2013年1月9日水曜日

日本は物持ちのいい国だ。


▲もう21世紀にはいって10年以上を経過した。
 こんな時に、中国の書聖、王羲之の書の写が見つかったそうだ。
 王羲之って4世紀ぐらいの人だ。
 もう真筆はないのだとか。
 その写といっても7世紀頃のものらしい。
 日本から唐の時代に渡った遣唐使の誰かが持ち帰ったものらしい。
 8世紀として、1300年位前か。
 それも、個人が所有しているのだそうな。
 もう、値段もつけようもない品物であろうに。
 以下、新聞から抜粋。

 「書聖」と呼ばれる四世紀の中国・東晋時代の書家、王羲之の書の写しが見つかった。
 東京都台東区の東京国立博物館が鑑定した。
 筆遣いや文面などから七~八世紀の唐代に宮中で制作されたものの一部と みられる。

 王羲之の真筆は発見されていないため、その書風の解明に役立つ貴重な資料となりそうだ。
 王羲之の字姿を伝える写しの発見は「妹至帖」以来、四十年ぶり。
 縦二五・七センチ、横一〇・一センチの 紙に、三行にわたり二十四文字で書かれ、手紙の一部とみられる。
 国内で個人が所蔵していることが分かり、t同館列品管理課長が鑑定していた。
 冒頭の文字を取り、t課長らが「大報帖(たいほうじょう)」と命名した。

 王羲之の写しと判断した根拠は
(1)写した文字の輪郭の内側を墨でうめる「双鉤填墨」という高度な手法で 書かれている
(2)王羲之の息子「期」らの名前や、よく用いた表現「日弊」がある
(3)「妹至帖」などに字姿がよく似ている
 -としている。

 内容は「(便)大報期転呈也 知/不快 当由情感如佳 吾/日弊 為爾解日耳」と読み取れる。
 紙は、縦に線のある縦簾紙。
 幕末から明治にかけての古筆鑑定の権威、古筆了仲が「小野道風朝臣 」筆と鑑定した紙が付されていた。
 同館によると、遣唐使らがもたらしたとみられるという。

 同館で開かれる特別展「書聖 王羲之」で初公開される。
 <王羲之(三○三~三六一年、諸説あり)> 中国・東晋の書家。楷書、行書、草書を芸術的な書体へと完成させ、古今第一の 書家として「書聖」と称された。
 優雅で力強い書風は、唐の太宗皇帝など歴代皇帝が愛好。
 三五三年に揮毫した詩集の序文 「蘭亭序」が最高傑作とされる。

 作品の多くは宮中に収集された後、戦乱などで失われ、真跡は残っていない。
 貴族出身で地方長官 なども務めた。子の献之も書家で父と並び「二王」と呼ばれた。
 日本には奈良時代に伝わり、和様の書風に影響を与えた。

 ◇鑑定したt東京国立博物館課長の話 王羲之の極めて精巧な模本は数が少なく、世界でも 十前後しかない。
 今回の写しはその中に入るもので、模本としてのレベルが高い。字姿は本物に近いだろう。

▲補足、感想など
 紀に中国でつくられ、それを遣唐使が日本へもちかえり、21世紀の日本でそれが確認できる----
 流れた時間とその間の歴史を考えると、「よく残ったものだ」とただただ感心する。
 1300年以上ももつ「紙」か。
 今ある記録メディアで、1300年ももつというか、時間の経過に耐えるものは存在しない。
 恐るべし—紙--ということだろうな。
 また、日本という国は、「歴史の宝石箱」のようなものだな。
 遣唐使がもってかえった—という文言を聞くだけで、茫々たる時間の厚みに圧倒される。