2022年2月7日月曜日

親バカの石原慎太郎さん

 

あの石原さんでさえ、こう思うのか---と改めて思った。息子の伸晃さんを総理大臣にしたかったと。でも、総理大臣って、幸運の女神にそれこそ、全身まるごとをぎゅと抱きしめられなくてはなれないぞ。<なんせ、首相のポストに近づくと、谷垣さんのように不運な事故に遭遇するのだ> 能力だけではどうにもならない、時の運など、すべてが揃わなくてはなれない---そんなポストだぞ。以下、記事、日本人からの書き込みをみよう。

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20220205

石原慎太郎「伸晃を首相にしてくれ!!」2022/02/05() 山崎氏は初当選時の「大恩」もあり、石原氏の長男・伸晃氏に自民党内の自身の派閥を継承してもらうことになったと語り「慎太郎氏は『自分は夢を果たせなかったが、息子を首相にしてくれ』と言っていた」と明かした。その会談の席では弟で俳優の裕次郎氏(故人)の歌も披露し、「裕次郎より歌はうまい」と豪語していたという。自民党元副総裁の山崎拓氏(85)が取材に応じ、1日に亡くなった作家で元東京都知事の石原慎太郎氏(享年89)について語った。国会議員時代から50年来の親交があった石原氏について「存在感が大きな人だった。さまざまな思い出が脳裏を去来する。亡くなられて、さびしい」と悼んだ。2人は1972年衆院選の初当選同期。石原氏は、旧福岡1区に無所属で出馬した山崎氏の応援に駆け付けたといい「知名度抜群で、選挙終盤に応援してもらったおかげで奇跡的な当選を果たせた。政治家人生では生涯の恩人だ」と振り返った。石原氏は68年に参院選全国区に立候補し、史上初の300万超の得票で初当選した後、衆院にくら替えした。山崎氏は「旧来型の自民党の選挙を根本的に変えた。お金を使わずに民心をつかんで大量得票する。革命的で、ポピュリズムの先駆けと言ってもよい」と評した。大統領制のように国民が直接投票する選挙制度であれば「間違いなく首相になっていただろう」とも話した。山崎氏は初当選時の「大恩」もあり、石原氏の長男・伸晃氏に自民党内の自身の派閥を継承してもらうことになったと語り「慎太郎氏は『自分は夢を果たせなかったが、息子を首相にしてくれ』と言っていた」と明かした。

<以下、日本人からの書き込み>

152: >1いくら閣下の遺言でもなー

157: >>152「んなことはわかってんだよバカ、出来物の息子だと思ってたらオレが頼む必要ないだろ、そこんとこ察してくれないといかんよ」とか笑いながら言い放ちそうw

158: >>157言ってそうでワロタ

159: >157本人の声で再生された

2: 無理です

3: 無茶言うなよ

4: 親バカにも程がある

5: 無理難題が過ぎる

6: 落選したんじゃなかったっけ?

78: >>6しかし、共産党とオウムと日教組という左翼の巣窟で8期連続でトップ当選果たしてたわけで、幹事長もやったしで総裁になれるだけの経歴はあったんだよね

94: >>78あとは本人の頭脳だけだったか

133:>>6ノビテル地元で人気ないんだよ、ないけど、自民党支持が多いから当選する、おれもそう元区長の山田宏が出てきたら、そっちに流れるね彼は左巻きが多い区政を上手くまとめていた。

7: 蓋を開ければただの親バカ

8: 石原家はこれからどうなっていくのかね

119: >>8舘ひろし傘下になる

13: のびてるには無理

14: あんな能無し首相なんぞなれるかい

230: >>14しかし御輿は軽くてパーがいい

15: 最後は金目でしょ?

16: 進次郎よりマシだが無理だわ

23: やっぱり日本のことなんか真剣に考えてなかったんだな

24: それは無理

28: 石原さんはすごい人だったが、それは絶対に無理だろw

31:都知事すら無理w

36: なんだ結局バカ親父かよ

45: さすがにないわw

57: それどころか落選しているんですが

1. 権威は血の世襲でいいが権力は血の世襲でやられちゃたまったもんじゃない

2.石原の欠点だったな、異常なまでの身内びいきとくどすぎる自画自賛。中韓やアッチの連中への物言いは痛快だったがコレがあるから駄目だった

7. >>2根底にあるのは強烈な劣等感。石原もそれが強かっただからと言って彼が小者とか言うつもりはない

3.まあ、大江健三郎といい、石原慎太郎といい、子供に祟られてるよな。まあ、光じゃない方は東大理系だっけ

15.>>3大江は伊丹さんが亡くなった時に、生前の仕打ちを悪し様に書いた。亡くなった後すぐに書いたので、何だこいつ?って思った。卑怯者にもほどがあるだろ。

4. 御輿は軽くてパーが良いと言っても限度がある、いらんこと言って担ぎ手に投げられるような御輿はいかんよ

5. アホか目腐ってんのか?息子共を甘やかした結果反日4兄弟になってしまったんだろ責任取れ

6. 無理だろせめて次男のほうだったら

8.晩節を汚すなよ。モノには器ってものがある。

9. あちらの国に偏った方よりはマシ?

10. 伸びてる はないわ息子はほかにもいるだろ

11. 親バカなのが残念なところ

12.日歯連の献金がバレたノビテルが必死に三菱自工を叩いて「仕事してます」アピ-ルをしてた時に親父も一緒に三菱叩きに参加してたしな。親馬鹿が過ぎるんだよ。

13. とっちゃん坊やな三男を引っ張り出してきた時はさすがに絶句した。辣腕政治家だが大宰相の器ではない

14. 石原慎太郎はダメだと思ってた。東日本大震災を天罰とか言ってたしな他にも何一㌧じゃ?って事も多かった。

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亡くなった時の書き込みもみようか。

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匿名 : ハッキリ物言う姿が記憶に新しいけど、ひょっとしてあれってボケの初期症状なのでは・・・老化が原因で前頭葉の働きが悪くなり、自制が効かなくなる症状も有るからな。何にしても、お疲れ様でした。

匿名 :あまり都庁に登庁(出勤)しないとか色々言う人もいたけれど、石原都政時代の東京って結構住みやすかったよ。まあ安倍元総理みたいにサヨに憎まれて、発言を捏造されたり大変だったけどね。何はともあれ、お疲れ様でした。

匿名 : 何もせず消えたノビテルの最後は見ずに済んだのかなまぁ三男の絵を買ったりとやりたい放題でもあったから、ノビテルの最後はちゃんと顛末を受け入れた方がいいか。

: 残念ですね。白を白、黒を黒と言える政治家のひとりでした。本当の意味で日本が日本であるための日本の政治家だったと思います。ご冥福をお祈りいたします。

匿名 : ※4物事の解決を図るやり口が急進的過ぎて、その言行は専ら毒にしかならなかったやり方さえ間違えて無ければ惜しまれたのに、現実はそうではない色分けできない物事が多々あるのが政治・社会で、中間的な着地しないといけない物事ってのも存在することを知らん奴はただの子供だ。

匿名 : 作家としての方が実績はあったかもしれないが、日本がネットが無い時代の左翼だらけの中で本当に頑張ってくれました。ご冥福をお祈りいたします。

匿名 :石原慎太郎氏の「太陽の季節」が文芸雑誌『文學界』に掲載された時に、本当の意味での戦後が始まったと言えると思う。合掌。

匿名 : 全くと言っていいほど報道されてないし元スレでも触れられてないけど、40年近くスッタモンダやってた築地市場の移転問題に終止符を打った立役者でもあるんだよね。

匿名 : 一オタクとして「震災でパーになった、ざまあみろ」は忘れんし、東北民としても「天罰」はもっと忘れない。むしろ死んでざまあみろと言いたいわ

匿名 :東北民はパヨが多いよなあ。人の生き死にまでもケチつけるとは。石原さんは赤は赤だときっぱり言える立派な政治家だったよ。お疲れ様でした。

匿名 : 東京都の放漫財政を正して黒字化に成功した。大阪の橋下知事とともに、東北の震災の瓦礫も受け入れた。口は悪いがやるべきことはやる正義感があった。東京都の消防士たちが福島第一原発の放水活動に出動したときには、涙を流して労った。本当の意味で優しさのある人だった。左翼全盛の時代に、敢然と保守言論を守った。また、フィリピンでアキノ氏が弾圧されたときにはマルコス政権を糾弾し、自由の大切さを訴えた。日本にとってかけがえのない人物だった。冥福を祈ります。

匿名 : 御冥福をお祈りします。

ななし : 長年手がつかなかった秋葉原再整備も彼の実績なんだが、あそこに消防本部移したのは未だに意味がわからん。

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ちょいと古いが、都知事・首相選がらみの記事をみよう。

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2012/10/01() ★「石原伸晃氏支援は都知事との約束」 森喜朗元首相  3年ぶりの自民党総裁選が終わったね。安倍晋三さん、石破茂さん、町村信孝さん、石原伸晃さん、 林芳正さんの5人が立候補して乱戦なんて騒がれたけど、とてもすばらしかった。民主党の代表選とは 段違いだ。しかし、勝負の結果は早くからかなり読めていたよ。 石破さんの地方票が非常に強くて、1回目の投票でぶっちぎりで1位になる。だが、誰も1回目で過半数は 取れなくて、国会議員だけで行われる決選投票で2位の候補が逆転するだろうということは誰もが思っていた。問題はそれが安倍さんなのか、石原さんなのか-。そこはなかなか分かりにくいところだったけどね。 だから最終盤の2位争いは熾烈だったでしょ。最後はね、石原さんの方は地方票が取れなかった。「選挙の 原点を教えられた思いだ」と、僕は若い諸君に言っているんだけど、やはり安倍さんと石破さんは地方の遊説に ものすごい力をかけた。石原さんは党の幹事長だから身軽にやれなかった。そこは気の毒な面もあったと思うよ。 今回の総裁選では、かつて私が所属していた町村派で、安倍さんと町村さんの調整みたいなこともやらされたけど、 もう町村派の人間じゃないからね。僕は初めから石原さんをやらなきゃならない約束があったんだよ。 去年3月に石原さんのお父さん(慎太郎東京都知事)と約束をした。だからどうしても石原さんの応援をせざるを得なかった。都知事選告示直前に慎太郎さんが出馬しないという。自民党としては引き続きやってほしいが意志が固い。このままでは 党執行部の責任問題にもなりかねない。当時の谷垣禎一総裁が大島理森副総裁に交渉をさせたが全く相手にされず、 両氏から依頼を受けた私が息子の伸晃氏と2人で慎太郎さんに思いとどまるように説得した。 「ここで都知事を降りたら党幹事長でもある伸晃君のためにならない。彼の首相の芽はなくなるよ」と僕は言ったんだ。 夜中までかかったが、結果として引き続きやるということになった。そのときに都知事は「必ず息子を頼むよ」と。これは党と しての約束なんだ。だから総裁選で私には石原さん以外の選択はなかった。本当は谷垣、大島両氏も石原君を応援する 先頭に立つべきだったんだよ。 別に私があっちこっちを引っぱがすみたいなことをしたわけではない。当選できなかったのは残念だけど、1回目の 国会議員票でトップを取ったんだから幹事長としてのメンツは保たれたと思うよ。 新総裁に就任した安倍さんは立派な戦いぶりだった。これからは日本のため、自民党のためがんばってもらいたい。 まず取り組むべきは、国民生活に影響が大きい特例公債法案やデフレ・経済対策を次の臨時国会でやれるかどうかだ。 それにはどこかで妥協せざるを得ない。みんな遠い将来の話ばかり言いたがるけど、そこをクリアしないと総裁選の街頭演説で 安倍さんが言った政策だって実現できなくなるんじゃないの。 そう考えると、幹事長に起用した石破さんにそれができるのかということだよ。自民党の幹事長になったのならなぜ党を 出たのか、そしていくつもの党を渡り歩きわが党に帰ってきたのか説明する責任がある。派閥も結構利用していた。 その始末もついていない。履歴はついて回るものだ。明快な説明を期待したい。 自民党の新執行部に問われているのは、「決められない政治」からの脱却だ。実を言うと乱闘国会ばかりやっていた イデオロギー対決時代の国会の方が案外ものが決まったんだよ。イデオロギーでの反対だから、相手の顔が立つように 十分に議論して、当然物理的抵抗があっても最後は強行採決すればよかった。ところが今のようにイデオロギー抜きになると、対立がおのずと条件闘争になる。お互いが条件を少しでも有利に しようとがんばるからいつまでも物事が決まらない。 だけど、いくら意地悪をしようとしても、いつまでも特例公債法案を人質にとっておくことはできないよ。それより安倍さんは 野田佳彦首相との党首会談で「1年先までにこれとこれをやっていくんだ」と腹を割ってテーマの切り分けをすることだ。 それが真のリーダーの姿というものじゃないのかな。 社会保障・税一体改革でその入り口はできたのだから、まずは民主、自民、公明3党でこの改革の中身をちゃんと 詰めてもらいたい。そこを壊すようだと議会人の資格はない。衆院の選挙制度改革も各党が合意できる中選挙区制 でやると決めれば来年7月に間に合う。それで衆参のダブル選挙にすればいい。それなら経費も安くて済むし、 ねじれも一気に解消して一石二鳥でしょ。 参院での首相問責決議は前の通常国会で出たんだから、新しい臨時国会が始まればクリアしたということで いいんじゃない? 引きずらず、臨時国会で正々堂々論戦することですよ。それこそノーサイド。野田さんも 安倍さんも口ばかりで本当のノーサイドを分かっておられない。たまにはラグビーを観戦してほしいね。激しい戦いの後、 相手をたたえるのがノーサイドだ。それを理解しない者が勝手に使うなと言いたい。

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