▲中国語って、なんて愛想のない言葉であろうか。
中国語で、唐詩選なんて読んでも、なにほどの感興も湧かないのだな。
中国人は、自分たちが今もっている「財産」がどれだけの価値があるのか分からないのだ。
可哀想な民族ではある。
まず、唐詩選から。
日本の高校の教科書にも載っている有名な漢詩「鸛鵲楼に登る」、20字の短い漢詩で中国人が丁寧に読んでも20秒もかからないが、日本人が読むと1分半もかかってしまうようだ
[訳者注]
唐代の詩人、王之渙の漢詩「登鸛鵲楼」(鸛鵲楼に登る)です。
白 日 依 山 尽 白日、山に依りて尽き
黄 河 入 海 流 黄河、海に入(い)って流る
欲 窮 千 里 目 千里の目を窮めんと欲して
更 上 一 層 楼 更に上る一層の楼
輝く太陽が、山に寄り添って沈んでいき
黄河は、海に向かって流れている
(この雄大な景色を)千里先まで見渡したいと思い
更に1つ上の階へと(楼閣を)登った
非常に整った美しい漢詩として中国でもよく知られています。
「流」と「楼」が押韻となっており、一句と二句、三句と四句がそれぞれ対句となっている「全対格」です。
-ここまで-
千里の目を窮めんと欲して
更に上る一層の楼
日本語読みにしてみると、実にいいなぁ。
だからこそ、詩吟という形態が日本で生まれたのだろう。
中国語で読むと、どうも、なにほどの感興が起こらないようなのだ。まさかを思うが、魯迅の話から。
-ここから-
>>439 科挙を受けるために勉強してた魯迅は、四書五経を意味もわからずラテン語のように丸暗記してた。 日本に留学して、日本語と漢文の読み下しをマスターしてやっと意味を理解した。 日本人は意味を理解してマスターしてたけど、シナは違うw
-ここまで-
これかなぁ。中国人は唐詩選に対して丸暗記じゃあるまいなぁ。
中国人からの書き込みを見てみよう。
-ここから-
■ 河南さん
蚊が飛んでるのかと思った [252 Good]
■ 福建さん
中国とは違いすぎてなんかすさまじい [130 Good]
■ 山東さん
日本文化は寂しさというか、もの悲しさというか、そんな感じ [89 Good]
■ 北京さん
賛成。この詩はもっとさっぱりした詩のはずだけど、日本ではこんな悲しそうになってしまうようだ [11 Good]
■ 河北さん
この詩は「景色がきれいだねぇ」というだけで特に何も考えていない詩だと思っていたが、日本ではこんなもの悲しそうな印象になってしまうのか。環境が変われば詩の受け取り方も変わる。これは興味深い [41 Good]<筆者注;このことは中国語というものが不完全言語であることを如実にしめしている。中国語では他者からの情報を「ボンヤリ」としか把握できないのだ。漢字オンリーということは、骸骨だけをみて美人だの不美人だのと語っているのと同じなのではあるまいか。日本語の読み下し文というものは、漢文という骸骨に血肉をつけて、やっと他者から美人・不美人が分かるとい過程なのではあるまいか>
■ 吉林さん
日本の教科書は古き良き中国文化を取り入れようとしてくれている。中国の教科書は古き良き中国文化を排除しようとしている [30 Good]
■ 福建さん
漢詩と漢字が使われてはいるが、これ完全に日本人による日本の文化 [10 Good]
■ 江蘇さん
漢字は日本語の骨で、ひらがなとカタカナは日本語の血と肉。漢字は日本語の魂で、ひらがなとカタカナは日本語の魂が流れる川の水 [11 Good]
■ 蘇州さん
古代中国でもこんな感じで漢詩を歌って読んでたのかな? [10 Good]
■ 湖北さん
私はすごくいいと思う [8 Good]
■ 四川さん
ごめん。私はとても聞いてられない [5 Good]
■ 上海さん
日本語だと「流」と「楼」が押韻ではなくなるから美しさ半減。ちなみにこの二文字は閩南語と広東語では両方とも「lau」と読んで、読み方が完全に一致する [5 Good]
■ 山東さん
五言絶句の文字数の美しさも日本語では表現できない
■ 福州さん
古代中国の伝統を正しく受け継いでいるのは中国ではなく日本 [7 Good]
■ イギリス在住さん
日本人はこれを自国の文化として申請したりしなよな?
■ アメリカ在住さん
日本は恥の文化。そんな恥知らずなことは絶対にしない
■ 河南さん
なんで日本人は漢詩を勉強しているの?
■ 上海さん
それが文化輸出
■ 同じ河南さん
日本人は漢詩が輸出された文化だと認識しているんだね。文化を盗もうとしているのではないと聞いて安心した
■ 海南さん
漢詩を歌うのは子供だけだと思ってた
(訳者注:中国では漢詩を歌にした子供向けコンテンツが多数作成され、教材として使用されています)
■ 遼寧さん
漢詩は完全に日本になじんでいるようだ。これからも優しく扱ってあげてください
-ここまで-
漢字は骨、かなは血肉か。
中国人は、「骨」だけを見ている感じなのか。
それでは、この漢詩の「本当の良さ」のようなものを理解していないというか見過ごしているのだな。中国の唐詩選って、日本でいえば百人一首のようなものだろう。日本人は、百人一首を大事に大事にしている。中国人の唐詩選に対する扱いは粗雑すぎる。
上の中国人の書き込みもみて、日本人からの感想をみてみよう。
-ここから-
1これ詩吟じゃん。そりゃ歌なんだから時間かかるわ。一方本場の漢詩は、読み聞かせor朗読的な感じだな。
2もったいないな…今からでも継承して広めればいいのに…
4広東語の方が昔の漢詩の読み方に近いhttps://www.youtube.com/watch?v=WcqXEvVhDK8このような韻の踏み方は北京語には不可能
5確かに韻を踏めないと詩の良さが減るってのは同意する日本の俳句や短歌も韻の美しさあるからね
5.いわゆるHAIKUに感じるもやっと感みたいなのがあると思うとこれは無理って中国人がいても仕方ない感じするなw
5.外国のものは翻訳されてしまうとどうしてもそこら辺がね。でも名作というものはそれらを抜いてもなお魅力があるから凄い。
5.欧米の詩でも同じ。上田敏の海潮音も名訳だが、音韻に関してはどう足掻いても不可能。故に翻訳詩はビーフシチューを再現しようとして、肉ジャガが出来たようなもの。それでも美味しいから、あれはあれ、これはこれとして愉しむのが通人の嗜みなのでは。
5.逆に俳句を中国語にした場合もやっぱり同じように感じるだろうしねでも物悲しく聞こえるとか言語が変わると雰囲気が変わるようなことを感じてるのは面白いな
7古文漢文に苦しむ同級生は多かったが、自分は読むだけで頭に入ってしかも何かしっくり来た。先生曰く、そう感じる物は前世でやった事なんだとさ。そうだったらちょっと面白いなって程度に受け止めてるけど、古文漢文を使いこなした前世ってつまり何だろう?
9”うみにいって”じゃなくて”うみにいりて”じゃないかな
10韻は仕方ない字義がそのまま理解できるだけでも良しとしようじゃないか
11漢詩を自国の文化だと主張する発想は無かった漢字の起源も中国だってフツーに受け入れてるし起源を主張する国はどうしてそんなにもやっきなんだろうか
11.そりゃ自国に誇るべき歴史や文化がないから他所のモンパクってきてルーツ捏造したりするんだろうさ
12古文は文法ばっかりで嫌いだったけど漢文の授業は好きだったな
20お前も間違っている、敦盛なら、「じんかん」だ人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなりじんかんごじゅうねん げてんのうちをくらぶれば ゆめまぼろしのごとくなり
20.にんげん(呉音)、じんかん(漢音)、どっちの説もあるさもこちらの読み方が正しいとのサイトの解説や質問への回答を見かけるが、はっきり言って答えはない
21漢文は中学・高校で学んだ。杜甫や李白の漢詩を詠むと、時空を越えて、詩の世界に没入できた。自然、人の情、すべてが伝わって来た。
22.少し違う。漢字は日本語の血肉、仮名は皮膚。骨は大和心。も少し科学的に言えば、日本語の骨は日本語の文法構造だ。
白 日 依 山 尽 白日 山
黄 河 入 海 流 黄河 海 流
欲 窮 千 里 目 千里
更 上 一 層 楼 一層 楼
句中の対比構造が分かりやすく、日本人にも馴染みやすい詩だ。
24中国語での朗読と比較するならNHKの漢詩紀行版だろ>日本語による漢詩吉右衛門の朗読は中国語版とはまた別個の文化になっていると思う
26と中国語による朗読も何も、漢詩ができた頃の発音なんか全くわかりませんがな。w漢字は表意文字なんだから昔の発音なんか残ってるわけがない。
28動画のは詩吟だよw蚊が飛んでるのかと思ったってコメントで吹いたわw中国人の感性面白すぎるww
32俳句のリズムって原音の漢詩のと楽しみ方が同じだったことに今さらきづいた
33.もののあはれとか世の無常を感じて出家したりして、元からの日本気質もありそうだけど。
33.心象風景を読み込むのが日本の文化だからな。和歌なんか心象しかいわないし、俳句も写生をつかった心象風景の表現だからな。
35古代の漢字の発音がわかるからこそ万葉仮名の発音が分かり古代日本語の研究もできるんだよ
37詩がどうのってのも良いけど漢文を日本語で読める工夫に注目して欲しいね。結構スゴい事だと私は思うのですよ
40本場の漢詩はたぶん本当の共感は得られないせいか、どこかミステリアスなんだよな日本人が作った漢詩はどうにも「日本臭さ」が出てコレジャナイ感じになるっぱ日本人は和歌よ
44江守徹の漢詩朗読は好きだなあ
45この漢詩はとっても好き端正で簡潔で壮大
46隋・唐は鮮卑人の王朝なので、当時の詩にも異民族が漢詩を消化し、頑張って詠んだという様な、味わいがあるらしい
47>■ 河北さんこの詩は「景色がきれいだねぇ」というだけで特に何も考えていない詩だと思っていたが、日本ではこんなもの悲しそうな印象になってしまうのか。環境が変われば詩の受け取り方も変わる。これは興味深い [41 Good]日本語で詩を読むと、何事にももののあはれとか無常観が宿ってしまうから。
48高校の授業の時は、面白みを感じなかったが、年と取って段々と良さが解る様になった。
49韻を踏んでいることが分からない人のために解説しておくと。漢和辞典を引いてみれば分かるけど、流も楼もどちらも平音「尤」なのよ。漢字の音には大きく分けて平音と仄音があり、どちらかの音の漢字を特定個所に当てはめて作る。たとえば、今回挙げられた詩は五言絶句で仄音で始まる仄起式だが◎●◎〇● ◎〇◎●〇 ◎〇〇●● ◎●●〇〇◎はどちらの音でもよいが、●は仄音の漢字、〇は平音の漢字のみで作らないといけない。そして、二行目と四行目の最期の字(今回の例では流と楼)は平音で同じ発音の字でないといけない。尤という音の平音は、他に郵、優、憂、油、遊、浮、鳩、秋などがある。覚えて作ってみると、なかなか楽しいよ。
※40それは自分が無知だと言っているだけ。禅僧や漢学者の「和臭」のない漢詩はあるし、日本人以外が和歌を作って上手く行かないとも思わない。和歌の手本とされた「難波津」の作者は渡来人の王仁だし。
-ここまで-
★追記
詩吟との絡みで有名な王維の「元二を送る」をみよう。
元二を送る<王維>
渭城の朝雨 軽塵を浥す
客舎青青 柳色新たなり
君に勧む更に尽くせ 一杯の酒
西のかた陽関を出ずれば 故人無からん
日本語読みをしめす。
げんにをおくる<おうい>
いじょうのちょうう けいじんをうるおす
かくしゃせいせい りゅうしょくあらたなり
きみにすすむさらにつくせ いっぱいのさけ
にしのかた ようかんをいずれば こじんなからん
→日本の詩吟では最後の行を以下のように重ねる。
無からん 無からん 故人無からん
西の方 陽関を出ずれば 故人無からん
なんというか、別離の寂寥感のようなものが日本人の胸をうったのだろう。だから。重ねる。