ここの学生が、この数月、次々に自殺する。
なぜなんだ? というのが、韓国国内でも問題となっているようだ。
自殺の原因として考えられているのが、英語による授業ではないか…ということをいう人がいる。
学生にもそうだ…という人もいれば、違うだろうと否定的な人もいる。
筆者に言わせれば、英語の習得というハードルの高さのせいだろうなぁ、と推定はつく。
でも。
これは、そもそも、韓国人が1970年頃から「漢字」を捨てることによって、迷い込んだ袋小路だ。
英語の習得よりも、まず、漢字の習得ではないのか。
以下、新聞から抜粋。
韓国でもトップクラスの学生が集まる「国立韓国科学技術院(KAIST)」。
KAISTの 学生で世間からは一目置かれるほど、「エリート」という印象が強い学校。
KAISTで、今年に4人の学生や教授が自殺した。
自殺に 至った引き金は違うが、精神的に強いプレッシャーを与える大学の教育制度が関係していると見られ。
「全講義の英語化」です。
しかし、英語が苦手な学生にとって 負担となる。
自分が専攻する科目も英語で理解しなけ ればならず、成績が悪ければ授業料は上がることになる。
韓国の掲示板では、KAISTの教育制度は間違っているのではないかという議論も 出。
ネットユーザーは、「英語ができない日本人がノーベル賞をとっている」と日本の例を挙げ、教育に関する疑問。
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<質問>英語がひとことも話せない日本のノーベル賞受賞者
日本には、08年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英教授がいます。
彼は、外国に行ったこともなかった方です。
英語が苦手なため、国際会議に招待されても 断ってきました。
ノーベル賞の受賞式では、彼は日本語でスピーチしていました。
もし、益川教授が韓国で生まれたら、どうなっていたでしょう。
英語のせい で退学し、物理学とは関係の無い道に進まれていたかもしれません。
<コメント>
英語で講義したところで、 教授と学生のコミュニケーションが取りづらくなるだけで良いことなんて無いよ。
・韓国の学生は英語も勉強しないといけないから大変だ~。
・英語は話せなくても英文さえ読めれば授業は問題ないはずだよ。
・教授が話した内容をちゃんと理解しないとテストの点数なんてとれない。英文が読めれば 良いっていう問題じゃない。
・科学の試験なのに、科学の実力がある人より、英語の実力がある人の方が点数が良いってことだろ?
・基礎分野を発達させるために底辺を広げるのは分かるけど、それを外国語でやろうというのが問題。
KAISTは全講義の英語化も緩和する方針 を示しています。
韓国には科学技術分野でのノーベル賞受賞者がいないため、国を挙げた人材育成が熱心に行われています。
▲補足、感想など
なにか、道に迷って一層袋小路に入っているようだ。
別に日本の益川さんを例にあげる必要なんてないじゃないか。
まず、上掲の記事の要点を押さえよう。
1.日本は漢字かな交じり文を採用し、これで大学院レベルまでの教育が可能である…ということだ。
だから、益川さんは外国へ留学することも、英語を習得することもなくノーベル賞がとれたのだ。
2.韓国の場合、1970年頃から漢字を捨てた。
そのことでハングルだけの文章をなってしまった。
日本語でいえば、「ひらかな」だけの文章となってしまったということだ。
このハングルだけの文章では、同音異語の区別がつかない。
貴社の記者が をひらかなで書くと、きしゃのきしゃが…となる。
つまり、文章を読むことはできるが、意味が分からなくなる。
このハングルだけの文章では、同音異語の区別がつかない。
貴社の記者が をひらかなで書くと、きしゃのきしゃが…となる。
つまり、文章を読むことはできるが、意味が分からなくなる。
こういうのを機能的文盲…とかいうらしいが、韓国の国民の4分の1はそうらしい。
そして、漢字ハングル交じり文で書いてある1970年以前の本は読めなくなっているのだ。
だから、図書館は殆ど利用者がいないらしい。
3.2で述べた機能的文盲を補うために「英語」を採用している訳だ。
つまり、韓国では英語でなければ高等教育ができない状況となっているということなのだ。
さて、このような状況に陥っている訳だが、教育の未来を考える上で、選択肢として2つあるであろう。
1.英語での教育にそもそも低学年から切り替えてしまう。
ハングルだけでは、小学校高学年からの授業も難しかろう。ならば、できるだけ早く英語に慣らすしかあるまい。
2.漢字を復活して、漢字ハングル交じり文を採用する。
これで十分、大学院レベルまでの教育が可能であろう。
このどちらかを採用する以外にあるまい。
筆者には、漢字を復活することの方が容易に思えるか…
いずれにせよ、韓国政府と国民が自国を将来に向かってどうしたいか…という一点にかかっている。
そして、漢字ハングル交じり文で書いてある1970年以前の本は読めなくなっているのだ。
だから、図書館は殆ど利用者がいないらしい。
3.2で述べた機能的文盲を補うために「英語」を採用している訳だ。
つまり、韓国では英語でなければ高等教育ができない状況となっているということなのだ。
さて、このような状況に陥っている訳だが、教育の未来を考える上で、選択肢として2つあるであろう。
1.英語での教育にそもそも低学年から切り替えてしまう。
ハングルだけでは、小学校高学年からの授業も難しかろう。ならば、できるだけ早く英語に慣らすしかあるまい。
2.漢字を復活して、漢字ハングル交じり文を採用する。
これで十分、大学院レベルまでの教育が可能であろう。
このどちらかを採用する以外にあるまい。
筆者には、漢字を復活することの方が容易に思えるか…
いずれにせよ、韓国政府と国民が自国を将来に向かってどうしたいか…という一点にかかっている。