▲なにか、エラク深いところまで理解した中国人が出てきたものだ。それに絡んで、中国人の明治維新についての見方が、ちょいと日本人からの見方と違いがあるようだ。そのあたり、関連文章と日本人からの反応などをみてみよう。
-ここから-
2022/09/09 オタクin中国アニメ 中国オタク「日本の作品は明治維新が舞台に関わると血統重視の強キャラが出て来なくなる気がする」「大正時代は逆に増える」 今回はそれについてを。中国オタク界隈ではややネガティブな意味で使われることも多い「日本の作品ではキャラの強さが血統で決まる」というネタがあるそうです。またそんな日本の作品の血統の扱いに関してネタ扱いや考察で盛り上がったりすることもあるのだとか。中国のソッチ系のサイトではそんな話題の一つとして「明治維新が舞台に関わると血統重視の強キャラが出てこなくなるのでは」といったことなどに関するやり取りが行われていましたので、以下に紹介させていただきます。
*日本の作品は血統重視だとよく言われるが明治維新が舞台に関わると血統重視の強キャラが出て来なくなる気がするんだけど、どうだろう?自分の見た狭い範囲での話だし穴だらけだとは思うが、皆の意見を聞きたい。
・そう言えば史実の明治ではないが「銀魂」の銀さんとか過去はあっても血統は不明だよね。明治時代ベースの「銀魂」は夜兎が血統系強キャラみたいな所があると言えなくもないが、主人公周りが血統関係無いからね。 ・幕末~明治の作品の主役は当時革新的だった側だし血統に関してアピールする背景も機会も無かったんじゃないかと、モデルにされることの多い史実の幕末~明治時代の有名人は血統のある人間がごく僅かだからな。史実で活躍して新政権の中枢に入ったのもほとんどが若い中下級武士だった。例えば新選組関係が出てくる時点で血統を持ち上げるのは合わなくなる。あの集団は元々江戸の田舎者で武士の身分すら怪しかった。・言いたいことは理解できる。そして大正時代になると逆に増える。最近の作品だと「鬼滅の刃」も明らかに血統パワーが強い作品だったよね。日本の大正時代は華族の地位や文化が安定したというのも影響しているんじゃないか?小説でも大正時代だと名家や華族がみたいな登場人物がよく出てきたように思うし。・近代日本の名家、貴族的な背景や文化、価値観のベースが大正時代だから大正時代が舞台だと血統ネタも当然多くなる。それに対して幕末から明治にかけてはまだそういうのが成立していない、動乱の過渡期だから血統が重視されず血統を背景に活躍した人物もいなかった。・乱世、下剋上の時代は血統が重視されなくなるのも当然だよ。統治が安定した時代になると血統が重視されるようになるし、その時代を舞台にした作品でも血統を重視したキャラが生まれてくるわけだな。でも日本は天皇がずっと続いているのもあってか乱世でも正統性という意味ではずっと血統が意味を持っていたから、乱世と言ってもウチの国とはちょっと違うような……。・日本の支配者はだいたい源氏か平氏の血統を捏造するからな。日本の乱世の勝者は皇帝になって王朝を開くわけではない、将軍になって幕府を開くけどその際に源氏の血統だとアピールするから血統重視的なネタにつながりそうなのは分かる。しかし明治維新では過去の血統をアピールできる状況ではなく、むしろ否定されるものだったから血統系強キャラはなかなか出てこないんだろう。「るろうに剣心」も剣心の血統的背景ないからね。背景に関してあえて言うなら師匠の比古清十郎と飛天御剣流くらい?「るろうに剣心」は続編でも血統重視の強キャラで重要なのは出てないはず。・私も新選組関係の作品など改めて考えて見たが、幕末の京都が舞台になると血統重視の強キャラは確かに思いつかない。なんとなく天皇や公家関連でありそうな気もしていたのだが。・天皇や公家関係は幕末に尊王攘夷思想で急激に存在感を増したけど江戸時代はずっと存在感が無かったから……。幕末と明治ではそれまでの血統の権威だった大名や上級武士が没落、淘汰される側になったので武士階級の血統の価値が崩壊した。幕末~明治で一気に盛り返したけど江戸時代を通じて京都の血統がある人達はほぼ存在感無かったし、何かを動かすような権利や権力があったわけではないからな。・日本の幕末は尊王攘夷のもとに封建体制が崩壊したわけだから血統ネタの基礎になる幻想が消え去ってしまったとも言える。ただ武士階級は没落したがウチの国と違って封建貴族の大名自体は普通に残った、むしろ負担が減って権威的にも強化されたので大正時代の作品を見れば分かるように血統ネタもしばらくしたらあっさり復活した。・歴史ネタの作品は歴史的背景の影響を受けるし幕末~明治初期に活躍した史実ベースの有能キャラを出すと血統関係無いのばかりになるんだよ!・血統ネタに関しては文化的な差異を感じるな。ウチの国の作品では昔から血統重視の作品なんか無かったのに、日本の作品は明治時代の血統重視の無さが逆に珍しくなるとは。・いや待て、三国演義の劉備とか明らかに血統重視キャラだろ。・ウチの国は血統とは違うかもれないが神仙系の背景は大好きだからあまり日本の血統重視を笑えない。・西遊記とかも主要キャラの背景としての転生はあるからな。・中国の作品に関しては血統以上に天命を重視していると思っている。・中国では科挙以降は血統ではなく知識人の方に重点が移っていった。それに中国の時代の変化は貴族ではなく農民の武装蜂起から始まることが多いので歴史的に血統に対する思い入れが無いのかもね。・中国の作品については三国志とかを見ると名家に関する認識はあるけど、作品としては科挙が入って以降は血統重視が薄れていると思う。しかし科挙の影響で人間というか凡人とその上位存在という絶対的な分け方は明確になってきているから、ある意味では「特別」に関しては日本の作品以上とも言えそうだ。・日本の作品は血統があってもなんだかんだで人間の成長の先にあるけど、軽功とか使えない人間は基本的にどこまで行っても武侠に対抗できない扱いだからねえ。あとウチの国では血統は重視されないが血縁関係、宗族は非常に重視されているのがちょっとヤヤコシイかもしれない。・日本の明治維新では血統が役に立たなかったが、それは天皇がずっと統治者の合法性を保証していた日本では珍しい状況だったとも言える。文化が違う欧米の外圧に対して血統持ち出しても通じるわけが無いし、結果的に勝利して新体制を作ったのは中下級武士が中心だから幕末から明治を舞台にするような作品では血統重視キャラをねじ込むのは難しくなるのだろう。・日本の戦国時代も天皇の権威や室町幕府関係者、守護大名の血統は有効だったからね。明治維新の際にはそういうのが本当に消えて再構成が入った。そして大正時代の作品になると血統重視キャラが目に付くようになるのは、その時代になると明治維新の成功者や財閥が階級と地位を固めて何かと影響力を持つようになっていたからというのもあるかと。---とまぁ、こんな感じで。歴史的な背景の考察も含めてイロイロな話が出ていました。ちなみにこのネタを教えてくれた方からは「中国では特殊な訓練法、攻略法によるチートの方が納得できる人が多いです。血統を強さの根拠にしても見せ方が良ければ納得しますが、後から血統の良さを出すような展開だとガッカリする人も多くなります」などといった話がありました。中国では過去に人気になった作品の影響で新選組の人気が高いですし、その背景となっている幕末から明治時代にかけて詳しい人も少なくないそうです。またそれが別の話題と組み合わさって意外な所で盛り上がることもあるようです。
中国オタク「日本の作品は血筋で強さが決まると叩かれがちだが、アレはアレで悪くない設定なのでは?」
<以下、日本人からの反応>
1. >日本の支配者はだいたい源氏か平氏の血統を捏造するからな よくご存知でねぇ、ノッブさん聞こえてらっしゃいます?!
2. 明治維新は、政府側も討幕側も下級武士メインだったからな。フランス革命なんかのヨーロッパの市民革命と大きく違うのは、主役が庶民ではなく武士階級だったということと倒される側(徳川)も同じ武士階級ということで助命され、さらに明治の世の中でも活躍する舞台をあたえられたこと。
3. 時代が変わるときには、若者、他所者、馬鹿者の、三つの者が必要って言われたりするしな
4. 血統だと説明が少なくて済むしそこから過去とか先祖とかに物語を広げられるからね。特殊の訓練や攻略法だと何故そいつしか思いつかないんだっていう説明が難しい。それをなあなあで済ませると安易なテンプレチートものになっちゃう。
5. 幕末の血統強者というと陸奥出海が思い浮かんだけど…あいつは陸奥の中では最弱とまではいかないがかなり弱そうだしなぁ
6. 中国って血縁とか血統を重視するイメージあったけど違うの?
7. 幕末明治維新は血統より家柄&出身地よな。倒幕で名を馳せた薩長土肥出身者が新政府の重役を占め、佐幕派の旧幕臣は粛清や改易で辛酸を舐めさせられ、現在にも禍根を残す結果にでも、中国みたいに親族家臣諸共根絶やしじゃない分まだ慈悲はあったのかな?
8. 中国だって血統重視する小説あるだろ、水滸伝なんか周王朝の末裔が塞にいるんだから。
9. 日本の武士が源氏か平氏を騙るのは、元が皇室に繋がるからなんだけどな。皇室から降下して家臣になった場合に名乗るのが源か平だったからで、実際には怪しかろうとそういう名家の子孫で無ければ高い官位・役職を貰う余地が無かった。秀吉が藤原の猶子になったのだって、摂政になれるのが藤原摂関家だけという不文律があったからなのだし。
10. 生まれた身分以上のものを望むキャラは断罪されたりするの、中国ドラマとかでもあった気がするんだけどな。ああいうのは血統に含まれないのか。
11. 中国には規範となる上流階級が無く成金しか居ないので育ちの良さ血統の良さから来る信用(家名を汚すマネを嫌う)というのが理解できないんだろうね。
12. 中国とは違い日本は同じ王朝が続いてるのが血統主義に大きく影響してるんじゃないかな。先祖から続く因縁とか血統ってなんかカッコいいし、武士の子孫とか憧れるわ、確か日本人の10人に一人が武士の子孫だっけ?俺もそうだが日本人って昔から続いてるの好きだよね。老舗とか長く続いてる=信用できるみたいな謎の価値観があるし、まあ老舗は娘婿や養子の場合もあるけど。
14.>>1家康『最初は藤原名乗ってました』秀吉『平でした』信長『……(実は忌部とか今さら言えない)』
16. ※6俺もそういうイメージあるけど中国人がどこまで自国の歴史を共産党の下で学んでいるか分からんからなぁ
17. >>6ここ読む限りでは違うんじゃない?まあ共産党政権幹部みたいな存在を創作に引っ張り出せるほどの自由も無いだろうが。
18. 価値が無いわけではないけど日本ほど劇中で説得力を生み出せる設定では無いんだろ。水滸伝だって百八星が最大のバックボーンだし、史実でも上で言われている科挙制度に加えて漢族王朝あっさり途絶えて色んなのが混ざって続いていたわけだから。
19.出身地や血縁による互助関係は今でも強いけど、血統のどこそこの血を引くお方アルヨというのでありがたがるのは消えてるらしい。孔子のようにブランド価値があるのは使い倒しているようだが。
20. 血統を重視するのなんて、どこの国でも存在する。だからこそ、家名が重要になり、家同士の繋がりが重要になり、王族や貴族(あるいはそれに似た存在)が出てくるわけで。物語においては、1つの説得力の記号。
21. るろ剣とかは幕末志士=サイヤ人の血統みたいなもんだろ
22. ここでいう血統は、親から子、祖父から孫、みたいな言葉にするなら直系のことだろう。イメージ的には縦のつながり。中国は地縁や血縁が強い。日本で言うなら村とか地方の出身が同じ者が集まるイメージかな。昔は日本にも県人会というがあってな……。その中で親戚だったりするとより結びつきが強くなる。横につながるイメージかな。中国は安定期も長いが、戦国時代的な時期も多くて長い上に全然文化の違う外国からの侵入も多いから、王家や名家や旧家でも容赦なく断絶するのも関係あるのかな。
23. 平氏と源氏の血統ネタよく知っているな。血統ネタは大体合っているけど、鬼滅の刃は血統より継承のイメージが強い。
24. 幕末は血統がウリの幕府上層部が醜態を晒しまくってるからな。幕府で活躍するのも勝海舟みたいに血統イマイチながら引き上げられた連中ばっかだし。
25. >>6血縁は重視されるが「高貴な血統」となると話が違う。中国は歴史上王朝交代が何回もあったから、その度に前の王朝の「高貴な血統」は粛清の対象となる。だからそういう血統は重視されるどころか、むしろ忌み嫌われる傾向がある。進撃の巨人のエルディア人の立ち位置に近い。
26. 夢女子の戦国上杉派が幕末の話振られると物凄くヤな顔になると聞くが、所を問わない門閥のダメさ加減で全日本国が存亡の危機になったのが維新の大前提だからな。血統重視と根本から反りが合わんだろそりゃ。(門閥出身たる在りかたを自覚した個人として優秀な人は勿論いるが。庄内の酒井玄蕃とか桑名の服部半蔵とか…)
28. 明治辺りが舞台なら先祖伝来の~とか親が実は~って展開よりも雑に新選組や攘夷志士をヒャッハーさせる方が面白くなるってだけ新キャラもバンバン出せる反面それが半ば義務と化すので血統の掘り下げとかやってる暇なくなるけどな。
29. 時代の改編期、とにかく前体制をぶち壊せという段階では、それまでの社会階層で低い位置にいたり無学だったりする人間が重宝される。なまじ教養があって、それまでの社会秩序に理解があると、手心を加えてしまうから。だが、再び新秩序を構築するという段階に移れば、知識も教養も必要。明治政府が人材を求めて旧幕臣を取り立てようとした例からも明らか。幕末から西南戦争くらいまでは前者で、それ以降が後者。明治、大正と一括りにはできない話。「無名の風雲児」が跋扈する時期と、前時代の社会体制での経験を含めた知識教養の蓄積が重宝される時期は明確に線引きされる。フランス革命だって似たような経過を辿っていなかったか?どのみち、時代に適応でき、なんなら時代を先取りできる有能な人物はいつでも重宝され、それ以外は振り落とされるなんてのは動乱期だろうが安定期だろうが変わらない。没落したり切り捨てられるのはそういった人たち。
※海外「日本は本当に稀有な国だ」 なぜ非白人国家で日本だけが近代化に成功出来たのか?
明治維新以降、急速な近代化を推し進めた日本。短期間のうちに新たな制度やインフラを整え、ついには五大国の1つにまでなるわけですが、当時は「洋務運動」が進められた中国のほか、インド、イラン、オスマン帝国など日本以外のアジアの国でも、近代化に向けた改革は行われていました。しかし実際に大きな成功を遂げたのは日本だけであり、その事が外国人にとっては非常に大きな謎であるようでした。「なぜ日本だけが近代化に成功出来たのか」。様々な意見が寄せられていましたので、ご紹介します。
■ 日本は18世紀にはすでに高度に都市化してて、高い識字率を誇ってたからね。近代化の前から日本は先進国だったんだよ。 +11 ドイツ
■ 面白いことに、幕府でさえも実際には改革派だったんだよな。どちらも欧米列強の強さを目の当たりにしていて、国を強化していく事を考えていたから、どちらが勝っても結局日本は近代化出来た。その辺りが他のアジアとの違いだな。 +26 中国
■ 日本は早い段階で国家として存在してたのが大きいよ。そして他のほとんどのアジアよりも大きな人口があった。そもそも19世紀には存在してなかった国も多いし。 +67 台湾
■ 前提として、日本は支配者が庶民に対して苛烈じゃなかった。そして日本の場合は大部分が単一的な文化だし、国民がより強く団結していたという面もある。だから分裂も他国からの支配も防げた。 +19 国籍不明
■ 確かにアジア諸国は内戦が長く続いたね。でも日本も内戦はあったよ。戊辰戦争が有名。 +1 アメリカ
■ 日本も内戦はあるにはあった。でも大陸のそれと比べると規模は小さかった。 +22 ハンガリー
■ 非ヨーロッパの国でなぜ日本だけが列強に対抗し、自国主導で工業化・近代化を推し進められたのか。これは経済史研究家たちを長らく悩ませてるね。文字通り日本はあまりにも特殊なケースなんだ。あらゆる非ヨーロッパ国との比較が可能だ。 +5 アメリカ
■ もっと詳しい人が説明してくれる事を願ってるけど、個人的には植民地化が運命を分けたと思う。ほとんどの国は欧州の植民地だった中で、日本だけはそうじゃなかったからさ。 +4 アメリカ
■ 戊辰戦争は近代化、少なくとも軍事的な近代化を日本に強いたよね。幕府軍も新政府軍も、列強の支配に抗うには、西洋のように近代化するしかないと考えたから。 +2 ベトナム
■ 簡単に言うと、日本は賢明な選択をしたんだよ。日本は列強を締め出すのではなくて、選択的に貿易関係を築いて、その中で欧州の技術を習得していった。そうして植民地化を避け、急速に近代化出来た。 アメリカ
■ 日本はリバースエンジニアリング*を徹底したから。 +4 アメリカ
(*製品を入手して分解や解析などを行い、 設計や構造、動作原理などを明らかにする事)
■ 日本は18世紀〜19世紀にはすでに経済的に先進的だったよ。17世紀初頭にはすでにオランダと交易してたわけだし。武士が支配してた古い社会階層を、商人が脅かすまでになってたんだよ。日本はすでに資本主義に移行してたって事だ。 +11 韓国
■ 日本は鎖国をしていたからこそ、国土を外国に奪われる事に激しく抵抗した。一方他のアジアの地域はそのまま受け入れてしまった。結果としてはそれがいけなかったんだけどね。 +2 インドネシア
■ 日本の成功には多くの理由があるけど、一番は長期間にわたって安定してた時期があったから。 +7 アメリカ
■ シンプルに、日本は近代化の意志があったんだ。一方で他のアジア諸国はずっと変わらずにいた。 +2 国籍不明
■ まず日本には明治時代に非常に賢明なリーダー達がいた訳で。そして欧州から遠く離れていた事で、彼らの標的にならなかったのも要因の1つだろう。 +9 アメリカ
■ だって日本にはペリーが来航する前から、工業化への下地が出来てたもの。 +2 日本在住
■ 日本は清朝の運命を見てたから。それを避けるために恐るべきスピードで工業化を進めて、西洋との貿易関係を築く事に全力を注いだ。 +3 アメリカ
■ 日本の場合、独立を保ってた事は大きく影響してるはず。清朝は実際には満州族の国であって、工業化は自分たちに悪影響だと考えた。中東は長年反目し合っていた欧州を師と仰ぐはずがないし、東南アジアはすでに植民地になってたから。そう考えると、日本は本当に稀有な国なんだよ。そしてそういう厳しい時代でもあったんだ。 +3 中国
■ トクガワは2世紀にわたって日本を紛争から守った。その期間に3大都市では小規模な製造業が出現し、演劇や美術品の収集などの文化を楽しむ、識字率の高い中産階級が存在してたんだね。19世紀半ばに彼らの前に現れた欧州の文化は、その高度な技術とともに日本に衝撃を与えたけど、日本人に理解出来ない物はほとんどなかった。 +2 アメリカ
■ 単純に日本は近代化を実現するために、欧州から学んで、多大な努力をしたもの。 +3 オーストラリア
■ 日本は中国大陸や朝鮮半島に近いけど、社会構造はかなり早い段階で違ってたからなぁ。欧米列強が極東に到達する以前から、すでに中世ヨーロッパのような構造になってたの。だから他のアジア諸国よりも簡単に、西洋文化を吸収する事が出来たんだ。 国籍不明
■ 他のアジアもある程度の進歩は遂げていた。だけど、結果的にはなぜか日本だけが成功した。一番大きいのは「他国の支配に抗う」という一点だけは、指導者達の間で共通してたからじゃないかね。 +15 日本在住
■ 日本には18世紀後半にはすでに改革を志す人たちがいた。本多利明はその代表的な1人。僕には難しすぎて分からない面もあるけど。ただ日本は他のアジアよりも自分たちの技術的、軍事的、政治的地位をよく理解してたのは確かだよ。 +90 アメリカ
*ペリー来航の1年後には、佐賀藩や福岡藩が、あくまでも独自に蒸気機関車の模型の製造に成功したり、遣米使節団が視察中に蒸気機関車の構造を説明された際、全て知っていたために退屈だったという逸話があったりと、明治維新以前から下地があったのは大きいでしょうね。その下地はどうやって出来たのかなど、突き詰めていくとキリはないですが。
※非ヨーロッパ地域における近代化との比較
・明治維新の諸改革は、新たな制度で生じた矛盾をいくらか孕みながらも、おおむね成功を収め、短期間で立憲制度を達成し、富国強兵が推進された。その評価は日清戦争・日露戦争における勝利により飛躍的に高まり、諸外国からも感嘆・驚異の目で見られるようになった。特にアジア諸国では明治維新を模範として改革や独立運動を行おうとする動きが盛んになる。孫文も日本亡命時には『明治維新は中国革命の第一歩であり、中国革命は明治維新の第二歩である』との言葉を犬養毅へ送っている。
・ロシアを含むアジアでの近代化革命としては、朝鮮における壬午事変・甲申政変や清における戊戌の変法やオスマン帝国におけるタンジマートの失敗、長続きしなかったイランのイラン立憲革命やロシア帝国のヴィッテ改革・ストルイピン改革などが典型である(朝鮮の改革運動については金玉均など、清の改革については光緒帝、黄遵憲なども参照)。しかしいずれも確実な成功を収めたものとまではいえなかった。
・日本は明治維新によって列強と化したことにより、アジア諸国では数少ない植民地にならなかった国となった。明治維新は欧米列強に抑圧されたアジア諸国にとって近代化革命の模範ともなった。やがて日本自身が列強側の国家として、帝国主義的な領土・権益獲得を行う立場となったが、それが行使されたのは台湾や朝鮮、中国の一部という限られたものに終わり、イギリスやアメリカ、オランダなどのように本土から遠く離れた地を植民地支配下に置くようなことはなかった。
・一方、ほとんどのアジア諸国で挫折ないし不可能だった近代化革命が、なぜ日本においてのみ成功したのかについても近年研究が盛んとなっている。孫文やスカルノ、マハティール・ビン・モハマドや毛沢東をはじめ、その他アジアの指導者はほぼ例外なく明治維新に何らかの関心を持っており、その歴史的価値についての問い直しが盛んとなっている。
・エジプトとの比較論:中東社会学者の山口直彦は、エジプト史での比較を論じている。エジプトの初代大統領ナセルは、『アラブ連合共和国国民憲章』の中で「エジプトがその眠りから醒めた時、近代日本は進歩に向かって歩み始めた。日本が着実な歩みを続けることに成功したのと対照的に、個人的な冒険によってエジプトの覚醒は妨げられ、悲しむべき弊害を伴った挫折がもたらされた」と記している。
・エジプトで失敗した近代化が日本で成功した理由について、明治の日本は教育制度が整っていた上に、「有司専制」などという批判もありつつも、議会や民権政党、マスコミなど政府批判勢力が常に存在して行政のチェック機能が働いていたのに対し、エジプトにはこれがなかったため、君主が個人的な私情や私欲に突き進みやすかったことがあるという。明治政府は外債に慎重で返済能力を越えない現実的な範囲に留めてきたが、エジプトは君主の独走で計算もなく法外な利息の外債に頼り続け、その結果、財政破綻と植民地化を招いたことが指摘されている。
・一方エジプト革命から半世紀以上前にオラービー革命を起こしたアフマド・オラービーは、近代化改革が日本で成功した理由について、日本の地理的条件の良さが背景にあると分析していたという。具体的には幕末から明治初期の日本は生糸しか主要産業がなく、イギリスやフランスにとっての日本の価値は大市場である清の付属品、あるいは太平洋進出のための薪炭・水の補給地でしかなく、スエズ運河を有するエジプトに比べて重要度が低かったことがあるという。
・東アジア・東南アジアの開発独裁と明治維新の違い: 明治維新の通説として、天皇を戴いた排他的な藩閥政権が、立憲政治の進展を遅らせながら、経済と軍事の近代化に邁進したとするような解釈があるが、日本政治史研究の坂野潤治と産業政策研究の大野健一は、このような解釈は、事実に相反していると批判する。このような通説では、明治政府は、台湾の蔣介石政権(1949-75)、タイのサリット・タノム政権(1958-73)、韓国の朴正煕政権(1961-79)、シンガポールのリー・クアンユー政権(1965-90)、中華人民共和国の鄧小平政権(1976-97)、マレーシアのマハティール政権(1981-)などの開発独裁のイメージと重ねられた。開発独裁の特徴は、1)内外危機への対応、2)強力な指導者、3)指導者を支えるエリート、4)政治改革を後回しにした開発イデオロギーの最優先、5)民主的手続きではなく経済成果に基づく正統化、6)20-30年の同一体制の継続などがあるが、これらのうち明治維新との共通項は1)の内外危機への対応くらいであると坂野-大野は指摘する。
・坂野-大野によれば、明治政権は、単純な独裁体制が何十年も存続したわけではなく、カリスマ的指導者が上意下達の命令を下したわけでもなく、経済の近代化を最優先したわけでもなく、政権の正統性を天皇の権威のみに依存したわけでもなかった。明治維新は、「富国強兵」と「公議輿論」の複数の目標、細かく分ければ、「富国」と「強兵」と「議会」と「憲法」の四目標の並列的競合を通じて、それに指導者間の合従連衡、また指導者らによる目標の優先順位の自由な変更を通じて達成された。明治の変革期においては、指導者も固定的ではなく、優先される路線は数年ごとに入れ替わり、勝利した集団も敗退した集団も永続的にその地位にいたわけではなく、これは開発独裁のような単一目標の追及や単純な政治構造や単線的進行とは異なる、極めて複雑な局面展開をともなう柔構造モデルであったという。
※中国「日本の背中はまだ遠い」 中国の発展は明治維新の奇跡を超えたのだろうか?
ノーベル物理学賞受賞者の楊振寧氏(受賞当時は中華民国籍)は先日、天津にある南開大学で行われた他の学者などとの座談会にて、中国の奇跡的な発展は、明治維新を超えたと述べました。楊氏は、近年の中国の成長を人類の発展の歴史における大きな奇跡とした上で、「日本の明治維新後の発展も奇跡的な成長と言えるものだが、難易度、人口規模、経済規模、当時の世界情勢を考慮し、中国が起こした奇跡と比べると、非常に小さなものである」と語っています。楊氏のこの意見に、中国の方々からは反対意見が続出。ご紹介します。
■ 明治維新で達成した最大の変革は経済面じゃない。政治制度なんだよ。西洋化を受け入れたから日本は強大国へと発展した。中国の今の現状を見て、明治維新と比較出来る点なんてなくない? +2
■ 21世紀の中国の発展が19世紀の明治維新のそれを超えたか。こりゃまたすごい角度からの見解だな。
■ つまり俺たちは日本よりも180年遅れてるってことだよね?
■ これは恥ずかしい。自分達を褒めてるのか貶してるのか分からない。 +15
■ 明治維新が何年前に起きたのかを知らないんだろうか?
■ 今の中国は清時代は大幅に超えたとは思うけどね +16
■ 国民の生活の質は明治維新の頃の日本と比べてどうなのさ。 +5
■ 明治維新とは比べちゃダメだろ、ハハ。 +108
■ あの時代に奇跡を起こした日本への羨望もあるのかもよ。
■ 明治維新だって?現在の状況を100年前と比べてどうすんの? +39
■ 中国はようやく100年前の日本に追いついたんだなぁ。 +10
■ 偽満州国は僅か13年でアジアで1番、世界でも4番目の経済大国になった。それはどういうことなんですかねぇ。 +26(※中国は満州国を歴史的な独立国としてみなしておらず、 「偽満州国」あるいは「偽満」と表記している)
■ 楊先生の言葉は楽観的なものじゃないよ。遠回しに中国は日本より100年遅れてるって言いたいんだから。 +11
■ 日本の発展は確かに奇跡だった。だけど中国の発展は奇跡とは全くもって言えんだろ。 +10
■ 日本の明治維新の場合は経済的な成功よりも、政治的な改革の成功が一番大きかったんだけどね。
■ 明治維新後には国民全員が無料で教育を受けられるようになったんだ。 +23
■ 中国が大いに発展したことは確かだろ。何で中国と楊先生を疑うコメントがこんな多いんだ。楊先生は世界で最も優れた頭脳を持つ学者の1人だ。中国が日本を超えて世界的な大国になったということは、世界中の国が認めてる事実なんだよ。 +33
■ 日本はアジアの民主国家のお手本の国。犯罪率はアジア最低。ノーベル賞の受賞者数は世界15位。日本の背中はまだ遠いよ。21世紀のうちに本当の意味で日本を超えるのは無理。+77
■ 明治維新は人類の奇跡で、ああいうのは二度と無理でしょ。 +3
■ 先生は暗に、今の中国は日本の100年前だと言ってるんだな。 +926
■ でもまぁ、100年前の日本を追い越したことは確実だよな。 +187
殆どの方が楊氏の見解に否定的で、そういったコメントには+も多かったです。ただ、何個か取り上げているように、「楊氏は『中国が日本より100年遅れてる』という事を暗に示している」というふうに捉えている方も散見された。
※海外「日本人との差は何なんだろう…」 明治維新を成し遂げた日本にアフリカから羨望の声 法制度、中央官制、地方行政、経済、金融、産業、文化、教育、外交、宗教、軍隊、思想政策など、様々な要素が改革・近代化された明治維新。新たな制度を導入する事で生じた矛盾を孕みながらも、全体的には成功を収め、短期間で立憲制度を達成し、富国強兵が推進され、日露戦争の勝利後には、当時の先進国である五大国の1つにまで上り詰める事になります。今回の翻訳元(フランス語圏)では、特に長州五傑にスポットが当てられており、ヨーロッパに留学した彼らが日本に戻り、国の発展のために尽力した事が伝えられています。読者のほとんどはフランス語圏のアフリカ人という事で、欧米列強の植民地にならず、近代化に成功した日本に対して、称賛と羨望の声が数多く寄せられていました。一部をご紹介します。
翻訳元■
■ 明治維新の話は面白いよねぇ。日本人の意志の強さは本当に凄い。 +2 国籍不明
■ 結局、国を心から愛する男たちがいたからだろ。 +5 アルジェリア
■ 日本人には共通の理想あったんだよ。そして国民が同じ言語を話していたのも大きい。 ブルンジ
■ 俺たちは外国の言語を学ばなくてはいけなかった(アラビア語、英語、フランス語などなど)。一方で日本には独自の言語がある。欧米列強で出版された本を翻訳して、自分たちの言葉で読む事が出来たんだ。 +6 ギニア
■ 言語は別に関係ないと思うけどなぁ。発展出来なかった理由は、もっと他のところにあったと思うぞ。 +3 カメルーン
■ 結局は教育だよ。今自分は日本で暮らしてるけど、日本人は幼い頃から国を大事にする事を学ぶ。。 +2 コンゴ共和国
■ でも日本は高齢社会で人口も減ってる。逆にアフリカは世界で最も人口増加が著しい地域だ。アフリカこそ未来の大陸だと俺は思ってる。 ジブチ
■ 今の日本を作ったのは、規律と敬意の文化だと思う。 +5 国籍不明
■ 教育が国の命運を分けるんだって事が分かるなぁ。 +6 米在住
■ もしこっちにも日本の志士のような人たちがいれば、一部の欧州の国を超える事も出来たかもしれないのに。 カメルーン
■ 日本には偽善ではない、本物の愛国の志士がいた。あの国が成功した理由はそこだよ。 アルジェリア
■ 19世紀末ごろ、マダガスカルあたりには、日本と同じくらいの文明度と経済力があったんだよ。 +4 マダガスカル
■ 日本は俺たちが信仰している神よりも、はるかに強力な神々を信仰していたのさ。 カナダ在住
■ 日本の最大の偉業は、近代化を受け入れた一方で、自分たちの文化やライフスタイル、信念や宗教を一切捨てなかった事だと思う……。 +3 アルジェリア
■ 日本は戦後に灰の中から復活したわけだが、あんな奇跡を起こせる国は地球上に僅かしか存在しない! ギニア
■ 日本人は自分たちの国を愛してる。アルジェリア人は自分の国の事よりも、湾岸諸国やフランスの方が好きじゃないか。 +2 アルジェリア
■ 日本は近代化を成し遂げながらも、自分たちの文化も残したのが羨ましい。 +11 国籍不明
■ 俺が思うに、日本人という集団の天才性は、伝統と近代を融合させた点にあるんだわ。 +3 カメルーン
■ 個人的には、「意志の力」としか言えないと思う……。 +2 モロッコ
■ 日本人といえば「規律」だろ?それが彼らに成功をもたらした要素だよ。 +13 アルジェリア
■ 日本人は世界にとって模範だよね。俺は彼らの事がずっと大好きだったんだ。文化的で、礼儀正しくて、謙虚だから。 +14 ガボン
■ 日本は欧米から当時のシステムを移植したわけだけど、自分たちの文化に適応させたという点が、彼らの凄いところなんだよ。 +12 ガボン
■ 日本人と俺たちとの差は何なんだろうな。俺はそれがずっと疑問だったんだよ……。 +2 国籍不明
■ 日本人は故郷、文化、伝統に敬意を払う。昭和天皇も国民に敬意を払っていた。一般の教師に対して帽子を取って挨拶をする様子を、前に映像で観た事があるんだ。 +18 モロッコ
■ 教養と祖国への愛。日本が成功した鍵はその2つだと思ってる。 +95 国籍不明
■ ヨーロッパに渡ったサムライたちは、実際の欧州の姿を見て全てを悟ったんだろうな。いまだに近代化の意味を理解出来てない、俺の国の人間とは大違いだよ。 +29 アルジェリア
■ 日本人は発展したからといって伝統を捨てなかった。伝統は尊重すべきものだと分かっているから。そのあたりが僕たちとは違うよ。 +14 モロッコ
■ 日本人は本当に不思議な人たちだよなぁ。日本の歴史はまるでコミックみたいに面白い! +4 セネガル
■ 国に対する無条件の愛がないと、日本の志士たちのような決断は出来ないはず。カメルーン
■ 留学した人たちは真の愛国者だったね。彼らの目的はただただ祖国を近代化させる事だったんだ。 +3 国籍不明
※2022/1/14明治維新後の日本、清とロシアを相手に「連戦連勝」が可能だった理由=中国
日本はかつて日清戦争と日露戦争に勝利した。明治維新からそれほど経っていない時期に、清とロシア帝国を相手に勝利できたのはなぜなのだろうか。中国メディアの網易はこのほど、「猫の額ほどの土地の日本は、なぜ明治維新後に清とロシア帝国に勝てたのか」と題し、この理由について分析する記事を掲載した。記事はまず、日本では明治維新によって西洋の技術や制度を導入したが、当時の清でも同様に「洋務運動」があったと指摘した。しかし、明治維新のように徹底されなかったという。とはいえ、その当時の日中にはそれほどの大きな国力差はなかったはずだと分析した。しかし、その後にぼっ発した日清戦争で日本は清を打ち破ったが、これはなぜ可能だったのだろうか。記事は、「日本の明治維新は広範囲での改革だったこと」が関係していると分析した。制度、軍事、文化、教育などあらゆる方面にわたって改革が行われ、「換骨奪胎」と言えるほど別の国になったとしている。この点で中国の洋務運動は表面的なものに過ぎず、実際のところは改革を望んではいなかったと指摘した。それで、日清戦争のころの清は「金もなく、人材もおらず、自分の身を守ることしか考えておらず、戦争で相手を倒すなど無理な話だった」と分析した。日露戦争について記事は、当時の国際環境が日本に有利に働いたとの見方を示した。列強は日本を使ってロシアを抑え込みたいとの思惑があり、日本は日清戦争の勝利で多額の賠償金を獲得していたので実力を更に高めることができたとしている。また、シベリア鉄道はまだ完成しておらず、バルト海の戦艦は西洋諸国の邪魔が入り、戦地までも遠かったので、ロシアは補給の問題があったと分析した。日清戦争と日露戦争の勝利で、当時の日本は正式に列強の仲間入りを果たしたと言えるが、こうして見ると日本には勝利の要因が揃っていたとも言えるのかもしれない。
<以下、上の記事に対する日本人からの反応>
155:>>1つか、江戸時代が長かったから気付かれないが日本は戦乱の期間が多いくらいの戦闘民族だし。
156: >>1東郷が中国の軍艦視察したら廊下にどんぶりが置いてあったらしいな。それを見て東郷がこれなら勝つると思ったらしい。
9: 本当の知識人の差じゃない?訓詁学に浸ってたら無理だよ。
10: 1.地の利。あんな船で渡洋攻撃なんてムリだった。2.朝鮮や中国やロシアって、大陸の方向ばっかりを見ていたから、日本の状勢なんて、判断できなかった。ナメてかかっていた。3.日本には戦国時代ってのがあって、戦い方には実績があった。海路を含めてね。
19: まだ英米が味方だったからな
22:格差を認識しての明治維新だからねぇ。国力戦力工業力を西洋と比較して危機感は相当だったろう。国力に胡座かいてた清露をひっくり返した原動力。
23:ロシアも清も、いろいろ末期だったから。
35:完全軍装の日本歩兵部隊の火力がまさってたから
36: サムライに勝てるわけねーだろ
46: 元寇でも勝ってるだろ
55: 清は清側が近代化に遅れ雑魚ってたのは間違いない。ロシアは補給の問題だな。
67: 武士、侍の子供世代だったから。
78: アメリカでさえロシアや中国に戦争で勝ってない。最強大日本帝国。
92: 日清日露戦争で勝利した日本は、その後、アジア解放のための運命の戦いへと導かれていったわけであるね。
131: 相手が弱かっただけ(問題抱えていた)清は西太后が無駄遣いしてたし、ロシアは革命
141: 江戸時代からの蓄積やな
150: 幕末の戦乱を戦った明治政府は軍事的な視点を持っていたてのがデカイよ。なおかつ合理的だった。
182:日本の分析より劣るから参考になら無い。
193:そもそも日本の国土はヨーロッパ諸国と比べても狭くない。中国やロシア、アメリカがデカすぎるだけだ。
1. 傲慢不遜、油断、過信とか無かったからだよ。必死さがあった陸海軍も一枚板だった。情報の重要性も理解していた。それが清国、帝政ロシアに勝ち第1次大戦で戦勝国側にいて調子にのり謙虚さを失った勝って兜の緒を締めろ、勝者こそ謙虚であれを忘れた情報の重要性も過去のモノに…
2. 当時の日本人は戦闘民族だ 舐めるなよーーーっ
3. 日露戦争で露国の南下を阻止したんだから中国は感謝しろ。本来、お前らがやるべき戦いだった。
4. なぜ勝てたか それは日本は強かったからなのですよ。
5. ロシア戦は欧米列強国を味方につけていたのが勝因の1つだわ。イギリスから無煙炭が入手できたロシア側は黒い煙を出してた。明治政府が欧米から金を借りられた。陸軍は辛うじて勝ててたがロシア側に陸軍が数十万人がまだ健在。明石大佐の共産主義者の扇動が上手く行きロシア側が危機感を持ち、講和の交渉に渋々ながら受けた。この時に日本の国庫はカラだった延長戦は無理なギリギリの瀬戸際。
6. >>5なお、この時に外国から借りた金は昭和末期まで返済にかかるものだったが、日本は全額きっちり返済していた。ついでに言うなら、太平洋戦争では金を借りた国と交戦中にも関わらず、日本はしっかり返済していた。これが信頼である。
7. >>1ホントそうやね。意外に知られていないけど、日本自身が日清戦争前は「清>日本」と自己分析していたからね。清国艦隊の水兵によって暴動を起こされた長崎事件や、戦前から清北洋水師の襲来を想定した東京湾要塞とか、ホントに日本が敗けることを真剣に想定して必死に万全を尽くしていた。130年後の今はどうだ? 愛と平和を謳って能天気な無策で思考停止するバカ老年世代や、中国=低能なんていう過去のレッテルで自己満足したい連中。我らの子や子孫のため、真剣に国防に向かい合うべきだよね。
8. メルカトル法で端っこに描かれてたらそら小さいよな。
9.孫子<勝兵はまず勝ち後に戦いを求め、敗兵はまず戦い後に勝ちを求む ←これ> 金もなく、人材もおらず、自分の身を守ることしか考えておらずこれ、なんて今の日本?
※なぜ明治維新はあんなに上手くいったのか?それに比べて清朝の体たらくときたら・日本の成功の秘密は何なのだろうか?
1.中国人: 明治維新は文明を追求するためであって、富国強兵のためだけではなかったから成功したのだ。
2.中国人: 日本自体に巨大な力は存在しない。しかし、当時は革新であれ統一であれ障害は多くなかった。資源も財産もなく西洋列強が関心を持たなかったのが大きい。
3.中国人: 明治維新が成功した証は甲午戦争(日清戦争)の勝利だな。しかし、その時の清朝はすでに傾いていた。もしその時日本が全盛期の清朝にぶつかっていたらどうなってただろうか?
4.中国人: 運が良かったんだよ。甲午戦争は日本は賭けに勝ち、莫大な利益を得た。更にどん底から意を決してロシアに立ち向かい、その賭けにも勝った。ここから自分たちの世界の強国の地位を確立したのだ。
5.中国人: 清朝末期の改革は日本よりも早かった。だが急がば回れなのだ。清朝が急造した北洋、南洋艦隊の弱点を、日本はじっくりと学んでいた。
6.中国人: 清朝の朝廷に問題があったからな。皇帝が若すぎたのだ。それで大臣が権力を奪い、みんなそれぞれ兵士を持っていた。清軍は強大だったが団結していなかった。中央の統制力が弱かったんだ。
7.中国人: 日本は船が小さいから上手く向きを変えられる。清朝の最大の障害は民衆の封建主義意識がとても強烈なところだった。
8.中国人: 理想の構造はリーダーが賢く、下層が執行を肯定することだな。だが中国の個人はみんな狡猾すぎて、自分だけ儲けたがり、結果として苦心する。中国は古代からいつもそう。
9.中国人: >>8中国人の本質は自己中心だからな。だからひとりの中国人は龍で、たくさんの中国人はブタの群れと呼ばれる。
10.中国人: >>9間違いないな。自己中、かつ官吏の位と爵位を重視する。
11.中国人: 日本は学ぶ事に優れているよな。唐の時代に使者を派遣し我々の文化を学んだ。
それに学んだことの取捨選択においても優れている。勤勉な日本人は唐のほとんど全てを学んでいったが、科挙制度だけは取り入れなかった。それに自分たちの独特の考え方もある。
12.中国人: >>11「黒船事件」は彼らにアメリカ、ヨーロッパを学ばせた。他人の長所を取り入れて自分の短所を補うのがあの民族の特徴だ。それに比べると近代の中国は本当に駄目だな。
13.中国人: 清朝には徹底的な改革は不可能だった。彼らがまず心配したのは漢人の事で、外国人ではなかった。そして日本はそうではなかったということ。
14.中国人: 全面的な西洋化は中華の科技や文化を捨ててしまうことになるしなぁ。
15.中国人: >>14中国は毎日他人が西洋化するのを攻撃しているが、実際は伝統文化と古代建築の保護は日本にも韓国にすら遠く及ばない。中国はいつも古いものを破壊している。何を今更という感じがするが。
16.中国人: 誰かが言っていた。海洋国家は容易に資本主義を発展させる。なぜなら海洋国家、特に面積の小さい海洋国家は、物資が少なく、航海が可能で、探求と略奪の意識があるからだ。当時、アジアで唯一の世界列強国・日本は海洋国家だった。
17.中国人: >>16現代のほとんどの島国は途上国だろ。ロシア、ドイツ、フランスは大陸の国家だしさ。とりあえず世界で最も早く資本主義をとった国はオランダ。資本主義の発展は海と関係があり、それが政治経済の大きな要因になる。島国だからというわけではなく、海をどう活かせるかという事。
18.中国人: 日本の勇気は認める。甲午戦争然り、日露戦争然り、当時の国力差からすれば自殺するようなもの。そして賭けには勝ったが引き際を誤った。
19.中国人: >>18武士道がその原因のひとつだろう。日本の発展の秘密は彼らの精神性にある。
20.中国人: もし中国が1860年から変化を始めていたら、もしくは1860年から孫文が国家のリーダーになっていたら、中国は甲午戦争で日本に勝てただろうか?私はいけたと思うんだが。
21.中国人: >>20甲午は日本が国を挙げて李鴻章、或いは慈禧(西太后)に対し軍を準備したんだが。孫文だったら戦争は起こっていない。
22.中国人: 中国と日本の国情は違いすぎる。人が多すぎると抜かりなくやることはできなかったりする。それに日本の天皇は明治以前は傀儡だったが、幕府が倒れてから容赦なく改革をしたんだぞ。
23.中国人: 日本も改革中に激しい衝突を経験してて、ただ改革派が勝利しただけだよ。清朝にも本来希望はあったが、だが保守派の勢力が大きすぎたのだ・・・
<以下、上の記事等に対する日本人からの反応>
417831. 洋務運動が成功していたら…辛亥革命があそこまで拗れなかったら…国民党があそこまで腐敗していなかったら…毛沢東の政治能力がもう少しまともだったら…中国人のifは多い。
417832.教育と民度。江戸時代も幕末も識字率は世界トップ。黒船が来る前から西洋に比べてそん色ない技術を持ってたし、学問も和算で微積分解いてたんだから。偶然とかじゃねえよ。
*ホント、愚かだな、朝鮮乞食民族は。我が国の発展の礎は、圧倒的な識字率の高さなんだよ。まあ、秀吉の太閤検地の副産物だけど。江戸時代初期には既に識字率が90%を超えていた。だから、全国的に知識や情報の共有ができていたし、だからこそ明治維新も、その後の近代化も迅速に行われたんだ。糞尿まみれで乞食同然に暮らしてた朝鮮民族も、日本統治によってハングルが整備、普及されてからは迅速な発展を遂げたじゃねぇかまあ、そんな歴史は習わないんだろうけど。
*都市圏は地方と比較して比較的高いでしかないぞ。そんなん。そりゃ大都市なら人数多いからそういう商売も成り立つがそれは率では無い。実際明治初年の調査でもそういう傾向が露骨に出てるし、んなこと言ったら中国だって宋代には出版業が非常に盛んなレベルで発達してるが。じゃあそれをもって識字率が高いといえるかというと疑問符が残る(さすがに同時代のヨーロッパとは比較にすらならないが)
*いろいろな分析ができるとは思うけど、幸運をどう利用できたかによるでしょ?タイミング的に世界で鯨油需要減がピークに達したときに、各国のによる日本の開港圧力。その後の米西部産出重油の工業利用活発化で、日本の港湾占拠の必要性がなくなり、さらに南北戦争終戦でダブついた武器類を安く倒幕派が手に入れることができた・・・などタイミングの妙はある。かなり大きい。でも、それは韓国も一緒。隠者の国と言われ動かない、動いても自己利益のみで国益を理解しない。そういう韓国の低い庶民の意識と、日本のように経済的自立した都市住民と地方の武力集団の教育レベルは比べ物にならないし、チャンスを見極める薩長土肥の指導者層のような人も韓国は社会的に認めなかったよね。
*江戸時代になってコメの生産量が増えたからな、戦争も無いし、その分、技術の発展に力が入れられるわけで。ただし戦争が無いから武器関係の技術は発展しないけど治水工事なんかの技術めっちゃ上がってるからね。江戸末期になると蘭学が流行してオランダ語習う人も増えたってのも大きいわな。オランダ語が読めるってことはオランダで出版されてる経済学の本も技術書も読めるってこと。ペリー来航時に日本人に蒸気船の内部見学させてるけど「こいつら蒸気機関理解しとるやん、オランダ語の本読んで知っとるみたいやな」と記録されてる。
*幻想じゃない。学校制度が整備される以前、洋の東西を問わず教育を担っていたのは宗教施設、つまり寺や教会だった。理由は単純、布教に必要だからだが、これには問題がある。金が集まる都市部にしか寺院を建設、運営ができないこと。当然、教育を受けられるのは都市部の人間に限定された。しかし、我が国の場合、秀吉が太閤検地で費用を負担し、全国の農村に至るまで寺を建設し、役所の機能を持たせた。(だから、我々日本人は古い家系図を作る時、役所ではなく菩提寺に依頼するんだ。)これにより、信徒か否かを問わず寺が生活に密着し、他国では都市部に限定される教育が、我が国では全国的に実施された。そもそも、識字率が高かったから、例えば宿場町や街道の茶店にまで屋号や看板、暖簾があったんだ。日本統治以前の朝鮮半島には、看板や標識の類が皆無だけどね。
*日本史を振り返ると、とても偶然だとは思えない運の良さがある.例えば、ちょうど一万年ほど前に完全な島国になった、しかも大八洲の一つである対馬と朝鮮半島の距離は数十キロの目と鼻の先.しかも対馬海流は流れが速く、冬は貿易風で荒れ、夏は台風が暴れる.渡るにも高度の操船技術と航海知識が必要.つまり、技術や知識は通すが、大軍は通し難い.もし英仏海峡のように穏やかな海ならブリテン島のように何度も異民族に侵略されただろうし、逆に八丈島のような孤島であったらハワイやインドネシア・フィリピンと同じく、文明化しないまま、類は百余国に分かれた状態で近世を迎え、ヨーロッパの植民地にされていた可能性が高い。このほかにも日本史の幸運は無数にある.中国の戦国時代が始まり、朝鮮半島が漢の支配に落ちる前、九州のヒムカで稲作の普及に尽力されていたサノのミコト(後の神武天皇)が都を大和に移され、倭人統一の種を作られた.また、2世紀のいわゆる倭国の大乱では後の大和朝廷に当たる勢力が騒乱を鎮め、古墳時代として人口が7世紀まで右肩上がりに伸びる社会を形成した.さらには新羅が唐と結び、倭と親しい百済を滅ぼし、朝鮮半島を統一した7世紀になると、日本では天智・天武朝が日本国家の基礎的土台を形成し、大陸からものを学びつつ、他方では独自の国家形成の模索が始まるのである.
*必要なのは、まず己の足元を見て、己を顧みることだよ。逆境があれども、いまや時代遅れと言われつつも、精神論が支えた部分は大きいと思うよ。(ブラックは論外だが)危機に瀕しても搾取と怠惰ばかりにしか目が行かないんじゃ、そりゃ歯止めもなく落ちるだけだ。
*水車を昔から作れた事。機械作りが得意。島国だった事。明治維新での外国の侵略に危機感を持ち海外の良い所を取り入れて成長させた事。韓国の様に事大主義で常に何処かの国に保護して貰おうとしなかった。独立心旺盛。韓国は中国の属国になり李氏王朝をたて継続させた。根本が全然違う。そして今でも同じだが、保護して貰う国を手玉にしようとしており ぶん殴られる直前。
*江戸中期ですでに地方の農村で俳諧を楽しみ都会から師匠を招いて歓待してるんだからね。瓦版だけじゃなくて、黄表紙ってのがあって庶民が源氏物語のパロディを楽しんでいたんだよね。外国人の記録に庶民がお触書を読めることに驚く記述もある。だいたい寺子屋では庶民の女の子まで男の子と一緒に教育が受けられた。これは実は西洋でもかなり遅かった。
*いや江戸時代に構築された市場経済的システムや、技術の蓄積などの土壌があったからこそ運を活かせたんだよ。そういったものが無ければいくら運が回ってきたところで日本も飲み込まれてたよ。クリアできるだけの能力と運の両方が揃ってないとどうにもならんて。
*日本の男が超優秀だからだよ。内部から見るとそりゃ碌でもない馬鹿男も沢山いるし、そうでもないような印象を持つ。でも、時間と空間を俯瞰してみると(←女はこれが出来ない)、日本の男の比類なき存在が際立つ。大陸や欧米から沢山の文化を取り入れてきたけど、非人間的・不自然ものは断固として排除している。日本人は当たり前だと思っているけど世界史を見渡せば全然当たり前じゃない。仏教の戒律すら取り払った親鸞ら高僧。当時で言えばキ、チガイ。でもそれを後世の日本人は正しかったことを理解している。神道や「日本」仏教の価値観を破壊するモノをそれこそ命懸けで排除してきたのが日本人。
*一言で運なんかいったらどこの国も歴史は全部偶然の運みたいな元も子もない話になっちゃうじゃないの。タイミングとか大きな変化はあってもその前にベースになるいろいろな必然性が重なってできたのが歴史。例えば昔は人口が増えるのは食料が安定的に得られるからだろうし、稲作に適した地形とか気候とかあるだろ、温暖で多湿で田んぼに水が引きやすいとか諸々農耕社会と災害、土地の継承はコミュニティーの結束を生んだだろうし、島国の利点は外敵の侵入が少ないという事だけどその分海外の進んだ文化も入ってきづらい。徳川や江戸時代は重要。戦乱による疲弊の無い時代で都市と地方が有機的につながり、物流や土木、経済、文化、教育、職人の技術、庶民の文化が発達したみたいな、この時代がベースって事かね。近代化は西洋列強の出現という外的要因があってだけど、国を奪われる事なく、国の体制を変えて西洋諸国に学び対抗していくんだから、外圧に対応して自ら変化していくだけの力、学ぶ力がすでにあったという事。災害や国を失う危機感、敗戦とか国家の危機は発展の原動力になったけど、それ以前に国のリーダーの資質や大衆の成熟度、経験の積み重ねが無いといざという時に何もできない訳で。
*江戸時代の識字率が80%以上あったことも知らないのか? 中国の属国だったくせに下層民は漢字読み書きできずにハングルなんて愚民文字ができたことになんで考えが及ばないのか、バカだから運だけで済ますだろうなぁ
*日本は1000年前から先進国だ。古墳時代には人口で世界6位になったこともある。ウソじゃないからな。おまえが神道にも仏教にも無知なのはわかった。仏教伝来以前でも日本は調和的で平和な社会だったのも知らないようだ。
*ぶっちゃけ、「国民性」じゃないかと。こつこつ努力することをいとわない、周囲もバカにしない、その努力を認めて称賛する、素直に教えを請う。成功者を恨まない、妬まない、バカにしない。農耕民族の粘り強さと、海洋民族の共助(船乗ったら一蓮托生。従わなければ命にかかわる)のハイブリッド。自然災害も多いけど、それを克服する知恵を積み上げて共有してきた結果だと思う。
-ここまで-