▲ユーチューブをみていると、ペルーのニッケイ料理というものを散見する。
また、最近は、このニッケイ料理を武器にして、ペルーの料理人達がニューヨークとかスペインなどで店舗を構えているようだ。
ニューヨークに出店したニッケイ料理をみて、すくなからず驚いた。
スシのにぎりがもはや、お米ではないのだ。ジャガイモを潰したものになにかを混ぜたもの、また豆腐料理といっても豆腐の形をしていない。
いや、筆者はこの在米の日系ペルー人(名前ももう日本人ぽくない)の料理をけなしているのではない。
なにか、日系ペルー人による「日本文化の発展形」だなぁ、と感心している。
まず、このペルーのニッケイ料理の基礎知識から、記事をみてみよう。
2018/9/27
和食が世界的にブームとなるなか、南米ペルーではペルー料理と和食が融合した「ニッケイ料理」という新たなジャンルが定着しつつある。主な担い手は両国の文化を知る日系人だ。ニッケイ料理は美食の町、ペルー・リマの食文化発展に寄与している。
リマ中心部のミラフローレス地区に、ペルーで最も予約が取りにくいといわれるレストランMaidoがある。高級車が次々と乗り付け、平日のランチの時間帯にもかかわらず、キャンセル待ちで並ぶ人が絶えない。2017年にはイタリアの飲料水メーカーが選ぶ中南米で最高のレストランに選ばれた。
ニッケイ料理の特徴はその完成度の高さだ。ペルー料理と和食を高いレベルで融合させており、「なんちゃって和食」とは一線を画する。
例えば、ペルー料理を代表する「セビーチェ」も、魚の切り方や調味料、ショウガなどの組み合わせで和風にアレンジ。しょうゆの香りがどこか懐かしさを感じさせる。逆に和食の素材にマヨネーズなど西洋の調味料を組み合わせる場合もある。盛りつけにも和食の技術がふんだんに生かされており、目で楽しみ、舌で味わうことができる点も現地の富裕層に受けている。
高いレベルの融合を可能にしているのが、日本にルーツを持つ日系人の存在だ。ペルーは南米でブラジルに次いで日系人が多い。Tzuruのシェフ、マサノブ・ハマダ氏(38)は「日本の食材や調理手法をペルー料理に合わせるように心がけている」と話す。サーモンやアボカドにゴマをまぶすなど大胆なアレンジも特徴だ。
また、食材という点でも日系人の貢献は大きい。現在のペルー料理に欠かせないタコはかつては見向きもされなかったが、日系人が調理に使うことで次第に定着したという歴史を持つ。リマの中央市場を訪れると、店頭には白菜や大根など日本でおなじみの野菜が並ぶ。こうした歴史や文化の蓄積もニッケイ料理の定着には不可欠だ。
リマの中央市場では白菜や大根など日本の野菜が販売されている
もともとペルー料理は定型に固執することなく、他国の文化を採り入れることに寛容だ。40年以上にわたり伝統的なペルー料理の研究を続け、古都クスコでレストランPUCARAを経営する鈴木健夫氏(68)は「ペルー料理は時代に合わせ、若い人たちが発展させてきた」と語る。
漫画などサブカルチャーをきっかけに日本に関心を持つペルーの若者は増えており、もはやニッケイ料理は日系人だけのものではなくなっている。太平洋を隔てて地球の反対側に位置する両国だが、料理を通じ、心理的な距離は確かに近づいている。
<マメ知識>政府が「美食外交」推進
日本でもよく見かけるようになったペルー料理店だが、実はペルー政府が国を挙げて海外での普及を進めた「美食外交」の成果だ。かつてハイパーインフレや左翼ゲリラによるテロなど悪いイメージが強かったペルーだが、料理というコンテンツで国のイメージの向上に取り組んだ。
2011年には米州機構(OAS)がペルー料理を米州大陸の世界文化遺産として登録し、その地位を確固たるものにした。現在ではペルー料理を農産品の輸出にも活用するなど、したたかな戦略が垣間見える。
▲補足、感想など
要は、「美味しければイイ」。
この単純極まりない原則に行き着くためには、やはり、「多くの試行錯誤」が必要だ。
日本には、2千年近い「試行錯誤の記録・記憶」が残っている。
日本料理の背後には、二千年近い「試行錯誤」が潜んでいる。<日本のこれから世界へ打ってでる武器は、このコンテンツというか、二千年近い試行錯誤の記録・記憶だろうな。アニメ・漫画だけではなく、農業・工業・商売のあり方まで>
ニューヨークに出店した日系ペルー人の料理人は、実に意気軒高であった。冒頭でふれたように、寿司が「お米」である必要があるのか---というのだ。なにか、日本料理が「次の舞台」に飛び込みつつあるような気がしないか。
もう、少し、ペルーのニッケイ料理の記事をアレコレみてみよう。
--ここから--
日本の味がペルー料理に影響を与え始めたのは、日系2世が活躍し始めた1960年代後半~1980年代にかけてのことだ。そして2000年以降、ペルーで起こったグルメブームに素早く反応したのが、3世代目となる若き日系人シェフたち。
自分たちのルーツである日本の食(文化)の歴史をひもとき、ペルー料理に日本料理のエッセンスを加えながらも、ペルー人の味覚に合うようアレンジ。テレビの料理番組などで、日系移民の歴史からその料理の特徴にいたるまでをわかりやすく説明していった。
こうして「コミーダ・ニッケイ」は、一つの料理ジャンルとして確固たる地位を築いていったのである。
ウォールストリート・ジャーナル紙も絶賛する、「ニッコー」の「セビーチェ・ニッケイ」。タマリンドの甘酸っぱさとアヒ・リモ(ペルーの唐辛子)のピリッとした刺激のコンビネーションが絶妙なかでも、日本料理のアレンジを加えることで進化したのが「セビーチェ」。
ペルーと日本の食文化における最大の共通点が「生魚」を食べる習慣で、「セビーチェ」はヒラメやニベなど新鮮な生の魚介類をレモン汁と塩、唐辛子などで和えたペルーの伝統料理だ。
現在では、ペルーの文化遺産にも指定されるほど国民に愛されており、セビーチェを中心とするシーフード料理専門店は、「セビチェリア」と呼ばれている。
首都のリマ市東部のラ・モリーナ区にある「ニッコー」(Nikko)は、そうしたセビチェリアのひとつ。
メインシェフはペルー料理界の重鎮ガストン・アクリオ氏の下で長年働いていた日系人、オマル・フランク・マルイ氏。「ニッコー」という店名は、「ニッケイ」とオマル氏の頭文字である「オ」を組み合わせ、「ニッケイ風味」を強調したものだ。
同店ではマグロやタコといった日本料理の素材を、甘酸っぱいペルー産タマリンド(さやに覆われた甘酸っぱい果肉を食べる)のソースで優しく包み込んだ「セビーチェ・ニッケイ」が人気で、2012年のウォールストリート・ジャーナル紙で「ペルーでもっともおすすめのセビーチェ」として紹介された一品。
伝統的なセビーチェではグラッセしたカモテ(サツマイモ)を添えるのが一般的だが、「セビーチェ・ニッケイ」ではカモテを細く削ってカリカリに揚げて添えることで、マグロのねっとりとした食感を和らげるなど、これまでのセビチェリアにはなかった斬新なアイデアが注目されている。
また、セビーチェで使用される魚はブツ切りが一般的だが、料理に合わせて魚の筋目を見ながら切るという和の調理法を取り入れたことも特徴のひとつ。これまでにない舌触りを実現させた。
さらに、コミーダ・ニッケイを切り開いた故ロシータ・ジムラ氏の代表作「プルポ・アル・オリーボ」(タコのオリーブソース)や、先駆者の一人アウグスト・カゲ氏の「カラコレス・デ・マール」(つぶ貝のうま煮)など、1世代前の日系人が生み出したニッケイ料理にスポットを当て、同じレシピで再現しているのも一般のセビチェリアとは大きく違う点。先代が拓いた歴史やルーツに誇りを抱き、日系文化に敬意を表して料理を提供するという証でもある。
セビーチェは、もともとは塩やレモンでしっかり締めて食す料理だったが、刺身の新鮮なおいしさを熟知していた日系2世が、レモンなどでさっと和えて食べることを考案。
現在では、こちらの調理法がスタンダードとなっており、魚の扱いに長けていた日系人の技や味覚が、セビーチェを変えたと言っても過言ではない。なかでも「ニッコー」は、さらにセビーチェの新たな魅力を打ち出したと言える。
日系人ならではの自由な発想で作られた「ニッコー」の料理は、好奇心旺盛なペルー人たちの舌を魅了している。
「マキ」(巻き)を通じて日本料理を大衆化したスシバー
一方、日本料理の代表ともいえる寿司をアレンジして、「コミーダ・ニッケイ」を牽引しているのが、リマを中心に店舗展開している寿司バー「エド・スシ・バー」。それまで格式高かった日本料理を「大衆化させた」と言われている店だ。
考案者の名前を冠した「セイジ・マキ」(29ソレス=約1040円)は、サーモンとアボカド入りのマキを天ぷらにすることで、海苔の黒さが目立たないように工夫されている。ペルー料理を世界に広めた“世界のノブ”こと松久信幸氏が、ペルーで腕を振るった「松栄鮨」。その共同経営者、ルイス・マツフジ氏の親族にあたる日系人のマツフジ一家が、「エド・スシ・バー」を共同経営する出資者たちの中心だ。
その出資者の一人であるラファエル・マツフジ氏は、ずっと疑問に感じていた。「セビーチェは生魚なのに、ペルー人はなぜ寿司や刺身がダメなのだろう?」。味付けがされていない、完全に生の状態である、寿司や刺身をペルー人は好まないのだ。そんななかグルメブームを迎え、ラファエル氏とその家族は2004年にリマ市サン・ボルハ区に「エド・スシ・バー」を開く。当初は誰も客が入ってこないありさまだったというが、しばらくして瞬く間にファンを獲得していった。その起爆剤となったのが、日本の巻き寿司をペルー風にアレンジした「マキ」だ。
ペルー人は海苔の黒さを嫌うため、「マキ」は寿司飯を表にして巻く「裏巻き」を基本とし、その味も甘めに仕上げている。サルサ(ソース)を多用するペルー料理に倣い、様々なサルサを考案し、マキの上にかけた。その代表的なメニューがセビーチェの味を再現した「マキ・アセビチャード」だ。 エビフライとアボカドを裏巻きで巻いて、上にマグロの薄切りを載せた。その上には魚介のうま味が溶けだしたセビーチェのエキスにマヨネーズを加えた「サルサ・アセビチャード」をかけ、まろやかに仕上げた。このマキが、日本料理に親しみが薄かったペルー人たちのハートをつかみ、店の評判が一気に広まった。
これまでに考案した「マキ」は60種類以上。定番の20種に加え、毎年5~6種類の新作マキをメニューに加えている。平均客単価は65ソレス(約2,340円)、1人当たり平均18個程度の注文があるという。
親族と信頼できる仲間が一致団結して行う彼らの堅実な経営は、ペルーにおけるビジネスの成功モデルといわれている。今や同店はリマ市内を中心に10店舗を構え、350人の従業員を抱える一大企業だ。「私たちは和食とペルー料理を融合させた料理を提供しています。しかし、基本は日本料理なのです。魚の鮮度にこだわり、日本料理の技も守っていく。新しい料理に挑戦しつつも、シャリやタレなどの基本は忠実に守り続けなければいけないと思っています」とラファエル氏は語る。「エド・スシ・バー」のこうした和のこだわりが、多くのペルー人を虜にし続けている。
--ここまで--
ペルーの国策的な「ニッケイ料理」の外に向けての売りであろう。
日本料理の背後にある二千年近い試行錯誤の蓄積が、いい方向へ発揮されることを望みたい。
※追記
ペルーが美食国家として売り出しているものだから、同じスペイン語圏であるチリとかアルゼンチンなどが、「どこに秘密があるのか」と知りたがっているようだ。まぁ、ユーチューブを見ていると、フュージョン(ゴチャマゼ)料理だから--てなペルー側の説明が多い。
さて、どこに核心があるのだろうか。おそらく、とここからは筆者の推定だ。リマのマイドの店主である「ミッチャ」は、ユーチューブであからさまにしている。「ミッチャ」は、料理をしながら説明している。料理の中で、「ホンダシ」、「ミソ」、「ショウユ」、「コブジメ」など「日本料理の調味料とかテクニック」を様々な料理の中で混入して使っているのだ。ミソ、ホンダシなんて、ユーチューブで「秘密」をバラしているのだが、「ミソ、ホンダシ」自体を知っているチリ人、アルゼンチン人も少なかろう。つまり、オープンにしているのだが、「モノシラズ」には、秘密となってしまうということだ。
知識は力だ---ということをつくづく感じるなぁ。