2021年4月1日木曜日

よくまぁ生き残ったなぁ。古森富士フイルム会長退任の記事をみて

 

銀塩フイルムメーカーは世界に4社の大手があった。

 2000年頃、デジカメが普及しはじめると、まずドイツのアグファがたちまち倒産し、次に米国のコダックがモタモタしつつ倒産した。

 日本には、富士フイルムと小西六があったが、小西六はコニカミノルタとなった。

 最後の富士フィルムは、デジカメの普及し始めると、様々に業務を拡大して生き残った。

 生き残った原動力となったのが、古森会長だ。

 古森会長の退任が記事をなっていた。それをみよう。

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医療で「第二の創業」にめど  ロマン・冒険心継承できるか

 富士フイルムホールディングスは31日、古森重隆会長兼最高経営責任者(CEO、81)が6月に退任すると発表した。

 デジタルカメラの普及で写真フィルム市場がほぼ消滅するなか、医療関連や事務機器を伸ばし会社を再生させた。

 パナソニックなど市場の変化への対応が遅れる電機・精密企業が多いなか、いち早い構造転換を主導した。

 後藤禎一取締役(62)が社長兼CEOに就き、助野健児社長兼最高執行責任者(COO、66)は代表権のある会長兼取締役会議長に就任。古森氏は取締役からも退き、最高顧問に就く。

  「会社がかなり強くなり、私がやるべきことが終わった」。

 その古森氏は31日の記者会見で構造改革の成果を強調した。

 21年3月期の連結純利益 米国会計基準)は1600億円と新型コロナウイルス下でも過去最高を見込む。

 社長に就任した00年からしばらくは違った。

 「風呂の栓が抜けたように、みるみる写真フィルムの需要が減っていった」。

 当時、フィルムなどの写真事業は売上高の約6割、利益の3分の2を稼ぐ屋台骨。そこからの変化を古森氏はこう振り返る。

 写真フィルムの需要は年2~3割のペースで減少。

 祖業で主力事業の急失速により、会社存亡の危機に直面した。

 そこで古森氏が掲げたのが「第二の創業」だった。

 自社の技術で何ができるかを整理し、市場拡大が見込める分野に応用する方針を決定。

 医薬品や化粧品などを新規事業として育てた。08年に富山化学工業(現富士フイルム富山化学)を約1370億円で買収し、医薬品事業に本格参入した。

 ライバルだった米イーストマン・コダックはフィルムにこだわり破綻した。

 その明暗を分けた判断は「イノベーションのジレンマ」を乗り越えた事例として経営学修士号 (MBA)の教科書にも取り上げられた。

 業績が安定し始めた10年代に入ると、医療関連への投資を加速させる。

 11年に米メルクの事業を約400億円で買収し、バイオ医薬品の開発製造受託(CDMO)に参入。

 17年には試薬を手掛ける和光純薬工業(現富士フイルム和光純薬)を約1550億円で買収した。

 こうした事業転換は、新型コロナウイルス下で需要が低迷し、業績が落ち込む製造業が多いなか、富士フイルムを支えた。

 目立つのが、医療関連事業。

 21年3月期の売上高は前の期比9%増の5500億円、営業利益は69%増の560億円を見込む。

特にCDMOが伸びている。

 現実を直視するリアリストの側面もある。

 16年に東芝メディカルシステムズの買収でキヤノンと競ったときのこと。

 当初4000億~5000億円とされた買収価格が6000億円台につり上がった。医療拡大にむけ買収に前向きだったが「高すぎる」との幹部の助言を受け入れた。

 古森氏が経営トップを務めた21年間は世界中で企業の勢力図が大きく変わった変革期でもあった。

 海外ではGAFAなどIT(情報技術)企業が躍進した一方、日本の電機、精密企業は伸び悩んだ。二コンなどはフィルムカメラからデジカメへと事業を転換した。

 ただスマホの普及でデジカメ需要が低迷するなか、次の成長の柱を育てきれずに工場再編などの構造改革のまっただ中だ。

 パナソニックも重点分野と位置づけた車載関連と住宅設備を伸ばせないまま。電気自動車(EV)大手の米テスラヘの電池供給を伸ばす方針だったが、同社の量産化が遅れ計画が狂った。

 一方、欧州では家電メーカーだったフィリップスは半導体や携帯電話などから撤退し、ヘルスケアに集中している。

 「経営者にはロマンと若干の冒険心が必要」。古森氏はこう強調する。

 リストラなどで会社が動揺してもロマンある夢を語り、社員を鼓舞。冒険心で大型買収により医療事業を育てた。

 医療関連などが大きく伸びた一方、売上他」咼の約半分を占める事務機器やカメラ関連の事業では、多くの製品で市場が成熟している。社長兼CEOに就く後藤氏はこうした事業でロマンと冒険心を発揮し、成長モデルを描き直すことも求められる。 

 富士フイルムホールディングス31日、都内で開いた記者会見には古森重隆会長と助野健児社長、後藤禎一次期社長が出席した。

 おもなやりとりは次の通り。

 --なぜこの時期に退任を決めたのですか。

 古森氏「新型コロナウイルスの感染が拡大するなかで感じたのは、会社の耐久力がついたということ。あれこれ言わなくても経営陣、役員、事業所とそれぞれが自分で考え動き出した。会社がかなり強くなったと感じた。経営にに人材も育ち、私かやるべきことは終わったと考えた」

  「社長就任当時から、デジタル化が急速に進むなかで富士フイルムという会社を存続させるのが私の命題だった。リストラに取り組んだ時期もあり、苦しい状況をくぐりぬけてきた。それでも会社が生き生きしていると実感できた。21年間経営に取り組み、これが非常にうれしかった」

 --在任期間が長すぎるとの声もあります。

 古森氏「結果としての任期は長くなった。(多角化などの事業改革は)やってもやっても物足りなかった。誰がトップをやるのがいいかを考え、自分が続けただけ。会社の成長の阻害要因になっていたなら別だが、そうではない。気力、知力ともまだまだ衰えたとは思わない」

 --後藤氏を新社長に選んだ理由は。

 古森氏「海外経験が長く、国際感覚に富んでいる。現代の経営者の条件だ。非常に粘り強く、事業を仕上げる遂行力もある。世界でもまれ、事業運営の経験のある彼に任せようとなった」

 --富士フイルムHDの今後の目標は何でしょつか。

 後藤氏「大きく3つある。ヘルスケア事業の成長、デジタルトランスフォーメーション(DX)、世界で活躍できる人材の強化だ。ヘルスケア分野では20年代半ばに売上高を1兆円に拡大する。M&A(合併・買収)もやりたい。私の使命は富士フイルムの未来をつくること。高速通信規格の5Gや脱炭素、自動運転など技術を生かせる領域はまだまだある」

 --助野氏が会長兼取締役会議長に就きます。今後の役割分担は。

 助野氏「ガバナンス面を中心に新社長をバックアップする。取締役会の果たす役割が大切になっており、執行から若干距離を置き、執行の目指す方向が世の中の価値と合っているか管理・監督していく」

 -ここまで-

補足、感想など

 筆者は、銀塩フイルムメーカーが目の前で次々につぶれて行く様を見た世代だ。記事にもあるように年に2~3割落ちていくのだ。その恐怖とか堪らなかったろう。

 冒頭で書いた。「よくも生きのこったものだなぁ」が率直な感想。