2015年10月7日水曜日

韓国人のノーベル賞受賞はいつ?

いや、そんなことが分かる訳はない。
 ただなぁ。
 数年前か、韓国の大学が、米国人のノーベル賞受賞学者(経済学だったかな)を招聘して、講義をお願いした。
 ところが、途中・1年くらいして、このアメリカ人がそそくさとアメリカへ帰ってしまった。

 理由は、大学生の父兄から、「どうしたら、ノーベル賞がとれますか?」という質問ばかりされるからだ—と。

 この「ノーベル賞をどうしたらとれますか?」という質問の持つ「馬鹿馬鹿しさ」に、大学生の父兄が気づかない・理解できない—ところが、韓国人が「ノーベル賞」を受賞できない理由なのだ。

 馬鹿だろう。こんな質問。
 その愚かさ・間抜けさ・愚鈍さ—というものに、アメリカ人学者が嫌気がさしたのだろうな。

 以下、韓国の新聞から抜粋。

 今年のノーベル医学・生理学賞受賞者3人のうち1人は日本人、1人は中国人だった。
 物理学賞受賞者2人のうち1人がまたも日本人だった。
 その結果、日本は自然科学分野のノーベル賞受賞者が21人となり、中国も最初の受賞者を出した。

 今回、医学・生理学賞を受賞した日本人と中国人の受賞者は、エリートコースを歩んできた科学者ではない。 中国の屠ユウユウ首席研究員=84=は博士学位もなく、海外に留学した経験もない。
 さらに院士の称号も与えられていない。

 彼女は1600年前に書かれた中国の医学書を調べ、190に上る薬草の効能について実験を重ねた末に、 191回目に実験を行ったヨモギの一種「クソニンジン」からマラリアによる発熱に効能を持つ成分の抽出に成功。

 日本人の大村智氏(80)は北里大学名誉教授だが、出身は山梨大学という地方国立大学だ。
 大学卒業後は夜間の工業高校で教師を務めていたが、在職中、仕事を終えてから油まみれで勉学に励む生徒たちを見て 「自分もこのままではいけない」と考え、研究者の道を進むようになったという。

 大村氏が勤務した北里大学は「日本の細菌学の父」とも呼ばれる北里柴三郎が 101年前に私費で設立した研究所が母体となっている。
 先代の科学者が未来を見据えてまいた種が、今回大村氏のノーベル賞受賞として報われたのだ。

 屠ユウユウ氏がマラリア治療剤の研究を始めたのは1969年で、毛沢東主席の指示によるものだった。
 中国は1994年、報酬を与えて優秀な科学者100人を招くいわゆる「百人計画」を進め、 それが後に「千人計画」となり、今の習近平・国家主席の就任後は「万人計画」となった。
 中国がこのように国家の次元で科学の発展を目指しているとすれば、日本は一つの分野を究極まで突き詰める科学者たちの「匠の精神」により、2000年以降はほぼ毎年のようにノーベル賞受賞者を輩出している。

 韓国はつい昨年まで約19000億円に上る政府予算を研究開発に投入したことからも分かるように、 国と民間による研究開発投資の割合は世界一だ。
 ところが結果は見るに堪えず、これらの資金は誰かの懐に漏れ出しているとのうわさばかりが聞こえてくる。

 韓国が科学に取り組んだ歴史はまだ短いが、その上研究者たちに執念も魂もなければ、 国が今後いくら資金を投入しても結果は出ないだろう。


補足、感想など

 なんだ、この記事。
 自国を嘆いているのか。

 記事にも書いてあったではないか。
 自然科学の世界での研究とは、地道さに耐え、繰り返しに耐えるということだ。
 数万回、数十万回も繰り返しても、結局ダメだったということもある。
 そういう「地道さに耐える」ことのできる人間だけが栄光をつかむのだ。
 <第一、上掲の国を嘆く文章を書く本人だって、先の見えない「繰り返し」に耐えることはできまい>

 韓国人がそういう「地道さに耐えられるか」「数十万回の繰り返しに耐える」ことができるか。
 労働というか肉体を使うことを卑しみ、てっとりばやく稼ぐことのみを考える国民性であろう。

 つまり、韓国人にはこういう自然科学の部門には適性がない—ということだ。
 いいではないか。
 人の能力は様々だ。

 ノーベル賞をとることだけが、目標ではあるまい。
 韓国人に適性のある部門がなにかあるさ。そこで勝負すればいいこと。