2015年12月13日日曜日

日本とインド、原子力協定で合意。新幹線も。

日本とインドの関係を語る上で、先の大戦での日本の工作組織:光機関とインド国民軍の話に触れずには語れまい。

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 インド国民軍についてちょっとしたエピソードがあります。

 光機関の工作員が敵陣へ近づくと英印軍が射撃してきたため、インド国民軍の工作員が日本人工作員の前に立ちはだかり、大声で叫びました。
  「日本人を殺すな。われわれインド人の独立のために戦っているんだぞ」

 いったん射撃は止みましたが、また射撃してきます。
 今度は日本人工作員が立ち上げって両手を広げヒンズー語で叫びます。
 「同胞を殺すな。撃つならまず俺を撃て。俺はお前たちに話しに行くところだ武器は持っていない」

 そうすると今度はまたインド工作員が再び日本兵の前に両手を広げて立ちます。
 この繰り返しにとうとう相手は根負けし、 英インド軍の一個大隊すべてが寝返ってしまったというものです。

 --ここまで--

 日本の光機関という工作組織が、単純にインド独立だけを目指したものではあるまいが、日本という産業革命に100年も遅れるノロマ民族が、100年先行組と戦う上での戦略的な意味があったのだろう。
 こうして日本とインドという国との関係が始まった。
 日本における先の大戦時のインパール作戦の評価はさんざんであるが、インドからみるとそうではない。

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 首都デリーには、大東亜戦争においてインド国民軍を指揮して日本軍とともにインパール作戦を 戦ったインド独立の英雄、スバス・チャンドラ・ボースの銅像が建つ。
 ボースは、英国植民地 支配の象徴であったレッド・フォート(赤い砦、英国軍が接収) の方角を指差している。

 さて、インパール作戦は戦後、日本陸軍の愚策の1つとして批判にさらされてきた。
 だが、この作戦の本質は、 日本軍約7万8000人とインド国民軍約2万人の日印連合軍による対英インド独立戦争である。
 この作戦があればこそ、戦後、インドは独立できたのである。

 事実、インドはインパール作戦を「インパール戦争」と呼び、「対英独立戦争」と位置づけている。
 日本軍はインド独立を支援した解放軍である。
 インドは「日本が侵略戦争をした」という歴史観は持っていない。

 インド解放のために英国軍と戦った日本軍将兵に対し、元インド国民軍大尉で、全インドINA事務局長、 S・S・ヤダバ大尉は1998年1月20日、こう記した。

 われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するためにともに戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に 散華した日本帝国陸軍将兵に対して、もっとも深甚なる敬意を表します。
 インド国民は大義のために生命を ささげた勇敢な日本将兵に対する恩義を、末代にいたるまで決して忘れません。われわれはこの勇士たちの霊を慰め、ご冥福をお祈り申し上げます(靖国神社)

 戦争後の45年11月、英国はインパール作戦に参加した3人のインド国民軍の将校を、レッド・フォートで 裁判に掛け、反逆罪として極刑に処そうとした。
 この事実が伝わるや、インド民衆が一斉に蜂起して大暴動に発展した。
 結果、もはや収拾が不可能と判断した英国はついにインドに統治権を返還した。
 47年8月15日、 インドは独立を勝ち取ったのである。

 インド最高裁弁護士のP・N・レキ氏は次のような言葉を残している。
 太陽の光がこの地上を照らすかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、 インド国民は日本国民への恩は決して忘れない
 
 そして、日本人が忘れてはならないのが、大東亜戦争後、日本にすべての戦争責任をなすりつけた極東軍事裁判で、裁判の不当性を訴えて日本人被告全員を「無罪」と主張したインド代表のラダビノート・パール判事である。
 いかに韓国や中国が、史実をねじ曲げた“歴史認識”を振り回して、日本に罵詈雑言を浴びせても、 インドはこれに真っ向から異を唱え、日本を擁護してくれている。

 アジアには親日国家・インドがいる!

 --ここまで--

 まぁ、ちょいと記事はあれだが、インドから見た時の日本というものがなんとなく分かろう。
 このような歴史を踏まえて、日印の絆があるということは知っていてよいと思う。

 以下、新聞から抜粋。

 安倍首相は12日、インドのモディ首相と会談し、 原発輸出を可能とする原子力協定を締結することで原則合意した。
 実現すれば核拡散防止条約(NPT)未加盟国とは初めて。
 安倍首相は「核実験が行われる場合は日本からの協力を停止する」と伝えた。
 今後、協定の文言を調整し、正式に合意する。

 安倍首相は共同記者発表で、インドが2008年に表明した核実験のモラトリアム(一時停止)に言及し 「協定は平和的目的に限定する内容を確保した」と強調。
 モディ首相は「我々が共有したコミットメント(約束)を必ず守る」と表明した。

 また両首脳は安全保障や経済など幅広い分野の共同声明を発表。
 日印間の防衛装備品・技術移転と秘密軍事情報保護に関する協定締結や、 米印共同訓練「マラバール」への自衛隊の定期的参加で合意。

 防衛装備品などの協定に関し、 モディ首相は会談で「特に南シナ海は両国にとって大きな課題だ」と中国が岩礁埋め立てを進める南シナ海問題を自ら取り上げ 、「防衛協力を高めるものだ」と評価した。

 このほか両首脳は、インド西部の高速鉄道計画で日本の新幹線方式を採用することでも合意し、 インドの地下鉄や道路整備など今年度分で4000億円規模の円借款を行うと表明した。
 安倍首相のインド訪問は昨年1月以来で、第1次政権時の07年を含めて3回目となる。

▲補足、感想など

 どこかの掲示板の書き込みにあった。
 日本が、インドに近づくというのは、大きな賭けだが、選択肢としてそれしかない。この大きな賭けは、将来において歴史家が評価してくれるだろう---と。

 筆者もまったく同感だ。
 日本のこれからの150年という時代を考える上で、インド プラス アセアン を中心として、プラス オーストラリア 、米国 という国々と手を携えて、繁栄を目指すしかない。

 その意味で、インドという国を大切にしていきたい。