▲3次元プリンターでまったく同じものを作って動かしてみたら、まともに動かない—なぜだろう? ということだろう。
だから。
そこに100年かけた日本人のノウハウがあるのさ。
日本は、英国発の産業革命に100年遅れた。それが先の大東亜戦争で敗北した理由の一つでもある。
人食い中国人は、実に英国の産業革命に200年も遅れた。日本人とは100年という「差」があるのだ。
この100年もの差があるのが一つだが、20世紀の半ばごろに、「技術的に追いつけるか追いつけないか」の「技術的なタイムリミット」のようなものがあったらしい。
20世紀なかばの段階で、日本は戦艦大和をつくり、ゼロ戦をつくった。
この20世紀半ばで「ノウハウ」を蓄積できたことが、「最先端」になんとか「追いつけた」理由らしい。
(技術系の人がそんなことを書き込んでいた)。
中国人って、「遅れて出発」した民族<民族としての個性なのだろうな>なのだ。日本に100年遅れ、20世紀半ばの「タイムリミット」にも遅れた---そういう民族だということだ。
以下、新聞から抜粋。
020/05/20(水)
自動車の心臓部と言えばエンジンであり非常に重要なパーツだ。中国の自動車メーカーはこれまで長い間日本製のエンジンを使用してきた。ユーザーからも日本製のエンジンは好評で、日本製エンジンを分解して研究開発した中国製が作られるようになっても、日本製の品質には遠く及ばないようだ。
中国メディアの今日頭条は17日、「日本のエンジンを研究して数十年経つが、いまだに理解できないのはなぜか」と題する記事を掲載した。「部品をばらばらにしても分からない」そうだ。
なぜ模倣しているのに同レベルのエンジンが作れないのだろうか。それには3つの理由があるという。まずは日本のエンジンが「熱間加工を採用して組み立てしている」ことを指摘。
これによりすき間を埋めているので、壊れにくい設計になっているが、それは逆に分解が難しいということでもあり、無理に分解しても部品が壊れているので模倣したところで同じ性能は発揮しないとした。
2つ目は「材料の質」の違いだ。エンジンは回転数がけた違いなので、普通の材料を使ったらすぐに壊れてしまうと指摘。そのため高強度の材料が必要だが、この面で日本の技術が高いのだという。
最後に挙げた理由は「若者の機械離れ」だ。中国を工業強国とするために国産エンジンを発展させようとする気概のある若者がおらず、今の若者は「エンジンよりもネット配信で手早く儲けようとする」と不満そうに伝えた。
記事に対して、目先のことばかり追求するのは若者だけでなく、中国全体の問題だと指摘するコメントが多く見られた。「昔はみんな不動産や株に熱中していて、今人気なのはイケメンやネットの有名人だ。教育や科学技術に関心のある人などどれだけいるのか」との指摘や、「いかに手っ取り早く稼ぐかが求められているのに研究の時間などない」といった本音も見られた。こういう社会だからこそ手っ取り早く日本製の真似をしようとするのだろうが、これではいつになっても高性能のエンジンは作れなさそうだ。
▲補足、感想など
中国は科挙の国だ。
隋から清まで、1000年以上も「科挙」に合格することが、出世の登竜門であった。
科挙の中身は、詩経などの「文系」のみだ。
だから。
科挙にも合格しないような肉体労働者を卑しんだのだ。
今だってそうだろう。
作業着を着て、油だらけになって、仮眠をとりながら徹夜と続けてエンジンの改良なんて、する労働者はいまい。
中国をめぐる科挙、儒教のあたりの文章をみようか。
-ここから-
中国のジャーナリスト・周来友氏は「教育制度に原因があります。
詰め込み、試験偏重による丸暗記が多く、創造性に欠ける」と指摘する。
さらに周は「貧しかった中国を手っ取り早く発展させたので、他人の成果を真似るパクリ文化が広がり、地道な研究は苦手なのだ」という。
実は日本だって戦後は似たような部分を持っていた。
しかし中国、韓国が基礎研究分野等でノーベル賞を受賞できるような成果を上げられないのは、彼らの国を覆う思想に根本的根拠があるのだ。
中国・韓国が“地道な研究は苦手”というのにはキチンとした理由がある。
未だに儒教・朱子学の思想が強いのがその主たる理由なのだ。
日本で云うと士農工商という身分社会を有していた江戸時代の社会思想だ。
この思想のオリジナルは中国であり、日本にも奈良時代の律令制度のような形で入り込み、韓国は中国に支配を受けていた朝鮮時代を中心にその影響を強く受けたと言われる。
日本では「士=サムライ=実質的支配者」であり、中国・韓国では「士=士大夫=官僚/両班=実質的支配者」の構図だ。
儒教は中央集権国家の根本であり、簡単に言えば選ばれしエリートが愚民を指導・教育し国を運営するという思想だ。
中国・韓国は、エリート出身大学かどうかで人生が大きく変わる。
日本だって公務員上級試験をパスした連中がキャリア組と言って特に客観的な理由もなく霞が関で出世コースがノンキャリアに比べて優遇されているのは、江戸時代の儒教思想の名残だと言える。
いわゆる科挙制度だ。
そういう意味では現在の日本も僅かだが政治機構の中に儒教思想が現存する。
こうした思想の影響のため、中国・韓国には日本のような「老舗」がない。
儒教国は日本のように何代も継続する酒屋やお菓子屋のような仕事を社会的に非常に下に見る傾向があるからだ。
儒教国の国民にとって、地道にコツコツやることは、エリート頭脳階級と比較して社会的価値が低いという信仰があり、これが基礎研究者の育成や製造業の継続を阻んでいる。
また頭脳よりも肉体を使う仕事や技術的業務に携わる人々の社会的地位が低いのはこうした背景があるからだ。
だから製造業が根付き難い社会環境で、島津製作所の社員でノーベル賞を受賞した田中耕一氏のような人材は中国・韓国からは非常に出にくいと言える。
ここまで語れば何故中国・韓国が“地道な研究は苦手”という一端が分かるだろう。
10年も20年も成果や褒美が出るかどうかも分からない仕事をコツコツやることは、日本人には美学だが、彼等には人生の無駄とさえ映るのだ。
これは良い悪いではなく、そういう信仰の下で国をまとめている彼らの宿命だと言える。
日本では尊敬される造り酒屋や何代も続いたお菓子の老舗、漫画家や小説家なども中国、韓国では社会的地位が非常に低い。
そのために、彼等は直ぐに結果の出るものに飛びつく傾向があり、蓄積が出来難い社会構造になってしまったのだが、その根本には儒教思想が根強くあるのだ。
2005年に韓国のファン・ウソク教授がES細胞論文不正事件で世間を沸かせたが、こうした背景には、成果への大きな焦りがある。
また中国や韓国が金にまつわる部分に日本人には理解できないようなこだわりや執着、問題を見せるのは、エリート的な支配分野以外で社会的地位を確保する手段が金銭面での成功くらいしかないからだ。
もしも中国・韓国が地道な研究に人員を集めるためようと本当に考えるのであれば、彼等の社会に無色彩に存在する儒教思想の毒を一度解毒するしかないと思う。
中国にも韓国にもノーベル賞を受賞できるような優秀な人材がいるはずだが、彼等がこの点を理解しない限り、将来に渡って科学分野のノーベル賞を生む事はかなり難しいというのが私の見解だ
-ここまで-
科挙、儒教という歴史、産業革命に200年遅れ、20世紀半ばの技術的タイムリミットに遅れた---諸々の条件をみると、人食い中国人のエンジン自作は難しかろうな。