▲映画を見ながら、アメリカのハリウッドの映画のタネというか粗筋の粗雑さ・つまらなさを感じた。
アメリカのハリウッドの映画は、日本ではもう駄目だろう、見る人がいないだろう—と思う。
核心は、アメリカのハリウッドという会社達は、映画の観客をバカにしている。
どうせ難しいことなど観客に分かる訳はない—という前提で、粗筋を作っている、脚本をつくっている。
こんな意識でつくっている映画を日本人が見に行く訳があるまい。
とうとう、日本の映画もガラパゴス化したなぁ。
そのことはハリウットは、日本の観客をもっと意識した映画をつくるだろうということと、しかし、それじゃ、世界の他の国では売れまい---そういうジレンマに陥るということだ。
以下、表題の映画について、粗筋・筆者の感想などを箇条書きにしたい。
◇はやぶさ—という他の惑星にいってサンプルをもって帰る—という計画は、結局、日本の全体でのシステムの成功だなぁと感じた。
単に、jaxa の川口さん、nec その他多くの優秀なスタッフがいたからというのではなくて、その個々を大きく包含して「日本というシステム」が順調に機能して果たし得た結果なのだなぁ、と改めて思った。
プロジェクトリーダーの川口さん(映画では山口さんになっていたが)は、研究者らしく私(わたくし)を抑え、声を荒げることもなく、淡々と「重圧」に耐え、ここぞというタイミングでは、大きな決断を下す。
これでなければ、とても7年にも及ぶプロジェクトを完成させることはできなかったろう。
そして、川口さんを頂点とする組織が崩れることもなく、柔軟に機能するのだ—バックアップする日本の政府でさえも。
これはやはり日本でなければ成功しなかったプロジェクトだとつくづく納得した。(はっきり言って、他国では無理だ)
◇この映画には、故糸川英夫先生への尊敬の思いが満ち溢れている。
そもそも「はやぶさ」とは、糸川さんが先の大戦中、旧中島飛行機で設計した名戦闘機「隼」に由来する。(加藤隼戦闘隊とかいう軍歌があるだろう)
糸川さんは、戦後、東大で昭和20年代後半からロケットを作り始めた。
当時、ペンシルロケットといって、それこそ鉛筆のようなロケットだった。
燃料としてそこらに転がっていた花火の火薬を使ったという。これが、現在でも日本のロケットが固体燃料を使っている理由なのだとか。
そんなところから、日本のロケット研究は出発して、約半世紀を経て、この「はやぶさ」を打ち上げることができたのだ。
その経てきた距離と時間とを思え。
◇それにしても、豪華なメンバーだなぁ。
渡辺謙もクールな抑えた演技でよかったが、それよりも藤竜也、石橋蓮司の老練(といっていいだろう)演技もよかった。石橋蓮司という俳優さんの若い頃の、一種狂人めいた演技を知っているだけに、年齢を重ねることで得るもの、失うものを思った。
また、藤竜也さんという俳優を改めて見なおした。(こんな言い方失礼かなぁ)肩の力が抜けたような研究者風の身体の線、柔和な表情がとてもいい。
◇この「はやぶさ」プロジェクトに関わった人達は、現在の日本で最優秀な人達である。
そういう人達が、7年という期間、重圧に耐え、予期せぬ様々な困難に対処して、はやぶさのカプセルを地球にもってかえることができた。
そのことは---失礼ながら、神様がそっとアシストしてくれたような本当に幸運に恵まれたことであろう。
(ついでながら、過去、世界各国から多くの探査機が打ち上げられたが、地球に帰ってきたというものは、唯の一台もない。そのことを考えれば、地球の大気圏で燃え尽きたとはいえ、どれだけの偉業が分かるであろう)
最後に、燃え尽きる直前に、はやぶさに地球を撮影させる場面がでてくる。
地球を撮った写真は、半分しか写らなかった。---まるで、泣いているようですねぇ—と藤竜也さんがいう。
そりゃ、7年ぶりの地球だものなぁ。