▲宮崎駿監督が引退を口にした。
もう、72才とのこと。
さすがに、今度の「風立ちぬ」のような5年もかかるような大作を企てることは無理だろうなぁ、と筆者も感じる。
ヨーロッパでも、今度の「風立ちぬ」は評判がいいようだ。
日本では主人公の吹き替えをエヴァンゲリオンの庵野さんがやっていて、棒読みだとか批判があるようだ。
しかしなぁ、と筆者など思う。
口のうまい技術者なんて、そんなにはいない。
<筆者も技術系の人間だが、しゃべることは至って苦手だ>
技術者とは大概あんなもの。
以下、新聞から抜粋。
第70回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門に最新作「風立ちぬ」を出品している
宮崎駿監督(72)の引退発表から一夜明け、イタリアの各紙は会見の模様などを報じた。
ヒロイン・菜穂子の声を務めた女優・瀧本美織(21)が参加した公式上映では、約5分間のスタンディングオベーションが起き、評論家の評価も上々。
金獅子賞で
“有終の美”を飾ることが視野に入ってきた。
宮崎監督の、引退宣言を
受けて、イタリアのメディアも敏感に反応した。
主要紙「コリエレ・デラ・セラ」は、1面で宮崎駿監督が引退を表明したと「風立ちぬ」の場面写真と宮崎監督の
顔写真を掲載。
エンターテインメント関連の記事、しかも海外の人物が
1面に載るのは極めて異例。
「日本のアニメの父が作った最後となってしまったのは
ショックだが、彼の作品は、いつまでも生き続けるだろう」。ロイター通信も、ベネチア発の記事で
「『日本のウォルト・ディズニー』とも評される監督」と表現した。
一方、映画祭開催中の発表に“賞レース”への影響を口にする地元記者も。
「コリエレ―」の記者は「審査員たちは引退のニュースを聞いて、無関心でいられることが
できるだろうか」と言及。
意識的でなくとも、審査の行方に何らかの“力”が働く可能性を示唆している。
とはいえ、作品の評判は上々だ。
現在、コンペティション部門に
出品されている20本のうち半分の10本が上映されたが、映画祭会場で毎日発行される
「venews」に掲載された世界各国の映画評論家による評価は、上から2番目。
また、地元の映画雑誌「CIAK」によるイタリアの映画記者の評価では、
最高の星5つをつける人もいた。
「千と千尋―」で03年に米アカデミー賞の長編アニメーション映画部門賞と
02年のベルリン国際映画祭の金熊賞(グランプリ)を獲得。
ベネチアでも05年に
「栄誉金獅子賞」を受賞しているが、これは過去の功績をたたえたもので、
一つの作品に与えられたものではない。
常々「賞を取るために映画を作っているわけではない」と公言している宮崎監督だがベネチアは“別格”。
授賞式は
7日に行われるが、グランプリの金獅子賞で「ハヤオ・ミヤザキ」の名前が
呼ばれる機運が高まってきた。
▲補足、感想など
ベネチアで宮崎さんが金獅子賞を授与されるかどうかは定かではない。
受賞してもおかしくはない、と思えるし、また、受賞しなくても「風立ちぬ」の価値を減ずるものではない。
「風立ちぬ」が表現しているのは、「男の生き様」だ。
あんなことがやりたい—と志<こころざし>を立て、その「やりたいことがやれる」時点となれば、「与えられた課題」を懸命に頑張る。
男として、技術者として、正しく真っ当な生き方であると思える。
ゼロ戦の設計者だとか—の批判があるようだが、これは枝葉の議論というか批判であると思える。
人間は、その時代というものと切り離すことはできない。
時代が「要求するもの」から離れて、仕事はできない。
そういえば、中島飛行機で戦闘機の鍾馗などを設計した糸川英夫さんも、オーストラリアかどっかへ行ったとき、戦闘機を設計して—とか批判されたとか。
糸川さんは、「他を圧倒するような戦闘機を設計することこそ、技術者の努めだ」と答えたとか言われていた。
筆者は、「正論」だと思う。
いや、話がどこかへいった。
映画では、主人公は結核を病む女性と恋をし、結婚する。
先の見えない夫婦ではあるのだが、「でも、いまという時間を一緒に暮らす」ということを選択する。
結核は戦前では「致死率」の高い病気だった。
なんというかな。
これは1910年代から1940年代という「時代」を懸命に生きた男女の物語なのだ。
宮崎監督は、1910年代-1940年代を懸命に生きた「男」の生き様・覚悟を描いているのだ。
ベネチアで金獅子賞が与えられるなら、これ以上の喜びはない。