▲表題のようなことをいう担当者って、はっきり言ってアホだろう。
大量の野良犬、野良猫を飼い続けるなんてできっこないではないか。
犬猫って15年くらいの寿命だ。
人間の5倍ぐらいのスピードで生きていると考えれば当たっているか。
成長も早いのだ。
飼っている内に子供も生まれる。さらに孫の世代まで生まれてくるのだ。
そんなものが飼えるわけがあるまい。
だから。
まず、「殺処分ゼロ」というスローガンを放棄せよ。
引き取りての多い時は、殺処分を少なくします。引き取りての少ないときは殺処分を多くします—でいいではないか。
それが、「合理的な対応」というものだ。
それを最初から「殺処分ゼロ」と打ち上げてしまえば、自縄自縛(じじょうじばぐ)でにっちもさっちもいかなくなる。
できもしない大見得を切るな。自分で自分を窮地に追い込むな。
以下、新聞から抜粋。
県が掲げる犬猫の「殺処分ゼロ」の方針に、疑問や批判の声が相次ぐ。
県動物保護センター(平塚市)に収容された犬猫の引き取り、譲渡先を探すボランティアに負担が集中しているから。
黒岩祐治知事は施策を継続するが、動物を「生かす」ために課題が山積している。
「センターから民間に動物が移動している。理想だけでなく、足元を見てから展開してほしい」。
12月の県議会厚生常任委員会。
陳情に立ったNPO法人神奈川動物ボランティア連絡会の代表が訴えた。
同センターは、犬は2013年度から3年連続、猫は14年度から2年連続で殺処分ゼロを達成。
黒岩知事は「達成は快挙」と喜んだが、登録ボランティア頼みなのが実情だ。
15年度は、センターが収容した犬396匹と猫623匹のうち、ボランティアが犬175匹、猫は約8割に当たる495匹を引き取った。
「もう限界」。
猫保護団体「たんぽぽの里」(相模原市中央区)の代表(51)が漏らす。
15年度に県センターから引き取った163匹の大半は、引き取り手の少ない病気や高齢の猫だった。
1匹の医療費に約40万円かかった例もあり、寄付に頼る団体の運営を圧迫している。
同年度はこのほか、センターを介さず約300匹を引き取っており、40だったシェルターの収容定数を一昨年と昨年20ずつ増やしたが、常時定数をオーバーしている。
「譲渡を進めないといけない。でも、安易な譲渡はできない」と代表。
気軽に飼い始めた飼い主が簡単に手放す-。
その連鎖が、行き場のない動物を生み出しているからだ。
飼い主の手に負えないほど繁殖する「多頭飼育崩壊」も増えている。
米国と日本で臨床経験を持ち、同市内で保護動物専門の病院開設の準備を進める獣医師(55)は
「センターが『生かす』施設に転換したなら、行政の役割を再構築しなければならない」と指摘。
喫緊の課題として
(1)センターの土日稼働や、獣医師の24時間対応などソフト面の充実
(2)ボランティアの負担や飼育環境の調査
(3)飼い主とトラブルになるリスクの高い多頭飼育崩壊への介入-などを挙げる。
さらに、簡単に答えの出せない命を巡る問題もある。
例えば、瀕死の動物に多額の医療費を費やすべきか、安楽死させるべきか-。
この獣医師は「殺処分ゼロを語るならば、課題の一つ一つに真剣に目を向け、解決策を話し合わなければいけない」と強調している。
▲補足、感想など
江戸時代に生類憐れみの令を出したアホ殿様を彷彿とさせる。
そもそも、「殺処分ゼロ」に何の価値があるのだ?
えっ、知事の名前が上がる? 馬鹿なことを。
なにか、命を大切にしている—てな虚名を得るだけだ。
そんなもの、「命を大切に」という意味の履き違えだ。
引き取りての少ない動物は殺処分にすべきなのだ。
そうして、可能性の大きい個体だけを残していく---そのことで、一匹でも生きながらえることができるのだ。
「殺処分ゼロ」なる無意味なスローガンを取り下げよ。
現実的にできるだけ多数の引き取りてが多いように工夫すべきだ。
昔の生類憐れみの令の「愚行」を繰り返すな。