▲表題は、神武天皇による九州から今の奈良県付近へ国を移したという話だ。
もう、出版されて半世紀にもなるこの本を読んで、なにか目が覚めるような思いがした。
この3世紀の終わり頃になされたと推定される九州出身の天皇家の日本の統一の動きは、紀元前3世紀頃になされた中国の秦の始皇帝の中国統一に類似した話なのだな。
どこが類似ているか—ということだが。
1.ユーラシア大陸の東側に位置する民族にとって、西側に位置することが最新の知識、武具などが到達する先進地域であったということ。
ヨーロッパ・中東付近からの情報(ローマ帝国とかアレキサンダー大王の話など)は、シルクロードを伝って細々と伝わってきていたのだ。
因みに、中国の唐時代の都が長安という中国の奥地に位置するのは、このためだ。
秦という国は、中国でも最西部に位置していた国だ。
つまり、現在の中国の版図(ウイグル、チベットなどを除く)の中で、もっとも早く、ローマ帝国などの情報を得られた地域であり、先覚者が生まれる場所であったのだ。
それが秦の始皇帝であった。
2.日本においても事情は同じだ。
日本列島を考えた時、最西部に位置する「北九州」という場所が、中国大陸、朝鮮半島から最新の情報が得られた地域なのだ。
このような環境の中から邪馬台国と卑弥呼(天照大御神だろうと推定—著者、3世紀半ば<西暦230年頃活躍>)が生まれたと。
3.神武天皇は、天照大御神から5代目—ということで、西暦270年頃に活躍したと推定されている。
(天皇の在位期間を10年と推定)。
だから。
表題の「神武東遷」とは、西暦270年頃になされたものと推定。
つまり、秦の始皇帝と同じく、ここで「日本統一」の目処がついたということだろう。
4.では、北九州が起源の天皇家一族が、なぜ、近畿地方に元々住んでいた豪族に戦争で勝てたのだろうか。
核心は、鉄器の存在だ。
鉄は、ヒッタイトという、今のトルコあたりに住んでいた民族が使い始めたとされている。
鉄を製造し、使用するという技術は、長い時間をかけて、ユーラシア大陸を西 →東へと伝わり、朝鮮半島等を経由して、日本の北九州付近へ伝わってきた。
5.戦争というものは、最新の情報と最新の武器をもっている方が有利だ。
中国大陸、朝鮮半島から鉄が輸入できた北九州の天皇家一族が強いに決まっているではないか。鉄の鏃、鉄の刀—をもっていたのだろう。
対して、近畿地方にいる豪族など、草深い田舎であり、最新の情報、武器をもっていなかったのだろう。恐らく、青銅の刀だろう。
6.こうして、北九州出身の天皇家一族が、西暦270年頃に、鉄製の武器をもって、近畿地方を平らげ、国を奈良付近に移したということだろう。
7.まとめ、全体の感想。
上で書いたように、卑弥呼=天照大御神 であるのならば、ヤマタイ国がどこにあるのか—なんて議論が紛糾するはずもない。
これは、中国の秦と同じだということだ。
中国に使いを出すだけの力をもつ、ヤマタイ国が、日本の奈良地方である訳がない。
なぜなら、最新の情報と最新の武器をもっている部族が最強なのだ。
そういう武器をもたずして、勢力が拡大できる訳がない。
そのためには、中国ないし朝鮮半島にもっとも近くなくては(日本列島の最西部にいなくては--)、最新の情報、最新の武器が入手できない。
ヤマタイ国がどこにあるか—などという議論があるのは、「文字面」をおいすぎた結果だろう。
最新の武器をもたずして、勢力が拡大できるはずがない—と考えれば、絶対に奈良付近にヤマタイ国がある訳がない。
鉄器の存在という常識で考えて、ヤマタイ国は、北九州以外にはありえない。