▲立川談志という人は、若い頃、天狗と言われた。
天狗と言われた—というより、「天狗となりやがって」--と悪しざまに言われたということだろう。
まぁ、そんなことを言われても、気にもするような人ではなかった。
己のもつ「才覚」にトコトン恃(たの)んで、古典落語になんとか新風を吹き込もうと努力した人だった。
当時の落語協会の会長だった、こさん師匠の「アイツは、もう二つ目を☓☓年やっているから、真打ちに」という言葉に激怒して、立川流という「一派」を立てた人だった。
もしも、談志という落語家の「狂気」を引き継ぐと自負するなら、「己の才能・才覚」にすべてをかけて行動にでるべきだ。
ごちゃごちゃ言い訳をする必要などありゃしない。
「オレの落語を聞け」といえば、それですべてことは足りる。
いや、なにかというと、立川志らく—という談志の弟子の言葉を聞いて感じたことだ。
まず、立川志らく—という人の記事を抜粋してみよう。
2018/12/26(水)
落語家の立川志らく(55)が、自身に対し「偉そう」と批判するネットの声に「って言う人がすでに偉そう」と反論した。
志らくは25日、ツイッターで「よくなんで志らくのやつは偉そうなんだと言われるが」と切り出し、「この世界に34年いて年齢も55歳、弟子は東京の落語界で最多の18人で、映画監督協会に所属し、演劇20本作った演出家でキネマ旬報の賞を4回受賞した評論家だから実際に偉いのです でもテレビのバラエティーではりゅうちぇるが同期」と冗談めかした。
志らく一流のジョークだが、自らを「偉い」とした発言に対してさらなる批判が寄せられ、「自分で偉いとかうまいとか天才だとかは日本教に反している最も恥ずべき発言なのです。
そう言わない、謙虚な人が評価されるのです。でも落語家とは人生の1番恥ずかしい部分を見せる芸能。自分で偉いと言っている、こんなばかなやつがいるぞ、と世間に晒すのが落語家。まあこんな事を言ってもわからないね」と説明した。
続けて「だいたいね、こいつ偉そうだね、って言う人がすでに偉そうですよね」とチクリ。
「私より人生経験を積んだ先輩が志らく、偉そうだな、ならわかる。なんだかわからない人が偉そう!ってなんだかわからない」とつづった。
▲補足、感想など
う~ん。
「落語家とは人生の1番恥ずかしい部分を見せる芸能。自分で偉いと言っている、こんなばかなやつがいるぞ、と世間に晒すのが落語家。まあこんな事を言ってもわからないね」
なにか、言葉が多いなぁ。
冒頭でふれた。
立川談志という人が、「天狗になりやがって」といわれて、なにか、それについて、アレコレ言ったという話を聞いたことがない。筆者にも記憶がない。
大事なことを繰り返したい。
「己のもつ才覚にトコトン恃(たの)め」
「文句があるなら、オレの落語を聞け」といえば、それで「全て」。
それが、立川談志の「狂気」を引き継ぐと自負する者の言動だろうな。