▲日本の記者が、スイスの職業訓練を褒めたような記事を書いている。
しかし、この記者ははっきり言ってアホだ。
だから、日本がおかしいのではない。
“だからこそ、スイスは発展しないのだ”----だから社会が固定化するのだ。
ある現象をみて、そこから洞察できる内容のレベルが低すぎる。
よく、これで新聞記者ができるなぁ。
以下、新聞から抜粋。
スイスでは、9年間の義務教育を終えると、3分の2が職業訓練校に進学する。
農業から情報技術(IT)まで約250種類あり、卒業後に得られる資格により2年から4年のコースに分かれている。
この中で、機械式時計の組み立てや修理の技術を学べる時計学校は、留学生がいるほど人気と実績がある。
19世紀前半、時計製造業者の働きかけで設立されたのが始まりで、現在は国内に6校ある。
最大規模を誇る「ジュネーブ時計学校」を訪ねた。
3~4年間のコースで228人が学んでいる。
校舎内は明るく清潔で、教室は時計会社の工房と見間違えるほどだ。
新入生はまず、時計の組み立てに使う工具の製作から始める。
授業は時計一色ではなく、公用語のフランス語のほか数学もある。
生徒の4分の1は時計メーカーの見習社員で、1週間のうち2日間を学校で学び、残り3日間は勤務先で実践経験を積む。
知識と技術をさらに身に着けたい生徒には、通常コース終了後に、「学士号」を取得できるコースも用意されている。
校長は「ここで学べば技術は確実に身に着くが、授業は厳しい。1学年で3割はついていけずに中退する」と強調。
1年生(17)は、中学卒業前に様々な業種でインターンを経験した上で時計を選んだという。
「将来は、出資者を探し、自分のブランド時計を作りたい」と生き生きとした表情で語った。
高校卒業者の半数が大学へ進学する日本では、「とりあえず、大学へ」という風潮もある。
スイスの若者は、早い時期から将来を真剣に考えていると感じた。
▲補足、感想等
どこをおかしく感じるのかなぁ。
--スイスの若者は、早い時期から将来を真剣に考えている---の部分だろうなぁ。
確かに、筆者もとりあえず大学へ…ということがベストだと考えているのではない。
しかし、日本人が20代の前半くらいで、社会へ出るというか、一生の方向を決めるのはタイミングとしては正しいと思う。
10代で、自分がなにをやるのか…を決めるのは早すぎる。
人間の知識というか、常識というものは無駄な、でも、とにもかくにも幅広さが必要だ。
大学の4年間?は、人生をどう生きるか…という煩悶をする疾風怒濤時代なのだ。
そういう言わば「通過儀礼」を経験していない人間は、薄っぺらな(個性としても、内容も—ついでにしゃべっている内容も)人間となってしまう。
まぁ、スイスの職業訓練は間違いではない。
しかし、こういう経歴の層が社会で多くを占めるようでは、社会が固定化して、新しい技術・新しい発想は生まれてはこない。
対して、日本という国ば大学生も多いし、確かに無駄なことをしている学生も多い。しかし、上でふれたように「疾風怒濤」時代を経験している学生も多い。
日本社会がヨーロッパ諸国より活性化した社会であるのは、階層社会でないということもあるが、職業が固定化されていないことが大きかろう。
日本という国は、西欧諸国より自由度の高い風通しのいい国家なのだ。
職業の選択の自由が保証され、出身がどうであれ技術とか技能への尊敬が優先する…そんな社会なのだ。
話をもとに戻せば、
職業をそんなに早く決める必要はない。自分の人生をそんなに早く固定化することはない。
様々なことをしながら、新しい職業を産み出し続ける方が余程大事だ。