2014年10月8日水曜日

ノーベル賞を受賞した中村さんのインタビュー記事を読んで。

青色の発光ダイオードの研究で、日本人3人(中村さんは米国籍か、元日本人というべきか)が受賞した。
 目配りの効いた受賞だと思える。
 お祝いの言葉を述べたい。

 なによりも、この発明というものが、普遍的な「照明」「明かり」というものに関与していることが、嬉しい。
 蛍光灯などに代替する明かりを提供したことになる。
 そういう生活に密着したというか、基礎的な部分で、世界の人々に貢献できた—という部分がなによりと思う。

 受賞者3人のうち、元日亜化学の技術者であった中村さんの感想は、やや特異な感じがした。
 なんなのだろうなぁ。
 この特異さというか、違和感は。

 一匹狼だといえばそう。
 でも、なにか自分で自分を追い込んでいるような—そんな感じがするのだが。

 以下、新聞から抜粋。

--受賞決定の電話があったとき何をしていたか

 「寝ていた。30%ぐらいは寝ていて、70%は眠れていなかった」

--研究を始めた約20年前に(受賞を)思っていたか

 「まったく考えていなかった。会社(日亜化学工業)に入ったときには赤色LEDだけを扱っていて、売り上げもよくなかった。
 会社の人には赤色LEDを推されていた。売り上げがよくならなかったので怒った。

 (小川信雄)会長に『青色LEDを作りたい』と言ったら、『いいよ』とお金も出してくれた。
 海外に行ったこともなかったので『1年間留学したい』といったら、それも『いいよ』と。
 
 米フロリダ州の大学に留学した。
 留学して分かったことは、米国では博士号が大事だということ。
 それがなければ、ただの実験助手。
 日本に戻ってきたときは、博士号を取るのが夢だった。LEDが夢ではなかった」

--誰に一番感謝していますか

 「小川信雄会長。最高のベンチャー企業家だ。次に、カリフォルニア大サンタバーバラ校(UCSB)のヘンリー・ヤン(楊祖佑)学長。彼が一番支援してくれた」

--日本の研究者が海外、特に米国に出てしまうことはどう思うか

 「米国は研究者にとって自由がある。アメリカン・ドリームを追いかけるチャンスがある。
 日本だとそういうチャンスはない。今でも、性別や年齢、健康状態などによる差別がある。
 日本の会社で発明したとしても、ただボーナスをもらうだけ。米国では何かを発明すれば、会社を立ち上げられる」

--今回の受賞は日本にとって、どういう意味があると思うか

 「ただ、日本では、何か発明したとしても会社がグローバリゼーションの視野を持っていない。
 初めはよくても、だんだん落ちていく。米国はその逆でさまざまな人種がいて、グローバリゼーションの視野がある」

--今は何を研究しているか

 「LEDの効率、効果をさらに上げる研究をしている」

--モチベーション(動機づけ)を高める方法は

 「怒りだ。それがすべてのモチベーションを生み出すと思っている」



▲補足、感想など

 どこに筆者は違和感を抱くのだろう。
 会社からすれば、海のものとも山のものともしれない研究者を抱えているわけだから、研究成果というものが、個人のものになるはずもあるまい。

 確か、青色のダイオードを完成したとき、200万円?のボーナスが出たきり—とかの話だったなぁ。
 日亜化学との確執は知られているが、中村さんの性格の狷介さ--という部分も確執の理由として大きかろう。

 上で一匹狼と書いたが、お金とか設備とか、様々な形での周囲からの協力がなければ、やはり仕事はできない。
 オレ一人が「天才」だと誇ってみても、成果は上がるまい。

 上掲の記事の「怒り」という言葉は、どうにも納得できない。なにへの「怒り」なのであろうか。<自分は不遇だとでも?>
 むしろ、「周囲への感謝」であるべきではないのだろうか。

 また、アメリカでの研究の自由さということを讃えられているが、どうだろうか。
 人間の感情というものが、アメリカ人であろうが、日本人であろうが、大差はあるまい。

 アメリカでの「博士号」の価値ということを言われているが、それは多民族国家であるが故に、なにか「肩書」が異民族の能力を見分ける「有力な手段」となっているからだ。

 筆者には、中村さんという人の言動(上のインタビュー記事を含めて)は、自分で自分をなにか「狭い檻」に追い込んでいるように感じる。

 自分の好きなことを思う存分やらせてもらっているのだ---そのことをまず、周囲に感謝するということが、次のステップを切り開くことになるのではあるまいか。