2020年2月7日金曜日

男は選ばれる努力をしていない—と


もう、こういう表題をみるのは、いやだな。
 毎日の食事のとき、「頂きます」っていうだろう。
 これは、他者の「生命を頂きます」という意味だ。
 人は、なにものかの生命を頂いてようやく生かされているのだ。
 だからこそ、他者の命をいただいて、「自分の命を燃焼させるのだ」。
 自分の「生命」を燃焼させることこそ、「頂いた生命」への恩返しなのだ。

 表題の記事をみよう。

  2020020707:00
【ジェンダー論】結婚できない女「選びたい男がいない」、結婚できない男「ブサメンだから女に選んでもらえない」
 男性は「選ばれる努力」をしたがらない
 はじめに断っておくが、当コラムは「結婚したくて婚活に励んでいるが、結婚できない男女」について書く。
 私自身、人は結婚するべきだとか、結婚した方が幸せだとか、鼻クソほども思っていない。
 恋愛や結婚や出産は個人の自由であり、他人が口出しすることじゃない。「結婚している方が勝ち組」なんて古ぼけた価値観もクソである。
 また世の中には結婚したくない人や、(経済面など様々な事情で)結婚できない人もいる。そうした人々については、当コラムでは言及しない。

 以下、私が恋愛コラムニストとして「結婚したくて婚活に励んでいるが、結婚できない男女(主にアラサー世代)」の声を聞く中で感じたことや、考えたことを書きたい。
 ざっくり言うと、婚活女子から聞くのは「選びたい男がいない」という声で、婚活男子から聞くのは「女に選んでもらえない」という声である。
 要するに、結婚できない女は「ろくな男がいない」と悩み、結婚できない男は「モテない」と悩んでいる。
 と書くと「女が高望みだからだ!」「イケメンで金持ちがいいんだろ!」と男性陣からクソリプが殺到して炎上するのを長年やってきて、すっかり飽きている。 
 「俺がモテないのは女が悪い、自分は悪くない!」と逆ギレする男子はよく見かけるが、同じように逆ギレする女子は見たことがない。つまり男子は女子に比べると、「選ばれる側」として「選ばれるための努力」をしたがらない。
 結婚相談所のスタッフも「魅力的な独身女性はいっぱいいるけど、魅力的な独身男性は少なくて、マッチしないんですよ…」と嘆いていた。
 女子は自分磨きしたり恋愛本で研究したりと努力するが、男子は「そのままの俺を愛してくれ」みたいな人が多いという。
 結婚したい男子は「なぜ自分は選ばれないのか?」「どうすれば女子に愛されるか?」を研究して努力するべきだろう。「ただイケ*だろ!」とかクソリプを送るんじゃなく。
 *「ただしイケメンに限る」の略。要するにイケメンじゃない俺は努力したってムダだと言いたいのである。
 「話を聞いてもらって当然」? もう令和やぞ
 婚活女子はリアリストなので「イケメンでハイスペの王子様など残っておらぬ」と理解している。
 実際、婚活で出会う男子に対して「(外見や収入など)条件面で特に問題はない」と言いつつ「選びたい男がいない」のは、なぜなのか? なぜ、男子は結婚相手として選ばれないのか?
 それは、彼らがジェンダーロールを無意識にインストールしているからだと思う。
 私が20代の頃に比べると、オラオラ偉そうな男子やマウントしてくる男子、「オッス、オラ男尊女卑!」みたいな男子の数は減った。けれども「女は男を気づかって、ケアしてくれて当然」という価値観は残っている。
 婚活女子から一番よく聞くのは「まともに会話できる男子が少ない」という言葉だ。
 彼女らは「巧みな話術で会話を盛り上げてほしい」なんて、はなから期待していない。むしろ「緊張してるんだな」と相手を気づかって、いろいろ質問して話を引き出す。
 そうやって女子がリードしてトークを回すことで、どうにか会話が進む。が、多くの男子は一方的に自分の話ばかりする壁打ちトークに終始して、こちらに質問も投げてこない。
 女子は「へ~そうなんですか」「すごいですね」とひたすら相づちbotと化して「キャバクラじゃねえんだぞ」と疲労困憊する。
 そんなキャッチボールができない相手と過ごして「どっと疲れた…」と帰宅すると、「今日は楽しかったですね!」とLINEが届いて「てめえは楽しかっただろうよ」とさらに疲弊する。というのが婚活女子あるあるだ。
 つまり、男子が無意識に「気をつかって、ケアしてくれる」という無料サービスを女子に期待している。私が20代の頃も「キャバクラじゃねえんだぞ」とまったく同じ愚痴を吐いていたが、そこの価値観は変わってないらしい。
 実際、女性向けの恋愛記事には「NO.1キャバ嬢が教える男を褒めるテク」だの「合コンさしすせそ」だのがいまだに載っているし、「男を立てろ、男に媚びろ、(男にとって)都合のいい女になれ」というメッセージが溢れている(誤解がないように言っておくが、キャバ嬢がダメだと言っているのではない。彼女たちはそれで対価をもらっているプロだ。念のため)。

補足、感想など

 筆者には、上の文でなにを言っているのか殆ど分からない。
 ブサイクねぇ。 
 自分でブサイクと思っているから、「ブサイクに見えるだけさ」。
 造作がどうたらよりも自分の気持ちの持ち方の問題だ。
 
 冒頭でふれた。
 人は、他の生き物の生命を頂いて、ようやく、生かされているのだ。
 自分の生命を燃焼させなけば、「頂いた他の生命」に対して失礼だと感じないか。
 ひきこもりとか、子供部屋おやじ---とかいう「言葉」をみるたびにそう思う。

 どんな環境であろうと、どういう境遇にあろうと他者に影響を及ぼせる、他者に「生きていることの意味を知ら示す」手段がある。
 そこで勝負をすればいいことだ。

 「自分で他者への感謝の心を持ちつつ、自分の生命を燃焼させろ」
 そうすれば、必ず、道は開ける。