▲いや、妙な表題となった。
宮崎監督という人が「引退」せざるをえない理由というものが段々明白となってきたようだ。
宮崎さんは、絵コンテという4コママンガのようなものをつくり、絵と粗筋と時間を決めているとこのブログで書いた。
このやり方しかできないのだ—と宮崎さんは繰り返し強調されていた。
問題は—というか、宮崎さんの仕事のやり方の核心として、単に絵コンテだけをつくって、後はアニメーターに委せるということができない--ということなのだな。
絵コンテは粗筋だけをきめているわけだが、細かい演出のところまで宮崎さんは目を配る—そうせずにはおられないようだ。
さて。
表題の「スカート云々」とは、耳をすませば—というアニメを後継者と目される人にさせた時の話だ。
雫という女の子の「仕草」が宮崎さんがイメージしていた少女(中学3年生だが)の仕草と違ったらしい。
このあたり、絵コンテでも、言葉でも他者に伝えることはできまい。
能力者であるが故のこだわりであり、孤独なのだろうなぁ、まぁ、他者の目からは、偏屈ととらえられるだろうなぁ。
以下、ある文から抜粋。
実は宮崎さん自身、「違うやり方」を試みたこともあった。
1995年公開の「耳をすませば」だ。
宮崎さんは脚本・絵コンテを手がけたが、実際の作画は信頼するアニメーター・近藤喜文さんに委ねた。
鈴木敏夫プロデューサーらは「成功すれば、宮崎アニメの新しいスタイルが誕生する」と期待したが、宮崎さんの答えは「二度とやらない!」だった。
それはなぜか。
鈴木プロデューサーがこんな話をしてくれた。
「近藤さんの作画で、主人公の少女・雫の性格が、宮崎さんの意図と変わってしまった。
例えば雫がしゃがみ込むシーン。
誰も見ていないのに、近藤さんは雫に『下着が見えないよう、スカートを手で押さえる演技』をさせた。
これによって雫は『考えてから行動する自意識過剰の子』になった。
だが、宮崎さんの好みは『下着なんか気にせずにさっと座ってしまう、考える前に行動する子』。
この違いが宮さんには耐えられなかった」
仮に「自分は絵コンテ作りまで」というスタイルに宮崎さん自身が納得できれば、今後も長編アニメを作り続けられる。
だが、それは宮崎さんが、自ら原画を描くアニメーターではなくなることを意味する。
「監督になってよかったと思うことは一度もなかったが、アニメーターになってよかったと思うことは何度かあった」と話す宮崎さんにとって、それは決して受け入れられない。
▲補足、感想など
だから、近藤さんに委せることができないのだ。
--誰も見ていないのに、近藤さんは雫に『下着が見えないよう、スカートを手で押さえる演技』をさせた。--か。
こういう文章を読んでいると、一体、この世の誰が宮崎さんのもつ「少女像・イメージ」を読むことができるのか—と思ってしまう。
このあたりだな。
能力者であるが故の孤独、能力者であるが故の非妥協性。
宮崎さんの引退はもう止むを得ないなぁ、とつくづく納得してしまう。