2015年12月25日金曜日

次なる150年は、サムライ資本主義で---。

明治維新が1868年、それからもうすぐ150年目だ。
 1868 + 150 =2018年ぐらいか。

 戦後レジームが完全崩壊して、日本という国の先の大戦の戦後が終焉して、2018年頃からの「次なる150年」の骨組みが筆者にはどうも見えていなかった。
 でも。
 新聞で「サムライ資本主義」という言葉をちらっとみて、あぁ、これだな—と感じた。

 単純に言えば、倫理観というものが背骨となった資本主義ということであろう。
 なるほど、日本人にしか言えない言葉だなと感じる。
 ならば、同時に「サムライ民主主義」という言葉もあってもいいな。

 韓国などの「ヤクザ民主主義」に対抗するいい言葉ではないか。

 2014年に戦後レジームが完全崩壊して、日本-アメリカ-韓国 という枠組の中で機能していた日本人洗脳工作体制が崩壊すると、様々なくびきから解放され、今、日本は「極東の虎」だ。

 極東の虎にふさわしい骨組みではあるまいか。
 サムライ資本主義、サムライ民主主義というシステムは。

 以下、新聞から抜粋。長文なので、筆者が大幅に抜粋。

 金融資本主義から公益資本主義へ

 アダム スミスが「国富論」を書いて「神の見えざる手」という表現を用いた背景に、人間理解があった。人間には誰しも“弱く愚かな人間”と“強くて賢い人間”という二律背反する資質があって、バランスをとることができる-と。

 産業革命以降の欧米先導の世界は、モノの豊かさを求めることにとらわれ、株主資本主義と市場経済万能主義が合体しまった。
 「モメンタムプレイヤー」と呼ばれるヘッジファンドや物言う投資家、FXトレーダーなどは投機的なゼロサムゲームに過ぎず、バブルを起こし崩壊させると言う暴挙がまかり通ってきた。

 日本も、金融資本主義の迷惑を被っているものの、もともと「武士道の心」に立脚してきた明治から昭和中期までの資本主義には、高貴な志のもと、共通善を実践するという理念があった。
 「武士道とは、仁智勇の枠組みで支えられ、行動する本質的な掟」であり、そのDNAを引き継いだ日本的経営が「国家、郷土、共同体などの公益を重視する理念」を持っていた、いまこそ原点回帰を目指すべき。

 アメリカやヨーロッパの資本主義が曲がり角にきて、“侍”道による賢明なる資本主義、21世紀型の新鮮な「公益資本主義」のリーダーシップを日本が担うべきチャンス。

悪徳アクティビストの出る幕なくせ

 健全な自由資本主義をとりもどすには、欧米投機家の短期利益主導主義を排し、中長期的な投資を活発に促すような制度的変革が必要となります。短期取引による配当利得には、過大な累進税を課すことが、必至条件。

 公益とは、現世および後世の国民や共同体、企業などにとって、「経済的および精神的な豊かさ」を意味、必要不可欠な要件を述べておきたい。

 企業経営ならば、事業の持続可能性でありますが、社会の繁栄こそ会社の利益に欠かせない案件である以上、まず公益と私益を一致させることが、大切な柱になる。
 「会社は公器である」とした日本企業の伝統に立脚し、内部留保を厚くし、まさかの危機にそなえるとともに、投資リスクが高い開発費や設備投資を借金でなく自前資金で賄えるような税制が望まれます。

 利益分配の公平性に関しては、アメリカや中国の経営陣と従業員の所得格差が、300~1000倍に対し、日本では10倍から15倍しかない。
 欧米型のストックオプションという膨大な株価連動報酬や、旧共産圏にはびこる賄賂・利権という人間欲望の本質構造に、根源的な問題が潜んでいる。

 日本人の場合には、気配りとか、歯止めが効くのか、極端な格差を生じさせない公徳心が働いている。
 さらに、顧客との関わり合い、すなわち商品の提供と絶え間ない改善・改良が、株主利益より優先するという独自性です。

世界が手本にしたくなるような処方箋を

 会社のステークホルダーには、株主以外にも、従業員、仕入先、顧客、地域社会、地球環境など多数存在するわけですから、それら全ての利害関係者に配慮した企業経営を行うことがまず大切です。

 それには、税制、会社法、金融制度、証券市場、会計基準など、世界中が手本にしたくなるような、日本発の処方箋が望まれます。
 議決権行使は、長期保有株主に限り、彼らの配当課税を軽減し、長期保有株式売却益を低減させるとか、有害な投機を制限し、投機取引税を導入し、ファンドの報告義務を強化するなどの施策が公益性を高める基本的防波堤になるはずです。

 今世界を巡るマネーの8割が短期投機型であり、残りわずか2割が長期投資タイプだといわれていますが、こうした規制と優遇策が各国で実行されると、投機と投資の比率が逆転することが期待されます。 

“善のサイクル”を回す

 以前TDKの社是には「創造によって世界の文化産業に貢献する」とありましたが、多くの日本企業は「企業の社会貢献」を高らかに謳っており長期志向の経営哲学を重んじてきた。
 一方で、欧米企業の経営指標には、ROE(自己資本利益率)やROA(総資本利益率)といった一時しのぎ的な短期志向が強調されるようになり、一部の日本企業が経営の舵取りを誤ってしまったケースも目立つ。
 やはり、企業はグローバルな規模で持続的成長のサイクルを回すことに専念すべきではないかと考えます。

 まず国内で最先端・革新的な研究開発を行い、先端材を駆使して高付加価値製品を事業化し、併せて革新的な生産・物流プロセスを指向することで、品質コスト競争力を高めます。
 やがて製品が普及し、グローバル市場に打って出るときには、現地ニーズに対応した海外生産、物流にも取り組み、事業拡大を図ります。
 そこで得た収益を再び国内技術開発に再投資するという“善のサイクル”を回すことが理想でしょう。

 昨今、アメリカでも、金融資本主義を回避し、ROE経営を見直す論調が増えた。
 最もスポットライトを浴びているマイケルハーバード大教授の提唱する「CSV=共有価値の創造」など、ここ2-30年来の「株主利益優先経営指向」自体を問い直す風潮が強まった。

「選択と集中」の失敗、「アメーバ型」の成功

 企業の中央集権化を回避し、持続性と公益性を高めるキーワードは「分散化」「革新性」「多様化」の3つ。
 選択と集中で失敗したのがシャープやパナソニックなら、アメーバ経営で成功したのが京セラではないでしょうか。
 セラミックという一電子部品会社から出自し、今や消費財ブランドも多数抱える総合電子機器メーカーに脱皮した京セラ成功の源泉は「アメーバ型」経営哲学にあったと確信しております。

 それは、経営戦略の命題が、分権化されていて、指示命令や情報・決定事項が階層順に流れるのではなく、それぞれの現場部隊が、全体と相似の思想を持って自己決定できる「階層なきフラットな組織」であり、どれほど微小な部門を取り上げても、まるで金太郎飴のように、自己相似系で完結している。
 これはまさに、イギリス海兵隊の「フラクタル構造」といわれたチャーチルの戦略組織と指令系統そのものではないでしょうか。

 英国海兵隊といえば、日本的経営の原点・武士道を想起します。
 とくに日本伝統の「武士」とは「戦士」というよりは「貴人・君子」であって、共通の徳である“公”のために献身する存在でなければならなかったわけですから、その伝統精神は「利益追求マシン指向ではなく、より良い「生き方のプロセス」として、日々練磨するという企業観であるべきなのです。

 日本経営の、自律分散型のリーダーシップこそが、賢慮のマネジメントをもたらし、21世紀の知識創造者の時代に適合した新しい「公益資本主義」を世界に先導できる可能性が高いと信ずる。 

(上田和男) 



補足、感想など

 このブログで何度もふれた。
 戦後レジームが崩壊してみると、そこでは100年先行した産業革命組の諸国の「背中」さえ見えないのだ。

 16世紀末から、400年ぶりくらいに、日本は世界の第一線に立っているということだ。
 上掲の記事にある「サムライ資本主義」という語感がなんともいい。
 400年ぶりに世界の第一線にたって、「サムライ資本主義」を堂々と提唱できる。

 我々は、ツキに恵まれた世代だな。
 欧州の牢固たる階級社会では、もはや、新しい技術は生まれてこないだろう。技術革新ということができまい。
 米国のゴールドマン・サックスのような貪欲・強欲な資本主義では、もはや、世界を混乱させるだけであろう。

 倫理観を背骨にもった資本主義というものが、注目されて当然だなと感じる。
 もう、数年後に明治維新から150年目を迎える。
 次なる150年という時代を、日本は、サムライ資本主義で生き抜いていこう。