▲いや、17年間書いたからって、文がうまくなるってものじゃないし、深くなるってものでもない。
いや、とりあえず、昨年と同じ文章を使おう。まぁ、ちょいとどこかにプラスして。
筆者がこのブログを書く理由は、「日々、目の前を流れる現象の核心を押さえておくことは、暮らしていく上でのリスクを減らすことになる」ということだ。
年齢を加える度に、安全側を選ぶようになる。年齢だけ事故に遭遇しないように用心深くなった。また後始末をすることに注意深くなった。
それでいいと思うし、暮らしていく上での「智慧」だとも思う。
書き始めた頃にくらべ、文章の量が増えたのは、データベースソフト(筆者はファイルメーカーというソフトを使っている)のせいだ。
データベースソフトのおかげで、多少は「深く」文章が書けるようになった。
最近、頓(とみ)に思うことは、この世界というものが「合理性のより高い世界」へ収斂しつつあるということだ。
原因は、ネットの普及だ。
各自がてんでバラバラにものを言うのだが、ネット上で簡単に比較できてしまう。
「比較して合理性のより高いものいいが多数の通常人によって支持される」ということだ。
逆にいえば、プロパガンダのできない、効果のない時代へ突入したとも言える。
中国とか韓国、ロシア、日本にいるevenki族工作員などの「脅迫、ハッタリ、コケオドシ、ウソ、デタラメ、デッチアゲ」が通用しない時代に突入したといってもいい。
科学性・合理性が、もっとも価値のある—そういう世界へ突入している。
7年前に、このブログで「深く生きたい」と書いた。
今でも、その思い(願い--)に変りはない。