▲簡単に、渡ってこれる距離ではなかった—という一言につきてしまうような気がするなぁ。記事と外国人及び日本人からの反応をみよう。
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投稿者:日本はとても小さく、中国はとても大きく、お互いにとても近い存在だ。中国がすぐ隣にあるのに、どのようにして日本は何世紀にもわたって中国から独立していられたの?
<以下、外国人からの書き込み>
■ 島の集まりというのは外国の侵略を防ぐのにとても有効。1000年近くイギリスを侵略した国がないのも基本的に同じ理由。モンゴル帝国(当時は中国を支配した)が日本を侵略しようとしたけど、天候に阻まれた。戦争では運が重要になることがある。
■ 海は大きな要素。
■ ジンギス・カンの時代にモンゴルが日本を2度侵攻したと思う。2回とも嵐でばらばらになって、日本に着いた時にはあっさり撃退されてしまった。
■ 忍者がいるからな。
■ 逆の方が近い。日本が優勢であることの方が多かった。
■ どうやって?彼らにどんな天然資源があった?
■ 日本の方が歴史の大半で優れた政府と軍隊を持っていた。
■ 軍事作戦で最も困難で費用がかかるのは上陸作戦。海軍や輸送能力が必要で、海を越えて継続的に部隊を供給しなければならない。それは簡単ではない。
■ バイキングが君に一言あるようだ。
■ バイキングにとっても簡単なことではなかった。
■ それはコンセプトが違う。彼らは襲撃者だ。補給ラインを維持したり、大規模な海上輸送能力を持つ必要はない。小さな部隊での襲撃。それで日本を征服することはできない。
■ その通り、バイキングは征服者ではなく、略奪者だった。彼らは正規の戦闘は下手だった。
■ 初期のバイキングはそうだけど、後期のバイキングはイングランドとバルト地域で多くの場所を手に入れてたよ。
■ 日本は大きな海や予測不能な天気など、地理的優位性を持っていた。そして内戦や朝鮮半島、モンゴルなどとの戦いで、戦に長けた偉大な戦士の社会を作っていた。
■ 神風だ。日本は天気に救われた。
■ 小さいことは弱いことではない。日本には非常に優れた防衛力があり、島国でもある。もし中国が日本を攻めようとしてたとしてもこれによって難しくなる。
■ 他の答えに加えて、日本を征服してもしょうがないから...鉄が少なく、山ばかりで、帝国として最大限活用するには採掘して海を渡って運ぶだけの価値のあるクールで有益な資源があればいいけど、日本にはそれがない。
■ このために戦前の日本は中国や東南アジアを攻めたんだ。天然資源に乏しかったので、大枚をはたくことなく、石油や鉄や石炭などを自分たちのものにしたかった。
■ ヘイ、日本にはクールで有益な資源あるじゃないか。彼らは大量のヘンタイを作っている。
■ 他国を植民地化・支配するのに大きさはあまり関係ない。イギリス、ポルトガル、スペインは比較的小さい国だけど、巨大な帝国・領土を非常に離れた場所から支配していた。
■ 日本は地理的・戦略的に攻めるのが難しいだけでなく、日本人は素晴らしい戦士だ。モンゴルの日本侵略を何かで見たけど、モンゴルはいくつかの戦いで成功したけど、最終的には防塁を破れず、海に釘付けになった。そして日本の武士たちが船を漕いで乗り込み、ほとんどを殺した。モンゴル人はその後すぐにずらかった。
<以下、日本人からの書き込み>
[ 218017 ]海と中華思想じゃないかな。
[ 218018 ]台風で撃退は半分デマ台風関係なく撃退したときもある
[ 218019 ]日本は中華の外だからね。
[ 218020 ]海外は中国は馴染みがないかも知れないけど日本は有史以前から貿易してて友好的な時代の方が長いしな。嫌い合う感情的な理由も少ないし取り合う資源もない欧米とかアジア外からは中国はクッソ脅威に見えるのかも知れないけど、中国との付き合い方は日本に一日の長がある
[ 218021 ]中国は内戦ばかり起こしてたし海での戦いに不慣れだったしあと中国兵が鈍臭かったからじゃね
[ 218022 ]島国が大陸進出するのも同条件の困難さがあるんだけどねー?
[ 218023 ]日本は台風で助かったね
[ 218024 ]今でこそ領土野心旺盛だが、モンゴル帝国時代なんかに比べると中国は歴史的にはそこまで領土拡張に野心があったわけでもない。というか、あれ以上拡張は無理でしょ。
[ 218025 ]中国も欧米とつるんでからヤバくなった。日本も500年前に秀吉がキリスト教追い出せなかったらわりとヤバかった
[ 218026 ]海のおかげかと
[ 218027 ]神風は最終的な撤退要員でしかねぇよ。鎌倉武士とかいうチート戦士が強かったからね
[ 218028 ]小さいとか言うけど、欧州のほとんどの国より大きく人口も多い。
[ 218029 ]2度目の元寇の時は準備バッチリで待ち構えてたから天候関係無く押し返してたろ。しらんのに適当な事言う外人だなー
[ 218030 ]最盛期には世界産出量の3分の1を占めた石見銀山を知らん外人
[ 218031 ]元寇の場合、一度目は台風ですらなかった。九州に上陸して内陸部にまで侵攻しているんだよ。元寇がかなり有利だったにも関わらず、九州の侍らの抵抗が思った以上に強く、元寇の将軍が討ち取られたから、みな船にまで戻ってしまった。その際に海がしけり、一夜にしていなくなった。朝鮮で造られた急ごしらえの船と先遣隊の朝鮮人だからってのが大きな理由だと思う。
二度目は日本が文字通り水際で防いでおり、元寇は2~3ヶ月もの間海上に留まざるを得ない状態で埒が明かないから撤退した。その最中に台風に遭遇して海の藻屑になった。神風は後の坊さんらが吹聴したってだけ。
[ 218032 ]3度目も計画してたけど、部下に止められたんだよな。2度目なんて完璧に侵攻を防いだからな。武士を舐めるな。
[ 218034 ]黄金の国じぱんぐ。
[ 218035 ]いつまでも元寇は台風で語られるな日本が撃破して撤退中に台風にあっただけなのに
[ 218038 ]ちなみになんで台風にお陰になってるかと言えばお上が論功行賞を渋ったから武士の活躍ではなく天のお陰って事にしたからよ
[ 218042 ]元寇は普通に日本中から集まった侍達が防いだんだよ。神風のおかげっていうのは侍達に元寇に勝った報酬を十分に用意できなかった北条時宗達が言い訳に使ったデマ。通常なら戦争で手に入れた土地を与えるわけだけどそんなものはなかったからな。
[ 218043 ]モンゴルに支配された国は情けないなあ
[ 218044 ]基本的には「攻めてこられないから」上陸作戦の困難さを知ってれば分かるよ
[ 218045 ]元寇は台風云々はともかく海に助けられたのはその通りだろう。陸続きなら流石にやられてる。
[ 218046 ]戦争の際、天候や地形を勘案して戦うのは当然。ところが負け側を贔屓するやつは決まって、地形天候を強さから除外しようとする。知ったかぶりかどうかが分かる。
[ 218047 ]中国にとって日本なんて化外の地でしかなかったから海の外に手出そうとしたのは実質近年になってから
[ 218048 ]鉄が少ないだの資源が無いだのはもうあの国人だってのまるわかりなんだよなぁ…鎌倉時代から刀剣の輸出国だった日本捕まえて「鉄が無い」とか教えてるのあの国だけだし。
[ 218049 ]志賀島に逃げようとした時に、台風が来た。しかも元の軍隊の殆んどが朝鮮人であり、中国人もいた
[ 218050 ]山がちではあるけどドイツよりは大きいんだよな本州だけでグレートブリテン島より大きいしあと間に朝鮮半島って緩衝国家があったしw
[ 218052 ]いろんな要因があるのは確かだけど、史料に残ってる戦の記録見ると、単純に一人ひとりの戦闘力が違い過ぎる。秀吉による朝鮮出兵時の大名家の報奨記録とか見ると、1回の大きな戦闘で一人で数十人倒す侍はざらにいて、中には百人以上倒した侍も数人見受けられる。朝鮮の地は貧しく、略奪できるような金目の物も無く、報奨金の支払いが各大名家の財政を困窮させるほどだった。
[ 218053 ]地続きではなかった、という点が有利に働いたという点だけは、同意得られそう他はまぁ、皆持論ありそうだからなー
[ 218054 ]あの時代だと海を渡ってきても、ちょっとした略奪ぐらいはできても侵略拠点を作ってそこを足掛かりに領土を占領にかかるってのは圧倒的な戦力差でもなければ、ほぼほぼ不可能だからね。中国人が日本に乗り込んできて小さな村なんかは占領できても日本側が何倍もの戦力で駆逐するだけだからね。中国が日本に勝てなかったというのは、ある意味大袈裟で中国も国同士の本格的な全面戦争とは考えていなかったに過ぎないよ。
[ 218055 ]モンゴルに征服されなくよかった辺境のゴミ国家に落ちぶれてたわ
[ 218056 ]海による防衛力もそうだが中華的に地の果て海の果ての日本にそもそも興味がなかったからな
[ 218057 ]眠れる獅子じゃなくて張り子の虎だっただけの話。有名でしょ
[ 218058 ]列島に最適化した縄文遺伝子のおかげやろな。一日の長やなく万年の長やしね攻手には海山が隔てる要塞でも日本人からすれはただの庭
[ 218060 ]元寇は神風ってより焦土作戦まで平気でやる容赦ない鎌倉武士にフルボッコにされたんだけどな……。
[ 218061 ]古墳造ってた時代って、日本は税が低くて庶民が米をたくさん食えたらしいので、それを聞きつけた中国人がかなり日本に移住してきたらしい。長江下流域→台湾→琉球→九州→近畿このルートは昔からあって当時は中国を秦って呼んでたので、中国から来た人は秦(はた)になった。
[ 218062 ]中華も、海の困難さは理解していたんだろうさだから陸の方で領土を広げ、または大陸の彼方からやってくる外的と戦うことに一生懸命だったと。歴史的に見ても中華が海を越えて手を伸ばすってのは、近代までほぼ皆無やったしさ。海は海で、その向こうに島があっても大陸があるから関係ないわって認識やったんちゃうかな。
[ 218063 ]漢~三国、朝貢して王にしてもらってた。隋唐 遣唐使遣隋使という実質朝貢使節を送って関係良好。元 攻めて来たけど撃退した。明 なんかアフリカの方行ってた、日本からも攻めたけど失敗。清 お互いに鎖国っぽい事してたが交易はしてた、これ以外の時代は中国は弱いか統一してないので論外ってことで意外と関係良好だったのよ
[ 218064 ]中華帝国って漢人の時は北の異民族対策が第一だし征服王朝の時は西域の方を征服した方が利があったって事で東の方は基本放置なんだよね、おかげで朝鮮でも直轄領にはならずに済んだって事
[ 218065 ]日本に資源が無い?外国と銀で貿易してたんだが
[ 218066 ]海が一番の理由だろうな。でも元寇の時は、彼らは上陸した後武士に負けて船に戻った所で嵐にあってるぜ
[ 218067 ]モンゴルに支配されなかった事と、連合国に分割統治されなかった事が、日本の異常なまでの"悪運の強さ"を表していると思う。それと、その当時身を呈して闘った、武士や日本軍の人達の活躍や犠牲ありきのここまでの日本の奇跡だと思う。殆どの国が植民地の経験を持つアジアに在って、日本って特殊な道を歩んでると思う。
[ 218068 ]知らんけど飛行機ない時は海渡って来るしか無いから有利なんだろ。制空権とミサイルの現代じゃ昔ほど地の利は無いんだろう
[ 218069 ]>日本を侵略しようとしたけど、天候に阻まれた。外国への侵略なんて年単位で行動してやってるのに1、2日で通過する台風で進軍が止まるわけないじゃん。
[ 218071 ]中国・東アジア⑫ 清(〜乾隆帝)鄭氏台湾 古代中世まで、台湾の歴史はまったく登場しない。つまり、中華帝国が台湾を支配していなかったという証拠である。海流が影響している。福建省から台湾に渡ることが難しかった。台湾の先住民族 高山族台湾を最初に訪れた文明人は、オランダ人。オランダ人は故郷の名を冠した城を築いた。安平古堡(Fort Zeelandia)台湾の南部に遺跡が残っている。その後、漢民族の明王朝が滅びた。鄭成功は、一族を率いて台湾へ逃げた。そしてオランダ人を追い払い、安平古堡(Fort eelandia)を乗っ取った。そして独立国家「鄭氏台湾」を築いた。鄭氏政権 (台湾) - Wikipedia
[ 218072 ]ランドパワーの国とシーパワーの国だから、お互いの領分を侵さない限りは利害が対立しにくい。今中国と仲が悪いのは、ぶっちゃけ海に進出してきてるからだよ。天安門をあっさりスルーするほど清濁呑みのみだからこの国は権力と権威を分散している副作用で、建前も言わないで偽悪的なことをあっさりやっちゃうから政治屋さんたちは。
[ 218073 ]海だよ。元は騎兵が強かったが馬を運ぶのが大変だったから。台風関係なく九州人だけで撃退できた。更に関西・関東の援軍が来てたけど中国の援軍は来てない。送るのは大変過ぎる。
[ 218074 ]占領するメリットが比較的薄かった島国で山岳国なので攻めづらい。頭おかしい戦闘民族が住んでいた
[ 218075 ]アメリカが邪魔しなかったら中国全土を占領してたよ
[ 218076 ]図体ばかりでかい馬鹿とその子分に永遠に悩まされるんだろうか?
[ 218077 ]大陸から来た兵士が朝鮮兵だったからヘタレで弱かったんだっけ
[ 218078 ]中国・東アジア⑨ モンゴル帝国クビライは、日本の国王に宛てて国書を送ってきた。・日本国王へ、・日本は東方、遥か海上にある国でなかなか連絡をしてこない。・だが知っている、かつて漢王朝や唐王朝の時代、日本国王は、中華皇帝に朝貢したではないか。・今、大モンゴル帝国(元王朝)は世界を征服した。・なぜ、日本国王だけが大モンゴル帝国に朝貢しない!・直ちにつかいを送ってこい・我々は武力を用いることは望まない。この手紙は、高麗人の手に寄って、日本の九州、大宰府に届けられた。当時の日本は鎌倉時代で、政府は 2つあった。・京都の天皇の政府(朝廷)・鎌倉幕府 鎌倉幕府は、返事を書かずに、モンゴル改め元王朝を追い返した。第 1回 元寇 クビライは命じた、「日本に軍勢を送れ!」 4万の軍隊が、北九州を襲った。モンゴルに海軍はないため、高麗に船を出させた。船の漕ぎ手も全て、高麗人です。実際には、元 王朝と高麗の連合軍です。九州に上陸した、連合軍は、博多の町を焼き尽くした。
[ 218079 ]日本に攻め込む理由が中国側に無い。台湾島さえ大して重要視してなかった
[ 218080 ]台風なんて関係ない侵略軍が上陸を阻止されたというのは押し売りがドア開けてもらえないのと同じ。その時点で詰んでる軍事目標も何ひとつ達成できていない。
[ 218081 ]日本が強くて、中華が弱いからだろー!日清日中戦争と2回もボコボコにしたんだからなw中華は人口が多いだけですぐ逃げるし、対外戦争で勝った事ねーのよw
[ 218082 ]中国・東アジア⑨ モンゴル帝国中国・東アジア⑩ 明(〜銀の流入) 2度目のつかいは、鎌倉で切り殺された。クビライは激怒。「日本を滅ぼせ!」しかし、先に南宋が滅びた。クビライは作戦を変更した。「南宋軍も動員して、日本を滅ぼす!」南宋の兵隊が余っている状態。南宋の兵隊を放置しておけば、いずれ元王朝に対し、クーデターをおこす可能性がある。そこで、余った南宋の兵士を日本に送り込んだ。日本に移民させて、厄介払いしようという算段。第 2回目の元寇 高麗から日本に向かった軍隊が 4万人。南宋から日本に向かった軍隊は 10万人。全部で、14万人の兵隊が日本に向かった。しかし準備に手間取った。先に九州入りした高麗軍 日本は博多の港を囲うように城壁をつくり、日本中の侍が抵抗した。武器では,モンゴルが優勢。簡単な手榴弾を持っていた。日本は夜襲をかけた。そのため、モンゴル軍は日暮れになると船に戻っていった。そして7月、博多湾を暴風雨(台風)が襲った。博多湾を埋め尽くしていた何百隻もの船が全滅していた。これを日本側は神風と呼んだ。日本人が 10万人くらい奴隷として捕らわれた。生き残った日本人が元寇の仕返しに向かう。これが「13~14世紀の前期、倭寇」
[ 218083 ]西洋人は欧州と英国くらいの関係だと思ってるけどドーバーと対馬海峡で距離が10倍くらい違うしな。歴史的にいえば欧州から十字軍でエルサレムへ向かうくらいの気合と準備が必要だろ
[ 218084 ]>>218082・武器も人数も元が有利なのに上陸すら許して貰えずに無様に負けた時点で日本との実力差がありすぎた証左でしかない・10万人の捕虜など管理も輸送もムリなので妄言・倭寇は仕返しの日本人ではなく、中国人が成り済ましていた、ただの海賊。そもそもバラバラに仕返しに向かう意味が分からない。まだ秀吉の朝鮮出兵がその反意だったと言った方がマシ
[ 218085 ]日本を占領するだけの戦力を海を渡って運ぶのは大変だからじゃないの?日本に無事に上陸できても日本の地理を把握してないとうまく動けないだろうしな。
[ 218086 ]倭寇(Wokou)は2種類いる。13~14世紀の前期倭寇 15~16世紀の後期倭寇 日本人の海賊を倭寇と言う。13世紀から16世紀にかけて、東47海沿岸を荒らしまわった海賊のことを指す。明の歴史を記した、明史にはこう記されている。・倭寇の内、真倭(本物の日本人)は10%~20% ・残りの 80%~90% は、日本人に成りすました明王朝の武装商人。
[ 218087 ]>>218084昼は上陸して、夜は船に戻ったって話じゃないの?読解力無さすぎて心配
[ 218089 ]最後の人は割とちゃんとした説明しててくれてありがたいな
[ 218090 ]>>218042>元寇は普通に日本中から集まった侍達が防いだんだよ。いやいや、文永の役の時には、当時の日本の精鋭部隊である坂東武者が参戦していない。一軍が到着する前に二軍だけで決着を付けちまったようなもん。
[ 218092 ]中国とは別に仲悪くなかったからな長崎事件から一気に中国に対する反応が変わったんだよ
[ 218093 ]東アジアには雑魚しかいなかっただけ
[ 218094 ]<218089手持ちのスマホで「倭寇」って検索すればいいだけなんだけど誰も自分で調べないんだよねぇ日本の頭使うの嫌うよね
[ 218095 ]外国人って、同じ条件で日本軍も戦っているのに、なぜ日本軍は、平気だと思ってるんだろうか?そもそもモンゴル帝国の手下って、中国と朝鮮の海域に住む軍人。つまり、台風も知っているし、戦い方も知っている。それに、台風の時期じゃないよ。ほんと、日本人を見下し過ぎだわ!!
[ 218096 ]台風で壊滅したと言うより、朝鮮人とモンゴル帝国は日本の防人に太刀打ちできず、何ヶ月も上陸できずにいる内に台風の季節になったが正解。朝鮮人とモンゴル人が日本人より強けりゃとっくに上陸できてたでしょ。
[ 218097 ]日本が中国に飲み込まれなかった理由? 簡単だよ。聖徳太子が中国と対等になるように摂政として指示をして、実行したから。外人が考えている以上に、はるか昔から日本は中国と距離を取って外交をしてきた。なぜなら外人が考えている以上に日本は移民国家で、西暦600年代日本は、主に中東系外人、中国系外人、元からいた日本人からなる国体だったから、中国の危うさを知っていたからね。
[ 218098 ]資源がなんにもなかったなんてことはない往時は金銀ザクザクで室町時代刀剣も主要輸出品目
[ 218099 ]台風は撤退時な
[ 218101 ]中国は国内の戦いだと白髪三千丈で盛りに盛っているから強い武将だらけのイメージがあるけど、実際は中華の王朝は常に周辺民族の銃撃に悩まされていた。宋代なんか皇帝まで人質になってる。
[ 218102 ]訂正銃撃→襲撃
[ 218103 ]日本は舐めプされる程度がちょうど良いんだよ。ニコニコしてお辞儀ばかりしてるから弱そうでしょ。それでいいの。画面の前でだけ勇ましく吠える大陸の諸君。ご自慢の戦車に錆止め塗って浮き輪でもつけとけよ~。比較的IQ高いといわれる黄色人種がロシアみたいな昭和の戦い方をしたらさすがに失望するかも。
[ 218104 ]※218020...久々に信じられない平和ボケを見たわ。日本と中国が友好的な時代なんて有史以来ほとんどないぞ。価値観も真逆で民族性も合わない。周辺国の領土を文化ごと強奪してきた中国は太古の昔からずっと虎視眈々と日本を狙っていたし、日本のことを蔑称で呼んでいた。欧米とかアジア外は脅威が見えにくいだろうが、日本にとっては差し迫った脅威だよ。
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関連した文章をみておこうか。
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※2012/09/23(日) ついでに言うと、そういう民衆一人ひとりの中に巣くってる敵意っていうのは、 いまだに白黒写真で紹介される戦時中の事以上に、結局今までずっと日本の方が金持ってたじゃねぇかとか、何だかんだで良い服着て良い物持ってやがるとか、 そういうレベルだと感じる。中にいて、肌身で感じる感想。 震災があった後でも、今のところやっぱり日本人の方が良い生活してるしねぇ... それに、こうして現地の生活を見てると、結局日本を追いかけて裕福になってるのは、本当一部の人。 矛盾してるね。
※【サーチナ】 「もし日本がなかったら、アジアはアフリカと同じ」と米国人に言われた=中国版ツイッター★:2013/09/23(月) 中国版ツイッター・微博の評論員李鉄(アカウント名)さんが、米国人から言われたというセリフを つぶやいたところ、大きな反響が寄せられた。 評論員李鉄さんが米国人から言われたセリフとは「もしアジアに日本がなかったら、西洋人から すればアジアはアフリカと同じだ」というものだ。 同発言はアフリカに対してもアジアに対しても失礼な発言だが、西洋人からすれば日本を除い たアジアの国々はアフリカの国々と同様に未開の地に映るという意味なのかもしれない。 少々極端な米国人の発言は当然のごとく中国の微博ユーザーの怒りを招き、反発の声が多く 寄せられた。 例えば「奴らの種族的優越感に過ぎないな。日本が発展しようが、極端主義者の目には、黄色 人種とは服を着て人のような生活をしている猿と変わらないんだろうよ」など、人種差別であるとの 反論もあった。 しかし、米国人の意見に賛同するコメントも思いのほか多く、「ある意味で日本は黄色人種を救 ってくれたと言える」、「経済と文明の程度でいえば、日本は確かにアジアでもっとも秀でた国だ」な どの意見があり、日本を高く評価する人も一定数いるようだ。この米国人はアジアのなかで日本にしか言及していないため、「韓国が西洋の視線の中に入り たいと言っていますが」、「韓国人は納得しないだろう」など、韓国を代弁するユーザーも少なくなかった。
※【レコードチャイナ】 日本に移民した中国人女性が挙げる中国に居たくない理由 態度の悪い役人 人種差別 道徳意識の低さ:2014/04/08(火) 複数の中国メディアによると、中国が改革開放(1978年~)以降、昨年までに海外に送り出した移民は934万3000人に達し、世界の4大移民輸出国の一つとなっているという。主な移民先は米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどで、最近は欧州への移民も増えているという。 そんな移民の1人が最近、中国のネット掲示板に、「なぜ中国に帰りたくないか」と題した文章を投稿した。移民華人が祖国に三行半を突き付けたような内容だが、これが中国ネットユーザーたちの複雑な反響を招いている。 現在は日本の企業で働いているとみられるこの移民女性は、「2週間の出張で北京に返ってきたが、粉じん中毒になった。帰りの便を変更して、早めに日本に帰る」という書き出しで、中国に居たくない理由を列挙する。批判の矛先は中国の環境の悪さや役所の窓口の態度の悪さ、人種差別意識など。以下のようなエピソードを紹介しているが、いくつかは日本と比較して中国の現状を嘆いたものだ。 「身分証の更新のために北京の戸籍係に呼ばれていくと、3週間後に取りに来るように言われた。私が『もう少し早くできませんか?』と聞くと、担当者は煩わしそうに「ダメダメ!なんであなたのために急がなきゃいけないの?」と言った。3週間後は国内にいないので、代わりにおじが受け取ってもいいかと問うと、『おじさんの指にあなたの指紋があるの?」など、まともな返答が全くないうえに、いちいち声が大きい。もし日本の公務員がこんな応対をしたら次の日には仕事を失ってるだろう」 「秦皇島(河北省)の海辺で、きれいに着飾った可愛い子どもがゴミを投げ捨てていた。両親も何も言わない。一瞬でその子の顔が憎たらしく見えた。 中国人に悪魔と思われている日本人が、どれほど子どもたちに環境を大切にするよう教育しているかを思い出した」 「河北省で日本人の同僚とタクシーに乗ったら、15元程度の距離なのに運転手が日本人に50元を要求した。横から高すぎるので20元にするように言うと、運転手は20元を受け取りながら私に『売国奴』と言った」 「ある工場で、国営企業の人が部下に『米国はもうすぐ終わりだし、欧州もダメ。中国はもうすぐ日本やドイツを超える。すでにGDPは日本を超えている』と話していた。 彼はその後、解散して誰もいなくなると私に『20代の息子を移民させてやりたいのだけれど、どうすればいい?』と聞いてきた」 「米国人の同僚と取引先に行った時、彼らは私たちと酒を飲みながら『白人を連れてきてくれてよかった。XX社のエンジニアは黒人だ』と。私の同僚はあからさまな人種差別にうんざりしていた」 「空港に向かう高速道路で、大型トラックが出口を間違えて全速でバックしてくるのを見た。私は『高速道路でバック?ウソでしょ?』と叫んだが、 同乗していた日本人は『夢であって欲しいけど、夢ではない。中国人怖すぎ・・・』と驚いていた」 これらのエピソードの後、投稿者は「親戚や友人からはよく『外国の社会に溶け込める?」と聞かれるが、私はいつも心の中で『中国より日本の方が溶け込みやすい』と思っているが口には出せない」 「異郷で過ごす最大の悲哀は、“異郷はいつまでも異郷、故郷も知らぬ間に異郷になっている”ことだ」と文章を締めくくっている。 これに対して、中国ネットユーザーからは「同感だ。よく書けてる」といった賛成意見が寄せられる一方、「もう帰ってくるな」といった反発も出ている。 さらに、「中国もゴミの分類を日本に学ぶなど、最近は少しずつ良くなっている。ただ、時間が必要だ」「新中国成立から何年たってる?時間が必要っていうのは役人答弁だ!」といった議論にも発展している。 ソース レコードチャイナ
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