▲そりゃ、と思う。
想定というなら、なんでも想定できる。
でも、そういう想定にせよ、理系の人間からみて、いかにも根拠の乏しい「異様」とも表現すべきが、阿蘇山の噴火による火砕流の想定であった。
豊後水道を越えて、阿蘇山から伊方原発まで火砕流が及ぶというのは、想定できないことではない。
が、もう、九州の北半分が(いや、西日本の大部分が)完全な破滅状態にあるということであろう。
そういう「想定」がありなのか---というのが、前回の高裁の判断であった。
この火砕流の想定の「異様さ」が、今度の高裁の判断で除外されたようだ。
その記事から。
2018年9月26日
四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転を差し止めた広島高裁の仮処分決定を不服とした四国電の申し立てによる異議審で、同高裁(三木昌之裁判長)は二十五日、異議を認め、再稼働を容認する決定を出した。
東京電力福島第一原発事故後、高裁段階で初めて原発の運転差し止めを命じた昨年十二月の決定を取り消した。四国電は3号機を十月二十七日に再稼働させる方針を明らかにした。
決定で三木裁判長は、伊方原発から約百三十キロ離れた熊本県・阿蘇カルデラの火山リスクについて、「大規模な破局的噴火が起きる可能性が根拠をもって示されておらず、原発に火砕流が到達する可能性は小さい」と指摘した。
四国電の主張が全面的に認められた形で、住民側は二十五日、最高裁で判断が維持された場合の影響を考慮し、不服申し立てを行わない方針を示した。
仮処分の審理は終結し、この日の決定が確定する見通し。
ただ伊方3号機に対する同様の仮処分で、大分地裁が二十八日に決定を出す予定で、差し止めを命じれば再稼働はできなくなる。
三木裁判長は、昨年十二月の高裁決定が差し止めの根拠とした、原子力規制委員会策定の「火山影響評価ガイド」の立地評価について、「相当な正確さで噴火の時期と規模を予測できることを前提にしており、不合理だ」と指摘。
立地の適合性は「自然災害の危険をどの程度容認するかという社会通念を基準とせざるを得ない」との判断枠組みを示した。
その上で、国が破局的噴火の具体的対策を定めておらず、国民の多くも問題にしていないことを踏まえ、「伊方原発の安全性は欠けていないというのが社会通念だ」と判断。
四国電が想定する火山灰の堆積量は合理的で、非常用電源確保の対策も取っているとし、噴火による対応不可能な具体的危険性は存在しないと結論付けた。
地震のリスクについても、原発の新規制基準に適合するとした規制委の判断は合理的だとした。
昨年十二月の高裁の即時抗告審決定は、阿蘇カルデラで、大規模な「破局的噴火」が起きた際、火砕流が原発敷地内に到達する可能性を指摘。
広島地裁で係争中の差し止め訴訟で仮処分と異なる結論が出る可能性を考慮し、効力を今月三十日までとしていた。
伊方3号機を巡る同様の仮処分は、大分地裁のほか、高松高裁や山口地裁岩国支部でも係争中となっている。
▲補足、感想など
前の広島高裁の判断の異様さをみると。
なにか、どんな屁理屈をつけても、原発再稼働を妨害してやろう—という裁判長の強い動機を感ずる。
なんだろうなぁ、これは。
もはや、裁判というものが、中立性・公平性を逸脱していないか。
もっと、裁判官の選定・任官を厳しくせよ。
裁判の判決の公平性・中立性を日本国民が信用しなくなればどんな現象が発生するのか—法務省は想定しているのか?
そこにあるのは、世紀末のごとき、暴力の支配する無頼社会が現出するだけだぞ。