2015年9月28日月曜日

ドイツは、日本に自動車製造技術では絶対に勝てない。

いや、挑発的な表題ではある。
 ドイツには、最終宣告的な言い方ではある。

 まぁ、日本の経営者は、表題のようなことは決して口には出さない。
 敵失に乗ずることはない—とか発言するだろう。

 そのあたりを踏まえて。
 筆者が言おう。
 ドイツはいや西欧諸国のエリート主義の技術開発では、日本の「その他おおぜい主義」には勝てない。
 つまり、ドイツは日本には絶対に勝てない—と。

 話はちょいとそれるが、ディーゼルエンジンの改良というのが、今回の眼目である。
 ドイツは、不正ソフトという窮余の一策を採用した。

 対して、日本では—ということになる。
 マツダがディーゼルエンジンという古めかしいエンジンをどうしたか記事となっていた。

 以下、新聞から抜粋。

◆自動車メーカーにあるまじきVWの背信行為

 ディーゼルエンジン(DE)の排ガス規制に対し、独フォルクスワーゲン(VW)がメーカーにあるまじき背信行為を行い、世界に波紋を投じている。
 日本ではマツダのSKYACTIV技術によるDE車が評価を得てその復活が進んでいるだけに、
影響が懸念される。
 だが、ディーゼルへの注目が高まるので、同社のDE技術への認知が広まる機会ともなりそう。

 この事件を受けてマツダに問い合わせると、VWが行った排ガス性能を制御するようなソフトは、「搭載していない」。
 さらに世界各国・地域での排ガスなどの審査についても適正な認証を得ていると強調。

 米国でのマツダ車の販売は、1-6月で前年を2%上回り堅調に推移。
 また、北米へのDE車は「発売を検討している段階」と未投入なので、DEを巡る当局の調査などによる混乱は起こりようがない。


◆ディーゼル開発はNOxとの闘いの歴史
 NOx(窒素酸化物)は、大気中の濃度や気候によって人体に有害な光化学スモッグを起こす
シロモノだ。
 DEの排ガス技術開発は、NOxとの闘いであったといっても過言でない。
 DEは高圧縮状態で、軽油と空気の混合気を自然着火させて燃やす。
 燃焼室は高温、高圧になるため軽油と空気が十分に混ざる前に着火しやすく、 これがNOxやススなどのPM(粒子状物資)を増やすこととなる。

 「クリーンディーゼル」と呼ばれ、最先端の排ガス規制をクリアするDEでは通常、NOxの低減には触媒、 あるいは排ガスと尿素水を反応させるなどの後処理を施している。
 尿素水方式は大型トラック用のDEで実用化されているし、 トヨタ自動車も今年開発した2.5リットルと2.8リットルのSUVやピックアップトラック用の新世代DEに採用。

 マツダのSKYACTIV-Dと呼んでいるDEには、NOxの後処理装置がない。
 DEでは常識外れともいえる 低圧縮比にしたエンジンでの燃焼により、NOxなどの抑制につなげているのだ。
 つまり、DEでは通常18程度となっている 圧縮比を、2.2リットルのSKYACTIV-Dでは14.0とし、世界の自動車用DEでは最も低くした。

◆常識外の低圧縮燃焼でディーゼル復活をけん引
 このような低圧縮比では、寒冷時や始動時などエンジンが温まっていない状態では混合気が着火できなくなる。
 DEの低圧縮比は、常識外だった。
 しかし一方で、低圧縮比だと排ガスが飛躍的にクリーンになることも分かっていた

 マツダは、吸気バルブを開けるタイミングを遅くし、1度閉じた排気バルブを吸気中に再び少し開けるといったバルブの制御などにより、難題だった低圧縮比での燃焼技術を確立した。

 低圧縮化によってエンジンは比較的コンパクトにでき、排ガス関連システムの簡素化によってコストの縮減や軽量化も実現できた。
 マツダの国内販売は、1.5リットルも加わったSKYACTIV-Dシリーズ搭載車が高い評価を得て快走している。

 15年上期(16月)は国内市場全体が前年同期比11%減と低迷するなか、マツダ車は15%増の139100台と伸ばしている。
 このうち5車種を販売しているDE車が前年実績の約3倍に相当する62000台と、伸びをけん引している。

 国内総市場の乗用車に占めるDE車比率は、3%程度にとどまるが、00年代のほぼゼロ状態から SKYACTIV-Dの投入を契機に復活が進んでいる。
 DE車の燃費および排ガス性能が再評価され始めた矢先のVWショック。

 しかし、販売店を含むマツダ陣営にはSKYACTIV-Dの特質をしっかりとユーザーに訴え、引き続きDE復活の先導役を担ってもらいたいものだ。


補足、感想など

 バルブの制御により低圧縮比での燃焼技術を確立し---か。
 言葉としては簡単だが、その裏側でどれだけの時間と労力、忍耐が積み重なっているかよく分かる。

 ディーゼルエンジンって古めかしい形態である。
 その古色蒼然たるエンジンをまだまだ改良できるというか、この井戸の底を掘ればなにかでてくる—という技術者の執念のようなものを感ずる。

 そう言えば、数年前か。
 造船において、船底から細かい空気の泡を放出して、船底と海水との間での摩擦を小さくして、燃費を向上させる—という技術を聞いた時の感じに似ている。

 もう、数十年もの間、大勢の技術者がひねくりまわして、改良のアイデアなど出尽くしたであろう---と思われる対象であっても、「井戸の底を更に掘り、掘り続ける」ことで、斬新なアイデアがでてくる--ということに、「驚き」を感じざるをえない。

 それは「単に頭が鋭い」というだけでは到底、達し得ないだろうなぁと思う。
 根気というか、何万回、何十万回もの繰り返しに耐える・地道さにじっと耐える—そういう根性がなければ到達できまい。

 このあたりに、日本の「その他おおぜい主義」というものの「核心」を見る。
 これは、西欧諸国の「エリート主義」に対する日本の「その他おおぜい主義」の勝利なのだ。

 だから。
 ドイツは、日本に自動車製造技術では絶対に勝てない。

 ※追記。

 日本が明治維新時点で100年遅れたのは、産業革命にであった。
 産業革命とは、自動機械 すなわち、エンジンを製造するという技術のことだ。
 上のマツダの記事は、ディーゼルエンジンというものを「高めた」という話だ。その点で筆者にはなにか感慨深い。

 1990年代頃に、「沈黙の艦隊」という漫画があった。

 中で、西欧のエリートが、日本の政治家に向かって言うセリフがある。
 曰く、「人類の進歩になんら寄与したことのない民族から--なんとか」と。

 先日、このブログで、2008年のリーマンショックの時、麻生さんがこの世界規模での金融危機の中、提案した「解決策」を、西欧の金融機関などが無視したという話をした。理由は、「イエローが言ったことなど、使えるか」という話だと、昨年か、アメリカの学者が説明していた。


 人類の進歩になんら寄与したことのない民族からの「改善策」など、ちゃんちゃらおかしくて--というのが、eu の銀行総裁などの考えだったのだろうな。


 その「人類の進歩になんら寄与したことのない民族」が、産業革命に100年も遅れるノロマ民族が、産業革命のシンボルたるエンジンを、しかも古色蒼然たるディーゼルエンジンを「改良」する--か。

 そして、ドイツは日本に絶対に勝てないと言う--か。

 このディーゼルエンジンの改良が、日本人が「人類の進歩のために」なんらかの寄与をした--と世界で認められることを期待したい。

 認めたくなければそれでも別に---。