▲大川小学校というのは、2年前の東日本大震災の際、多数の小学生、先生方が亡くなった学校だ。
この時、亡くなった小学生の父兄達が、なぜ自分の子供が亡くなったか—検証作業をしてくれ--と文部科学省へ願っているものだ。
筆者は、この件に関して、基本的に精緻というか詳細な検証作業をすることに反対する。
結局、それはa先生が、b先生が判断ミスをした—という個人を特定した「犯人探し」になってしまうからだ。
まぁ、普通の事件ならば、それでもいいのかもしれない。
しかし、東日本大震災という大変な巨大な災害が発生した時のことなのだ。
これほどの災害の発生時に、誰が正常な・的確な判断ができるものか。
あの大震災で生き延びた人は、それこそ本当に運のいい人だけなのだ。
我々の日常を考えてもみよ。
普通の際にでも、魔がさす—ということもあるし、ふとカンチガイをすることもある。
それが。
未曾有の大災害の際に、先生の誰しもが正常に判断できる訳ではない。
そのことを普通の人間の能力として許容してあげるべきではないのか。
どこそこの小学校は、皆助かった—とかいう比較論になるのかもしれない。
でも、場所、得られた情報などすべての条件が違うのだ。
大川小学校の先生方は、スーパーマンではない。
そこらを。
すべてひっくるめて「運が悪かった」と認めてあげるべきではないのか。
以下、新聞から抜粋。
東日本大震災の津波で宮城県石巻市立大川小の児童・教職員計84人が死亡、行方不明となった問題で、
遺族らが、文部科学省を訪れ、
第三者でつくる「大川小学校事故検証委員会」の検証手法や内容、委員構成に疑問があるなどとする意見書を提出した。
検証委は、7月に中間報告書を公表したが、震災前の防災対策などの検証にとどまった。
意見書で遺族は、検証委の審議や中間報告書について、「遺族らが最も知りたい当日の避難行動が議論されていない」と主張。
「震災直後の証言が検証に生かされず、児童の聞き取り記録を破棄したことの調査もしていない」と検証委への不信感を訴えている。
検証委は学者や弁護士ら6人で構成。
年内に最終報告をまとめる予定。
▲補足、感想など
もう一度、核心について書きたい。
この大川小学校の事件において、亡くなれたa先生が判断ミスをしたのだ—というような検証結果が表面にでることに反対する。
死者に鞭打つような報告書がでてくることに反対する。
大川小学校の件については、このブログで何度も触れた。
大川小学校の北側?だったかな。
小高い山となっている。あの山に逃げればいいことだ、助かった筈だ—というのが父兄の言い分であろう。
実際には先生方は、川を渡って川の向こうへ逃げるという判断をしている。
その川が想定外の氾濫をして、記事にあるような多数の死者となった。
なぜ、川を渡ろうとしたか—それが最大の疑問かもしれない。
しかし。
冒頭でふれた。
小学校の先生方は、山に逃げるより、川の向こうが安全だと判断したからであろう。
結果としては、間違っていたのかもしれない。
しかし、先生方は、その時点で得られる情報の中で、ベストを思える判断をされたのだ。
それを非難できるか。
なんどでもいいたい。大川小学校の先生方はスーパーマンではない。
普通の人間なのだ。
通常に判断したつもりでも、想定外の水量であれば、これほどの事故となってしまうのだ。
だから。
a先生が「判断ミス」をしたから—などという報告者が公表されることには反対する。
大川小学校の先生方が、通常の能力しかなかぅたことを含めて、「運が悪かった」と許容してあげるべきではないのか。