▲まぁ、昨年と同じ文章を使おう。筆者がこのブログを書く理由は、「日々、目の前を流れる現象の核心を押さえれば、暮らしていく上でのリスクを減らすことができる、またチャンスもつかめる」ということだ。年齢を重ねる毎に、より安全側を選ぶようになった。加齢を考えつつ事故に遭遇しないように道路を歩くにも用心深くなった。また電気、ガス、留守等の後始末をすることに注意深くなった。それでいいと思うし、暮らしていく上での「重要な智慧」だとも思う。書き始めた頃にくらべ、文章の量が増えたのは、データベースソフト(筆者はファイルメーカーというソフトを使っている)及び読取革命という文字認識ソフトのせいだ。データベースソフトのおかげで、多少は「深く」文章が書けるようになった。最近、頓(とみ)に思うことは、この世界というものが「合理性のより高い世界」へ収斂しつつあるということだ。原因は、ネットの普及だ。各個人がてんでバラバラにものを言うのだが、ネット上で簡単に比較・検証できてしまう。<ついでながら、戦後レジームという日(evenki族)米韓の結託した日本人弱体化工作体制が完全に終焉したのも、ネットの普及によってだ> 「比較して合理性のより高いものいいが世界中の多数の通常人によって支持される」ということだ。逆にいえば、プロパガンダのできない、したところで効果のない時代へ突入したとも言える。中国とか韓国、ロシア、北朝鮮、日本にいる散々美味しい思いをしたevenki族工作員など(朝日新聞、nhk、旧悪夢党、日教組などが好例)の「脅迫、ハッタリ、コケオドシ、ウソ、デタラメ、デッチアゲ」が通用しない時代に突入したといってもいい。科学性・合理性・知的正直が、もっとも価値のある—そういう世界へ突入している。8年前に、このブログで「深く生きたい」と書いた。今でも、その思い(願い)に変りはない。
★追記 経験したことで、道路でのリスクの回避の例を。t字の道路がある。稚拙だが図示したい。
t字の道路を車が右折しようとしている。運転手は、右をみて左をみて、発進しようとする。左を向いた時に、②のように人が来れば、歩行者を跳ねてしまう。用心のために、①のコースを歩行するようにしている。ちょっとしたことだが、運転手のクセを知っていれば、視界から外れる瞬間に、②ならば歩行者が車の直前に来てしまう可能性がある。特に、雨の日の夜ならば、用心すべきだなぁ、と思う。