▲突然に来襲する津波に対応するには、東北地方に伝わる「津波てんでんこ」が最も正しかろう。津波がきたら、各自がてんでばらばらに逃げるという対策だ。記録にある地震発生から津波の来襲までの時間をみてみよ。それこそ、地震の最中にもう逃げ出さないと近くの高台には届くまい。対して、高知では老人を助けてどうの—という記事となっているが、合理性<<<感情という合理性の低い判断としか思えない。記事と関連文章、日本人からの反応などをみよう。
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2023年03月15日【炎上】 高知県 「津波が来たら、小学生たちは勝手に逃げずに年寄りを誘導するように!」 南海トラフ巨大地震で最大30メートルを超える津波が想定されている高知県。ここでは子どもたちが地域防災の主役になっています。地域や専門家と連携して避難訓練を実施したり、避難をためらうお年寄りたちの意識改革にひと役買ったり…。訓練を繰り返しながら、いざという時に備える。そんなたくましい高知の子どもたちを紹介します。まず取材したのは、四万十町興津地区、興津小学校の子どもたちです。全校児童は20人。校舎が海から200メートルの所にあり、地震が発生すると直後に学校に津波が到達します。そのため学校では、毎月避難訓練を実施、その方法も突然抜き打ちで行ったり、思いがけない「想定外」を盛り込んだりと毎回テーマを決めています。2007年からこの興津小学校を拠点にして、自主防災組織、自治体などと連携しながら、震災に強いまち作りに取り組んできたのが京都大学防災研究所です。助教の中野元太さんは、7歳の時に阪神・淡路大震災で被災ことがきっかけとなり、防災教育に尽力するようになりました。最近とくに力をいれているのが、東日本大震災を経験した若い人たちが震災の記憶を語り継いでいく活動。中野さんは「子どもが訓練に参加することで、親や家族も参加するようになり、地域全体の参加率が上がる」と話し、若いチカラが地域防災のカギになる、と考えています。“想定外“を訓練に 2月、中野さんが行った訓練は「想定外」の事態を取り入れること。東日本大震災では、想定を越える津波が襲い、多くの死者が出たからです。いざ、訓練スタート!まず子どもたちが向かったのは800m離れた避難場所の向山。あらかじめ避難場所に決めていました。津波が到達する15分以内を目指して駆け抜け、この日は全員が9分台で到着しました。避難場所は標高30mにあり、想定する最大の津波でも到達しない高さです。ここで中野さんは「ここに津波が来たらどうする?」と想定外の事態を与えます。すると子どもたちは迷わず10mの階段を駆け上がっていきました。想定を越える津波に備えた「2段階避難」です。さらにそこにも“想定外”の津波がきた場合に備え、山の上へと駆け上がっていく子どもたち。「3段階避難」まで想定する用意周到ぶりです。生き延びることだけでなく、その先の復興まで小学生が考えていることに胸があつくなりました。「南海トラフ巨大地震が起きると興津全体が浸水する。私は興津が大好きだからいち早く避難をして、津波が引いたら興津の復興を一生懸命したい。だから生き伸びるため訓練してるの」避難経路に潜む“想定外“も訓練に 想定外の対応は高さだけではありません。避難経路に潜む想定外の訓練も行ないます。避難場所の向山へ逃げようとする中、中野さんが出した想定外は「低い場所が既に浸水し始めて避難場所に行けない。どうする?」すぐに子どもたちは「第二避難の4号タワー」と答え、方向転換し走り出しました。これまでも子どもたちは第一避難場所がだめでも、“二の矢”を用意し訓練を重ねてきたのです。400m先の避難タワーまであと少しに迫る中、またも中野さんが「4号タワー見えてきたけど、この先に家が倒れて通れない。どうしよう?」とさらなる想定外を与えます。津波が到達する15分まであと3分に迫る中、子どもたちは「津波が迫りこうやって悩んでる時間はない」と避難を率先しました。最後に目指すのは海に近い高台にある第三の避難場所・忠霊塔。これまで訓練に取り入れたことがない場所です。 この避難場所に向かう中、突然、子どもたちが足を止めました。5年の髙橋紗羅さんは「津波が真っ先に上がってくる川の所を通らなきゃいけないから危ない」と危険を察知。初めて向かう第三の避難場所には課題があると分かりました。6年の橋本統さんは「海に近い高台は津波到達も早いから、3つ目の避難場所としていくのは適さない。2番目のタワーと優先順位をひっくり返す方がいいのでは?」と提案。訓練の課題を洗い出していました。ぐるみの会 興津地区では、学校や自主防災組織、京都大学防災研究所などが集まる「ぐるみの会」を作り、課題解決に向けて話し合ってきました。今回は「海の近くの第三避難場所・忠霊塔を目指す時、子どもたちは津波に向かって行く心理的な怖さを感じていた」と課題を共有、自主防災会長の船村覚さんは「子どもの気が付いた事を極力実現し行政とも取り組んで進めていく」と子どもたちの意見を大切に受け止めていました。子どもの意見が行政を動かす!興津小学校では毎年子どもたちが訓練などで見つけた課題を「防災マップ」にまとめて地域に配ってきました。これが町を大きく動かすこともあります。「海の近くにある保育園が津波がくると確実につかる」という課題。これを地域の防災シンポジウムで子どもたちが発表したところ住民が賛同。行政は保育園を高台に移転する決断を下したのです。(京大防災研究所 中野元太さん)「子どもの意見が町を動かすのが本当に興津の一番いいところ。高台移転の例だけではなく、例えば子どもたちが避難ルートの橋を見て“本当に耐震性あるの?”と疑問に思い行政に手紙を書く。担当者が耐震検査を行ない、問題点があれば耐震化工事をして町がどんどん安全になっていく。子どもの意見ってすごく率直に届くし、魅力的な力です」避難をためらう高齢者の意識を変える 子どもたちが主役の防災は隣の黒潮町でも。力を発揮しているのは、高齢者の避難です。黒潮町は全国で最も高い34mの津波が想定されていますが、高齢者に話を聞くと「30メートル来たらもうダメ」「どうやって逃げる?どこにも逃げられないでしょう」「もう、死ぬしかない」など、20人中18人が避難をためらうような答えが返ってきました。京都大学防災研究所助教・中野元太さんの監修のもと、避難をためらう高齢者に対し、子どもたちが意識改革を促すことにひと役買う訓練が行なわれています。 6年生の布村琥心郎さん。訪ねたのは近所に住む一人暮らしの西地留子さん86歳。西地さん「じいちゃんが亡くなって一人になって地震とか津波が本当怖いがよ。あきらめちょる」と嘆きます。今回、避難をためらう10人の高齢者に話を聞いたところ、子供に声をかけられると全ての人が「逃げてみよう」と答えてくれました。西地さんも「元気な近所の子どもが声をかけてくれたら、逃げよう、生きようって気になる。心強い」と話してくれました。いつものように子どもたち主導で訓練開始。布村さん「頭を押さえて手で、そうそう」とお手のもの。向かうのは400m先の避難タワーです。逃げる際は訓練用の津波避難アプリを使います。自分がいる場所で想定される津波の高さや、到達時間を見ることができ、それを元に避難経路を探ることができるのです。布村さんが「20分後にここに8メートルの津波が来る。それまでに逃げよう」とアプリの画面を見せながら励ますと、西地さんは「一生懸命逃げないかん」と、いつのまにか子どもたちのペースに巻き込まれ避難へと気持ちが向かっていました。最後の難関の避難タワーが目の前に。足腰が弱い西地さんはこれまでこの階段をのぼることをためらってきました。不安がる西地さんに、いざとなったらひとりで避難できるように、布村さんが寄り添い、手をつなぎ、背中を支え「ゆっくりでかまわんで、がんばれ、あと3段。ラストあと一歩」と励ましながら、一緒に階段をゆっくりとのぼっていきます。西地さんは津波到達予定の3分前に避難することができました。「ここまで逃げてきたら津波は大丈夫」という布村さんの言葉に、西地さんは「この子ら必ずばあちゃんばあちゃんって言ってくれるからうれしくて避難出来ました」とうれし涙を流していました。布村さんは「ばあちゃんあきらめん方が良い。津波に命を奪われるのは嫌なので、避難をあきらめん方が良い。地震が起こった時とかには絶対避難して」と励まし続けていました。(中野さん)今回の訓練は、避難をあきらめる高齢者の意識を変えることを一番の目的に行っています。実際に地震が発生し、津波が来た場合には「津波てんでんこ」にあるように、子どもたちも自分の命は自分で守るために、真っ先に避難するよう指導しています。
<以下、日本人からの反応>
7 西へ行く程民度が低いな。
10 子供だけで避難させろ。
11 トラフきたら全滅なんだから気にすんなよ。
12 年寄りを置いてでも逃げろだろ。
14 あれ、海沿いの街って自分が助かりたいのなら親兄弟が例え下にいても助けに行かず一目散に高台に逃げろって教えられてるのとちゃうの?
16 間に合わないから一緒に死ねってことだろ。
20 年寄りというより票が大事なんだろ。
21 子供は退去させて青年やおっさんが助けるべきだろ。
23 てんこでんこちゃうんかい!
26 いや、子供はさっさと逃げろよ。子供が逃げ遅れるのが一番厄介なんだよ。
27 金は出すッ…!!ワシを助けろッ…!!
29 てんでんこは東北地方の方言ですから。
31 年寄りって普通に重いからな。
33 まさに今の世の中を象徴していてよいじゃん。
35 じゃ、あこれ書いた奴は津波が来てからどこにお年寄りがいるのか調べる係な。
36 東日本で助けようとして道連れにされた動画みてきてないのかよ。
38少子高齢化を解消するには老人は見捨てて子供を優先的に助けるべき。
40 年寄りより子供だろ。馬鹿かよ。
45 いや未来ある子供はさっさと逃げろよ。
47 キチガイだな。白バイも高知だったよな。
50 地震発生後3分で津波発生の和歌山は・・・
52 田舎はこんなんだから津波がこなくとも終わるんだよ。
55 小学校でガキが全員揃わねえとかグダグダやって全滅してたし、はあく逃げろよ。
56 余裕無い状況で判断迷わせるな。
58 高知って江戸時代から進歩してないよな。
60 元気な年寄が元気でない年寄を誘導すれば良い。
63 えっ?何?それ?
64 ガキが学校ごと流されたのしらないのだろうか。
67 訓練された自衛隊とかじゃ無い限りパニックなってリアルクモの糸がみれるぞ。
69 ジジババは体張って津波防ぐべきだろ。何で未来ある子供を危険に晒すんだよ。
71 関西弁の「津波てんでんこ」をつくるべきだな。
74 911の教訓まったく生かされてない。バカすぎ。
76津波てんでんこがまさにスレタイ通りの事なんだが、なんか記憶違いしてるのか?
79 小学生も自分で考えろって事だろう。
82 今の年寄りは子供が干上がるまで生き血を吸い尽くそうとしてるな。
84 高知なんて早いとこは数分で津波到達すんのに、年寄りと心中させる気かよ…
85 走れないのきちーよな。
87 てんでんこでないのか~
90 リメンバー東日本大震災大川小学校。
92 迎えに行って「ワシは逃げんぞぉ!!」とかクソみたいな駄々こねてる奴に当たったら諸共死ぬな。
95 たった2,3分でアホみたいにデカい津波が襲ってくるんだから、ジジババ救助とか取り組むのとすらいかないだろ。
98 親族ならともかく知らん老人なんか放置しろよ。
102 年寄りなんかほっといて逃げろ。
108 想定津波到達時刻が地震から数分なのに、ジジババが逃げられる余地はない。
109 高知の沿岸部は津波から逃げれないと答え出てる。
114 いくらなんでもそれは。
116 今時の高齢者って、果てしなく強欲傲慢だな。
119 俺は高知県民じゃなくてよかったよ。
1. 津波の時は「親捨ててでも逃げろ」が江戸時代からの教え。
2. (監修した中野さん)今回の訓練は、避難をあきらめる高齢者の意識を変えることを一番の目的に行っています。実際に地震が発生し、津波が来た場合には「津波てんでんこ」にあるように、子どもたちも自分の命は自分で守るために、真っ先に避難するよう指導しています。
6. >>2これが本当ならもっと事実を発信しないといくらでも悪意あるスレを立てられる。スレタイからして悪意100%だから。賛否は有るだろうけど避難を諦める高齢者はそのままで良いと思う。死場所は自分で決めるということだと思う。子供達を真っ先に避難させるのが大人と高齢者の努め。
3. 高知の太平洋岸に住んでるような年寄りは覚悟はできてるだろ。気にしなくていいよ。
4. 記事が修正されてます。子供たちは老人に避難訓練への参加を促しているだけで、実際に地震が起きたときは真っ先に逃げるよう指導しているようです。
5.911の教訓ってなんやろな。対テロかな。
7. こんな年寄り誘導したり…背負っている間に津波が襲い掛かってきたり大地震で被災してなくなる可能性が高いのに…。
8. まだ世の中よく知らない子供を洗脳しようとしてて草。地域が老害だらけなんだろな。
9. とにかく年寄りは捨てろ!復興の時に足手まといだから。
10.てんでんこの意味も価値も解らない高知県行政。まともな親なら子供に「年寄りはいいから逃げろ」と言うんだよ。高知県の聡明な老人もそう考えてるよ。
11.明らかに大人の仕事だろ。子供に担わせようとするんじゃないよ恥ずかしい。
12. 津波のときはてんでんはらばらでもいい。はんでたがいどごさにげれだべなんでもかんでもネゴソに持っていがれるど。
13. NHKは子供がしんでも良いんだろうな。
※裁判】津波避難訴訟、遺族側が敗訴 東日本大震災の津波により防災センターで犠牲、釜石市の賠償責任認めず…盛岡地裁2017/04/21(金) 津波避難訴訟、遺族敗訴=釜石市の賠償責任認めず-防災センター犠牲めぐり盛岡地裁 東日本大震災の津波により避難者200人以上が犠牲になったとされる岩手県釜石市の 「鵜住居地区防災センター」で、家族が死亡したのは市が正しい避難場所の周知を怠ったのが原因として、 犠牲者2人の遺族が市にそれぞれ約9000万円の賠償を求めた訴訟の判決が21日、盛岡地裁であった。 地裁は市の賠償責任を認めず、遺族側の請求を棄却した。 原告は、同センターで死亡した市立幼稚園臨時職員の女性=当時(31)=と別の女性=同(71)=の各遺族。 原告側は、釜石市が震災前、津波災害の避難場所に指定していない同センターで避難訓練を実施したため、 多くの住民は津波避難場所だと誤解しており、市は津波時に避難すべきではないという周知を怠ったと主張。 地震当日も、市職員が同センター内への避難を誘導しており、正しい避難先を指示する義務に違反したと訴えていた。市側は、避難訓練の主体は地域の自主防災会で、要請に応じて施設の使用を認めただけだと反論。 正しい避難先は周知しており、避難場所ではないことを周知する義務はないと主張した。震災当日も、職員は同センターへの避難を積極的に誘導していないとしていた。
※【高知】コンビニに初の津波救命艇 南海トラフ巨大地震に備え セブンイレブン・ジャパン 2017/03/31(金) 「セブン―イレブン須崎桐間南店」に設置された「津波救命艇」。右から2人目はセブン―イレブン・ジャパンの増田彰人事本部長=30日午後、高知県須崎市 コンビニ最大手のセブン―イレブン・ジャパン(東京)は30日、南海トラフ巨大地震で甚大な津波被害が予想される高知県須崎市の「セブン―イレブン須崎桐間南店」に、大津波が襲う前に逃げ込んで身を守る「津波救命艇」を設置した。 コンビニへの配備は全国初。 救命艇は25人乗りで、全長8・7メートル、高さ3・1メートル。 エンジンはなく、通信機で位置を知らせて救助を待つ。徒歩での避難が難しくなる30センチの津波が20~30分で到達するという同店の駐車場に備え付けられた。逃げ込んだ高齢者や幼児らの身を守る現代版「ノアの箱舟」で、激しい津波で転覆しても元の状態に戻る。:高知新聞
※地震が14:46分で 津波到達
大船渡 第1波 11日14時46分 (-) 0.2m
最大波 11日15時15分 3.2m以上
釜石 第1波 11日14時45分 (-) 0.1m
最大波 11日15時21分 4.1m以上
岩手釜石沖* 第1波 11日14時50分 (不明)
岩手宮古沖* 第1波 11日14時50分 (不明)
岩手久慈沖* 第1波 11日14時56分 (不明)
石巻市鮎川 第1波 11日14時46分 (+) 0.1m
最大波 11日15時20分 3.3m以上
気仙沼広田湾沖* 第1波 11日14時54分 (不明)
相馬 第1波 11日14時55分 (+) 0.3m
最大波 11日15時50分 7.3m以
こんなの避難出来るわきゃ無いだろ・・
※南三陸町の被災者 「大丈夫」の声を信用せずに巨大津波から逃げ切る2011/08/15(月) 東日本大震災による死亡者は2万人以上。死因で多かったのは、なんといっても津波による溺死だった。一瞬にして、人の命を奪ってしまう巨大津波だが、生死を分けるのは一瞬の判断だという。宮城・南三陸町の三浦久子さん(63)は、家の目の前が海だ。地震発生直後、津波が来ると直感し、すぐに逃げた。「潮のものすごい引き具合を目の当たりにし、上着と懐中電灯と貴重品がはいったショルダーバッグを持って逃げました。 近所の人のなかには、“大丈夫”という人もいましたが、過信せずとにかく逃げたのがよかったんです」 現在、宮城・気仙沼市で避難所暮らしをしている高野ミヨ子さん(76)は、18年間寝たきりの夫を自宅で介護していながらも、動くのは早かった。「息子と一緒に主人を車に乗せ、近くに住む主人のきょうだいの家に行って 皆を車に乗せてから避難しました。尋常な揺れではなかったし、津波の危険があるなら 高台へと思って、地域で指定されている近くの避難所とは違う小学校を選びました。状況によってハザードマップを信じないことも必要だと思います」 今回の震災では、指定されていた避難所でさえも津波に流されてしまったところも多い。 車で高台を目指していた宮城・石巻市の吉田敏朗さん(38)は渋滞につかまり、津波にのまれた。 「波が車にぶつかると、上も下もなく、車が回転しました。でも、その勢いで偶然窓ガラスが割れたんです。 おかげでそこから何とか脱出できました。いま思うと、逃げる時、車の窓は開けておくべきでしたね」
25 ::2011/08/15(月) 震度6で震源が海底なら兎に角逃げること。津波こなけりゃ戻ればいいんだから、面倒くさがってる奴が死ぬ。生涯で何回もあることじゃないんだから。
26 ::2011/08/15(月) 「避難3原則」 原則1「想定、とらわれるな」原則2「最善を尽くせ」原則3「率先し避難せよ」(1)想定にとらわれない(2)状況下において最善をつくす(3)率先避難者になる。 祖母と自宅にいた釜石小学校児童は、祖母を介助しながら避難。 お前ら 小学校児童よりは頭が有るよな?
※史上最大、40mの津波が駆け上がった宮古市 ★:2011/07/17(日)
東日本大震災で陸地を駆け上がった津波の高さ(遡上高)が、観測史上最大の 40・4メートルに達していたことがわかった。全国の研究者らによる合同調査グループが、北海道から沖縄県まで、5400か所の データを集め、16日に大阪府で開かれた報告会で発表した。調査には、48の研究機関の研究者約150人が参加。建物や樹木などに残された津波の痕跡から遡上高を調べ、国や自治体による観測データも併せて分析した。40・4メートルを 記録したのは岩手県宮古市重茂姉吉(おもえあねよし)地区。4月の調査でも、明治三陸地震 (1896年)の38・2メートルを上回る38・9メートルが確認されていたが、今回は 同じ地区内で、これを上回る地点が見つかった。
※【社会】海抜5メートル以下に60万人が居住…県内総人口の16% - 静岡2011/04/30(土)津波の猛威を見せつけられた東日本大震災。最大の安全確保は内陸に住むことだとして、 被災地では沿岸部住民の高台移転を自治体が促す動きがある。東海・東南海・南海地震の 3連動想定被害地域を対象とした名古屋大の調査によると、静岡県内は海抜5メートル以下の地域に60万人が住む。専門家は「できれば移転が望ましい」とするが、私有地の使い方を制限することになる上、多額の移転費用も伴い、容易ではない。 + 中日新聞 +
2011/04/30(土) 和歌山県の串本では、津波に備えてそういう避難塔が作られてるんだが、今回の津波では大型船が街に突っ込んで来て破壊の限りを尽くしたことから、安全性に疑問符が付いてる。
:2011/04/30(土) 津波は、いきなり来るわけで その救命艇に乗り込むのは、津波が来る前?来た後? 地震で揺れてから津波が来る前に、救命艇内でじっと待つのか? 動けない救命艇に入りこんでじっと待つより、高台に走って逃げた方がいいだろ。 担架台車対応の高台への最短避難路を作ったほうがいい。 そんな避難路たくさんなとこに住むのも異常だと思うが 津波ごときで家が無くなるとか死ぬとかさ、三陸が発展しない理由だよ。長い歴史で太平洋の発展が遅れたのも、震災の都合だろ。
※2011/04/03(日) 俺、神奈川だけど地震直後に停電になって、電気が戻ったのは夜の九時頃(八時は過ぎてたと思うが正確には覚えてない)だった。よって、テレビは見れていない。強い揺れがおさまってからは、ラジオで報道を聞いた。もし、地震時に停電しなかったとして、大半の人は地震の情報がほしいはず。だから自然とNHKを見るはず。 だから、民間放送がどんなへっぽこ対応をしていたとしても、実際にはそんなに影響はなかったと思います。今回の場合、千葉などで、もう大丈夫だろうと、一度は高台に避難した人が戻ってきたりして被害にあったのが残念。あと、津波が迫っているのに自動車で移動していた人は、自動車から降りて、自分の足で高いところに逃げれば助かったのではないかなぁと思う。
2011/04/03(日) 東日本大震災:津波の犠牲なぜ? 続く震動、ハードを過信。ハード面の対策への過信が被害を大きくした地域もある。 岩手県宮古市の田老地区は、明治三陸地震津波などを受け、 住宅地を囲む大防潮堤が造られた。海面から高さ10メートル、総延長2433メートル。「万里の長城」と呼ばれていたが、大津波で破壊されて約1600戸が流された。 自宅から逃げなかった花輪節子さん(68)は夫征夫さん(70)が亡くなり、 「お父さんと逃げていれば良かった」と悔やむ。地震発生後、家の外で誰かが 「津波の高さは3メートル」と口にした。10メートルには余裕があると思った。その数十分後、大津波が自宅2階のガラス窓を突き破った。「大丈夫だと過信があった」とうなだれた。 一方、近年は大きな津波被害の経験がない宮城県南部から福島県では、避難しなかった住民も少なくない。仙台空港が水没し、死者・行方不明者が 1700人を超える宮城県名取市。美容院経営の女性(48)は大津波警報を知り、 義母を避難所に連れて行くなどしたが自分は自宅に戻り、警報から約1時間後に 津波が迫っていることに気付いてようやく逃げた。自宅は流されたという。「大津波が来るなんて思っていなかった。近所の人たちは津波警報が出ていることすら知らず、のんびりしていた」
※:2011/03/27(日)全校生徒助かってるのは揺れの最中に脱出行動に出ている所。 6分~15分程度で到着する津波にそんな事してたら間に合わない。
* ::2011/03/27(日) いや、地震だけじゃなく津波が来るって分かってるんだから 学校敷地内で最も海抜の低い校庭で点呼はあまりにも不適切だろ。近くの高台なり屋上なりに避難させてから点呼を取るべき。
44 ::2011/03/27(日) 地震から10分毎にM7クラスの余震が続いたけど。岩手では、余震の続く中で山に避難を開始して学校が津波に飲み込まれて、ギリギリで津波を振り切った学校もあるのに学校の判断ミスだろ。
57 :2011/03/27(日) あ、それ新聞で読んだ。 最初、校長はマニュアル通り校庭に集合させたんだけど、 用務員のおっさんが裏山に逃げた方がいいと言い出して、みんな助かった。
72 :2011/03/27(日) 3年生だけ教員が引率して、山に登って助かったようだ。
78 :2011/03/27(日) 東京湾ですら、海から5キロは津波の被害ありって言われてるよ。 3キロだったらこないって認識甘すぎ。ましてや学校の教師が認識しないなんて職務怠慢だよ。地図みたら川のすぐそばなんだし。
93 :2011/03/27(日) 校庭に集めて点呼… 一刻も早く高台に避難しなければならないときに、何やってるんだ? 管理教育は文字通り人を殺してしまう。
98 :2011/03/27(日) 学校の裏の高台に逃げてたら助かったのになあ・・・ (実際に助かった教師と数人の生徒がいる)校庭にいたから死んでしまったわけだ、教師も含めて まあ、誰も責められんだろ。
117 ::2011/03/27(日) 教師は13人のうち1人しか死んでないのか・・・ 津波が見えた瞬間ダッシュして逃げたんじゃないかと邪推してしまう。
118 :2011/03/27(日) 避難訓練のときも集合したら点呼を取る けど、津波のときはそんな時間さえ生死を分けるんだ。どこかの市長さんだか町長さんだか校長さんだかが 泣きそうになりながらニュースでインタビューに答えてた。 避難マニュアルなんてどうでもいい(クソ食らえという意味) とにかく逃げなきゃ駄目だったんです。
147 ::2011/03/27(日) むごいなあ… >地震が起きたのは、下校のバスが出る30分ほど前。>心配して車で迎えに来た保護者もいたため、 >児童を校庭に集めて点呼していた。 >そこにいた大半の児童と教職員合わせて数十人が波にさらわれた。 >急いだのだろう、遺体でみつかった子どもたちの多くは上履きのままだった。 >水は2階建て校舎の屋根がわずかに見えるほどの高さまで達した。
214 :2011/03/27(日) 児童が下校準備をしているとき、地震が起きた。全員が校庭に避難した。児童の一部は迎えに来た親と帰宅したが、校庭に残った子どもたちが悲劇に見舞われた。「ゴーという音と一緒に、川から津波が襲ってきた。みんなで校庭の脇の山に登ろうとしたけど、間に合わなかった」 5年生の只野哲也君(11)も濁流に飲み込まれ、気が付くと山の中に体が半分埋まっていた。そばにいた友達に助け出され、九死に一生を得た。が、校庭で一緒にいたはずの2年生の妹は行方不明。 祖父の安否は分からず、母は遺体で見つかった。父と祖母とは避難所でようやく再会できた。 只野君の母は震災当日が誕生日だった。夜には家族みんなで盛大に誕生会を開くはずだった。 「妹は誕生会の進行を考えていて、とても楽しみにしていたのに…」 捜索が進む現場では、毎日のように子どもたちの遺体が見つかっている。むごたらしい現実を目の当たりにしてもなお、只野君は「みんな生きていてくれると信じたい」 と語り「僕もくじけていられない」と自らを奮い立たせる。只野君の祖母アキ子さん(64)が、涙声で思いの丈を振り絞った。「私が死んだ方がましだった。哲也には、被害に遭った子どもたちの分もしっかり生きてほしい」
367 :2011/03/27(日) 海岸線からこんだけ離れてると 予想するのはさすがに難しいだろうな。巻き込まれたのが馬鹿ではなく機転を利かせて高台に 逃げた人を誉めるケース。
2011/03/13(日) 奥尻島で助かった経験者に言わせれば、狼が来た津波に慣れすぎってところだろ 本番が来ても緩いまだ大丈夫。防災の津波警告が流れた時点で逃げた人はほとんど全滅じゃないと この行方不明の人数の説明にはならないね。最初に揺れが収まった直後に逃げた人だけ助かったんだろう。 経験のない揺れなら、経験や知識に頼らず想定可能な最悪な地獄を考えるべきなのに。全力ダッシュな奴はセーフ。
2011/03/11(金) 知り合いの消防士に今日聞いたが、「津波警報が発令されてます。今すぐ!!今すぐ家を出て避難してください!!」と巡回しながら必死で叫んでも 誰一人避難する素振り無く、いつもと同じように過ごしてたってさ。だから死んだ300人もそうなんじゃねぇの?だったら自業自得。 そうじゃなかったら仕方が無いけどな。防災意識無さすぎだって嘆いてた この話聞いて津波警報出たらすぐ避難しようと決めた。
※【大川小津波訴訟】宮城知事 教員断罪納得できぬ「判決は、児童と高齢者を含む全員を安全に避難させようとした教員の努力を否定」2016/11/01(火)
東日本大震災で犠牲になった石巻市大川小の児童23人の19遺族への損害賠償を市と宮城県に命じた仙台地裁の判決を受け、市と共に控訴する方針を決めた村井嘉浩知事は31日、定例記者会見で「その場にいた教員を一方的に断罪するのは納得できない」と述べた。
-主張が受け入れられなかったのはどの点か。 「津波襲来の予見は不可能で、教員は知り得る限りの情報で最大の選択をした。判決は教員の責任を重くしており残念。亡くなった教職員10人の家族の気持ちも配慮しないといけない」 「学校は避難場所になっており、逃げてきた高齢者らのことも考えないといけない。判決は、児童と高齢者を含む全員を安全に避難させようとしたであろう教員の努力を否定している」
-結果的には84人の命が失われた。 「震災では大川小に限らず、1万人以上が犠牲になった。行政の責任者として大きな責任を感じている」
-予見可能性についてはどう考えるか。 「(避難を呼び掛ける)広報車の声を誰が聞いてどう判断したか分からないが、あの時点では川の堤防まで行くのがベストと考えたのだと思う。今なら裏山に逃げれば助かったと判断できるかもしれないが、崩れてくる可能性もあった」
-石巻市は市議会臨時会で控訴を正式に決めた。県議会の議決を経ずに専決処分する理由は。 「学校設置者の市の判断を最大限尊重する。控訴期限が迫り議会を開く余裕もないため、私の専決で控訴する判断をした」
-遺族は「控訴は子どもの命を見捨てていいと言うのと同じ」と訴えている。 「子どもの命の重さを争っているのではない。津波襲来の予見可能性の有無と教員にどこまで責任があったかを争っている。誤解しないでほしい」
-知事は震災後(2012年3月11日)に現地を訪れた際、「救えた命」と語っていたが。 「校庭から裏山を見た印象を述べたが、その時点では震災当日の状況を十分把握できていなかった。みぞれが降り余震が続く中、多くの児童と高齢者らを避難させなければならなかった状況は、後で分かった」
※【大川小津波訴訟】「7分前に危険性予見」学校の過失を認定ー仙台地裁2016/10/27(木)
仙台地裁 石巻市と宮城県に総額14億2658万円賠償命令 東日本大震災の津波で児童、教職員計84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校を巡り、児童23人の遺族が市と県を相手取り約23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は26日、市と県に総額14億2658万円の支払いを命じた。高宮健二裁判長は「教員らは津波襲来の7分前には危険性を具体的に予見したのに、安全な裏山ではなく不適当な場所へ避難しようとした」と指摘し、学校の過失を認定した。 大震災による最悪の学校災害に対する司法判断は、教育現場に重い課題を突きつける内容となった。裁判の大きな争点は(1)大川小への津波襲来を予見できたか(2)安全な場所への避難は可能だったか--の2点。判決はまず、校舎付近が震災までに大津波に襲われた経験がなく、ハザードマップの浸水予測区域外だったことから、震災前や地震直後の段階では襲来は予見できなかったとした。 一方で当時の市職員の法廷証言から、北上川河口への津波襲来や高台避難を呼びかける広報車が校舎前を午後3時半ごろに通り、7分後に実際に津波が襲ったと認定。「教員らは広報を聞いた段階で、大規模な津波が襲来し、児童に危険が生じることを予見したと認められる」と指摘した。教職員や児童らはその後、北上川の橋のたもとにある標高約7メートルの「三角地帯」と呼ばれる高台に向かう途中に津波にのまれた。市側は、遺族側が主張する裏山への避難について「山崩れや倒木の危険があった」と反論したが、判決は「児童らはシイタケの栽培学習で登っており、裏山への避難を決断すべきだった」として、学校側に過失があったと結論付けた。賠償額は慰謝料、逸失利益など児童1人について約5300万~6000万円とした。大川小の被災を巡っては、市が2013年2月に第三者検証委員会を設置。14年2月、被災の直接原因を「避難決定が遅れたこと」とする報告をまとめたが、その背景事情には踏み込まず、遺族が同年3月に市と、国家賠償法に基づき教職員の給与を負担する県の責任を問うため提訴した。
*亀山紘・石巻市長の話 大変重く受け止めている。控訴するかどうかは検討し、早い段階で結論を出したい。
■大川小津波訴訟判決の骨子
・宮城県と石巻市は、児童23人の遺族に対し約14億円を支払え
・教職員は市の広報車の避難呼びかけを聞いた段階で、津波襲来を予見していた
・北上川の橋のたもと(三角地帯)への避難は不適当で、裏山に避難させるべきだった
■大川小学校
石巻市中心部から北東約15キロ、北上川河口から約4キロの川沿いにあった小学校。東日本大震災による津波襲来時は児童数108人のうち78人が学校近くにおり、70人が死亡、4人が現在も行方不明。生存者は4人だけだった。教職員も学校にいた11人中10人が死亡した。現在は約10キロ離れた市立二俣小敷地内の仮設校舎で授業を続けており、児童数は29人。2018年4月に二俣小と統合する。被災した旧校舎は多くの教育関係者や見学者が訪れる防災学習の場になっており、市は今年3月、震災遺構として保存することを決めた。
※【環境技術】三菱電機が世界初めて開発した津波監視レーダー、いよいよ実用へ2015/08/04(火) )三菱電機が世界初めて開発した津波監視レーダー、いよいよ実用へ 三菱電機は津波を監視できる海洋レーダーを開発した。 流速や高さなど津波の成分を早期に検知でき、避難に必要な時間の確保を支援する。 すでに最初の納入実績が出ており、2015年度内に出荷し国内に設置する予定だ。 こうした津波監視支援技術は世界で初めてという。
【50km先観測】 開発のきっかけは11年の東日本大震災にある。 鈴木信弘レーダ信号処理グループマネジャーが津波の被害を踏まえ、レーダー技術を応用して検知できないか検討し始めた。 「海洋レーダーで津波を観測できた事例があり、条件さえ良ければ検知できると思った」(鈴木マネジャー)と振り返る。 海洋レーダーは通常、黒潮などの流速や海洋ゴミの監視に使う。 海表面に沿って伝搬する短波帯の電波を使うため、条件次第で50キロメートル先まで観測できるのが特徴だ。 光学センサーや全地球測位システム(GPS)波浪計は20キロメートル程度が限界とされる。海洋レーダーを使えば、早期の検知と避難が可能になる。
【画像化に成功】 ただ海洋レーダーの転用には課題もあった。 津波は海表面の波頭部分ではジェット機並の速度で移動することもあるが、海中では毎秒10センチメートル程度と非常に遅いという。 このため通常の海流や潮の干満など定常的な流速(同1メートル程度)に紛れ込み、津波だけの検知が難しかった。 そこで鈴木マネジャーは定常流と津波の周期性の違いに着目した。12時間周期で規則的に動く定常流と、それとは異なり1分―1時間周期で動く津波成分をグラフ化して抽出。 定常流だけを取り除くフィルタリング技術を開発し、津波の流速を検出し画像化することに成功した。 鈴木マネジャーは「速度は10倍の差があるので、津波だけを抽出できるのか懸念はあった。 フィルターの設計に苦労したが、津波の信号だけを抽出できた」と話す。 流速を把握できたことで、そこから計算式を用いて波高をシミュレートすることにも成功した。 既存の計測システムよりも早期に流速を観測でき、そこから波高分布を推定できることから、監視員による津波検知時間を短縮できる。 一般的に避難に必要な時間は10分程度とされる。 水深300メートルの海洋で沖合50キロメートルにある津波に対しレーダーで早期に検知できれば、その10分を確保できるとしている。
【実運用目指す】 今回の技術は電波を発するアンテナ1本と、受信するアンテナ8本で構成。アンテナの高さは10メートルで、海方向に向かって120度の範囲で検知する。設置スペースは幅50メートル程度で、設置現場に解析装置があるため、通信インフラが寸断しても現場で解析することが可能だ。今後は顧客に海洋レーダーを販売・納入し、実運用の段階に入る。 鈴木マネジャーは「成果は実際に見えてこそであり、本当の意味での実証が始まる。もちろん自信はある」と強調する。 沿岸地域の防災や減災に役立つシステムとして、自治体など多くの顧客に訴求する意向だ。
※原発】政府事故調調書公開 津波対策検討するとクビと…:2014/12/26(金)
政府事故調調書公開 津波対策検討するとクビと… 政府は、福島第一原発の事故調査委員会の調書127人分を新たに公開しました。 震災前に当時の規制当局の原子力安全・保安院で、巨大津波対策を検討しようとしたところ、複数の幹部にとがめられたと証言されていることが分かりました。25日、政府が新たに公開した調書によりますと、2010年ごろ、当時、保安院・耐震安全審査室の小林室長が、過去に福島で起きた巨大な貞観(じょうがん)地震の危険性を検討し、新たな津波対策を提案しました。これに対し、保安院の複数の幹部から「余計なことを言うな」「あまり関わるとクビになるよ」と言われたと証言していることが分かりました。 その後、保安院で本格的な検討を行う前に東日本大震災が発生しました。調書の公開は、9月に福島第一原発の吉田元所長の調書などが公開されたのに続いて3回目になります。 これで合わせて202人分が公開されましたが、震災当時の東電の会長や社長などの調書は公開されていません。
※岩手】「点呼取らなくていいから、とにかく走れ!」生存率99・8%「釜石の奇跡」 「津波てんでんこ」の教えの正しさ:2014/03/10(月)
★【温故地震 大震災編】生存率99・8%「釜石の奇跡」 「津波てんでんこ」の教えの正しさ 都司嘉宣 2014.3.10 千年に一度の超巨大津波に襲われた東日本大震災から明日で3年。被災地の調査を続ける中で、常々思い知らされるのは「津波てんでんこ」の教えの正しさだ。てんでんことは各自のこと。海岸で大きな揺れを感じたときは、津波が来るから肉親にもかまわず、各自てんでんばらばらに一刻も早く高台に逃げて、自分の命を守れ-という意味だ。 この教訓に基づき、片田敏孝・群馬大教授(災害社会工学)の指導で津波からの避難訓練を8年間 重ねてきた岩手県釜石市内の小中学校では、全児童・生徒計約3千人が即座に避難。生存率99・8%という素晴らしい成果を挙げて「釜石の奇跡」と呼ばれた。 同市北部に位置する鵜住居(うのすまい)町の海岸線から約800メートル、海抜約3メートルの川沿いの低地に並んで建っていた釜石東中学校と鵜住居小学校の事例を見てみよう。平成23年3月11日。午後2時46分に東日本大震災が発生すると、釜石東中の副校長は教室から 校庭に出始めた生徒たちに、「(避難所へ)走れ!」「点呼など取らなくていいから」と大声で叫んだ。そして若い教職員に、率先避難者となって生徒たちと避難所へ走るよう指示。避難所は約700メートル 南西の福祉施設で、所在地は訓練で全生徒に周知していた。(以下略)
※【社会】津波、学校の高台移転や高層化へ:2014/02/27(木)
文部科学省は26日、南海トラフ巨大地震などに備え、沿岸部に立地し、 津波が発生した場合に避難場所がない学校の高台移転や高層化を地方自治体に 促す方針を決めた。2014年度の早い時期に学校施設整備指針を改定し、 方針を明記するほか、自治体への財政支援も検討する。津波被害が見込まれる地域を 中心に、対象となる学校数などの実態調査に近く乗り出す。+ デイリースポーツ +
5 :2014/02/27(木) まず、 高台まで徒歩で直線で避難できる避難道路の建設が先だろ? その後 海岸沿いには漁業など関連する事業所のみにして 住宅は20年30年かけて高台移転させればいい。
※【大阪】南海トラフ地震で死者13万人の衝撃試算・11万人が津波被害、西区1万9000人、北区1万6000人、淀川区1万3000人 ★:2013/10/30(水)
大阪府は30日、防災会議の検討部会を大阪市内で開き、南海トラフ巨大地震による府内の人的被害の独自想定を公表した。火災や建物の倒壊などを合わせた死者は最大13万3891人に上り、その85%超にあたる11万3991人が津波で犠牲になるとした。 内閣府が昨年8月に示した被害予測の約13・6倍となる。府内の人口のうち30%が津波到達まで避難を開始しないとの前提で試算した。揺れから5分以内に避難を始めれば津波で命を奪われる危険はないとも分析しており、 府は「あくまで最悪の想定だ。津波到達まで十分に時間があり、落ち着いて行動してほしい」と呼び掛けている。府が8月に公表した津波浸水被害の想定に基づき、大阪市内中心部が広範囲で浸水すると仮定。内閣府の手法を踏襲して津波で1メートル浸水した地域の死者率が100%になると仮定し、 潮位や時間帯なども死者が最大になるケースを抽出した。津波の死者の想定は、地震発生から約2時間後に最大2メートルの浸水となるJR大阪駅周辺など、 高層ビルが立ち並び地下街が密集する大阪市北区で約1万6000人。西区約1万9000人、淀川区約1万3000人と市西部の低地も多い。大阪湾沿岸は堺市が約6000人、 岸和田市と泉大津市がそれぞれ2000人弱。津波以外では、地震で川の堤防が崩れて生じる洪水の死者が1万9000人弱に上る。このうち淀川水系の神崎川などが流れる西淀川区が1万3000人弱と突出して多い。ほかに揺れによる建物倒壊が約700人、火災が約200人と続く。建物の被害想定も示した。液状化現象や火災、津波などで全建物数の約7%の18万棟弱が全壊。 府は国よりも地震の揺れは小さいと推定しており、国想定の半分ほどにとどまった。
※【裁判】津波で園児が死亡は「幼稚園に責任」=園児6人の遺族が提訴―仙台地裁★:2013/05/28(火)
東日本大震災の津波で、宮城県山元町の私立ふじ幼稚園のバス2台が流され園児ら9人が死亡したのは、 適切な措置を取らなかった幼稚園側に責任があるとして、 死亡した園児6人の遺族が27日までに、同幼稚園の理事長や教諭らを相手に計約2億5000万円の損害賠償を求める訴訟を仙台地裁に起こした。訴状によると、ふじ幼稚園では2011年3月11日の地震直後、園庭にいた園児51人を大型バスと小型バスに避難させた。 2台は津波で流され車内に水が浸入。教諭らは大型バスから園舎2階に避難させようとしたが、園児7人が死亡した。小型バスの園児らは近くの民家に逃れたが、 うち1人は適切な手当てが行われず死亡したとしている。遺族側は、教諭らが園児を園庭に待機させたまま、ラジオなどで情報収集をせず、避難に向けた行動を取らなかったと主張している。 提訴について、ふじ幼稚園は「何もお伝えすることができません」としている。
※【話題】 大震災の津波に襲われ唯一動いたトラック いすゞ自動車「3トン半」:2013/05/14(火)
東日本大震災の時、地震発生後に災害派遣の準備をしていた自衛隊車両を津波が襲い、 多くが水没したことは、あの日の象徴的な写真となっている。しかし、そんな中で唯一動いたトラックがあったことは、あまり知られていない。 「3トン半が走ってくれています!」 その報告に製造元の「いすゞ自動車」の関係者たちに熱いものがこみ上げた。 この「3 1/2t(73式大型)トラック」は改良が重ねられて現在は8代目。それだけ排ガス規制や騒音規制などの変化が激しいためだ。目まぐるしく変わる国内法規だけではない、 自衛隊車両には一般的には想像もつかないような機能が要求される。それらを全てクリアし、かつ多くの規制の範囲内であるという「組み合わせテクノロジー」の結晶がこの「3 1/2t」なのだ。 傾斜地での登坂機能は当たり前で、途中で止まったりバックすることができなくてはならない。渡河・渡渉(としょう)に、泥濘地(でいねいち=ぬかるんだ土地)での走行、そうした場合には段差も多くあるため、それらを容易に走破できなくてはならない。不整地での走行は、民生用トラックで行うと全く歯が立たない。悪路をゆっくり慎重に走る能力を持つのは簡単なことではないのだ。全ての条件を満たすために、民生品の3倍に当たる約6年間の開発・試験期間を要する。しかし、これだけなら軍用トラックとして驚くほどではないだろう。日本のものは、この上さらに国内の道路交通法の下で一般道や高速道路を走れるようにしなければならないのだ。タイヤの接地圧(前方と後方のバランス)も定められ、バックミラーや窓の規格、 ウインカーの高さやサンバイザーの固さに至るまで全てが厳格で、軍仕様として必須のスペックと日本独特の交通行政事情の両方の条件を兼ね備える必要がある。それゆえ、見た目は同じだからと民生品のトラックをちょっとアレンジすればいいのではないかとか、 海外製品を買って使おうとしても、この難解な方程式をやってのけるトラックは他に存在しないのである。
※【東日本大震災】 津波で児童74人の命が失われた石巻市立大川小学校 市教委の不誠実な事後対応は、なぜ検証されないのか ★:2012/10/31(水)
★大川小児童の遺族が立ち上がってから4ヵ月 明らかになった真実、隠され続ける真相とは
●不誠実な事後対応は、なぜ検証されないのか 東日本大震災が起きてから1年7ヵ月以上が経つ。 遺族たちはこの間、市教委の事後対応にも苦しんできた。 「二次被害だ」「市教委を検証してほしい」という声が、遺族のなかから上がっている。典型的な問題点は、生存者や帰宅して助かった児童たちへの聞き取り調査のメモを「破棄した」と、 調査を担当した当時の指導主事が言い続けていることだ。子どもたちと教職員84人の命が失われたという、未曾有の規模の事故なのに、 音声録音をしないままの調査に加え、挙げ句の果てにメモを捨てるという行為は、公務員としてはあり得ない。 事実関係を明らかにするという作業が、誠実に、緻密に行われたとは、決して言えないのだ。実際に、聞き取り記録や事故報告は、遺族側から、調査の矛盾点の指摘を受けて、変遷を繰り返している。市教委は、震災から1年以上にわたって、校庭から子どもたちが「避難をした」と説明していた。2011年6月4日の説明会では、“避難”開始時刻は、「午後3時25分頃」。 それが、2012年1月22日説明会では「午後3時30分頃~」に変わり、1年後の2012年3月18日には「午後3時35分過ぎ」となった。 遺族の追及によって、実際には避難と言えるような実態ではなく、 津波に襲われる1分ほど前に「逃げ始めた」といったほうが正しかったことが分かったのだ。校庭から避難をしなかった理由については、裏山に倒木があったためとしていたが、それも「倒木があったと思われる」と、市教委は途中で説明を変えた。また、児童が教諭に向かって「山に逃げよう」と言っていたという児童たちの証言が、調書にはひとつもないのに、 説明会での指導主事からの説明の中には出てくるという不審な点もある。さらに、重要な資料を、長期間公表しなかったという問題もあった。 唯一生存したA教諭が保護者宛にメッセージを綴ったファックスを、市教委が公開したのは受け取ってから7ヵ月以上も経ってからだった。 また、震災から5日後という直後の時期に、当時の柏葉校長から聞き取った被災状況の調書が存在することが、 私たちの情報公開請求で分かったのは、震災から1年2ヵ月が過ぎた2012年5月18日だった。 このように、震災直後に市教委が混乱していた、という理由だけでは説明がつかない重要事項が、 疑問の残る形で公文書に残されてきたり、あるいは、ないとおかしいことが、なぜかなかったことにされてきたりした側面がある。
-ここまで-