▲ある意味で、注目しておかなければならない人なのだろうな。
この人。
筆者はこのブログで何度もふれた。
政治家の実力とは、「日本の正しい方向性が示せる」ことだと。
将来を嘱望する人も多い、この人の言っていることを聞いてみよう。
以下、新聞から抜粋。
安保対応、安倍首相に苦言=「原発やめる方向で」小泉政務官
小泉進次郎内閣府政務官は、東京都内で講演し、安倍首相が安全保障関連法の国会審議で隣家の火事や不良少年に襲われる例え話を持ち出したことに関し、
「例え話は使わない方が良かった」と苦言。
小泉氏は「本質を粘り強く説き続けていく努力が不可欠な分野だ。分かりやすくするのも限界がある」と指摘した。
また、安保法制への憲法学者らの「違憲」批判に対し、自民党議員が「国家の平和や国民の安全に責任を持つのは政治家だ」などと反論したことも問題視。
「真摯に受け止めるべきだった。そういう姿勢も国民から権力のおごりと捉えられた部分はある」と。
小泉氏は、父の純一郎元首相が即時廃止を主張する原発政策にも言及。
「今こそ新しい道を模索するときではないかが問われる。どうしたら事故や災害のときにリスクや不安を感じることなく、経済の成長を阻害することもなく、原発をやめていけるのかという方向性で将来を考えていくべきだ」と訴えた。
▲補足、感想など
う~ん、批判、苦言ねぇ。
じゃ、どう対応すべきだったのか---具体性がないな。
特に原発をやめる—というなら、じゃ、原発に代替するだけのエネルギー発生源はなんだ?と問われたら、もう、答えに窮してしまうだろう。
安保法案についても、タイムリミットというものがあれば、どこかで議論を切り上げる締め切り時間があろう。
真摯に受け止める—というなら、どう行動すればよかったのだ?
安保法案についての喩え話については、個人的な感覚の違いだろうな。
全体の印象からすれば、おかしなことを言っているとは思わないが、発言として具体性が乏しく、ちょいと「背伸びをしすぎ」だろう。
西欧では、政治家が随分若くして、首相になったりするが、あれは階級社会という環境で育った「エリート」だからだ。
日本のような「その他おおぜい主義」の下では馴染まない。
ハッキリ言って、この小泉進次郎さんの批判は、「批判となっていない」。
余りに具体性に欠ける。
人間が普通に暮らしていくためには、ある絶対量のエネルギーが必要だ。
毎日、食事の準備ができて、電車にのり、会社で、工場で機械が通常通り動くという状態を維持するためには、エネルギーがいるのだ。
まず、その通常の生活を維持できなければ、原発に代替するエネルギー源を開発するという作業も進んでいかないことを直視せよ。
小泉さんの発言をみてみよう。
「今こそ新しい道を模索するときではないかが問われる。どうしたら事故や災害のときにリスクや不安を感じることなく、経済の成長を阻害することもなく、原発をやめていけるのかという方向性で将来を考えていくべき」
確かになにか—と言っている。
でも、ほとんど中身がない。ただ、将来の方向性としては「原発をやめる」ということを言っているだけだ。
これで。
全体として、「日本の正しい方向性」を示しているか?
原発というものをそんなに簡単に考えていいのか?
進次郎さんって、文系の人なのだろうな。
どうも、科学というようなものに興味がないのだろう。
政治家を支えるものは、深い教養だ。
広い視野と広い知識だ。
進次郎さんの研鑽を期待したい。