▲毎日新聞の朝鮮系の記者の曰くが表題だ。
なんというかな。
日本に在住する朝鮮系呼応集団の代表である「毎日新聞」の上の表現の「真意」はどこにあるのか—日本人は分かるだろうか。
日本人はこんな悪いことをした—とか日本の子供にアピールしたいのだ。
そして、その向こう側にあるのは、戦争への恐怖・日本人を卑しめる—こと。
それは、日本が今進めようとしている「憲法9条改正」の動きを牽制しようとしているのだ。
憲法9条の改正を日本に在住する朝鮮系の人間が阻止しようとしているのは、日本が自ら手足を縛った形にしておく方が韓国・中国にとって都合がいいからだ。
韓国・中国が日本人にとって理不尽な行動をとっているのも、この憲法9条によって「手足を縛った状態」であることをみての「意識的な行動」なのだ。
だって、反撃してこない—人間を殴るのは簡単だろう。
朝鮮系の人間は、戦争に反対とか考えているのではない。
ただただ、日本を「自らの手足を縛った状態のままにしておきたい」--それだけなのだ。
まず、毎日新聞の記事を抜粋してみよう。
「はだしのゲン」の閲覧制限問題は、松江市教育委員の臨時会議で制限要請の撤回が決まった。
結論そのものは多くの傍聴者が指摘したように妥当だったと思うが、いまだにその「根拠」に納得ができないでいる
▲5人の委員はあくまでも、閲覧制限を決めた市教委の手続きの不備を最大の問題点として挙げた。
そしてこれを、
撤回の唯一の根拠とした。
確かにこれも大きな問題に違いないだろうが、核心部分ではなかったように思う。
実際、この日の会議では、子供の知る権利や表現の自由についても議論が行われた。
委員の方々も、
こうした点が重要だと認識していたからだろう
▲今回の問題で一番の“被害者”は子供だ。
しかし、委員がまとめた結論の文言には一言も、閲覧制限が子供にとってどうなのか、触れられていない。
もっと踏み込むべきだったと思う。
▲補足、感想など
ふん、毎日新聞の朝鮮系の記者がもっともらしいことを言っている。
こんな記事にだまされるな。
日本に在住する朝鮮系呼応集団のミスリードに騙されるな。
問題の「はだしのゲン」の内容について、花田さんという編集者が言及している。
まず、その内容をご紹介したい。
--ここから--
花田紀凱の週刊誌ウォッチング
「はだしのゲン」後半は中国のプロパガンダだ
『はだしのゲン』、閲覧規制のどこが悪いのか。
朝日新聞は社説で「閲覧制限はすぐ撤回を」(8月20日付)と書き、
毎日新聞も「戦争を知る貴重な作品だ」(同日付)と主張した。
しかし、ほんとに「戦争を知る貴重な作品」なのか。
たとえばゲンの中学校卒業式のシーン。
先生が「それでは国歌君が代を斉唱します」と告げると、
ゲンはこう言って先生に食ってかかる。
「なんできらいな天皇をほめたたえる歌を歌わんといけんのじゃ
天皇は戦争犯罪者じゃ」「天皇陛下のためだと言う名目で日本軍は
中国、朝鮮、アジアの各国で約三千万人以上の人を残酷に殺してきとるんじゃ」
そして、「首をおもしろ半分に切り落したり」
「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊をひっぱり出したり」
「女性の性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで
骨盤をくだいて殺したり」するシーンがマンガに描かれている。
3千万人といい、日本兵の蛮行といい、全くのデタラメ、中国のプロパガンダではないか。
『はだしのゲン』は前半の広島原爆の部分と後半部分を
分けて考えるべきなのだ。それにしても、なぜ後半になると
〈中国によるプロパガンダを鵜呑みにしたような作風に変わってしまったのか〉。
その謎に迫ったのが『週刊新潮』(9月5日号)の特集
「反戦だから子供でも残虐シーンOKという『はだしのゲン』応援団」。
要は『週刊少年ジャンプ』の連載が終了した後、同作品が
掲載されたのは『市民』、続いて共産党系の論壇誌『文化評論』、
そして最後は日教組の機関誌『教育評論』だったという。
だから、途中から共産党、日教組の意向に沿った内容に変わっているのだ。
閲覧制限当たり前ではないか。
--ここまで--
これがまともなマンガが。
筆者の花田さんに指摘されるまで、はだしのゲンのマンガがこのようなものだと理解していなかった。
筆者も70年代頃に、チラッと見ただけだから。
こうしてみると、毎日新聞の朝鮮系の記者の「意図」が理解できるであろう。
まず、どうしても「日本人をおとしめてやりたい」のだ。
日本人は、こんな「悪いこと」をした—と卑しめたいのだ。
そして、その向こう側にあるのは、憲法9条改正への阻止、日本が自らの手足を縛ったままにして、韓国・中国の要求を唯々諾々を聞いてくれるような—そんな状態のままにしておきたいのだ。
毎日新聞にだまされるな。
毎日新聞の朝鮮系の記者の曰くを信ずるな。
彼らは、「日本を・日本人を卑しめることだけを考えているのだ」