2024年7月4日木曜日

旧優生保護法下での強制不妊手術について、最高裁が国の賠償責任を認めた

 

優生保護法の下での強制赴任に対して、国の賠償責任を最高裁が認めた。筆者は最高裁が認めた以上、反対する気はない。ただ、昭和2030年代という時代をかすかに知っているものだから、人間の余剰感があってその中で「優秀な個体を残す」という考え方を全面的に否定する気にはなれない。

強制不妊、全面補償へ道 最高裁「国の責任極めて重大」202473 旧優生保護法下での強制不妊手術について、国の賠償責任を認めた3日の最高裁判決は、同法が制定時から違憲だったと断じた。不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」だけを理由に国を免責することは「著しく正義・公平の理念に反する」と認めなかった。旧優生保護法は「違憲」 最高裁大法廷、国に賠償命令 岸田文雄首相は判決を受けて陳謝し、月内に原告を含む当事者と面会する意向を示した。訴訟の主な争点は2つ。同法の違憲性と、195070年代に手術を受けた原告らに今も国への賠償請求権があるかどうかだった。最高裁が違憲性を検討する上で問題視したのは、本人の同意なく体にメスを入れる行為を国が認めたうえで、特定の障害がある人だけを区別して不妊手術を行ったことだ。個人の尊重を定めた憲法13条と、法の下の平等を定めた同14条に違反すると認定した。旧優生保護法が「当時の社会状況をいかに勘案したとしても正当とはいえない」と指摘し、国による立法そのものが違法だったとの判断を示した。最高裁が立法行為自体の違法性を認めるのは初めて。立法後の国の対応も問題視した。不妊手術の実施時、身体拘束や麻酔薬などの使用も許容される趣旨の通知を発出するなど手術を積極的に推進したとして「責任は極めて重大」と非難した。1996年の母体保護法への改正で不妊手術の規定がなくなった後も速やかに補償の措置を講じず、被害者1人に一時金320万円を支給する2019年成立の救済法は対応として不十分と指弾した。旧民法では、不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する除斥期間という考え方が判例で確立し、公害や薬害など被害が顕在化するまで時間がかかる訴訟でたびたび「時の壁」として立ちはだかってきた。除斥期間を過ぎると、原告側にどのような事情があっても一律で賠償請求権が消失するとした1989年の最高裁判例があり、例外的に除斥期間を適用せず賠償責任を認めたのは過去に2例しかない。最高裁はこの判例を変更し「著しく正義・公平の理念に反し、到底容認できない場合」、除斥期間の主張は権利乱用として許されないとの新たな見解を示した。国の全面敗訴となった今回の判決を受け、各地で起こされているほかの訴訟でも賠償を命じる判決が出るとみられる。



筆者の過去のブログを転記しよう。

201887日火曜日かって、日本でも、人間が余っていた時代があった。旧優生保護法を巡って

昭和20年代、昭和30年代の前半頃までかな。日本で国民が余っていた時代があった。昭和20年代後半頃かなぁ。農家の二男、三男問題というものがあった。つまり、農家で長男が跡を継ぐと、二男、三男が余ってしまう。どうすべぇか—てな話だ。こういう時代の風の中で、優生保護法があり、南米への移民(実際には棄民)があったのだ。今、話題となっている優生保護法で、例えばなんらかの補償がなされるなら、ドミニカへの棄民に対してもなされるべきであろうし、ブラジルへの棄民に対してもなされるべきではないのか。現在を基準にしてなにもかも考えるとピントが外れてしまう。

以下、新聞から抜粋。

旧優生保護法(194896年)示で不妊手術を強制されたなどとして、東京都の70代の男性が国に3千万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が6日、東京地裁(手嶋あさみ裁判長)であった。国側は争う姿勢を示した。国側は請求棄却を求めたが、具体的な主張は明らかにしなかった。原告側は同種訴訟が仙台地裁で先行していることから、東京の訴訟でも国側か主張や反論をすることは十分可能だと指摘。「国の対応はいたずらに訴訟を遅らせるものだ」と批判している。男性はこの日の弁論で意見陳述。「手術を受けた事実を誰にも言えず、ひっそりと生活している被害者が全国にたくさんいる」とし、「一刻も早く、国に対応をとってもらう必要がある」と述べた。訴状などによると、男性は宮城県内の児童施設に入所していた14歳のころ、何も知らされないまま不妊手術を受けさせられた。旧法による手術を「被害者に回復できない・精神的・肉体的苦痛を与えた」と訴えている。国は、仙台地裁で先行して審理が行われている訴訟で、旧法の違憲性について見解を示さないとする準備書面を提出している。

補足、感想など

上でもふれた。人間が余っていたのだ。余った日本人をどうすればいいのか--と悩んでいた時代なのだ。だから。優良な健全な子供だけを残したい—というのが国策だったのだ。それが優生保護法の根本的な考え方であろう。冒頭でふれた。同時に余った日本人を国外へ棄民したのだ。ブラジルへの移民は成功した方だから、マシだが、ドミニカ移民を調べてみよ。日本政府による「棄民」と言って外れてはいまい。今の時点での視点で、昭和20年代の話をするな。優生保護法の根本的な考え方は、「優秀で健全な子供」だけを残す---という真っ当な考え方だ。それは、また、ドミニカ移民(棄民)などと同時になされたということを見てみよ。上でもふれた。仮に優生保護法でなんらかの補償がなされるというなら、同様に、ドミニカ移民に対してなされるべきだ。<ドミニカ移民の方々は受け取りもしないだろうが--

-ここまで-