2024年4月18日木曜日

なぜ『ラストサムライ』では日本を近代化させた明治政府が悪役なのか

 

映画だから、実際の史実とは異なろう。多少のことはご愛嬌で。

海外「日本を大国に導いたのに…」なぜ『ラストサムライ』では日本を近代化させた明治政府が悪役なの? 2003年に世界各国で公開された、叙事詩的時代劇アクション映画「ラスト サムライ」。1877年に西郷隆盛を盟主にして起こった西南戦争と、外国勢力による日本の西洋化にヒントを得た作品で、海外作品ながら、武士道とはどんなものなのかを、偏見なく描こうとした意欲作でした。映画やエンタメ情報を専門的に扱うメディア、「Movies and Delight」は、「正論を述べていた映画の"悪役"」として、「ラスト サムライ」の大村(演:原田眞人)の名を挙げ、その理由を以下のように綴っています。「『日本は強くなる事で列強に抵抗しなければならない。 そのためには富国強兵を目指さなければならない』 おそらく大村の意図は自己利益を追求しており、日本が近代化していく過程において、自分の財布を肥やすことを目指していただろう。しかし、彼の手法と目標は日本全体のために最善であり、士族反乱の領袖である勝元(演:渡辺謙)の目標は、日本の遺産と古い生活様式を保護することにあった。大村は日本のために何がなされるべきかを理解していた。欲望と力への飢えが根底にあったにせよ、日本が世界の舞台で競争するためには、近代化が必要であるという事実を認識していたのだ。列強により国土を切り取られないためには、日本は西洋のやり方を受け入れなければならなかった。そして大村は、そのために中心に立っていた。近代化により古いやり方は忘れ去られるかもしれないが、最終的には日本は新しい世界で生き残り、繁栄する。明治政府側は結局のところ正しかった。『日本は新しい物を導入しなければならない』。日本の未来はまさにこの考えにかかっていたのだ」上記の指摘に対して、世界中から意見が寄せられていました。

■■翻訳元

■ 歴史を見れば、結局は大村が正解だった。当時の武士階級、特に反乱軍たちは、1600年ごろと同じように、比較的平和な時代に、基本的には漫然と日々を過ごして、俸給を受け取るような生活をしてたし。 +159 アメリカ

■ 1600年は日本の歴史の中で、最も激動の時代だったけど +13 ポーランド

■ でも大村は、明治初期の内務大臣で、元士族の大久保利通がモデルだよ。 フィリピン

■ 当時の世界の現実を真に理解してたのは、アジアでは日本だけだったと思われる。そういう面がちゃんと描写されてるから、俺はこの映画が大好きなんだ。 +10 イギリス

■ シャム、今のタイもそうだったよ。 +7 タイ

■ 西洋化に抗おうとした場合に、そういった国内における葛藤はよく起きた。日本然り、オスマン帝国然り。 +73 アメリカ

■ 俺は古い価値観に固執する人を評価しない。この世に変わらないものなんて1つもなくて、変化を進歩的なものに形作るために努力すべきなんだ。だから「ラストサムライ」に本当の主人公がいるとすれば、国、この場合は日本の近代化を進める一方で、それに付随する腐敗と戦う人物像。 +4 ギリシャ

■ 俺もサムライ映画は大好きだけど、実際にはサムライは軍事独裁政権の支配階級だった。もし明治政府に権力が移行してなかったら、彼らは日本を農耕的な封建社会として維持して、すべての富と権力を自分達に集中させたはず。近代化は植民地勢力から日本を守る、唯一の方法だったと俺は考えてる。 +19 ニュージーランド

■ 実際に明治政府は日本を近代化して、強大な国に勝るほどの大国に導いたのにね。 +30 ポーランド

■ 中世的な封建制度を敷いていた日本が、西洋(ペリー提督)の近代技術と出会ってから、たった55年以内に列強にのし上がった。当時の日本の変化の速さには、今なお興味をそそられてしまう。 +8 

■ 映画はよく出来てるし感動的な場面もあるけど、薩長同盟(1877年)の歴史をかなり歪めてる。西郷隆盛は単に昔を懐かしむような、そういうロマンチストではなかったよ。明治維新や近代化運動に参加したにもかかわらず、武士の称号や特権が廃止されたから、それらを維持したかった西郷は怒ったんだ。実際には武士の特権を回復させたかったんだよ。明治の時代は大部分が寡頭政治だったけど、少なくともかなりの実力主義ではあった。反乱軍の戦いはロマンチックに語られてるけど、反乱の最中はそうじゃなかったし。+153 カナダ

■ 素晴らしい。俺もその見方に同意する。「ラストサムライ」は名作映画だけど、現実の歴史とは大きくかけ離れている事は、肝に銘じなければならないと思う。それでも友人が紹介してくれた、最高の映画の1つだけど。 +3 アメリカ

■ 世界史に共通するテーマのようだ。 +3 フランス

■ 大村(のモデル)は今でも日本で尊敬されてる。映画版は彼のキャラクターを完全に台無しにした。だけどそのおかげで映画は非常に面白くなって、トム・クルーズは好感の持てるヒーローになった。この映画はより正確な歴史的背景を踏まえて、リメイクされるべきだと思う。 +71 

■ ちなみに主人公はアメリカ人に置き換えられてるけど、実際に主人公のモデルになったのは、フランス人のジュール・ブリュネね。 +5

■ 非常に熱い意見だけど、間違いなくその通りだ。目的が実際に手段を正当化する場合もある。多くの場合、新しく強い未来を望む場合、現在を破壊することを伴うんだから。 +29 アメリカ

■ だけど渡辺謙が演じた勝本は、明治政府側が自分たちが何者で、何を代表しているのかを忘れない限りは、近代化に反対してなかったはず……。 +5 ドイツ

■ サムライは日本の騎士団。そしてヨーロッパの騎士も日本のサムライも、過大な栄誉と評価を受けてきた。一般人よりもはるかに多くの権利を持ってたから。笑っちゃうことに現代人は特権階級に批判的なのに、サムライや騎士は大好きなんだよな。+29 ニュージーランド

■ 武士は全員が豊かという訳ではなかったよ。 +3 

■ 結果として大村側は正しかったわけだけど、彼の関心は国の安全保障ではなかった。あくまでも自分の経済的利益だ。 +25 アメリカ

■ 19世紀のサムライは武士ではなかったでしょ。日本は200年間平和な時代を送ってたんだし。サムライは官僚になってたんだよ。 +8 イギリス

■ 西南戦争では両陣営とも西洋風の軍服を着用してたし、銃も使用して、西洋人の顧問だっていた。1540年代にポルトガル人によって導入されて以来、日本には銃がかなり豊富にあったし、長篠の戦いで使用されたことでも有名だ。サムライが自分たちの生活様式を守ろうとしていた、という考え方は、すべて映画のでっち上げだよ。だって1500年代の終わりごろには、欧州全土を合わせたよりも多くの火縄銃が、日本にあったんだから。 +150 アメリカ

■ 当時の日本で銃が普及してたのは事実だけど、徳川家康が禁止にした事も忘れてはいけない。だいだい1700年代までには、ほとんどの銃はなくなった。 +5 ルーマニア

■ あの剣豪宮本武蔵ですら、「五輪書」で銃に言及してるからね。 +7 

■ そして実際に明治政府は正しく物事を行った。現代の日本は先進国の一員であり、欧米諸国と肩を並べてるんだから。+8 ベナン

■ 最高の物語は「悪役」の動機に共感できる物語。明治政府側のやり方に同意するかどうかが、違いを生むって俺は思ってるけどね。 +3 カナダ

■ 中世の武士は誇り高き戦士だった。だけど江戸時代の将軍の戒厳令の下で、何世代にもわたって平和が続いた結果、多くの武士が傲慢な官僚になってしまった。このことは「ラストサムライ」が公開されたときに、日本の人たちからも指摘されてたよ。+26 アメリカ

■ 実はすべてのサムライが、文字通りの武人だったわけではないんだがね。インテリ層の武士は明治期には楽な仕事にありつけた。明治初期に武士の反乱を引き起こしたのは、当時の陸海軍に吸収される事にはならなかった、剣士たちだったんだよ。 +30 シンガポール

■ ローマ帝国に関する話題と同じだよね。「サムライ」も時代によって全然違う。後期のサムライたちは初期とは、あるいは戦国時代とは別物。  アメリカ

■ ほとんどの「悪役」には一理あるものだ。彼らのやり方には深い欠陥があるかもしれないが、その指摘は哲学的に妥当であることが多い。 +29 

■ 天皇は大村の改革が必要であると認識し、支持した。だからこそ勝元は政府中枢から追放されてしまった。問題は、それ(改革)を達成するための、大村の振る舞いにあったんだよ。 +8 イギリス

■ 俺たちは感情的にはサムライと一緒だけど、近代的な政治をやらなきゃいけない事を、頭では分かってしまってるからなぁ。 +4 アイルランド

■ 大村にも一理あるが、勝元にも一理ある。勝元は日本社会の変化があまりにも速いと感じてた。そして彼にとって神聖な存在である天皇が、国家の事など考えていない政府要人に使嗾され、コントロールされているとも考えていた。勝元は天皇の師という神聖な義務も負っており、その義務を懸命に果たしただけなんだ。 +13 ブラジル

***多くの外国人が侍に共感し、映画も名作だとした上で、当時の日本は近代化以外に独立を保つ方法はなく、「悪役」的な立ち位置であった大村こそが、政治的には正しかったと考えているようでした。



海外「日本人は常に冷静だ」 日本人俳優が『ラストサムライ』の白人優遇説を一蹴   明治維新直後、急速な西洋化が推し進められる日本を舞台に、時代の荒波に飲まれゆく事に抗う武士たちと、その武士たちの生き様に共感を覚え、武士と共に、新政府との最後の戦いに挑む米軍人の姿を描いた、2003年制作のアメリカ映画「ラストサムライ」。 数々の賞にノミネートされ、興行収入は45600万ドルを記録するなど、世界各地で高い評価と人気を獲得したこの作品ですが、当時から今に至るまで、侍映画であるにも関わらず、主人公が白人男性である事が度々議論になっています。今月19日付の英ガーディアン紙の記事には、「ラストサムライ」で反乱軍を指揮する侍・勝元を演じた、渡辺謙さんのインタビューが掲載されているのですが、そこでも「白い救世主」の議論に関する質問が投げかけられています。その点に関し渡辺さんは、「そんな事は全く考えた事がなかった」と一蹴し、「ただこれまで描けなかった日本を描くチャンスだと思ったのです。ですので特別な作品を作っているという意識がありました」と述懐。その上で、「ラストサムライ」の影響で、映画界におけるアジア人のステレオタイプが一掃され、より本格的にアジアの物語が描かれるようになったと指摘しています。白人の活躍を優遇するような作品ではない、とする渡辺謙さんの見解に海外からは共感の声が殺到。多くの方が、「白い救世主」の議論自体を、的外れだと考えているようでした。

翻訳元■■

■ 「白い救世主」だって?ワタナベ演じるキャラクターやその家族、果ては村人たちこそが"トム"を救ったんだよ。最後の戦いでもサムライたちは彼を守ろうとしてた。だからこそ生き延びる事が出来たわけだし。 +229 メキシコ

■ 擦り切れてしまった1人のアメリカ人の魂を、日本の文化が救った物語だと解釈してるが? +92 イタリア

■ 20年も前の映画なのに、いまだにこういう議論が起きるのか。 +20 国籍不明

■ 個人的には白人が優遇されたとは思わない。僕が目にしたのは、トム・クルーズ演じる主人公が、滅びゆくサムライの文化を目の当たりにする姿と、そういった当時の社会の雰囲気を、ワタナベや他のキャストが見事に表現していた姿だ。トムのキャラクターは、変化の波に巻き込まれながらも、最終的には武士の文化と名誉心を高く評価してたね。 +79 アメリカ

■ 大好きな映画だけど、白人優遇だなんて感じた事ないよ。結局主人公はサムライの世界を守れなかったしさ。みんなの命を救ったならまた別だけど。 +27 カナダ

■ 子供の頃は純粋に楽しく観てた。だけど大人になって何度か観直すと、「白い救世主」的な演出が、結構目につくようになったな。 +3 アメリカ

■ この映画を最初から最後まで観ると、むしろ"トム"の方が救いを求めていて、実際に日本で救いを見つけたように見える。 +20 ハワイ

■ 結局は救世主にはなれなかったしね。そして、「ラストサムライ」は傑作だ。 +3 イギリス

■ あの内戦の流れを変えたのは、ワタナベ演じるキャラが払った犠牲だ。クルーズ演じるキャラは単なる目撃者であり、そしてメッセンジャーに過ぎなかった。 +8 アメリカ

■ トム・クルーズが演じたネイサン・オールグレンは、実在した2人の人物が元になってる。古くには「三浦按針」という白人のサムライもいたし。何よりも日本でも興行収入が良かったし、日本人から悪い印象は抱かれてないはず。 +12 フィリピン

■ 日本では「ラストサムライ」は愛されてるらしいぞ。 +4 国籍不明

■ ほとんど史実だから美化はされてないよ。トム・クルーズが演じたキャラクターは、実在したフランス人がモデルなんだし。 +2 フランス

■ 「ラストサムライ」は何度も観たよ。映画の中で明治天皇を目覚めさせたのは、オールグレンではなくカツモトの犠牲だった。オールグレンは、あくまでも時代の終焉の目撃者。 +2 国籍不明

■ もし制作側が現実の歴史からのインスピレーションを得ずに、歴史改変をする事を望んでいたなら、「白い救世主」がカツモト側を勝たせたはず。だけどそうはしてないだろ? +11 アメリカ

■ でも基本的には欧米人向けに作られた作品でしょ。多くの日本人は評価してないと思うよ。 ベトナム

■ 個人的には、有名な欧米人を主人公にした作品は、欧米圏外の国が自国の文化を欧米に伝える際には、なかなか有効な方法だと思うんだよね。 +8 アメリカ

■ 「ラストサムライ」はサントラも秀逸だったよなぁ。本当に全ての面でハイスタンダードだった。 +33 イタリア

■ 俺は批判の声が上がるのは理解出来る。サムライとかロウニンとかアジアの武術に関する映画には、必ず「白い救世主」が登場する気がするもん。だからこういう系の映画は観ない。 +2 フィリピン

■ 「白い救世主」じゃなくて、「白い立会人」だと思う。サムライたちの生き様を伝えるために、ああして生き残ったわけだし。 +12 アメリカ

■ この映画はあらゆる面で傑作だった。不朽の名作に傷をつけるような事はやめようか。 +31 イタリア

■ 「攻殻機動隊」の実写化の時の騒動を思い出した。「ラストサムライ」の公開時期が、もしも今みたいなSNS全盛の時代だったら、かなりの大騒ぎになってただろうな。 +6 アメリカ

■ 私の高校の日本語教師(純日本人)は、「ラストサムライ」が大好きだったよ。彼女は「白い救世主」のような映画だとは思ってなくて、単純に日本の文化とか歴史とかに、スポットを置いてるのが良かったみたい。 +8 アメリカ

■ "トム・クルーズ"は誰も、何も救ってない。ただ単にサムライが彼らの生き様を"トム"に見せ、そして"トム"の事を救ったんだよ。 +15 イギリス

■ 「ラストサムライ」とはカツモトの事。カツモトの献身的な生き様は明治天皇に、自身を操り人形にしようとする勢力に立ち向かう力を与えた。オールグレンは、カツモトの生き様を伝える、メッセンジャー的な役割だったという印象だ。 +344 国籍不明

■ この映画は素晴らしい作品だと思う。だけどアジア人にとってのターニングポイント作品ではない。フォーカスされてるのは日本人だけなんだから。 +53 オーストラリア

■ だけど「ラストサムライ」って、オールグレンじゃなくてカツモトの事だよね? +2 オーストラリア

■ こういう時の日本人の姿勢が大好きだ。いつだって冷静で。自分も「ラストサムライ」は何度か観てるけど、むしろ救われたのは自暴自棄だった"トム"の方だ。これはある意味で、再生の物語なんだよ。 +4 米出身

■ ただ、ミスター・ワタナベも難しい立場でしょ。あの映画がハリウッドデビュー作だったわけだし、悪く言う事は出来ないと思う……。 +21 カナダ

■ ワタナベはアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたはず。当時アジア系の俳優としてはかなり異例の事だった。一方でトムはノミネートされなかった。基本的にはワタナベが主役みたいだったな。 +6 カナダ

■ これはマーケティングが悪かったんだと思う。「白い救世主」の物語だとあえて誤解させる感じだったし。アメリカ人に観てもらうためには、トム・クルーズにスポットを当てる必要があったんだろう。その不幸な副作用がこの議論なんだ。だけどみんなが言ってるように、この映画は「白い救世主」の物語ではない。タイトルにもなってる「最後のサムライ」は、トム・クルーズではないんだからね。 +85 国籍不明

■ 的外れだ……。これはブシドウの物語なんだよ! +8 イタリア

■ そもそもこれは史実を元にした話だから。過去にはウィリアム・アダムスもいた。映画の中だけの話なんかじゃない。 +46 アメリカ

■ でもトムのキャラクターは米国人の設定だよね。歴史を元にした物語だって言うなら、フランス人にするべきだったとは思う。 +21 アメリカ

■ 「ラストサムライ」の本当の救世主は、最後に自身の考えを変え、より伝統的なアプローチを支持した、明治天皇だと個人的には考えてる。 +40 アメリカ

■ オールグレンが日本を救った話ではなく、日本がオールグレンを救った話だったね。カツモトに関する物語の方がより壮大で、そこにオールグレンが加わるような形だった。日本人に対する、深い敬意が感じられる作品だったよ。 +52 アメリカ

***そもそもオールグレンは武士たちを救済しておらず、そして、むしろ救われたのはオールグレンの方だ、というニュアンスのコメントが非常に目立ちました。渡辺謙さんや真田広之さんなど、日本人俳優の演技や存在感などが主役級だった事も、「白い救世主」議論を打ち消す一助になっている気がします。



海外「日本は本当に稀有な国だ」 なぜ非白人国家で日本だけが近代化に成功出来たのか?明治維新以降、急速な近代化を推し進めた日本。短期間のうちに新たな制度やインフラを整え、ついには五大国の1つにまでなるわけですが、当時は「洋務運動」が進められた中国のほか、インド、イラン、オスマン帝国など日本以外のアジアの国でも、近代化に向けた改革は行われていました。しかし実際に大きな成功を遂げたのは日本だけであり、その事が外国人にとっては非常に大きな謎であるようでした。「なぜ日本だけが近代化に成功出来たのか」。様々な意見が寄せられていました。

翻訳元■

■ 日本は18世紀にはすでに高度に都市化してて、高い識字率を誇ってたからね。近代化の前から日本は先進国だったんだよ。 +11 ドイツ

■ 面白いことに、幕府でさえも実際には改革派だったんだよ。どちらも欧米列強の強さを目の当たりにしていて、国を強化していく事を考えていたから、どちらが勝っても結局日本は近代化出来た。その辺りが他のアジアとの違いだな。 +26 中国

■ 日本は早い段階で国家として存在してたのが大きいよ。そして他のほとんどのアジアよりも大きな人口があった。そもそも19世紀には存在してなかった国も多いし。 +67 台湾

■ 前提として、日本は支配者が庶民に対して苛烈じゃなかった。そして日本の場合は大部分が単一的な文化だし、国民がより強く団結していたという面もある。だから分裂も他国からの支配も防げた。 +19 国籍不明

■ 確かにアジア諸国は内戦が長く続いたね。でも日本も内戦はあったよ。戊辰戦争が有名。+1 アメリカ

■ 日本も内戦はあるにはあった。でも大陸のそれと比べると規模は小さかった。 +22 ハンガリー

■ 非ヨーロッパの国でなぜ日本だけが列強に対抗し、自国主導で工業化・近代化を推し進められたのか。これは経済史研究家たちを長らく悩ませてるね。文字通り日本はあまりにも特殊なケースなんだ。あらゆる非ヨーロッパ国との比較が可能だ。 +5 アメリカ

■ もっと詳しい人が説明してくれる事を願ってるけど、個人的には植民地化が運命を分けたと思う。ほとんどの国は欧州の植民地だった中で、日本だけはそうじゃなかったからさ。 +4 アメリカ

■ 戊辰戦争は近代化、少なくとも軍事的な近代化を日本に強いたよね。幕府軍も新政府軍も、列強の支配に抗うには、西洋のように近代化するしかないと考えたから。 +2 ベトナム

■ 簡単に言うと、日本は賢明な選択をしたんだよ。日本は列強を締め出すのではなくて、選択的に貿易関係を築いて、その中で欧州の技術を習得していった。そうして植民地化を避け、急速に近代化出来た。 アメリカ

■ 日本はリバースエンジニアリング*を徹底したから。 +4 アメリカ  *製品を入手して分解や解析などを行い、 設計や構造、動作原理などを明らかにする事)

■ 日本は18世紀〜19世紀にはすでに経済的に先進的だったよ。17世紀初頭にはすでにオランダと交易してたわけだし。武士が支配してた古い社会階層を、商人が脅かすまでになってたんだよ。日本はすでに資本主義に移行してたって事だ。 +11 韓国

■ 日本は鎖国をしていたからこそ、国土を外国に奪われる事に激しく抵抗した。一方他のアジアの地域はそのまま受け入れてしまった。結果としてはそれがいけなかったんだけどね。 +2 インドネシア

■ 日本の成功には多くの理由があるけど、一番は長期間にわたって安定してた時期があったから。 +7 アメリカ

■ シンプルに、日本は近代化の意志があったんだ。一方で他のアジア諸国はずっと変わらずにいた。 +2 国籍不明

■ まず日本には明治時代に非常に賢明なリーダー達がいた訳で。そして欧州から遠く離れていた事で、彼らの標的にならなかったのも要因の1つだろう。 +9 アメリカ

■ だって日本にはペリーが来航する前から、工業化への下地が出来てたもの。 +2 日本在住

■ 日本は清朝の運命を見てたから。それを避けるために恐るべきスピードで工業化を進めて、西洋との貿易関係を築く事に全力を注いだ。 +3 アメリカ

■ 日本の場合、独立を保ってた事は大きく影響してるはず。清朝は実際には満州族の国であって、工業化は自分たちに悪影響だと考えた。中東は長年反目し合っていた欧州を師と仰ぐはずがないし、東南アジアはすでに植民地になってたから。そう考えると、日本は本当に稀有な国なんだよ。そしてそういう厳しい時代でもあったんだ。 +3 中国

■ トクガワは2世紀にわたって日本を紛争から守った。その期間に3大都市では小規模な製造業が出現し、演劇や美術品の収集などの文化を楽しむ、識字率の高い中産階級が存在してたんだね。19世紀半ばに彼らの前に現れた欧州の文化は、その高度な技術とともに日本に衝撃を与えたけど、日本人に理解出来ない物はほとんどなかった。 +2 アメリカ

■ 単純に日本は近代化を実現するために、欧州から学んで、多大な努力をしたもの。 +3 オーストラリア

■ 日本は中国大陸や朝鮮半島に近いけど、社会構造はかなり早い段階で違ってたからなぁ。欧米列強が極東に到達する以前から、すでに中世ヨーロッパのような構造になってたの。だから他のアジア諸国よりも簡単に、西洋文化を吸収する事が出来たんだ。 国籍不明

■ 他のアジアもある程度の進歩は遂げていた。だけど、結果的にはなぜか日本だけが成功した。一番大きいのは「他国の支配に抗う」という一点だけは、指導者達の間で共通してたからじゃないかね。 +15 日本在住

■ 日本には18世紀後半にはすでに改革を志す人たちがいた。本多利明はその代表的な1人。僕には難しすぎて分からない面もあるけど。ただ日本は他のアジアよりも自分たちの技術的、軍事的、政治的地位をよく理解してたのは確かだよ。 +90 アメリカ

***ペリー来航の1年後には、佐賀藩や福岡藩が、あくまでも独自に蒸気機関車の模型の製造に成功したり、遣米使節団が視察中に蒸気機関車の構造を説明された際、全て知っていたために退屈だったという逸話があったりと、明治維新以前から下地があったのは大きいでしょうね。その下地はどうやって出来たのかなど、突き詰めていくとキリはないですが。



ウイキペディアより  ナショナリズムの役割。戊辰戦争の死者数が約13600人、西南戦争の死者数が約11500人、倒幕運動側の死者数が約2500人で、復古の反対勢力の死者数は不明だが、明治維新における政治的死者数は、27600人〜3万人と推計できる。これに対して、フランス革命での政治的死者数は国内の死者は約40万人、フランス革命戦争での死者数は約115万人、合計約155万人とされる。また、20世紀の中国の国共内戦が175万や文化大革命での犠牲者は1000万人以上である。明治維新における政治的死者数が少なかった理由には、徳川家と新政府が戦争を極小に抑えたこと、特に江戸開城による戦争回避が主因とされ、戊辰戦争も抵抗者が限定され、短期間で終わった。このほか、大名や上級武士らが、「御家(おいえ)」に代えて「日本」レベルのナショナリズムを持ったために世襲的特権の剥奪に抵抗しなかったこともあげられる(幕末の尊王攘夷論の目的は鎖国を守るためでなく、日本の根本的改革にあった。フランス革命では、革命派は、「国民化」を阻む抵抗勢力であった貴族、王党派、ヴァンデーの農民などを殺戮し、さらに革命派は、周辺の君主国との戦争を回避せずに選択したために、大量の犠牲が出た。フランスではすでに三部会において「国民」が権力の源泉とされ、新秩序を対等に構成する集合的主体として重視されていたが、日本では「国民」による秩序構想が支持されたのは明治10年代であった。分権制・中央集権。江戸時代の幕藩体制は連邦国家であり、君主が二人いる(徳川将軍と天皇)双頭国家であった。清朝のような一極集中型の組織は解体が難しいのに対して、分権制は解体も再編も容易であるが、ただし、インドやジャワのように、分権制であったがゆえにその隙をついて外部勢力が国家統合をなした場合もある。近世日本は双頭・連邦国家であったが、維新によって単一国家としての「日本」が創出された。フランスでは革命前より単一国家で、封建領主の連合体からは脱却していたが、一部で貴族による支配と王権による支配とが混在していた。しかし、中央集権体制が完成したのは革命とナポレオン体制であったことから、国家の統合という点では明治維新とフランス革命は同様の結果を産んだ。間接アプローチ戦略。廃藩を実現しようとした新政府は、廃藩を急激に進めると諸大名からの抵抗を受けると予想し、間接アプローチ戦略をとって、廃藩置県より前に地均らしとして版籍奉還を建議した。版籍奉還は、江戸期の将軍代替わりに伴う統治許可証返還の慣習を拡張したものであったために、諸大名からの抵抗はほとんどなかった。戊辰戦争では、新政府は各大名に銃隊のみの編成を命じた。これにより、上級家臣は従者も伝統的武芸も使うことができなくなった。動員で財政が逼迫した藩は統治権の返上を申し出たところもあった。君主制による改革。維新で君主権強化を主導したのは大名の家臣であり、いわば領主と庶民の間の中間層であった。維新は君権を押し立てた意味では「上からの改革」であったが、内実は中間層による「下からの改革」であった。新政府は御誓文で「広く会議を興し、万機公論に決すべし」と宣言し、これが民撰議院設立建白書などでも繰り返し引用され、国是となり、立憲政治が定着していった。誓文以前にも安政期から「公議」「公論」は重視されており、これが誓文で確認されており、ここに経路依存性がある。さらに、室町期以降には天皇は政治的決定権を喪失していたという経路依存性もあり、こうして天皇と朝廷は明治維新において「公論」を受け入れ、憲法による君権の制限も受け入れることができた。これは19世紀の朝鮮や清朝が君権制限に強く抵抗したことからみても、例外的であった。


非ヨーロッパ地域における近代化との比較 ウイキペディアより 明治維新の諸改革は、新たな制度で生じた矛盾をいくらか孕みながらも、おおむね成功を収め、短期間で立憲制度を達成し、富国強兵が推進された。その評価は日清戦争・日露戦争における勝利により飛躍的に高まり、諸外国からも感嘆・驚異の目で見られるようになった。特にアジア諸国では明治維新を模範として改革や独立運動を行おうとする動きが盛んになる。孫文も日本亡命時には『明治維新は中国革命の第一歩であり、中国革命は明治維新の第二歩である』との言葉を犬養毅へ送っている。ロシアを含むアジアでの近代化革命としては、朝鮮における壬午事変・甲申政変や清における戊戌の変法やオスマン帝国におけるタンジマートの失敗、長続きしなかったイランのイラン立憲革命やロシア帝国のヴィッテ改革・ストルイピン改革などが典型である。しかしいずれも確実な成功を収めたものとまではいえなかった。一定の成功を収めた例としては、パラグアイのカルロス・アントニオ・ロペス大統領による改革、タイのチャクリー改革、トルコのアタテュルク主義、エジプトのエジプト革命、メキシコのベニート・フアレス改革が挙げられる。日本は明治維新によって列強と化したことにより、アジア諸国では数少ない植民地にならなかった国となった。明治維新は欧米列強に抑圧されたアジア諸国にとって近代化革命の模範ともなった。やがて日本自身が列強側の国家として、帝国主義的な領土・権益獲得を行う立場となったが、それが行使されたのは台湾や朝鮮、中国の一部という限られたものに終わり、イギリスやアメリカ、オランダなどのように本土から遠く離れた地を植民地支配下に置くようなことはなかった。一方、ほとんどのアジア諸国で挫折ないし不可能だった近代化革命が、なぜ日本においてのみ成功したのかについても近年研究が盛んとなっている。孫文やスカルノ、マハティール・ビン・モハマドや毛沢東をはじめ、その他アジアの指導者はほぼ例外なく明治維新に何らかの関心を持っており、その歴史的価値についての問い直しが盛んとなっている。エジプトとの比較論 中東社会学者の山口直彦は、エジプト史での比較を論じている。エジプトの初代大統領ナセルは、『アラブ連合共和国国民憲章』の中で「エジプトがその眠りから醒めた時、近代日本は進歩に向かって歩み始めた。日本が着実な歩みを続けることに成功したのと対照的に、個人的な冒険によってエジプトの覚醒は妨げられ、悲しむべき弊害を伴った挫折がもたらされた」と記している。エジプトで失敗した近代化が日本で成功した理由について、明治の日本は教育制度が整っていた上に、「有司専制」などという批判もありつつも、議会や民権政党、マスコミなど政府批判勢力が常に存在して行政のチェック機能が働いていたのに対し、エジプトにはこれがなかったため、君主が個人的な私情や私欲に突き進みやすかったことがあるという。明治政府は外債に慎重で返済能力を越えない現実的な範囲に留めてきたが、エジプトは君主の独走で計算もなく法外な利息の外債に頼り続け、その結果、財政破綻と植民地化を招いたことが指摘されている。一方エジプト革命から半世紀以上前にオラービー革命を起こしたアフマド・オラービーは、近代化改革が日本で成功した理由について、日本の地理的条件の良さが背景にあると分析していたという。具体的には幕末から明治初期の日本は生糸しか主要産業がなく、イギリスやフランスにとっての日本の価値は大市場である清の付属品、あるいは太平洋進出のための薪炭・水の補給地でしかなく、スエズ運河を有するエジプトに比べて重要度が低かったことがあるという。 ■東アジア・東南アジアの開発独裁と明治維新の違い  明治維新の通説として、天皇を戴いた排他的な藩閥政権が、立憲政治の進展を遅らせながら、経済と軍事の近代化に邁進したとするような解釈があるが、日本政治史研究の坂野潤治と産業政策研究の大野健一は、このような解釈は、事実に相反していると批判する。このような通説では、明治政府は、台湾の蔣介石政権(1949-75)、タイのサリット・タノム政権(1958-73)、韓国の朴正煕政権(1961-79)、シンガポールのリー・クアンユー政権(1965-90)、中華人民共和国の鄧小平政権(1976-97)、マレーシアのマハティール政権(1981-)などの開発独裁のイメージと重ねられた。開発独裁の特徴は、1)内外危機への対応、2)強力な指導者、3)指導者を支えるエリート、4)政治改革を後回しにした開発イデオロギーの最優先、5)民主的手続きではなく経済成果に基づく正統化、6)20-30年の同一体制の継続などがあるが、これらのうち明治維新との共通項は1)の内外危機への対応くらいであると坂野-大野は指摘する。坂野-大野によれば、明治政権は、単純な独裁体制が何十年も存続したわけではなく、カリスマ的指導者が上意下達の命令を下したわけでもなく、経済の近代化を最優先したわけでもなく、政権の正統性を天皇の権威のみに依存したわけでもなかった。明治維新は、「富国強兵」と「公議輿論」の複数の目標、細かく分ければ、「富国」と「強兵」と「議会」と「憲法」の四目標の並列的競合を通じて、それに指導者間の合従連衡、また指導者らによる目標の優先順位の自由な変更を通じて達成された。明治の変革期においては、指導者も固定的ではなく、優先される路線は数年ごとに入れ替わり、勝利した集団も敗退した集団も永続的にその地位にいたわけではなく、これは開発独裁のような単一目標の追及や単純な政治構造や単線的進行とは異なる、極めて複雑な局面展開をともなう柔構造モデルであったという。




【中国】中国の奇跡的発展は明治維新を超えた?=「日本よりも100年遅れているという意味」「現在の国情と100年以上前とを比べるのか?」 2017/08/28()  2017827日、中国メディアの澎湃新聞によると、中国人物理学者の楊振寧氏は、中国の奇跡的発展は日本の明治維新を超えたと語った。 物理学者でノーベル物理学賞受賞者の楊振寧氏(受賞当時は中華民国籍)は、天津市委員会と天津市政府の指導者らとの座談会に出席した。 楊氏はその際、近年の中国の急速な発展について、「100年から200年先になって振り返った時、人類発展の歴史上、大きな奇跡の1つとみなされるだろう。日本は明治維新後に奇跡的な発展を遂げたが、その難易度、人口規模、経済規模及びその当時の世界情勢からすると、現在の中国の奇跡と比べたら非常に小さなものだ」と語った。 これに対し、中国のネットユーザーから「つまりは日本よりも100年遅れているという意味じゃないか」「今の中国は100年以上前の日本を超えたという意味ですね」というコメントが寄せられた。 また、「明治維新?現在の国情と100年以上前とを比べるのか?」「この比較には問題があるだろ。21世紀と100年以上前を比べる意味があるのか?」など、明治維新との比較はおかしいとの意見も多かった。 ほかには、「科学者が中国共産党のスポークスマンになるとはなんて悲しいことだ」「典型的な風見鶏だな。この人を軽蔑する」というユーザーもいて、この発言を政府関係者に対するゴマすりととらえたユーザーが多いようだった。

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