▲決行を決断したのがトウ小平さん<どうも、日本人等を含む世界の中で、トウ小平さんという政治家の能力が過小評価されているという気がしてならない>ということであれば、トウ小平さんの中では、「他に手段がなかった」ということで結論がでているのだろうな。その通りだと思える。記事と日本人からの反応及び筆者の感想などを書きたい。
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2022/06/02(木) 中国は4日、民主化運動が武力で弾圧された天安門事件から33年を迎えます。中国政府は「あの騒動はすでに結論が出ている」と事件を正当化しました。中国外務省報道官:「前の世紀の80年代末に起きた、あの政治的な騒動については、中国政府はすでに明確な結論を出している。次の質問は」中国外務省の報道官は2日の会見で、学生らの民主化要求を武力で弾圧し多くの死傷者を出した1989年の天安門事件について「あの政治的な騒動」と表現しました。そのうえで「すでに結論が出ている」と述べ、当時の政府の対応は正しかったとする、これまでの見解を踏襲しました。報道官の答えはわずか10秒程度で、例年に比べても短いものとなっています。
<以下、日本人からの反応>
9: あれれーおかしいなー?結論が出ているなら、天安門について語っても問題ないってことだよね?
12: >>9結論が出ていない、という結論が出てるんだろw
10:すり潰して下水に流したってホンと?
13: 「中共は悪」という結論が出ているな
25: そのうち習近平一族が天安門広場に引きずり出されて公開戦車挽きの刑に処せられるだろな横山光輝の漫画に出てくる宦官趙高そっくりだもんな
26: 中国共産党は完全な悪だって結論はとっくに出ている。
49: 虐殺共産党
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ちょいと、ウイキペディアでもう少し詳細を。
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六四天安門事件(ろくしてんあんもんじけん)は、1989年6月4日(日曜日)に中華人民共和国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していたデモ隊に対し、軍隊が武力行使し、多数の死傷者を出した事件である。デモは最初は天安門広場で、そして広場周辺に集中していたが、のちに上海市を含めた国中の都市に波及していった。鄧小平中軍委主席の決定により5月19日に北京市に戒厳令が布告され、武力介入の可能性が高まったため、趙紫陽総書記や知識人たちは学生たちに対し、デモの平和的解散を促したが、学生たちの投票では強硬派が多数を占め、デモ継続を強行したため首都機能は麻痺に陥った。1989年6月4日未明、中国人民解放軍は兵士と戦車で北京の通りに移動して、デモ隊の鎮圧を開始した。
衝突のあと、中国共産党当局は広範囲に亘って抗議者とその支持者の逮捕を実行し、外国の報道機関を国から締め出し、自国の報道機関に対しては事件の報道を厳格に統制させた。戒厳令布告に反対した趙紫陽は、総書記ほか全役職を解任され、2005年に死去するまで、自宅軟禁下に置かれた。
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死者数は定かではない。ほぼ1万人程度というのが確からしい情報である。筆者は死者数は多いが、天安門事件そのものにそれほど否定的ではない。この事件の原因の最も核心部分は、中国の歴代王朝の「中国人愚民化政策」にあるものと思える。漢字をわざと難解にして、識字率を意図的に低くし、今でもおおよそ30%程度であろう。国民のほとんどが文盲なのだ。1989年という時点で、無学文盲・無知蒙昧な民族に軛(くびき)を外し、民主化させたらどうなるか—ということをトウ小平さんは考えたのだ。きっと、国内に手のつけられないほどの「混乱」が発生する。ほとんどが無学文盲の中国人に民主化は早すぎる—というのが、トウ小平さんの結論だったと推定される。今しばらく、専制的な政治を行い、識字率を上げよう--というのが、トウ小平さんの目論見ではなかったのかなぁ。放水機のようなもので、集団を解散させることができればよかったのだが、手元にあるのは、戦車のみ。だから、核心部分は、1.中国人は識字率が低すぎる 2.放水機(要は簡易に集団を分散・解散させる道具機械)をもっていない---この2つで、天安門事件というものが発生した---と筆者には思える。冒頭でふれた。トウ小平さんには、「他に採用できる手段がなかった」のだ。