▲ちょいといかにもという表題ではある。
いや、自分でできるとかできた—ということではないのだが、まぁ、こうありたいという願望含みで。
この数月、あるソフト習得に集中した。
その方法とかルートというものを振り返って、見ておきたい。
なにか、参考になることがあれば書いている者として幸いだ。
ざっとした流れを。
1.ネットで適当な教科書を探す。
2.教科書に書いてある通りに、5.6回繰り返す。(この時期が一番苦しい、なんせ、書いてあることがなんのこっちゃとちんぷんかんぷんのところから出発するのだから)
3.なんとなく分かったなぁと感じた段階から、自分の記憶だけで教科書に書いてあることをやってみようとする。
うまくいかなければ、再度、教科書をみる。
4.自分でやれることが分かるので、教科書とは分野の違うところで、そのソフトがどう使えるか考えながら、挑戦する。
5.なんとなく、自分で峠を越えたことが分かる。
まぁ、こんなところかな。
上の文が、日本で古来言われている「守破離」というものをなぞっていることを奇妙に感じた。
たしかに、まず「教科書どおりに繰り返す—守」次に「ちょいと、自分で勝手にやってみようか--破」
違う分野のところで勝手にやってみる—離 てなことではあるまいか。
つまり、こんなことって、昔から当たり前のことだったのだな。
今、知ったようなことを言ってトンチンカンなやっちゃということだな。
日本の昔の「知恵」というものを改めて確認して、その内在する「革新性」にびっくりする。