▲去年の文章にちょいと手をいれて今年も使おう。
▲京都へいった。円山公園のシザレザクラは満開寸前という体であった。「贅沢な春」というのがいつもの感想だ。筆者は、桜をうまく讃えることができない。桜を巡るいろんな文章で、サクラを楽しみたい。関連文章などをみよう。
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※2017/04/26春が近づくにつれ、日本列島は今年も、1年で最も華やかな桜の開花シーズンを迎えた。日本の古語で「桜の頃」は、「春の季節」を意味する。日本人の心の中では、桜の花は春を代表するものであり、お花見は、春への賛美そのもの。桜のシーズンが来ると、日本人は満開の状態からやがては散りゆく桜に酔いしれる。また、数多くの外国人観光客も、春の到来とともにもたらされる耽美を味わうために、続々と日本を訪れる。(文:叢雲峰。文匯報掲載)
〇皇室から一般庶民までこぞって狂喜 日本のお花見の起源は、奈良時代に始まった花祭花宴に遡る。当時、日本の皇族は中国から伝わった梅を鑑賞する宴を催した。平安時代になると、お花見の対象が梅から桜に変わり、大規模なお花見イベントが登場した。日本の華道の始祖と言われている嵯峨天皇は、毎年春になると、「桜鑑賞の宴」を催し、それが伝統的な慣習となっていった。その後、お花見の風習は、皇族から貴族・武士に広まり、江戸時代に日本経済の発達と庶民の生活レベルが向上するにつれて、お花見が貴族階層から庶民に伝わり、宮廷から民間まであらゆる階層の日本人にとって最大の楽しみとなった。
〇散り行く桜に対する潔さに感嘆 桜が昔から日本人に愛されてきたのは、春の訪れを告げる象徴であるだけでなく、あっという間に散ってしまう桜のはかなくも美しい生命と、その短い命が終わる時の静けさと潔さが日本人の心に響くからだ。春の訪れを告げる桜の木は、昔から日本人の生活に身近な植物だった。古代には、正確な温度観測データがなかったため、桜の開花は、農業で年に1度の種まきシーズンの訪れを告げるサインだった。特に、何もかもが枯れ果てる長い冬を耐えてきた人々は、早く春が訪れて欲しいという期待を、桜の開花に託したのだ。 また、桜の木は、日本人が重んじる人生観と価値観を体現している。桜の開花はごく短い。蕾が膨らみ、花が咲き、散るまで、せいぜい1週間から2週間で、花びら1枚1枚はとても小さいが、ほころび始めると全ての花びらが一斉に開く。開花後は、あっというまに花びらが雪のように地面に舞い落ちる。さながら生命が終わる瞬間のようで、渾身の力を振りしぼって有終の美を飾る。日本人は、桜から、短い人生に対する虚無的なセンチメンタリズムを感じ、潔く散る美しさに感動する。だが、それよりも、桜は、限りある生命の中で自分を最大限に生き抜く勇気という素晴らしい贈り物を、日本人に与えてくれる。桜が一斉に開花して咲き誇り、また一斉に桜吹雪となって散ることも、日本人の強い団体意識とマッチしている。もし山に1、2本しか桜がなければ、開花に対する思い入れもそれほど強くはならない。だが、川の土手に植えられた桜が一斉に開花するシーンは壮観であり、見る人を感動させる。
〇「お花見」シーズンに現れる日本の「もう一つの顔」 「お花見」は法定休日ではないが、その熱狂ぶりは、全国的な祝日の祝典に決して劣らない。お花見シーズンが来ると、日本全体が普段と異なる動きを見せる。皇室と内閣総理大臣は、皇居のお庭で大規模な「春の園遊会」を開催し、各界で活躍した人々を招待、顕彰する。また、一般企業は、仕事が忙しいにもかかわらず、半日休みや終業時刻を早めにして、各種飲料や軽食を従業員のために準備し、付近の公園で、ともにお酒を飲みながら桜を楽しむ。勤め人以外の人々も、友達や家族とともに、お花見に出かける。このようにこの時季になると、普段は物静かな日本人が突然騒ぎはじめるのだ。都市部や田舎に関わらず、桜の木の下は、ありとあらゆる人で埋め尽くされる。このような賑やかで騒々しい感覚は、日本と日本人のもう一つの顔といえるだろう。 日本の会計年度が4月から翌年の3月であることから、4月は新入社員が入社し、新入生が入学し、社員が転勤となり、退職者が新生活をスタートする時期にあたる。様々な人生と様々な感情が交錯する状況から、桜の木の下は、日本人が自分の気落ちを表現し、苦しみを嘆き、涙を流す最高の舞台となる。一本の桜の木の下に、親しい者同士が1年に一度集まり、その後バラバラに散っていく。一緒に食べ、飲み、歌い、踊り、泣き、笑い、その姿はさまざまで、普段は決して見ることができない。人々は春の情熱と楽しみを一緒に思い存分発散することは、生命と生活をめぐる日本人の一種独特の思考や文化を表現している。(人民網日本語版)
※中国で桜を見ても分からない、日本人が「これほどまで桜に愛着を持つ」理由=中国メディア2016-04-02 「日本に行かずとも中国で桜は見られる」と言った人がいる。まあごもっともな話かもしれない。しかし、日本にやって来なければ、単に「花が美しい」から日本人が桜を愛している訳ではない、と感じることはできないだろう。中国メディア・羊城晩報は3月31日、「日本人はどうしてこんなに桜の花が好きなのか」と題した記事を掲載。文章の作者は、日本在住の中国人ジャーナリスト・徐静波氏だ。文章の中で徐氏は、日本人が桜の花をこよなく愛する理由を、単に花が美しい以外に「桜の品性が日本人の精神と十分にマッチしているから」とした。そして、わずか10日程度しか咲かない短い命の中で最も美しき輝きを放つさま、そして白やピンクの花弁がひらひらと舞い降りる散り際に感じられるセンチメンタルさに心を揺さぶられることを説明している。それだけではない。徐氏は、日本人が桜に対して特別な感情を持つもう1つの理由として、日本では桜のシーズンがまさに「別れと出会い」の時期にあたることを挙げた。桜の花が咲き始める卒業の時期には、一緒に過ごしてきた友人や恋人との別れがある。そして4月に入ると年度が変わり、学校でも会社でも新しい1年が始まり、新生活を始める人が多い。別れの悲しみ、新たな出会いの喜びに寄り添うのが、満開の桜の花であることを紹介しているのだ。徐氏も「中国は毎年9月に新学期が始まり、6月に終わる」と指摘しているように、中国の人にとって桜は「別れと出会い」を象徴するものではない。日本の「桜文化」には命のはかなさとともに、出会いと別れに付随する感情も存分に散りばめられていることを知れば、「やっぱり桜を見るなら日本だ」と感じ入る中国の人はさらに多くなるのではないだろうか。
※世界のサクラ最前線!街を桜色に染めるワシントンDCの桜まつり2017/04/05(水) 全米随一の桜の名所と言えば、ワシントンDCのポトマック河畔。1912年、当時東京市長だった尾崎行雄が、 日米親善のために約3,000本の苗木を米国に贈ったのがはじまりだそう。苗木は、日本の桜を代表的するソメイヨシノ。そのうちの約1800本は日本の桜を代表的するソメイヨシノ。ほとんどがポトマック川の入り江のジェファーソン記念館付近に植えられた。一世紀を経た今でも、毎年春には川岸に覆いかぶさるように満開の花を咲かせ、人々を楽しませる。濃いピンクの花をつける八重咲のカンザンや淡い色合いの大輪のイチヨウなど他の11品種、約1,200本の桜は、イースト・ポトマック公園に植えられた。すでに多くは新しい木に変わってしまったが、現役で花を付ける木々は、タイダルベイスンのソメイヨシノとはまた違った桜の魅力を伝えている。今やワシントンDCの春の風物詩となった「全米桜まつり」には各地から多くの人が集まり、かなりの経済効果もあるとか。今年はすでに開催中で、4月8日(土)にはコンスティチューション・アベニューで恒例のパレードが実施される。地元出身のベテランラッパーのDJクールから、全米中継のオーディション番組で注目を集めた新星ブライアン・ジャスティン・クラムまで、多彩なゲストのパフォーマンスで大いに盛り上がる。最終日の前日、4月15日(土)には、ウォーターフロントで花火が打ち上げられる。スポンサーブースで配られるドリンクや露店で売られるフードを片手に、 日暮れ前から港に集まり、メインイベントを待つ。午後8時半からのファイヤーワークスショーでクライマックスを迎えて、1ヶ月近く続いた桜のフェスティバルはフィナーレとなる。
※日本の花見「桜が散ることもいとおしむ日本人」 2012/04/09(月) 米国のブログ「whatcatchesmyeyes.wordpress」では、日本に滞在中の米国人女性が桜について語っている。■「米国 日本の習慣」に関する他の記事 - 筆者は、今年の桜は寒くて雨が多かったため、開花が遅れたが、ついに一気に咲いたとうれしそうに語っている。早速暖かい春の日に上野公園で恒例の花見を行ったという。花見とは花を観賞することで、日本文化に深く根ざし、人々から愛され続けている行事だと紹介。もともと花見ブームは梅を見ることから始まったと花見の背景について語っている。2月から3月にかけて咲く梅の花は冬の終わりを告げ、日本では古くから伝えられている詩には梅の花のことが詠われていることが多いと日本文化と花の関わりを説明している。筆者は、梅の花は依然として人気があるが、桜に取って代わられた面もあると語っている。詩や絵画だけではなく、桜をテーマにした歌は数えきれないほどある。また桜の花が咲く時期は、卒業や入学の時期と重なるので、学生たちにとって味わい深い意味がある、と桜の人気ぶりを伝えている。筆者は、桜の花見をするうちに、桜は花の形や色が異なる木があることに気付いたという。しかし、全体的にまとまりある美しさにするため、同種の桜が植えられ、異種の桜は数本にとどめられているようだと印象を語っている。また、日本では桜の開花時期がインターネットやスマートフォンなどで検索でき、テレビやラジオのニュースでも開花時期を予測してアナウンスするなど、桜の開花が国民の関心を集めていることに驚いた様子がうかがえる。桜が満開になる時期はとても短く、すぐに散ってしまうため、満開の一番美しい桜を楽しむために人々はいそいそと花見に向かうと筆者は語る。また筆者は、日本人が満開のあと花びらが木から落ち、風に吹かれて持ち去られる様子にも愛おしむことに感動したという。それはとても美しいに違いないが、日本で育たなければ気付かないと述べ、花見は日本で必ず見てほしいことの1つだと勧めている。
※日本人はなぜ桜が好きなのか、その理由を中国メディアが考察★:2012/04/07(土) 2010年4月に実施された「全国お花見調査」によると、サクラについて「とっても好き」と回答した日本人は 85%に達し、14%の日本人が「まあまあ好き」と回答するなど、日本人でサクラを嫌いだという人はかなり 少ない。日本人はなぜサクラが好きなのか、中国メディアの青年導報網が、日本人がサクラを好む 理由を分析した。記事によれば、日本における花見の習慣は遣唐使にあるという。当時、中国では女性の則天武后が国 を治めており、毎年大規模な花見の宴会が開かれていた。宴会に参加した遣唐使が日本に伝えたものが花見となり、日本の宮廷では当初、梅を観賞していたのだが、平安時代から徐々にサクラに変わっ ていった。一般の人びとに花見の習慣が広まったのは江戸時代からだ。江戸幕府第8代将軍の徳川吉宗は、幕府政治に対する不満を和らげるために日本各地にサクラを植えたが、数ある花の中からサクラを選んだ理由は、江戸時代に「花は桜木、人は武士、柱は檜、魚はタイ」という歌が人びとの間で親しまれていたからだとされる。農耕民族である日本人は温度を科学的に計測する手段がない時代に、サクラの開花時期から冬の終わりを知り、田植えを始めていた。 記事は、「日本人が最初に関心を抱いたのはサクラの美しさではなく、人びとと密接な関係を長く保ってきたこの樹木が春の到来を教えてくれることだった。これこそサクラが日本人の心に入っていった主要な 原因といえるだろう」と結んだ。
※2016/04/06(水)「桜は日本が育てた。中国とはちょっとしか関係がない。そして韓国とは一分たりとも関係ない」「韓国となると中国と日本は異常に団結する」、「そもそも韓国は桜の起源論争に口をはさむ資格がない」■韓国ではソメイヨシノは王桜と同じとの主張が出たが、両者のDNAは異なっていることが判明している。中国呆れる。中国の科学情報サイト・果殻網は3月31日、中国版ツイッター・微博(ウェイボー)上で、分子生物学的アプローチから見た桜の起源について紹介するツイートを掲載したところ、中国ネットユーザーの多くから「韓国は全然関係ない」という声が多く寄せられた。ツイートは、桜の起源をめぐって日中韓3カ国が言い争っているとしたうえで、分子生物学の手法によってその起源を特定するならば、 「野生の桜は数百万年前にヒマラヤで誕生し、現在栽培されている観賞用の桜は日本人が日本で育てたものである」と論じた。なお、分野や古生物上上の知見により、 サクラ属植物の原生地はヒマラヤ地域であり、数百万年前には日本でも自生していたことが定説となっている。 DNA鑑定など分子生物学の手法による研究が行われたのは、ソメイヨシノと韓国・済州島に自生する王桜について。韓国ではソメイヨシノは王桜と同じとの主張が出たが、両者のDNAは異なっていることが判明した。また、ソメイヨシノは日本で江戸時代に登場した品種で、「ソメイヨシノがソメイヨシノを受粉しして増える」ことはない。 あくまでも人為的に接ぎ木で増やしたもので、自生することはありえない。上記ツイートに対して、多くの微博ユーザーが反応。「結局、桜は日本のもの。争う点などない」、「植物学の先生は、桜の起源は中国だが、日本人がそれを熱愛し、広め、育てたと言っていた。中国人は桜を愛さなかったくせに、どうして心から桜を愛する日本人の邪魔をしようとするのかと思う」、「自然がくれた美は観賞するためのもの。起源をさかのぼることで風情を壊さないで欲しい」といったコメントが出た。そして、「つまり、韓国はちっとも関係ないということだ」、「韓国は敗退だな」、「肉親、養父、韓国はどちらにも関係ない」、「桜は日本が育てた。中国とはちょっとしか関係がない。そして韓国とは一分たりとも関係ない」、「韓国となると中国と日本は異常に団結する」、「そもそも韓国は桜の起源論争に口をはさむ資格がない」 桜の花の命は短くはかない。満開の華やかさもさることながら、潔く散り行く様子に日本人は心を打たれる。桜の起源がああだこうだ、と言い争っているあいだに、当の桜はあっという間に満開になってあっという間に散ってしまう。実にもったいない話である。
※2019年7月28日 前に中国の新聞が日本の桜を記事にして「世界各国で人気の高い桜だが、ことのほか日本では広く植えられ、現代にあっても日本人の精神の象徴とされている。それは「生時絢爛、死時毅然;通過瞬間之美、求永恆之境(絢爛たる生き様、そして毅然たる死に際。うたかたの美を通して永劫不変の心境を求む)」。と詠っていたがこういうのは流石というか欧米人より、より深いとこまで分かってるというか通じるところがあるなと思う。
※2012/03/26(月) 外地で、衛星放送の桜の画像を見た時ほど日本に帰りたいと思った時はなかった。
※先進国は大抵行ったし、アジアの近隣国もほとんど行ったが、日本ほど町中に桜(ソメイヨシノ)の多い国は存在しないよ。当たり前だけど。熱帯では咲かないし、寒帯でも砂漠性気候でもだめだし、あらゆる気候や害虫に耐えうる強靭な樹木というわけじゃないから。個人が積極的に植樹して回ってそれなりに手をかけて、ようやく花を咲かせるのが桜。街の景色が変化するほど一斉に開花して一気に非日常空間が出現するのが桜の魅力だと思うが、それを体験できる国というのは個人的には知らない。
※昔、人生に落胆して山の中に死に場所を探してたら、月明かりに照らされた桜の木の下にたどり着いた。寝転んで桜の花を見ていたら、楽しかった子供の頃とか思い出して、もう少し生きてみようと思い、死んだ気で頑張った。今は嫁も子供もいて幸せだよ。その後、あの桜をもう一度見たくて山の中を歩き回ったんだが結局見つからなかった。
※サクラ 咲き始めは可憐で恥ずかしそう、満開時は華やかで誇らしげ、散る時は潔く微(かす)かに切ない。人生を語る花だよね。
※2007/10/16(火) 前に「色気より食い気」のドイツ人に「何で日本人は桜にあんなにこだわるの?言っちゃあ何だけど、ただの花なんじゃないの?チェリーの花ならここにもあるし」と言われた。それで、 「そうだ、桜は唯の花だ。実もならない、宗教上の意味もない、唯の花だ。ただ、俺らの先祖はその唯の花を見るためだけに、独自の桜を作り出し、日本中に植えたんだ。君の国にも花を見たり飾ったりする習慣があるだろう?」と言って、姫路城をバックにした桜の写真を見せた。次会った時、向こうから「あの風景は大変綺麗だった。君らが桜にフィバーするのが何かわかったような気がする・・」と告げられた。
※2009/04/01(水) 桜は特別だね。反日国家の朝鮮でさえ起源を主張するくらいだもんな。中国様は桃や梅をアピールするも桜に惨敗。 桜の持つソフトパワーに注目 ジョセフ・ナイ教授 ワシントン】米国の首都ワシントンのポトマック河畔の桜並木の開花にあわせ、市内では全米桜祭りが開催され、日本にちなんだ行事が行われている。軍事力や経済力だけではなく、文化や価値観などソフトパワーの重要性を強調する米ハーバード大のジョセフ・ナイ教授は、「毎年、桜の花が咲くとワシントンの人たちは日本のソフトパワーを思いだす。桜は 日本文化の魅力と、寛容さのシンボルともいえる」と評価する。ポトマックのサクラは1909年、当時の東京市長、尾崎行雄が日米友好のため贈呈したのがきっかけ。 最初の苗木が害虫のために処分された後、ソメイヨシノなど3000本が贈られた。桜祭りは、日本文化の紹介のほか、日米交流の場ともなっている。ジャズに熱中する女子高生を描いた 映画「スウィングガールズ」のモデルの1つとなった長野県立蓼科高校ジャズクラブは、地元ハワード大の ジャズアンサンブルと共演した。外交関係者は「中国も梅や桃を広めようとしているが、定着した桜の持つパワーにはかなわない」と語る。第2次世界大戦中、日系米国人収容キャンプに収容された経験を持つノーマン・ミネタ前運輸長官は、桜に囲まれた議事堂近くの全米日系米国人記念碑での行事に参加。「桜は日米友好の象徴であり、この強い結びつきは何が起きようと変わらない」と強調した。
52 ::2009/04/01(水)
風誘ふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせむ
久方の光のどけき春の日に しず心なく花の散るらん
花の色はうつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
加賀千代女 『 けふまでの 日はけふ捨てて 初桜 』意味:今日までの日は今日捨ててしまおう。初桜が咲いて桜の季節だ。
松尾芭蕉 『 さまざまの 事思ひ出す さくらかな 』
小林一茶 『 茶屋むらの 一夜にわきし 桜かな 』
正岡子規 『 木の間に 白きもの皆 桜哉 』
※2009/04/01(水) 江戸時代って平和だったために、比較的裕福な層を中心にして趣味に没頭する人間が溢れてたそうでありますが、とくに花の品種改良は大ブームだったそうでありますねえ。 その頃に作られた変種の朝顔や日本サクラソウの変種だけで、 軽く数百種類は越えてるそうであります。後は、花菖蒲とか。当然桜もやったと思うでありますよ。日本人の好きな花だしねえ。
※2009/04/01(水) 朝◯野◯人どもは何がしたいんだ?日本人が桜を愛で、桜が咲くといても立ってもいられないのはそれがたとえ、どこの国の国花であろうと変わることじゃない。バラを国花とする国は世界にごまんとあるが、それがどこの原産であるかなど関係ないではないか。大体桜は国花ですらない、タダ単に日本人が桜に狂いまくる習性を持ってるだけの話なのに。悔しかったら朝◯人も負けずに桜に狂ってみればいいんじゃね?
※2009/04/01(水) 日本の現在のお茶の木と一緒ですね。挿し芽で増やしてあるから、茶畑全部が一斉に新芽を伸ばす。虫が付く前に、全部の樹から均等に伸びた新芽を機械で刈る。茶摘み前2~3ヶ月前から、一切農薬不要でお茶を収穫。中国みたいに種から育てると、芽が伸びる時期が畑内で違ってきて、新芽を食べる虫がだんだん増えてくる中で、新芽の伸びた木を選んで手摘み。収穫作業中に、農薬ぶちまけることになる。
※2009/04/01(水) 樹齢80年ほどの見所桜の大樹を日程残滓と言って、チェーソーで切り倒した民族だぞ。細長い「国花ムクゲ」を植えたけどあまりにもお粗末で、花見客が来なくなって売店のオバちゃん泣いてたんじゃなかったか? 済州等の「ソメイヨシノ原種発見」っての写真見てみな、10センチほどのミスボラシイ樹形だから。早く本当の事を教えてあげたほうがいいんじゃないですか? 「染井吉野」が実生では無い事を。
※2009/04/01(水) 桜の盆栽って結構良いよ。会社のデスク上に置いてるけど心が和む。
※2009/04/01(水) その菅原道真の歌が詠まれた頃にも桜の歌はすでにあったわけで(古今集等)。 新古今集のころになると単に「はな」と言えば桜を示すという不文律ももできているし日本人にとって桜が重要な花であることは間違いないな。
※2009/04/01(水) 菅原道真だね。桜も古来から愛されていたけど、圧倒的な中国文化の影響で桜よりも梅の方が貴族に好まれていた時期があった。その道真によって遣唐使が廃止されてから、 国風化が進み、梅よりも桜の方がより愛されるようになったみたいだ。源氏物語にも幼い匂宮(光源氏の孫で皇子)が、庭の桜が散ってしまうので、どうやったらこのままにしておけるだろうか、と独り言を言う印象的な場面が描かれている。 そして日本人は貴族も武士も庶民も桜を愛で、花といえば、桜をさすようになった。
※2009/04/01(水) まあ 桜=日本 のイメージは、世界に定着してるよな。法で定めなくても、まるで国花のように認識されるって何かすげーな。
※2016/03/01(火)この桜ってのは、日本の外交アイテムとしては、ほんと最適なものだよな。百年単位で存在して、普通の人も喜ぶし、80年台は、日本=電化製品だったのが90年台あたりから急に 日本=桜ってイメージが定着したらしいけど。
※【日中】桜が見たくて、日本へ…中国や台湾の観光客、口コミで花見が人気、日本人気に拍車:2015/04/03(金) 日本列島を北上中の桜前線を追いかけるように、海外から観光客が押し寄せている。桜の見ごろと中華圏の連休が重なったことも あって、中国などからの花見客はとくに増えているようだ。東京都千代田区の千鳥ケ淵公園は平日の30日も、国内外からの花見客でごったがえした。夫と記念撮影を楽しんだ雷永兆さん(36)は、 「桜が見たくて、台湾から来ました」。台湾や中国には「清明節」にあわせた連休があり、今春は台湾では4月3~6日、中国は4~6日が休み。この休みの前後の海外旅行先 として、距離が近い日本はもともと人気がある。最近は花見が口コミで人気となり、日本人気に拍車をかけているようだ。
※2015/02/05(木)あぁ、あとなんど桜を見れるのだろう。卒業して社会に出て働き、遊び、出逢い、助け合った 時にはケンカもしつつも一歩一歩人生を振り返りながら道を踏み外さない様に過ごしてきた。祖父が死に、祖母が死に、気が付けば親の口に入れ歯が入り、母の顔には深いシワが刻まれている。気が付けば人生を折り返している事にき、父が祖父が亡くなった年齢に近付いている。世の中に何も残せなくてもいい、たった一人でもいいから誰かに尊敬される人生を歩みたい。
※みんなのコメントから日本の桜への愛が溢れてて引いてはそれが日本への愛なんだろなぁって思ったら、色んな意味で映像と重なって涙が出た。
※2012/12/20こんなにたくさんの美しい桜と こんなにたくさんの美しい日本人に囲まれている。この日本に生まれることが出来て本当に幸せだなって心から思う。
※2012/04/19単に可憐で華やかというだけでなく、なんというか妖しい美しさなんだよなあ。 名スポットでもなんでもない近所の桜の木の下でごろんと寝転ぶのが俺の毎年の楽しみなんだが、下から桜を見上げているとまるで平衡感覚が狂ったかのような気分になるときがある。風の向きが変わるたびにゆらゆら動く様がそうさせるのかな。
※2012/04/18桜の開花で人生を数え始めたのは7歳からでした。あと何回みれるのかな…そう感じる日本人がたくさんいて嬉しい。自然が好きで親が郊外の果樹園を宅地化した処に家を買って 近隣の小山には、それはそれは立派な犬桜の古木がありました。地味な花ですが散る姿は美しく大好きな木でしたが、ある日その丘も 開発されて宅地化され、余裕のある土地なのにあっさり犬桜は切られてしまったことが今でも残念な記憶、時々その桜の夢をみます。人工的なソメイヨシノも美しいですが、時々自然公園に行って様々な品種に桜を鑑賞してください。どの桜も美しいです。
※2011/04/22(金) お花見の話でもひとつ。先日、都内世田谷某所で花見をしてきたんだけど、なんか普通に外国人が多かった。住宅地の中にある広場みたいなところだから居住者だと思う。 少年野球のコーチしてるんだか、ユニフォーム着てる人もいたし(笑) まぁ奥さんが日本人で、こちらで生活してる人が多数だから何ら不思議はないんだけど、中には遠目からでも日本人じゃないとわかる程 ド派手な格好をした女の人と彼氏の外国人カップルとか、ポッケのいっぱいあるベストにニッカポッカみたいな大工スタイルで、コンロ持参と言う、二度見してしまうほど気合いの入った外国人(だけのグループ)もいた(笑) あ、大工スタイルはひとりだけで、あとの数人は普通の格好ね。外国人が日本から消えた~とか言われてて、確かに新宿とかで見かけなくなったけどさ(私の友達も花見を楽しみにしていたけど、今回の件で日本旅行をキャンセルした) こうして一緒に花見を楽しんでる人もいっぱいいるんだね。むしろ近所で外国人見かける事が多くなったのは何故だ。
※243 :2004/04/11 桜ってやつはそれだけで200種類もあるらしーからね。ほとんど全部日本人が改良して作っちゃったみたいだ。 染井吉野が枯れたら、染井吉野を継ぐ桜がこの国に咲き誇る事になる。 桜は染井吉野だけではないからね。 そもそも桜が枯れて日本人が黙ってるワケが無かろう。「だって花見が出来ないとツマンナイし」、の一言で次の桜を植え始めるよ。
※2009/11/12(木) 関西の某所に住んでいるんだが、今年の春久しぶりに夜桜を見に行った。 街灯に照らされた満開の桜はそれはもう美しかった。ぶらぶら歩いていると向こう側から白人のおじさんとおばさん集団が嬉しそうに 桜を見上げながら歩いてきた。ふと何気なく彼らの後ろを見てみると彼らと少し離れた場所に彼らの連れであろう 白人のおじさんが口をぽかんと開け、じぃっと桜を見上げていた。そのまま一人ぼぉっと桜に見入っていたんだが、はたと我に返ったようで自分が皆 に置いていかれていることに気づき慌てて仲間のもとに戻っていった。そんなに桜が美しかったのか、時を忘れ我を忘れて桜に夢中になっている外国人に和んだ。
※2012/04/07(土) 小学校の国語の教科書に良い話があった。うろ覚えだけど。 川が氾濫した際、ある人物が桜の植わっている所だけ崩れていない事に気が付き、 彼は川の土手に桜の木を植え始めた。 周囲の人からは「変わり者」「蝉の穴で水が漏れる」と非難され続けた。それでも彼は桜を植え続けた。 そして時は過ぎ、再び川に大洪水が起こった。 川は瞬く間に溢れ、次々と土地を侵食していった。 ただし、成長した桜の場所だけを除いて。 これ以降、人々は彼の偉業を認め、皆が協力して桜を植えた。それからは大雨が降っても川辺が崩壊することは無く、人々に平安の暮らしが訪れた。 それだけではない。人々は彼の信念を称え、桜と共に彼の偉業の開化を祝ったのだ。 桜は見た目が良いからという理由だけで植えられるのではない。人目には見えない根を張り、人々の暮らしを守った。だから植えられたのだ。 何よりも、桜を植え長き冬の時勢をしのぎ、花を咲かせた人物の陰の努力を忘れてはならない。
※2007/04/14(土) 以前、大学の同級生のインド人が言ってた。西洋の誰かがパンドラの箱を開けてしまったが為に大航海時代という(有色人種にとっての)災厄が世界中にまき散らされてしまった。そのパンドラの箱から最後に出てきた小さな小さな希望、それが日本だったのだ、と。
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