2013年9月17日火曜日

大震災の津波避難で幼稚園に賠償命令。

▲2年前の大震災がらみで、始めての賠償命令が地裁ででた。
 でも、と思う。
 これは、高裁とか、最高裁とかで覆るだろう。

 これはなぁ、と思う。
 どこに核心があるのだろう。

 それは、大震災に遭遇して生き残れたというのは、本当に運のいい人だけなのだ。
 この世の誰が、予期しない大震災・津波に的確に対応できたのか。
 また、仮に予想していても、誰しもが冷静に対応できたわけではないのだ。(大川小学校の先生達の例をみよ)

 知識とか経験が役に立たないような災害があった時、誰が誰を責めることができるのか。

 それは、子供をなくされた親の気持ちは理解できる。
 他者を責めたい気持ちは分かる。

 しかし。
 上でふれたように、誰が、予期せぬ災害に的確に対処できるのか。
 他者に超人的な能力を期待するな。
 自分自身がそんなことができるかどうか—考えてみよ。

 以下、新聞から抜粋。

 東日本大震災の際、私立日和幼稚園(宮城県石巻市)の送迎バスが津波に巻き込まれ園児5人が死亡したのは、幼稚園側が安全配慮を怠ったためとして、5人のうち4人の両親が園を経営する学校法人「長谷川学院」と当時の 園長を相手に、計約27000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が17日、仙台地裁であり、 斉木教朗裁判長は幼稚園側に約18000万円の支払いを命じた。

 東日本大震災の避難誘導などをめぐり、遺族らが施設に賠償を求めた訴訟の判決は初めて。

 幼稚園側が津波を予想できたかなどが争点だった。
 原告側は、園や園長は地震発生後に大津波警報が発令されていたのに、情報収集を怠り、 高台にあった幼稚園から沿岸部にバスを出発させたと主張。

 また、地震時には園児を園庭に避難させ、 保護者が迎えに来た段階で引き渡すとしていた園のマニュアルが守られなかったと訴えていた。
 これに対し、園側は「石巻の市街地まで大津波が来ることは予想できなかった」「一刻も早く園児を保護者に返そうとした」と反論していた。

 訴訟を巡ってはこれまで2回、和解に向けた協議が行われたが、いずれも決裂した。 


▲補足、感想など

 冒頭でふれた通り、控訴すれば、高裁か最高裁でひっくりかえるだろう。

 なぜって。
 冒頭でふれたように、他者に超人的な能力を期待しても無理なのだ。
 大震災で生き残れた人達は、本当に「運のいい人」だけだ。

 筆者は、陸前高田市の海岸にたったことがある。
 周囲には高い建物もない。
 陸前高田市へ津波が襲ったのは、地震があって20分くらいだったと記憶する。

 高い場所と言えば、1キロぐらい先の小高い山に逃げるしかない。
 20分ぐらいであの山に辿りつき、登ることができるか—といえばもう絶望的だ。

 やはり。
 昔あった東京大空襲で被害を受けた人達が、国を相手取って裁判した時の判決の言葉が記憶に残る。
 たしか、「等しく損害を負担すべき」だったと思う。

 大震災で子供を亡くされた方々、家を、工場を、船を失った方々が、「等しく負担すべき」ことなのだろう。
 そして、その損害を国とか市町村がなんらかの形で軽減してあげる—そんなことしかできない。

 冒頭に戻って、未曾有の災害に遭遇した時、誰が誰を責めることができるのか。