▲坂本龍馬を持ち出す人は多い。
ソフトバンクの孫社長などもそうだろう。
大阪の橋下さんが船中八策を持ちだしたことから、新聞が噛み付いたようだ。
まず、新聞がなにを言っているのか—聞いてみよう。
以下、新聞から抜粋。
タレント弁護士崩れの男が、すっかり幕末の志士気取りだ。
大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長が、「維新の会の船中八策を作る」と宣言した。
船中八策は、大政奉還など、坂本龍馬が起草したとされる新国家方針だ。
国政進出に向けた新たな政策づくりを龍馬の偉業になぞらえるとは、時代がかっている。
橋下に限らず、龍馬を持ち出す政治家や財界人ほど、ウサン臭く見えるのは気のせいか。
「二枚舌」の野田首相も「龍馬ラブ」を公言し、菅前首相も国会で龍馬を持ち出して
「第三の開国」などと訴えていた。
財界では、ソフトバンクの孫正義社長が大の龍馬ファンで知られている。
「司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』のファンも多い。
故・小渕恵三元首相やダイエーの故・中内功元会長などが有名です。
政財界で『尊敬する人物』を聞くと、必ず龍馬の名前が上位にランクされます」(編集者)
かつて評論家の佐高信氏は、龍馬ファンの政治家や財界人について、「自らが何者かであると錯覚している」と喝破していたが、 果たしてその通りなのか。
それとも龍馬への単なる憧憬にすぎないのか。
明大講師の関修氏(心理学)はこう分析する。
「坂本龍馬は志半ばで倒れた。つまり、まっとうなことは掲げたが、実践に移すことはできなかった。
掲げた構想を実践するにはマイナス面も伴うのが、本来の政治家の姿です。
仮に龍馬が生き永らえていれば、後世の評価も変わったでしょう。
『結果』がなく、後世に伝えられているのは『志』の部分だけ。
だから、龍馬は改革者のイメージが強い。
いわゆる“改革派”を気取りたい人にとっては都合のいい理想像なのです」
龍馬も勝手に慕われて迷惑しているに違いない。
▲補足、感想等
司馬さんの「龍馬がゆく」なんて、筆者も大好きだ。
ことに「立志編」なんて、何度読んでもこころ踊る。
記事の核心はなんだろう。
記者はどうやら、「船中八策」という言葉にひっかかったようだな。
確かに、龍馬は志半ばで、幕府の見廻組に襲われ、暗殺された。
だから、志のみ残って、実際にその行動のというか、亀山社中の経営に携わっての経歴の部分がないわけだ。
龍馬の本当の価値って一体どこにあるのかなぁ。
幕末、佐幕派にとっては「幕府をなんとか守らなくてならない」、勤皇派にとっては「幕府は倒さなくてはならない」--と考えていた筈だ。
この「ねばならない」と考えているのが普通の状態の中で、龍馬は、そこからポーンと外れていた。
この騒動が収まった後、日本はどうすべきか—と考えていた—その部分にこそ、龍馬の価値があるのではあるまいか。
単に考えていたのではなく、亀山社中という組織を作り・運営し、実績があったからこそ、他者が龍馬の意見を聞いたのだろう。
船中八策—なるものをそのようにして生まれた。
あれ、話がどこかへいった。
橋下さんは、混迷の中で、これから大阪を・日本をどうするのか—と考える中で、たまたま「船中八策」というモデルを選んだだけだろう。(多少は自分を龍馬に擬する—という思いがあるのかもしれないが--)
上でふれたように、龍馬の価値は現実の世界より、一段高い位置から、現実を突き放してみることができるというところにある。
--大時代だ—と評するより、実際に橋下さんが出してくる「船中八策」(橋下バージョン)を見てから、論評すればいいのではないのか。