2020年6月13日土曜日

バガボンド 井上雄彦著 株式会社講談社 感想


バガボンドなる言葉は、放浪者という意味のようだ。
 吉川英治の宮本武蔵を原本として井上雄彦氏が漫画化したという体裁だ。

 でも。
 このゾクッとした感覚はなんだろうか。
 漫画というものが、これだけ「深い表現ができる」---ということに軽い衝撃を受けた。
 いや、全巻を読んでの感想ではない。
 8巻の武蔵と胤舜(いんしゅん)との戦いの場面を見ての感想なのだ。

 ちょいと前置きが必要か。
 最近、ユーチューブで漫画の起承転結という「筋」の解説などを見ていたからだろう。
 漫画の「起承転結」という流れと、上で紹介した井上雄彦氏の武蔵と胤舜の戦いの展開は、「起承転結」なんてものをふっとばしている。
 吉村昭さんの小説を読んでの感想とも違う。

 漫画という映像と吹き出しの文章だけの表現でも、ここまで深い・インパクトのある「恐るべき情報伝達手段」だと改めて思った。
 
 筆者の感想だけでは偏ろう。
 アマゾンでの感想も転記しておきたい。

 -ここから-

これは絵で書かれた武士道の書物だと感じます。武士道を知れるきっかけとして素晴らしいです。
新渡戸稲造さんが英語で「武士道」を書いたことによって武士道が世界に知られるきっかけになったと聞いています。絵で書いたことによって武士道が今の若年層に知られるきっかけになってほしい、そう個人的に切実に感じました。もっと早く出会いたかった...しかし情報社会だからこそ出会えました。死ぬまで何度も読み続けます。作者様に本当に感謝です。

悩める青年の物語
この物語は宮本武蔵という侍の物語であると共に自己のアイデンティティーを模索する悩める青年の物語でもあります。関ヶ原以後、「剣」という物は平和の世で意義を失ってゆきます。武蔵のように剣に自己を見いだそうとする者にとっては難儀な時代だったでしょう。
いつの時代も青年は自己のアイデンティティーに悩みます。そう見ると武蔵もまた悩み続ける青年であったと言えます。

見つめて欲しい、“人生”
煩悶、懊悩、夢、希望。人間のあらゆる想念の渦を巧みに描いた、吉川英治作『宮元武蔵』を原作に持つ傑作!
人はどこまで昇ってゆけるのか。また、どこからでも昇ってゆけるのか? 前を見続ける武蔵と、先が見えずに彷徨する又八の対称的な像に、読者は自らの人生を当てながら
読んで欲しいと思う。人生っていろいろだ、だからみんな成長する。プラスにも、マイナスにも。

子供に読ませたくない漫画
「子供に読ませたくない漫画」と、井上先生自身が公言していました。 何故なら『バガボンド』は、人間の闇を描き、人を傷つける力を持っているから。 始めの武蔵は表紙からも伝わるように、「怒り」や「死の恐怖」で、ガチガチに力が入っています。 しかし、流浪と修業と闘いの旅を通し逸脱して、「優しさ」や「温かさ」でフニャフニャな武蔵に変わって行きます。 絵自体も、ガチガチのペン画からフニャフニャの筆絵に変わって行きます。 その、鋭利な武蔵が丸くなる成長過程が醍醐味で、また、最初から丸い存在の小次郎の聾唖と言うキャラクター性も面白く、真の「強さ」とは何か、武蔵自身も読者自身も気づかされます。 無垢な子供以外にはおすすめの、『宮本武蔵』ならぬ『井上武蔵』です。

「こりこり」する漬物がたべたくなる
 トップ漫画家、井上雄彦先生の歴史漫画。ストーリーは吉川英治先生の「宮本武蔵」をベースにしている。したがって、吉川先生の小説を読んだことがある方は、次どんな展開が起きるんだろうわくわく、という楽しみ方はしにくい。しかし、なんといっても、この漫画は画力がすごい。決闘、追い込まれた人間の描写はなかなか迫力がある。また私は特に、この漫画の“食べる”シーンが好きで、この漫画で登場人物が食べ物を食べているシーンを読むと、お腹が減ってくる。「こりこりこり」と漬物が食べたくなる。原作では、武蔵が佐々木小次郎を倒す所までしか書かれていないが、井上雄彦先生には、武蔵が晩年、名を挙げようとする者達に追われるのに疲れ、静かな庵で「五輪の書」を書き、亡くなるまでを書いて欲しい。期待したい。 装丁がきれいなので、本棚にあってもとてもファッショナブル。好きなシーンがある巻だけ買うのも合理的。とくに漫画喫茶での読書にはもってこいの作品だ。

これ以上の宮本武蔵は他にない!
吉川英治の「宮本武蔵」を井上雄彦が読みやすく解りやすく描きおろして話題の作品です。
井上雄彦氏の心理描写って素晴らしいですね。人間の様々な感情を言葉と絵にして表現する、コマ割りも絶妙です! 是非、大人に読んで欲しい、読まないといけない作品であると断言しますっ!原作は吉川節らしく時代劇的な作品ですが、気に入って読んでいた作品なので、当初は井上氏が描きおろすとどうなるか不安もありましたが、出世作「スラムダンク」を超える勢いは周知の通りです。

最高
剣だけでなく、人生を描いた漫画。いい言葉たくさんあり。かなり役に立つ。いい漫画、素直におすすめします。人生の漫画だね。いわばさ。
役に立った

これこそが革命マンガだ!
 歴史小説「宮本武蔵」を原作とした、重厚な物語を基盤としたマンガである。著者・井上雄彦氏は、出版10年以上経た現在でも爆発的な支持を受けている「スラムダンク」(集英社)などの作品でも知られている。
 「バガボンド」の特徴を言えば「文学的、重厚的」ということであろう。「小説が原作なのだから、それは当たり前ではないか」と思う人がいるかもしれない。しかし小説の登場人物の性格・心理描写・行動・物語の展開といった複雑な過程を、「平面的な絵」の上に表現することは並大抵の技術ではできない。しかし、作者はそれを見事なまでに成功している。神業的とさえ言えるだろう。
 一人一人が人生の「過去」を背負って、「現在」を生きている。それは一つの「物語」である。宮本武蔵の「物語」、又八の「物語」、お通の「物語」、そして後々登場する佐々木小次郎の「物語」・・・・。そしてそれぞれの運命が交錯していき、一本の「物語」へとつながっていく。宿命ともいえる雄大な「物語」である。原作に全く忠実に描かれているわけではない。辻風黄平や佐々木小次郎の物語設定は、その一つであろう。原作と違う点を出す事によって、違った世界観や人生観が出ていて面白い。漫画家の筆によって登場人物が息を吹き込まれ、展開していくストーリーは見ごたえがある。普段は小説しか読まない人にも是非お勧めしたい本である。それほど完成度は非常に高い! 
 
アノミーの世界で
いまでこそ3500万部突破などという驚異的な売れ方をしていますが、発売当初に井上雄彦さんが、「宮本武蔵」を題材にあげることの意味がわからないという疑問が大方でした。『スラムダンク』であれだけの熱狂を起こし充電期間を経た後だったからよけいです。
でも、こうして既刊を読み通してみると、その意図がよくわかる。武蔵の時代は関が原が終わり、徳川統治300年の退屈な日常が訪れる、かつ戦国時代という下克上の秩序が急速に失われていく日本社会の大転換期です。いままでの常識が通じなくなり、政権の移動などダイナミックの歴史の波は停滞します。織田信長や豊臣秀吉などの個人が武勲を立ててヒーローになる時代は終わりを告げようとしていました。そういう退屈な日常の世界は、たけぞうのようなアウトサイダーにとっては、窮屈で生きにくい時代でしょう。そんな時代の中で、「自分」というものの方向性や居場所が不明確で混乱している彼は、生きるのが苦しくてしかたがない。戦争がないから社会も彼を必要としてくれない。はたして彼が生きていく意味と価値はあるのか?。武蔵は、旅と剣を通して、自分の人格を確立していく「道」を求めるようになります。これは正統なビルドゥングスロマンであり、かつそれ実践した歴史上の人物がいるというリアル感も、すごいものがある。いまの時代の退屈さの中で、社会規模ではなく個人が解放と自分の居場所を見つけるために、あがくたけぞうの姿を描くことは、強い共感を得ることは必定だと思うのです。この時代の武芸者やかぶきものたちは、すでに社会のヒーローとなることよりも個人の人格の充実を優先している節があります。柳生にせよその他の放浪者にせよ。たぶん、ほんの20年前の戦国期ではありえないことでしょう。終わらない日常で、人格を充実して生きるすべが描かれているような気がします。

共感できる武蔵像。
『バガボンド』の評判は知っていましたが、自分の抱いている宮本武蔵のイメージと合わないような恐れを感じて今まで読みませんでした。最近、著者の絵を拝見する機会があって、武蔵の絵を見た瞬間、この作品に呼び戻された感じです。武蔵は、日本の武芸者としては最強の男であったと考えています。二天一流は、武蔵以外使えなかったわけで、彼の類稀な筋力だけが使える剣術であったようです。若いうちには、剣の強さを執念で追い求めた武蔵が、本当の人間の強さに目覚めるのが日本の「道」に通じているのですが、宮本武蔵に幾多の人が惹かれている部分でしょう。
1巻では、荒馬のような武蔵が登場します。
抜けた存在は日本の社会では異端視されます。強いがゆえにスポイルされる若き武蔵。
著者の絵は、現代人が共感できる武蔵像であるように感じました。
この先が期待で胸膨らみます。


漫画の昇り龍
1巻では、この漫画の真骨頂はでないと思う。読むなら10巻まで読んで評価したほうがいいと思う。
サムライ漫画として一番完成度が高いと思う。ありえない、ありきたりとマイナスな所も時々あるけど、それでも面白いと思う。少なからず作者のこの漫画に取り組む威力は凄まじくて読んで自分にも伝わってくる。

 -ここまで-

 冒頭でふれた。
 漫画という「手段」が、ここまで「深い表現」ができる・可能だという点で、軽い衝撃を受けた本だ。