここまで--
さすがに、災害慣れした日本人がいる—という気がする。
幕末の頃かなぁ。
外国人が、伊豆半島で台風が過ぎ去った翌日、日本人が笑って世間話をしながら、壊れた家財などを片付けているのをみて、あきれたような文章を書いていたのを思い出す。
強い—という表現が当たっているのかどうか分からないが、ちょっとやそっとのことでは「メゲナイ」日本人がそこにいる。
このことが、いわば歴史的な積み重ねというか、経験値となって、戦後の復興などもスムースに進んだのだろう。
上の記事で、市長になにか逆上したような言い方をしている市民がでてくるが、「ちょっとやそっとのことではメゲナイ」日本人の姿をみせてもらいたいものだ。