▲どこに核心があるのだろうか。自分の中にもつ「劣等感」というものを、自分の中でなだめきることができなかった---というあたりにあるのではないのか、と筆者は感じた。最近、ユーチューブにサスケの海外版というものがアップされている。高い壁を登る、身体を振り子と化して、遠くまで飛ぶ---とかという競技?で、到達者はいずれも自信満々だ。自信をもつなんて簡単じゃないか。自分の持つ劣等感をなだめるなんて簡単じゃないかと思えてならない。記事、関連記事などをみてみよう。
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※秋葉原通り魔事件の死刑執行 加藤死刑囚、孤立深め社会に怒り2022/7/26(火)毎日新聞
東京・秋葉原で起きた無差別殺傷事件の発生から14年余り。殺人罪などで死刑が確定していた加藤智大死刑囚(39)への刑が26日、執行された。加藤死刑囚が公判で語ったことや自著から浮かんだのは、現実社会の中で自身の居場所を見いだせず、不満を募らせて暴発した孤独な青年の姿だった。事件は社会に何を問いかけたのか――。2010年1月、東京地裁で開かれた初公判。法廷で17人の殺傷を認めた加藤死刑囚は「せめてもの償いはどうして今回の事件を起こしてしまったかを明らかにすること」と自戒するように語った。青森県で2人兄弟の長男として生まれた。家庭での教育は厳しく、九九が言えないと風呂に沈められ、食事が遅いとチラシにご飯をぶちまけられて床の上で食べたという。高校は地元の進学校に通ったが、成績は低迷。岐阜県内の短大を経てアルバイトや派遣社員の仕事を転々とした。そんな中で、のめり込んだのがインターネットの掲示板だった。不安定な生活が続き、自殺という選択が頭をよぎりながらも、「居場所」であるネット上で自らの分身としてのキャラクターを設定し、掲示板に書き込みを続けた。地裁公判の被告人質問では、「現実は建前社会で、ネットは本音社会。本音を言える場所はとても重要で、他に代わるものはなかった」と回想した。ネット掲示板で知り合った友人と会う約束を、「生きる希望」と感じることもあった。しかし、事件の動機として挙げたのも、同じネット掲示板だった。掲示板に加藤死刑囚をまねる「なりすまし」や、交流を妨害する「荒らし」が現れるようになり、いらだちを募らせたと明かした。「嫌がらせをやめてもらうために『事件を起こす』と警告してきたが、なくならず、事件を起こして報道してもらうことによって、本当にやめてほしかったと知ってもらおうと思った」(被告人質問) 13年に刊行した著書「解+」では「誰かがいれば、その人のために何かしますから、成りすましらのことは後回しにできます。私にはもう、成りすましらとの関係しか残っていませんでした」と振り返った。そして、思い通りにならない問題を解決する手段として事件を思い浮かべた場合でも、「事件をやらない理由」が「やる理由」に勝れば、最後の最後で踏みとどまるはずだ、と吐露。そして「やらない理由」となるのは、自分を引き留めてくれる「誰か」の存在だと書き記していた。秋葉原事件後も、加害者が自身の中で怒りや偏った思考を増幅させて起こした事件や、その可能性があるとみられる事件は絶えない。16年に相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件▽19年に「京都アニメーション」が放火されて36人が死亡した事件▽21年に大阪市北区の雑居ビルに入るクリニックで26人が犠牲になった放火殺人事件――が発生。今月8日には、安倍晋三元首相(67)が奈良市で街頭演説中に銃撃され、死亡する事件も起きた。
■裁判】 :2010/07/27(火) 加藤被告 「なぜ秋葉原大量殺傷を起こしたか…ネット掲示板で嫌がらせしてきた人達に嫌がってること伝えたかったから」★秋葉原無差別殺傷 第16回公判 加藤被告「ネットの嫌がらせ止めさせようと起こした」 ・東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた加藤智大(ともひろ)被告 (27)の第16回公判が27日、東京地裁(村山浩昭裁判長)で開かれた。初めての 被告人質問が行われ、加藤被告は事件を起こした理由を「使っていたインターネットの掲示板で嫌がらせをしてきた人たちに、事件を起こすことで本当に嫌がっていると いうことを伝えたかった」などと動機を述べた。 加藤被告は掲示板を「建て前の現実社会と違い、本音でものを言い合える場所だった。 他にかけがえのないものだった」と重要性を強調。事件前に「私のふりをして書き込むなどの荒らし行為をされた。自分が大切にしていた(ネットでの)人間関係を乗っ取られ、奪われた」 などと振り返った。その上で「嫌がらせを止めて欲しかったということを、事件を起こし報道を 通じて知ってもらおうと思った」などと述べた。 初公判で弁護側は「掲示板サイトは、彼の生活の重要な一部。どのように掲示板を 利用していたのか、どういう存在だったのかを解明しなければ、動機を明らかにすることは できない」と指摘している。 また、この日は8~9日に加藤被告の地元、青森で行われた両親への出張尋問の 内容も報告され、両親がいずれも「なぜこのような事件を起こしたのか分からない」 などと述べたことが明らかにされた。 加藤被告の被告人質問は8月4日の第20回公判まで5回にわたり行われる予定。
■2010/08/04(水) 【社会】加藤被告の調書を証拠採用=秋葉原殺傷事件-東京地裁 東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた元派遣社員加藤智大被告(27)の公判が4日、 東京地裁で開かれ、村山浩昭裁判長は加藤被告の捜査段階の供述調書を証拠採用した。弁護側は 「検察官の作文」などと主張していたが、村山裁判長は任意性に疑いはないと判断した。証拠採用を受けて検察側は、「事件の3日前に、職場で作業着がなくなったことをきっかけにそれまでの 不満を爆発させ、犯行を決意した。事件を起こすことで自分の存在を認めさせ、ネット上で自分を無視した 人たちに復讐しようとした」とする供述調書の要旨を読み上げた。
2014/02/24(月)>>43 秋葉原に突っ込んだ加藤と言う人は労働環境の不満ではなく、 2ちゃんで自分スレを立てていたけど、偽者が現れたので、実況しながら 突っ込むことで本物が誰だかアピールしたかったと裁判所 で証言しているらしい。
2010/01/29(金) 殺人鬼加藤を作り出すための加藤のママの尽力は涙なしには語れないお(^ω^ ∪) 加藤のママ的教育方法を箇条書きにするから、各自準拠しろお。 ・宿題の作文は一字でも間違えたり汚い文字があると、部分的修正でなくて原稿用紙丸々書き直し ・子供が欲しいものは申請させて全部チェック~の買ったら感想文。モチロン誤字脱字は(ry ※最終的に子は物を欲しがらない良い子になるお ・テレビは基本見せない。ドラえもんとまんが日本昔話だけ許可 ※加藤は周りの友達がエヴァとかみてるだろう時に高2までこの方針だお ・賢い子にするため、漢字の熟語の問題だして十秒カウントダウン。十秒以内に答えられないとビンタ。 痛くて泣くと次の設問で泣きながら正解だしても泣き声うるせーのでビンタ。 ・ゲームは土曜日に1時間。基本中の基本。名人も言ってたおね。 ・漫画&雑誌は論外。 ・友達を家に呼ばせない ・彼女厳禁 ※加藤は中学の時の賢さと運動神経のピークで彼女できそうだったので、ママが別れさせたお。 彼女の家に乗り込んで「お前勉強の邪魔」つったお。 ・ママが機嫌悪いときは晩御飯を床にぶちまけて子に食わせる。新聞紙を床の上にひくのはママの愛だお ※パパは助けないお、弟は横目でみてるお。 ・極寒の青森で下着姿のまま子を家の外に閉め出す。 近所の人が「もう勘弁したって~」て来るけど、子を思えばこそなので聞き入れちゃだめだお。 こんな感じだお。お前等も子育てガンバガンバo(^▽^)o
41 ::2010/05/21(金) 加藤ママが加藤智大宛に来た女からの手紙を見て「こんなの貰うなんていやらしい!」と 見せしめに冷蔵庫に貼って晒したのも追加しとけ
2014/04/12(土)【社会】『秋葉原事件』加藤智大の弟、自殺1週間前に語っていた「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」:『秋葉原事件』加藤智大の弟、自殺1週間前に語っていた「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」 <「あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました。 加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。それが現実。僕は生きることを諦めようと決めました。 死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」> これは『週刊現代』の「独占スクープ!『秋葉原連続通り魔事件』そして犯人(加藤智大被告)の弟は自殺した」の中で、 週刊現代記者の齋藤剛氏が明かしている加藤被告の実の弟・加藤優次(享年28・仮名)の言葉である。 この1週間後、優次は自ら命を断った。これを読みながら涙が止まらなかった。加藤被告の起こした犯罪のために、 被害者の遺族の人たちは塗炭の苦しみを味わっている。 だが、加害者の家族も苦しみ、離散し、弟は兄の犯した罪に懊悩し、ついには自裁してしまったのだ。 日本の犯罪史上まれに見る惨劇「秋葉原連続通り魔事件」が起きたのは2008年6月8日の日曜日。 加藤智大は白昼の秋葉原の雑踏に2トントラックで突っ込み、さらにダガーナイフを使って7人もの命を奪った。 弟は兄が犯した事件によって職を失い、家を転々とするが、マスコミは彼のことを放っておいてはくれなかった 就いた職場にもマスコミが来るため、次々と職も変わらなければならなかった。そんな暮らしの中にも、 希望がなかったわけではなかったという。事件から1年余りが過ぎた頃、筆者が彼のアパートを訪ねようとしたとき、 たまたま女性と一緒に歩く姿を目撃したそうだ。優次は彼女に事件のことも話していたという。 <正体を打ち明けるのは勇気のいる作業でしたが、普段飲まない酒の力を借りて、自分のあれこれを話して聞かせました。 一度喋り出したら、後は堰を切ったように言葉が流れてました。 彼女の反応は『あなたはあなただから関係ない』というものでした> ようやく心を開いて話ができる異性との出会いは、彼に夢を与えてくれたのだろう。しかし、優次の夢は叶うことはなかった。事情を知りつつ交際には反対しなかった女性の親が、 結婚と聞いたとたんに猛反対したというのだ。二人の関係が危うくなり、 彼女も悩んでイライラしていたのだろうか、彼女から決定的なひと言が口をついて出たという。 <一番こたえたのは『一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は』と宣告されたことです。 これは正直、きつかった。彼女のおかげで、一瞬でも事件の辛さを忘れることができました。 閉ざされた自分の未来が明るく照らされたように思えました。しかしそれは一瞬であり、 自分の孤独、孤立感を薄めるには至らなかった。 結果論ですが、いまとなっては逆効果でした。持ち上げられてから落とされた感じです。 もう他人と深く関わるのはやめようと、僕は半ば無意識のうちに決意してしまったのです。 (中略)僕は、社会との接触も極力避ける方針を打ち立てました> 優次は手記に繰り返しこう書いていたという。<兄は自分をコピーだと言う。その原本は母親である。その法則に従うと、弟もまたコピーとなる> そして、<突きつめれば、人を殺すか自殺するか、どっちかしかないと思うことがある> そんな言葉を筆者に漏らすようになっていった。母親は事件後、精神的におかしくなり離婚してしまった。 父親も職場にいられなくなり、実家へ帰りひっそりと暮らしている。
2018/07/01(日) 秋葉原殺傷事件】加藤智大の父「当事者にとって10年という節目の数字に意味ない」社会から隔絶された生活送る 弟は自死、母は入院 児童虐待など「親の資格」を問われるような事件が頻発する一方で、子供の罪に向き合い、極限の生活をしている親がいる。10年前に秋葉原通り魔事件を起こした加藤智大死刑囚(35才)の父親(60才)である。 青森県青森市の閑静な住宅街の中で、事件発生以来引っ越すこともなく暮らしている加藤死刑囚の父。 「近所づきあいが一切なく、話すこともない」 「夜でも電気すらつけていない。本当に生きているのかと思うこともある」 「ろうそくを灯して生活しているらしい」 近隣住人がこう口を揃えるように、他者とかかわらずに生きることを選んだ父親は、地域内ではいまだ“異質の存在”として浮いていた。 「でも、そうやって社会から離れつつ、町内会費だけはちゃんと納めてくれるんです。せめてもの償いなのでしょうか…」(近隣住人) 加藤死刑囚の弟は2014年に自殺し、母親は事件後に入院した。事件を境に、文字通り崩壊した家族の人生。仕事から帰宅した父親に話を聞いた。 ──事件から10年という節目を迎えました。 「とくにお話しすることはありません。誰にも、なにも、話さないように暮らしていますので」 ──どのような思いで事件当日を迎えましたか? 「いや、なにも…」 ──昨今、同じような連続殺傷事件も起きています。 「…」 うつむきながら沈黙する父親だが、次の質問を向けると、応対が変わった。 ──10年経って、今でも事件を思い出すことはありますか? 「…10年って、みなさんはそうやって節目、節目、と言いたがりますよね。でもね、私にとって10年経った、などという数字はなんの意味もないんです。私だけでなく、被害者のかたがたも含めて」 ──今年はとくにそういった報道が多かったですが? 「いえ、新聞やテレビなどの報道は、一切なにも見ないようにしています」 ──息子さんとはお会いしていないのですか? 「会っていないです」 ──それはなぜ? 「…」 ──弁護団とも会っていないのですか? 「はい、会っていません」 そう話すと、頭を下げて自宅に戻っていった。呪いたくなるほど重い運命を背負いながら、それでも生きる親の姿がそこにあった。
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