▲なにか、中国人がピントの外れたことを言っている。(下の記事)
まぁ、今日の日経新聞でも中国人エコノミストの尊大な鼻持ちならない中国経済についての記事が載っていたが、そんなことが言えるのは今のウチだろう。
なにか、このエコノミスト、若い頃、文化大革命にぶつかり16歳から下放されて9年間、農村暮らしをしたようだが、その苦労しただけ、今はふんぞりかえらないと気が済まないようだ。
中国人って、苦労がちっとも苦労にならないのだなぁ、(どうしても--稔るほど頭<こうべ>を垂れる稲穂かな…ということにはならない。苦労した分、尊大になりそっくりかえる)と笑ってしまった。
いや、ちょっと思い出した。
1960年代--70年代半ばまでの文化大革命で、4000万人を超す知識人が殺害され、一部が人肉食として食べられてしまった。--現在、日本に在住している60代位の中国人で、人肉を食べた側に回った人もいるようだが…--
ここで一旦、中国では殆どの知識人がいなくなったということだ。
そして、1970年代半ば、文化大革命が四人組の逮捕で終結した後、上記のエコノミストは、改めて生み出されようとしている中国の知識人のハシリなのであろう。
このエコノミストの中国経済に関する発言は、日本のバブル華やかなりし頃の「アメリカ人に教わることなどない」と広言していた日本人に重なるものがある。
そのあたり、この中国人エコノミストは、文化大革命の結果として良き先達--せんだち--というものが中国国内に存在していないのだろう。それゆえ、学問への、教養への畏敬というものが分からない。
この毛沢東が指導した「文化大革命」の影響の大きさをみよ。
つまり、毛沢東は、一旦、1970年代に中国人の知識レベルを全国的に中学生レベルまで押し下げたということなのだ。
1980年代からのトウ小平による改革開放政策というのは、一旦、中学生レベルに落ち込んだものを、再度、大学院レベルまで押し上げようという運動なのか。
なるほど、改めて振り返ってみると、意味がよく理解できる。
すると、中国の現状は、大学院レベルまで押し上げようと試みて、やっと30年を経過したところなのか。
それじゃ、確かにノーベル賞がどうとか、関係はないだろうなぁ。
いや、話がそれた。
日本の美少女の話だった。
どこに核心があるのかなぁ。
文字では美少女と書いたが、必ずしも目鼻立ちがどうとか…ということではないということなのだ。
そこらが、中国人にはどうしても分からない。
まぁ、成り上がり者というか、やっとどうやら文明人らしくなったということなのだろうなぁ。
以下、新聞から抜粋。
2011年9月1日、日本新華僑報は、日本の芸能界には低年齢化とユニット方式の2つの大きな特徴があると報じた。
日本では、娯楽産業が発達している。
ジャニーズなど、若者なら誰でも知っている芸能事務所やレコード会社がスターを次々と世に送り出している。
日本のスター製造方法には特徴が2つある。一つ目は低年齢化だ。
業界側から見ると、年齢が低ければ低いほど売り出しにかかる費用が低く押さえられるという大きなメリットがある。
もう1つの特徴はユニット方式。モーニング娘。やAKB48など、日本では少女ユニットが人気となっている。
少女ユニットの大きな特色は、メンバーの中に一人は好みのタイプがいるというファンのニーズと、メンバーがお互いの欠点を補い合える点にある。
一方、日本国内での競争が激化するにつれ、アイドルが中国市場への進出を目指している。プロデューサーは中国進出を目指すタレントに中国語の勉強をさせたり、中国への移住さえも検討している。
▲補足、感想など
--中国への移住さえも検討—か。
まぁ、これは中国人が勝手に書きいれたヤラセの文章だろうなぁ。
う—ん、低年齢化、ユニット化…か。
まぁ、当たっているような、いないような記事だと思える。
どこらに核心があるのかなぁ。
日本には歌のうまい歌手なんて、山ほどいる。ピアノだってそうだ。戦後すぐから、音楽教育は盛んだった。その60年以上の効果は日本中で充分に発輝されている。
だから…というものオカシイが、日本人はユニット化されたアイドルに歌の巧さを求めているのではない。
日本の「美少女」達のアピールしている部分は、彼女達の「多幸感」(幸せだなぁ、という感覚か)というものだ。
彼女達は、言わば、日本が戦後、安定した繁栄した平和な社会というものを長期間、維持し続けることによって、始めて生み出された「幸福感一杯の少女達」なのだ。
そこに価値があるのだ。それ故に「カワイイ」し「魅力的」のだ。
日本という国でしかあれだけの人数の「幸福感一杯の少女達」をマスとして生み出せない。
世界をみてみよ。
戦後、日本ほど平和で争いのない繁栄を維持しつづけた国家がどこにある。
その事実が、ヨーロッパ諸国からみて、アメリカの国民からみて、「カワイイ」という表現をつかうかどうかは分からないが、「多幸感」を身体一杯にした少女が「美少女」と見えるのだ。
中国人には、そのことが分かるまい。
中国がこういう美少女達を産み出すためには、繁栄し安定した社会がもう数十年続く必要があるだろう。