2017年2月28日火曜日

問題となっていた曜変天目茶碗は、どうやら、偽物ではないよう

いや、真贋騒動に決着がついた訳ではない。
 でも、どうやら、偽物ではないようだ。

 中島先生もほっと胸をなでおろしているだろう。
 曜変天目茶碗は、焼いた中国にも存在せず、日本に3ないし4つあるのみのようだ。

 中国は、北からの騎馬民族により、なんども征服された国土だ。
 そういう争い、混乱の中で、茶碗などという脆弱なものは、破壊されてしまうのだろうな。
 「文化というものが内在する脆弱性」が、中国という国土では顕在化しやすいのだろう。

 以下、新聞から抜粋。

 テレビ東京の鑑定番組「開運!なんでも鑑定団」で、徳島市の男性が所有する陶器が世界で4点目の「曜変天目茶碗」と鑑定され、 真贋論争が起こっている問題で、この陶器を奈良大が成分分析した結果、18世紀以降に開発された化学顔料はほぼ検出されなかった。
 番組での鑑定結果に異論を唱えていた専門家は、中国の模倣品と斑紋が酷似していることを理由に「化学顔料が使われている」と訴えていたが、その主張を覆す結果となった。

 陶器の成分分析は、所有者の橋本浩司さん(57)が2月に奈良大の魚島純一教授(保存科学)に依頼した。
 魚島教授は、物質に含まれる元素を検出する蛍光X線分析装置を使い、茶碗表面の色ごとにX線を当て、元素の種類と量を調べた。
 その結果、アルミニウムなど10種類の元素が検出されたが、化学顔料に使われる元素は発色に影響を与えない程度のごくわずかな量しか出なかった。

 魚島教授は「どの色にX線を照射しても、ほぼ同じ成分が検出され、使われた釉薬は1種類とみられる。 この結果が出たことで偽物とは断定できなくなった」と話した。
 分析を依頼した橋本さんは「科学的な根拠が持てて納得できた」と言っている。

 一方、陶器は化学顔料が使われた模倣品だと主張していた曜変天目研究家の陶芸家・長江惣吉さん(54)は、 今回の分析結果について「これだけでは真贋は分からない。 正確な分析に欠かせない器の洗浄が行われておらず、分析方法に疑念も残る」と話した。

 沖縄県立芸術大の森達也教授(中国陶磁考古学)は「南宋時代(12~13世紀)の中国・福建省で作られた陶器の成分と比較するなど、総合的な検証が必要。今回の調査で本物とは判断できない」と話した。

 番組は昨年12月に放送され、橋本さんは、曽祖父が戦国武将・三好長慶の子孫から購入したという陶器を出品。 曜変天目茶碗と鑑定され、専門家から異論が出ていた。

補足・感想など

 真贋騒動は、もう少し続きそうだが、まぁ、中国の最近の土産物という訳ではなさそうだ。
 なんやかや論争した後で、「まぁ、偽物ではない」てな表現で落ち着くのではあるまいか。

 三好長慶なら、戦国時代の武将だなぁ。
 すると、入手したのは16世紀の半ば頃か。
 日本も大航海時代の一端に組み込まれていた時代だし---
 中国との交易で手にいれたのだろうな。

 よく、破壊もされないまま、400年以上も残ったな。
 さすがに、遣唐使がもって帰ってきた王羲之の書の写しほどの驚きはないが、茶碗という脆弱なものが今まで残ったことで、日本人のものもちの良さというものに感心する。




歴史を捏造する民族には、未来どころか現在もない

もうすぐ、韓国経済はにっちもさっちもいかなくなろう。
 理由は簡単だ。
 韓国という国に、韓国人という国民に、「信用」も「合理性」もないからだ。

 経済の根底にあるものは、信用と合理性だ。
 ところが、韓国という国は、裏切り裏切られる不信国家であり、捏造にまみれた嘘つき国家であるからだ。
 日本だけではなく、国際的にも信用もされない捏造国家であるからだ。

 自分で、自分の信用を毀損する言動を取り続けた結果であり、散々種を蒔き続けた結果として、自分でも持ちきれないような果実が実ったのだ。

 以下、新聞から抜粋。

 ソウル市は、第98周年三一節(独立運動記念日)を迎えて、ソウル広場前のソウル図書館正面の外壁に「歴史を忘れた民族に未来はありません」という文面と慰安婦「平和の少女像」が印刷された横断幕を掲げる。
 市によると、この横断幕は28日から3月19日まで掲示される。

 この横断幕には、慰安婦被害者が体験した歴史を記憶し、名誉と人権の回復を実現するよう願う気持ちが込められている。
 「平和の少女像」の横断幕の掲示は昨年に続き2回目で、生存している慰安婦被害者に対する日本の真の謝罪と賠償が行われるよう願う市民の思いを反映している。

 新しく設置される横断幕には平和の少女像の横に空いた椅子5脚が描かれる。
 女性家族部に登録された旧日本軍「慰安婦」被害者239人中、6分の1である39人しか生存者がいない状況を意味する。
 市関係者は「昨年に続いて平和の少女像を掲示することにしたのは、生存している慰安婦被害者に対する日本の真の謝罪と賠償が行われるよう願う市民の思いを込めたもの」としながら「絵の中の平和の少女像と空いた椅子5脚は、市民が被害者に寄り添い一緒になって私たちのつらい慰安婦の歴史を守ってほしいという訴えでもある」と伝えた。

補足、感想など

 日本・日本人は、未来永劫、捏造慰安婦なんぞに謝罪も賠償もしない。
 あれ、すべて言い切ってしまった。

 韓国人は、思う存分、慰安婦を捏造せよ。
 ウソをつきまくれ。
 日本・日本人を罵倒せよ。どうぞ、とうぞ。
 捏造慰安婦像を世界中に建てろ。

 日本にいる朝日新聞・毎日新聞、東京新聞、その他地方紙、nhk、tbs,テレビ朝日、フジテレビ、日教組を中心とする義務教育の教師達、自民党・公明党に巣食う二階さん・河村さん、額賀さん等の韓日二重国籍の国会議員達=evenki族工作員達に工作資金をたっぷり渡して、工作活動を依頼すればいい。

 日本人はそんなこと知ったことではない。
 もう、日本人は、日本にいるevenki族工作員達にだまされるということはない。絶対にミスリードなどされない。

 また、世界中の捏造慰安婦像に対しては、日本政府からも攻撃するようになった。

 --ここから--

 米カリフォルニア州グレンデール市に設置された慰安婦像の撤去をめぐり、地元の日本人たちが米連邦最高裁での上告審を求めていることについて、日本政府が「請求は認められるべきだ」との見解を表明した意見書を連邦最高裁に提出した。

 日本政府が連邦最高裁に第三者意見書を提出することは異例。
 米国内で相次ぐ慰安婦像・碑の設置に関し、日本政府の意見表明の機会になると判断したようだ。

 像の撤去を求めているのは、現地在住の目良浩一氏と日系住民らで作るNPO法人「歴史の真実を求める世界連合会(GAHT)」。
 地方自治体であるグレンデール市が慰安婦像設置を通じて外交問題に関して立場を表明することは、外交における全権を連邦政府に付与した米国憲法に違反するとして、2014年2月、連邦地方裁判所に像撤去を要求する訴訟を起こしたが、地裁と高等裁判所で敗訴。
 今年1月に最高裁に請願書を提出している。

 日本政府の意見書は今月22日付で連邦最高裁に提出された。意見書では、慰安婦問題など歴史的な問題への米国の対応は「日本との国家間交渉による確立した外交方針」によって一貫していると指摘。
 その上で「グレンデール市の慰安婦像は確立した外交方針への妨害であり、逸脱である」と主張した。

 また、慰安婦像脇の碑文に「20万人の女性が強制的に連行され、性奴隷となることを強制した」などの事実と異なる文言が記されていることに関しても言及。
 州や地方自治体に外交分野における表現の自由を認めれば「米国と日本のような近しい同盟国(の関係)に害を及ぼす危険をはらむ」と指摘した。

 さらに「慰安婦問題は日韓間の敏感な問題であり、米国の矛盾する判断によって混乱が生じかねない」とも訴えた。

 --ここまで--

 表題でふれたことを繰り返そうか。
 歴史を捏造する民族には、未来どころか、現在すらもない。




日本には家畜として育て、肉として食べる授業があると中国人

核心は、日本人が食事の前に習慣として行っている「頂きます」の本質的な意味だろう。
 人間というものは、他者の「生命を頂いて」いなければ、生きてはいけないのだ。
 人間が宿命的にもつ「業—ごう」というものだろう。

 しかし。
 こんな「業」という考えなど、仏教等を先覚的に導入した中国人には当たり前のことではないのか。
 こういう思想さえ、1960年代の「文化大革命」で、自らの手で破壊してしまったのか。

 一体、中国人ってなにものなのだ?
 なにもない荒涼たる砂漠のような「精神世界」なのだな。
 あるのは、ただただ、お金への妄執だけか。

 以下、新聞から抜粋。

 日本の一部の学校では、教育の一環として家畜を育て、最終的に肉として食べるという授業がある。
 命の大切さと食べ物への感謝を教えると同時に、われわれは他の命によって生かされているということを子どもたちに教える授業のようだ。
 一見すると価値のある教育だが、子どもたちにとっては残酷なのではないかという意見もある。

 中国メディアの今日頭条は、日本のある小学校が子どもたちに豚をペットとして育てさせ、最後は食べ物として食べる授業を行ったことを紹介し、その是非について中国人たちが議論を交わしている。
 記事は、子どもたちは豚が1日1日成長していく様子を観察していたため、「互いに深い感情が芽生えた」と伝え、最終的に食肉センターに連れられていく豚を見守っていた子どものなかには泣きだす子もいたと紹介。

 また食肉センターで加工された豚の肉を料理の授業を通じてみなで食べたが、記事は感情的に耐えられないという表情をした子どもの写真を掲載し、「本当に残忍な授業である」と批判した。 

 この記事に対して中国ネットユーザーたちからいくつかのコメントが寄せられたが、「真実を知らないことこそ残酷」、「食べ物を粗末にしないことや、食べ物があることに感謝すべきことを教えるのはすばらしいこと」、「農村の人間としては見慣れたもので、可哀そうだとは感じなくなる」という内容のコメントがあった。

 日本にもこの教育方法について疑問視する声もあるようだが、それはこの豚に名前が付けられ、まさにペットとして育てられたという点が問題だったという見方も多い。
 授業の動機は良いが、情が湧く方法で育てたという方法が間違っていたということかも知れない。

補足、感想など

 冒頭でふれた。
 人間というものは、他者の生命を頂いていなければ、生きてはいけない。
 だからこそ、日本人は食事の前に「頂きます」という言葉を習慣にしているのだ。
 人間が宿命的にもつ「業」を、直視するということは決して間違いではない。

 ペットでもそうだ。
 犬など、15年程度しか生きられない。
 老いて死んでいく様を直視することで、生命の輝きへの愛おしさが増すのだ。

 中国人の記事の文章は薄っぺらいな。
 冒頭でふれたように、1960年代の文化大革命でなにもかも、破壊し捨て去り、「業-ごう」というような「思想の深さ」を持ち得ないのだろう。

 のっぺりした単純な思想、荒涼たる荒野のごとき、中国人の精神世界の貧弱さを感じる。

 ※追記
 このブログも今日で13年を終了したところらしい。明日から14年目に入る。
 この1.2月はちょいと体調を崩し、回数が減っている。
 3月からは、従来程度には書けそうだ。
 


日本の歴史について、中国人からとやかく言われる筋合いはない

ふん、内政干渉だろう。
 英国の産業革命に200年も遅れるような、先の大戦から35年も遅れるような「大ノロマ民族」が、上から目線で言うようなことか。

 自民族の近代における歴史を直視できないのだろう。
 余りに惨めで。

 以下、新聞から抜粋。

 大阪・淀川区の幼稚園が「よこしまな考えを持った在日韓国人や支那人」などと書かれた文書を保護者に配付していたことについて、東京の中国大使館の報道官は「日本は歴史に対して正しい態度をとり、正確な歴史観で次世代を教育すべきだ」と批判しました。

 大阪府によりますと、去年12月、大阪・淀川区の学校法人森友学園が運営する幼稚園に子どもを通わせている保護者から「『よこしまな考えを持った在日韓国人や支那人』などという民族差別的な表現が含まれた文書が配付された」という苦情が寄せられました。

 これについて、中国大使館の張梅報道官は記者会見で、「この学園の教育の在り方に関心を寄せている。日本は歴史に対して正しい態度をとり、正確な歴史観で次世代を教育すべきだ」と批判しました。

 一方、北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長の兄のキム・ジョンナム(金正男)氏がマレーシアで殺害された事件について、張報道官は「北朝鮮の国民が死亡した案件」として、殺害されたのがキム・ジョンナム氏であると認めない北朝鮮への配慮ともとれる表現を用いました。

 そのうえで、「中国はどう対応するか」という質問には、「われわれは、双方が対話と協議を通じて適切に解決することを望んでいる」と述べ、この事件をめぐる北朝鮮とマレーシアの対立に巻き込まれたくないという立場をにじませました。

補足、感想など

 日本と中国との間での先の大戦に関わる戦時賠償問題は、1972年の田中角栄首相-周恩来首相との間で、完全に解決済みだ。
 日本は、いまさら、なにをする必要もない。
 南京大虐殺?、重慶爆撃?、731部隊? なにそれ、美味しのか。
 すべて解決済みだ。
 この問題に不満があるというなら、ハーグの国際司法裁判所へ訴えればいいこと。

 また、日本にいる媚中派の国会議員達へ工作資金をたっぷり渡して工作活動をすれば、日本人が「あぁ、中国共産党様ぁ、なにもかも、皆、日本人が悪うございました。お金ならいくらでも差し上げます」とか、言い出すとか思っていたら、とんでもない間違いだぞ。

 ついでに、中国人の尻の穴でもなんでも舐めますという媚中派の国会議員達をご紹介しておこうか。

 --ここから--

 自由民主党
 高村正彦さん、二階さん、鶴保庸介さん、西村明宏さん、橋本岳さん、平井卓也さん、甘利明さん、松島みどりさん、後藤田正純さん、西村康稔さん、井上信治さん、愛知治郎さん、今津寛さん、大塚拓さん、鈴木馨祐さん、逢沢一郎さん、平将明さん、菅原一秀さん、左藤章さん

 ---ここまで--
 怪しげなことをすれば、上の議員など、落選運動の嵐だろう。
 もう、二度と三菱マテリアルのような日本人を騙すような真似はさせはしない。




2017年2月27日月曜日

pcのメモリを増設したらどうなるか

まず、筆者の環境にふれておこう。
 osは、ウインドウズ764ビット。cpu i5
 メモリを4ギガとしていた。

 ところが、4ギガではモタモタしてどうにもならない。
 で。
 増設して 4ギガ → 12ギガとした。
 12ギガという数字を見て、奇妙に思う人がいるかもしれないが、内容は 8ギガ プラス4ギガ—だ。
 変則的となったのは、途中でいろいろ失敗したため。

 増設してみると、確かに、反応が速くなった。
 特にネットでのモタモタ感が多少とも解消された。

 また、ソフトを並列的に立ち上げて、動かしてもサクサク動く感じがする。
 ネットで、ウインドウズ7についてみると、最低、メモリは8ギガだ—とされていて、なるほど、我慢ができなくなる筈だと納得。

 もう、このpcを56年使っているのだが、6年前に較べれば、メモリも随分安くなったようだ。
 メモリの増設は、ネットでいろいろ調べてみると、難しいものではない。
 メモリ自体は、アマゾンなどでも安く売っているようだ。

 ぜひ、試みられることをお勧めしたい。

 ※追記
 このpcで専用回線を使っていて、その回線が不調だったのだが、メモリを4ギガ →12ギガにすることで、通常に機能するようになった。
 メモリ不足というものは、こういう影響もあるのだなぁと改めて気づかされた。
  





米国、アトランタで慰安婦像計画、日本が様々に圧力

慰安婦像を建設すると、日本が資本を引き上げるぞとか、日本人観光客がいかなくなる—とかな。
 すると。
 例の韓国系?マイクホンダ元議員が「そんなことはない」--とか言い出して。

 トコトンやれ—と思う。
 日本人の名誉を守れるのは、日本人だけなのだ。各自で自国の名誉を守ろう。
 そのことをよく知っておこう。

 以下、韓国の新聞から抜粋。

 米ジョージア州のアトランタに韓国系団体が旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」を設置する計画を進めていることをめぐり、日本側が建設を阻止するため、多方面で圧力を強めている。
 少女像の設置に取り組んでいる建立推進委員会は記者会見を開き、設置に反対する日本側の主張に反論し、人権の尊さを訴える少女像の設置の趣旨をあらためて説明。

 また会見で推進委は、米国の大都市で初めてアトランタに少女像が建てられることを受け、在アトランタ日本総領事館の篠塚隆総領事が地元の有力者らを対象に建設の阻止に向けたロビー活動を行っていると伝えた。
 少女像が設置される場合、日本企業がアトランタから撤退し、地元の経済に深刻な影響が出かねないなどと圧力をかけているとされる。

 推進委は会見で、少女像の建設は不幸な歴史を心に刻み、二度と繰り返さないことを誓うものであり、人権のための行動だと強調した。
 建立推進委員のマイク・ホンダ前下院議員は「少女像が地元企業に経済的な影響を与える可能性があるという日本総領事の主張は事実ではない」と反論した。

 推進委は慰安婦を象徴する碑や像が建てられるカリフォルニア州サンフランシスコ市の商工会議所から受け取った「碑の設置による経済的な影響は全くない」との答弁書も公開した。

 また、推進委委員のうち在米韓国人は10人にすぎず、15人は日本やオーストラリア、フィリピン、中国、インドネシア、ベトナム、欧州などさまざまな国籍の人だとして、少女像建設を韓国と日本だけの問題にしようとする日本側の主張に反論した。
 その上で、日本との関係悪化や日本の評判を落とすための「アンチ日本」ではなく、人権運動の一環であり、すでに世界の53都市に少女像や碑が建てられていると説明した。

 アトランタの少女像は「公民権・人権センター」に設置される予定だ。
 推進委のキム・ベクギュ委員長らが約3年前からセンター側と少女像の建設を進めてきた。
 センターは1950~60年代、南部地域を中心に起きた黒人の公民権運動を記念するため、2014年に建設された。

 アトランタは黒人公民権運動の発祥の地であるため、少女像設置計画は韓国や日本、米国のメディアからも大きな関心を集めた。
 設置されればカリフォルニア州グレンデール市の公園とミシガン州サウスフィールドの韓人文化会館に続き、米国で3番目となる。推進委は日本政府や右翼団体の妨害工作に対抗するためには多くの人たちの関心が必要だとして、支持を訴えた。

補足、感想など

 カリフォルニアか。
 たしか、トヨタがカリフォルニアのやり方に我慢ができなくなって、テキサスあたりへ移転したが---
 おかげで、カリフォルニアの州知事あたりがなにか攻撃されていなかったか。

 ちょいと、トヨタがらみで文章を—ちょっと古いのだけど。

 --ここから--
 2009年からアメリカで始まったトヨタ車の大規模リコール問題は解決されたはず。
 トヨタ車には問題なく、ドライバーの過失でケリついた、と経緯は記憶している。
 トヨタはえらい損害を被った。
 しかし、その後がまだあった。トヨタの反撃である。

 「「さっき、トヨタの話がでてたけど、インディアナ州出身で、韓国側と共闘していたダン・バートンは、地元政界でつるし上げを食らって、政界引退だそうです。トヨタはインディアナ州から露骨に引き上げてましたからねえ・・・・

 共同歩調とって日本のほかの企業も、インディアナ州回避。 」
 「アメリカ国内で、危険な政治家のいる地域を避けるのはただの経営判断ですよ。」
 「慰安婦碑の時に聞いた話だと、TOYOTAは、はっきり 、『あなたの××という議員が反日活動してますね?だから工場は建てません』ってはっきり断るんだってね。

 --ここまで--

 冒頭でふれた。
 日本人の名誉を守れるのは、日本人しかいないのだ。
 アメリカ、アトランタには観光にいかない—くらいの意思表明をしたらどうだろう。

※追記
 結局、建築は中止となったようだ。

 --ここから--

 米国ジョージア州アトランタ「平和の少女像」の建設計画が公民権センターの態度の変化で霧散した。
 少女像建設に乗り出した韓国人同胞たちは、日本政府の妨害工作が決定的なものと見て、他の場所探しに乗り出した。

 アトランタ平和の少女像建立委員会は、アトランタ国立公民権人権センター(National Center for Civil and Human Rights)から「先月建設委と約定した契約を履行することができなくなった」という内容を書面で通知されたと述べた。
 公民権人権センターは、約定不履行の理由として、「本来の設計と違う造形物を、公民権センターの外部に設置することはできないという方針がある」という定款について話した。

 アトランタセンテニアルオリンピック公園内のコカ・コーラ博物館近くにある公民権人権センターは、1950〜60年代に南部地域を中心に起きた黒人公民権運動を記念する博物館として2014年に建てられたものだ。
 建設委は昨年9月、公民権人権センターと初めて交渉を始めて、12月に公民権センター運営委員会の少女像建設について書面による許可を受けた。
 以来、造形物を設置するセンター外部の敷地を確定した後、建設委は少女像建設計画を発表した。
 建設委は少女像造形物を購入し、公民権人権センターを知らせるために数千ドルを投資したが、センターの約定破棄によってすべての計画が水の泡になった。

 キムベクギュ建設委員長は「公民権人権センターが、6ヶ月間の交渉の末に署名した契約を解除したことはあまりにも失望だ」とし「もしそのような方針があるなら、公民権人権センターは私たちに事前に通知しなければならなかった」と悔しさを爆発させた。
 建設委は少女像建設を発表した後、駐アトランタ日本総領事が、アトランタ商工会議所、公民権人権センター、アトランタ市庁舎を相次いで訪問し、少女像を建てたなら、日本企業がアトランタから撤退するとして、政府レベルで脅迫した。

 建設委側は、日本人も、日本軍慰安婦の人権侵害の事実を否定する大量の電子メールを公民権人権センター側に送ったと付け加えた。
 結局日本政府と民間の再三の圧力行使によって、アトランタ市と商工会議所、公民権人権センターが屈服したと建設委は推定している。

 建設委のヘレン・キム・ホ弁護士は、「情報提供で、わずか10日前に少女像建設妨害工作に接した」とし「最近の事実に照らしあわせてみると、公民権人権センターの約定破棄が、既存の方針に沿ったものとは信じられない」とし、「目に見えない手」の干渉の可能性を示唆した。
 建設委は建設費用の用意も目標値にほぼ到達しているとして、必ず別の場所に少女像を立てると明らかにした。

 建設委は第2次世界大戦当時、人身売買と性的虐待を受けた女性約20万人を称えて、このような勇敢な女性たちを記憶することで、今も広がっている人身売買の問題を、地域社会と世界に広く知らせようという趣旨で、平和の少女像と碑の製作に乗り出した。

--ここまで--
 日本人の名誉は、自分たちの手で守るしかないのだ。
 今度は、日本政府の意見書の提出という応援があったことで、理不尽な日本人卑しめ工作を阻止できた。

 evenki族工作員からの工作活動に対して、自分たちで「日本人の名誉」を守ろう。


2017年2月26日日曜日

朝鮮学校は学校ではない、単なる私塾だ。日本国民の税金を使うことはできない

表題ですべてを言い切ってしまった。
 つまり、学校とかいう名称を使っているが、学校ではないのだ。
 単なる私塾に日本人の税金を使うことは許されない。

 補助金が欲しくば、北朝鮮の金総書記へ直接、「補助金おくれ」とか訴えればいいではないか。

 以下、新聞から抜粋。

 「子どもたちをつらい目に遭わせて心苦しい」 朝鮮学校補助金問題で保護者ら集会
 神奈川新聞 20170225
 朝鮮学校に通う子どもたちの学費補助金の交付を県が留保している問題で保護者や学校関係者らは、集会を開いた。
 民族教育を守ろうと会場の神奈川朝鮮中高級学校(横浜市神奈川区)には卒業生も含め約200人が集まった。

 3人の子どもを通わせている白(ペク)珠妃(チュビ)さん(47)は「民族の尊厳の問題。子どもたちをつらい目に遭わせて心苦しい。大人たちが何とかしなければ」と呼び掛けた。
 県は拉致問題の記述が教科書にないことを留保の理由にしているが、「神奈川朝鮮学園を支援する会」の佐々木克己元事務局長は「補助金は県が保護者に出すもので、第三者の学校を理由にするのはおかしい」と矛盾を指摘。

 「日本で暮らし続ける子どもたちのため日本のことも教えている朝鮮学校は、どの外国人学校より日本の学校に近い。他の外国人学校は補助が出て、朝鮮学校だけ補助されないのは理解できない」と話した。


補足、感想など

 冒頭でふれた。
 朝鮮学校は、法的な学校ではない。
 単なる私塾だ。だから、日本人の税金を使うことはできない。
 当たり前ではないか。
 記事の要求など、差別たらなんたらという言葉で、理不尽な横車を押し続けていることを隠しているだけだ。

 補助金が欲しくば、北朝鮮の金総書記へ「金くれ」と訴えればいいこと。
 日本・日本人には、なんら関係もないことだ。




漢方薬、中国人が重視しなかったばかりに---か

どこに核心があるのだろうか。
 中国人って、英国の産業革命に200年も遅れる大ノロマ民族だ。
 大ノロマというより、どれもこれもが「同じことを考え、同じことをいう」--という視野の狭い民族ということなのだろうな。

 右を向けといえば、皆、右を向いてしまう—あぁ、今の中国の反日教育を見ていると、その傾向が顕著か。
 逆にいえば、洗脳されやすい、他者から騙されやすい、皆同じことを言い・考える民族ということか。

 以下、新聞から抜粋。

 漢方薬は、中国医学が基に発展した医薬品だ。中国では「中薬」と呼ばれるが、日本の漢方医学は日本独自に発展を遂げ日本の漢方薬は必ずしも「中薬」と同じではない。
 日本を訪れた中国人旅行客が、日本のドラッグストアで日本メーカーの漢方薬を爆買いする事例も確認されているが、こうした現状は中国人にとっては決して愉快なことではないようだ。

 中国メディアの今日頭条はこのほど、中国に起源があるはずの漢方薬は中国ではさほど重視されてこなかったと主張し、むしろ、日本や韓国で大きな発展を遂げたと伝え、悔しさをにじませる記事を掲載。
 記事は、米国では中国医学が高く評価されており、中国医学に含まれる鍼灸はすでに多くの州で免許制の職業として認められており、免許を取得するには鍼灸大学で3-4年の教育を受ける必要があると紹介。

 また、鍼灸は米国の健康保険制度に徐々に組み込まれつつあると伝え、今後も普及が見込まれる有望な市場であると伝えた。
 一方、「中薬」については「中国人はないがしろにしていたが、国外では『宝』として見なされてきた」と伝え、韓国や日本で独自の発展を遂げたと紹介。

 特に日本の医薬品メーカーは伝統中国医学の古典「傷寒論」にある複数の漢方方剤について権利を取得していると主張。
 中国人は科学的という言葉を「正確かつ絶対的なもの」と見なし、「中薬」を科学的と見なさなかったために、日本や韓国に「中薬」を奪われてしまったとの見方を示している。

補足、感想など

 鍼灸がアメリカで、免許制になっているのか。
 そうか、薬だけでなく、鍼灸まで含めると大きな市場ではあるなぁ。

 冒頭でふれた。
 中国人って、視野狭窄で他者から騙されやすい民族なのだろうな。
 簡単に、中国共産党にもだまされてしまう---

 その中で、1960年代半ばから10年間も続いた文化大革命があったのだろう。
 当時、10代20代の若者が、紅衛兵という「ヤクザ集団」と化し、4000万人以上の文化人・教養人、職人達を殺害し、一部を人肉食して、文化というか、教養というものを抹殺した。
 同時に、各種の工芸品、名刹と呼ばれる仏閣等を尽く、破壊した。

 この文化大革命で「破壊・抹殺」されたものに、記事にあるような中国医学なども含まれるのだろう。
 自分たちの手で、破壊抹殺しておいて、漢方なるものが日本・韓国で生き残ったということを「悔しがる」というのも変な話ではある。

 「今になって悔しがるくらいなら、そもそも、破壊・抹殺するなよ」
 その感覚がおかしかろう。
 だから。
 視野狭窄で、簡単に騙されやすい民族だ---と指摘しているのだ。

 視野狭窄の根本原因は、教養の不足、詰まるところ、中国人の識字率の低さに原因があるのだ。
 中国人は、自らの識字率を向上させなければ、中国医学と同じような「悔しさ」を何度でも何度でも味わうことになるだろうな。




2017年2月25日土曜日

婚活すれば何割が結婚できるのか

表題の問いに対して、25%ぐらいという答えらしい。
 25%の率で結婚できるのなら、婚活って、やる価値が充分あると思うのだがどうだろうか。

 まず、新聞から抜粋。

 結婚相手を考える際、男性と女性は、互いにどのような条件を思い描くものなのか。
 また、「婚活」はどのくらい役に立っているのか。
 明治安田生活福祉研究所の調査結果から、 2030代の若者が、結婚相手に求める条件と婚活事情について、データをお届けします。

■女性が希望する最低年収は「400万円超」
 そもそも、女性は結婚相手としての男性に年収を期待しているのか。
 未婚女性が結婚相手に求める最低年収として400万円以上と回答した割合は、20代で57.1%、30代で67.9%でした。
 しかし、実際に未婚男性のうち年収400万円以上の人がどれくらい存在するかをご存じでしょうか。
 20代ではわずか15.2%、30代でも37.0%にとどまり、女性が期待する男性の年収の水準と現実では、ギャップがあります。

※「男は働き、女は家庭」の意識は健在
 とはいえ、結婚を考える際には、相手の収入面以外にも、重視すべきことはあるでしょう。
 そこで、2030代の未婚男女に結婚相手として条件について、各項目についてあてはまるかどうかたずねたところ、 男女共通で「物事の価値観が合う」「優しい」「健康である」「浮気をしない」といった項目で「あてはまる」の割合が高くなっています。
 つまり、相手の人柄を重視している人の割合が高い。

■男は「経済力」、女は「家事能力」の意識は健在
 ただ、男女で差が出た項目もあります。女性の場合は、「行動力・決断力がある」が77.7%と、男性の40.5%を上回ります。
 さらに、「相手の年収・経済力」は女性が65.6%であるのに対し、男性は21.1%。
 一方、男性では、相手の「容姿や身長」「家事全般ができる」の項目で女性より相対的に高くなっています。
 すなわち、相手の人柄を重視しながらも、女性は「経済力や行動力」を求め、男性は「家庭的で、容姿がいいこと」を求めている人が多い。

 では、結婚相手とはどのような場所で出会うことが多いか。
 2030代の既婚男女に、現在の配偶者と知り合ったきっかけをたずねたところ、男女ともに「同じ職場」「友人の紹介」がそれぞれ2割以上で上位を占め、 次いで「学生時代(クラス・ゼミ・サークル・アルバイトなど)」が続きます。
 すなわち、同じコミュニティで知り合って交際に発展し、結婚に至るケースが多いようです。

 一方、「コンパ・合コン」や「婚活パーティ」など、いわゆる“婚活”で結婚相手を見つけた割合は、それぞれ数パーセントにとどまるなど、決して多くはありません。

※婚活経験がある人の割合とは?
 2030代の若者は婚活の経験があるのでしょうか。婚活経験の有無をたずねてみたところ、既婚者の場合は男女ともに約半数が「ある」と回答しています。
 一方、未婚者の場合、「ある」と回答したのは、男性は4人に1人、女性は5人に2人にとどまっています。

 婚活経験がある人に対してどのような活動をしたかたずねたところ、「友人などに異性の紹介を依頼した」の割合が男女ともに最も高くなっています。
 友人など自分をよく知ってくれている人を通してパートナーを探すことは比較的安心感が高く、取り組みやすいのかもしれません。

 また、未婚者の場合、その他の項目において男女差が比較的大きかった項目として「婚活パーティに参加した」「街コンに参加した」が男性よりも女性、「結婚相談所や結婚紹介サービスを利用した」が女性よりも男性のほうで高くなっています。 

■婚活で出会った人と結婚した人は「4人に1人」
 婚活を経験した既婚者たちは、婚活が実際の結婚につながったと考えているのでしょうか。
 2030代の既婚者にたずねたところ、「婚活で出会った人と結婚した」人は、4人に1(男性26.6%・女性23.7)となっています。

 ほとんど僅差で、「婚活で出会った人ではないが、結婚につながった」が続きます。
 これはつまり、婚活を通じて結婚にあたっての考え方や認識が深まるなどのケースを想定できるでしょう。
 こういった間接的な効果も含めると、婚活を経験している既婚者の約半分の人が婚活について結婚につながったと考えているようです

補足、感想など

 結婚するしない—は、個人の問題であり、勝手といえば勝手。
 ただ、最近、周辺で未婚の人が多い話を聞くたび、高齢者となった時、自分の人生を振り返って寂しくないかなぁ、とか余計なことを考えてしまう。

 筆者でもそうだ。
 結婚しているから、なんとかここまでやってこれた—という思いが強い。
 連れ合いがいたから、厭なこともやりすごすことができた—と感じる。
 70-80年という歳月を暮らしていく上で、パートナーなしでは寂しすぎるし、長すぎる。



東芝は存続させるべき企業だ

なぜなら。
 原発の建造技術を残さなければならないからだ。

 2011年3月の東日本大震災の事故以来、原発に対して逆風が吹いている。
 しかし。
 日本のエネルギーをどこからもっているか—という基本的なことを考える時、原発は欠かせないエネルギー発生源なのだ。
 そのことを直視してもらいたい。

 事故発生以来、もう6年間という歳月が経過している。
 しかしながら、今もって、原発に代替できるエネルギー源は見つかっていない。
 いずれにせよ。
 もう、何年かすれば、原発を新規に建設しなければならない状況となる。

 その時のために、原発建造技術を保有する東芝を存続させなけばならない。
 単に、日本という国のためではなく、世界的に見てもそうなのだ。

 エネルギーをどこからもってくるか—という命題は、一国の命運をも左右するほとのことだ。
 そのことを考えれば、東芝という会社をどうしても残さなければならない。
 理解してあげて欲しいと思う。

 以下、新聞から抜粋。

 世界的な原子力不況への対応の遅れと企業としてのガバナンスの欠如が災いして、深刻な経営危機に陥っている東芝に対し、 国民の眼に見えない形で政府・経済産業省が公的支援を行う案が、現実味を帯びてきた。
 東芝は、支援に辿り着くために、実質的な経営破たんに当たる債務超過に陥ることが確実な今20173月期決算を自力で乗り切る必要がある。

 そのため、同社は、収益の大黒柱である半導体・メモリー事業を別会社化、過半数以上の持ち分を売却することで急場をしのぐ方針だ。
 これを受けて、東芝の破たんに伴う巨額の貸し倒れの発生を避けたい三井住友銀行、みずほ銀行など主力各行は、自力での債務超過回避のメドがついたとして、融資の継続に応じる方針という。

 この後が政府・経済産業省の出番となる。
 同省は、今後40年間に少なくとも8兆円(単純計算で年2000億円)を見込んでいる東京電力・福島第一原子力発電所の廃炉予算を優先的に東芝が開発・販売する「廃炉ロボット」などの購入に充てるほか、耐用年限を迎えた全国各地の原発の廃炉作業に関連した発注の東芝シフトを電力各社に促して、東芝再建を支援する検討を密かに進めているというのだ。

 ここで重要なのが、最終的な資金の負担者が誰かというポイントだ。
 そもそも福島第一原発の廃炉費用はとりあえず公的資金で賄い、将来、政府保有の東電株の売却益で回収するというが、実現する保障はない。
 また、一般の廃炉費用は、我々国民が負担する電力料金が充当される仕組みである。
 政府・経済産業省が検討している、この東芝支援策は、資本主義の原則を損なう禁じ手だ。
 が、実態が国民にわかりにくく、状況の検証・監視も困難なことから、行政の裁量で、なし崩し的に実施されるリスクが非常に高くなっている。

(中略)

 この主力行は「持ち分を過半数から全額売却すれば12兆円を入手できるはず。これだけあれば、今回未計上のWH関連の訴訟費用の計上や 天然ガス権益を巡る減損処理など他の問題が発覚しても即座に資金繰りに窮する心配はない」と安堵のため息を漏らしている。

 阿吽の呼吸だったのだろう。3月末の本決算を乗り切れれば、残る問題は、昨年の医療機器子会社「東芝メディカル」に続く半導体・メモリー事業の売却で稼ぎ手のない会社になる東芝がどうやって新たな収益源を開拓するかという点に収れんされる。

 そこで、政府・経済産業省が、福島第一原発を含む原発の廃炉ビジネスで東芝の収益を下支えしていくシナリオにすかさずシフトしたというわけだ。
 もちろん、これで東芝が自立できるほど十分な収益が上がるとは考えにくい。ただ、実施に必要なのは、東電や電力各社に 東芝への発注比率を引き上げるように水面下の行政指導を徹底することぐらいだ。

 これといった法律改正や予算措置を必要としないだけに、国民やマスメディアの監視の目を逃れて、このプランが密かに強行される可能性は非常に高い。
 巨大企業、メガバンク、官僚――。そういったエスタブリッシュメントには、自分たちの仲間を守るためならば、庶民にツケを回しても痛痒を感じない、そんな共同体意識が今なお根強く残っているのだろうか。
 末長く国有東電のパラサイト(寄生虫)として、ゾンビのように永らえる、そんな東芝の将来が現実味を帯びてきた。

補足、感想など

 この記事、視野の狭い記者の文章ではある。
 evenki族工作員かな? 日本・日本人を卑しめて、楽しむ手合であろう。

 冒頭でふれた。
 エネルギーをどこからもってくるか—というのは、一国の命運を左右するほどの事案だ。
 先の大戦の際、日本軍が早々に、南進作戦を採用して、南方の油田地帯を占領したのは、エネルギー源を確保しなければ、戦争続行が不可能だったからであろう。

 今でも、日本の状況に大きな変化はない。
 太陽光発電・風力発電等では絶対量が不足だ。
 結局、従前の火力発電・水力発電に頼っているのだ。

 火力発電では、二酸化炭素を出すことは従前通りだ。また、燃料として天然ガスなどを外国から輸入しているのだ。
 だからこそ、原発への移行が推進されてきたのではないか。

 冒頭でもふれたように、原発に代替できるほどのエネルギー源は見つかっていない。
 だからこそ、もう数十年は原発に頼るしかないのだ。このことを直視して欲しい。
 原発を造る技術は、だからこそ、残す必要があるし、東芝の存続もそういう日本という一国の大きなエネルギー政策の一環として考えるべきだ。

 エネルギーを他国に頼ることはできない。日本という国の安全に関わるからだ。
 アレコレ、考えれば、東芝という会社を存続させる意味が明瞭となってくる。

 ぜひ、日本という国が、この東芝という企業を存続させるべくバックアップして頂きたい。





日本の宅配便が崩壊する—とか

なんというかなぁ。
 仕事が少なくなって崩壊するというなら、理解できる。
 でも、仕事が多くなりすぎて崩壊するということがあるか?

 「崩壊する」ではなくて、「技術的なブレークスルー前夜」と考える方が真っ当であろう。
 記事では宅配ボックスというような案がでている。
 個人の家ごとに、防犯も考慮したようなパーソナル宅配ボックス(いや、箱かどうかも分からない。強度のあるカバーのようなものかもしれない)がすぐに出てくるさ。

 以下、新聞から抜粋。

 最近、宅配便のドライバー不足に対する、社会的関心が高まってきた。
 トラックドライバーは全体的に不足しているが、企業間取引のトラック輸送は一般消費者との直接的な関係は薄い。
 だが、ヤマト運輸や日本郵便をはじめ、宅配便はいまや日常生活に欠かせない身近な存在だ。
 近年では、ネット通販の利用者が増えてきたことも、宅配便のドライバー不足に対する関心を高めている一因と思われる。

 国土交通省ならびに日通総合研究所の調べでは、国内貨物総輸送量は2016年度に46億トンで前年度比0.5%減。2017年度も同0.6%減と予測されている。
 このうち営業用自動車による輸送は、2016年度が29億トンで同0.4%増、2017年度は同0.0%の見通しである。
 国内貨物総輸送量は微減だが、営業用自動車に限れば、微増か横ばいといった状況だ。

 ただし、営業用自動車を使う宅配便をみると、2015年度の取扱個数は374500万個で、この10年間で27%も増えた。宅配便は年13100万個も増えており、その伸びがますます著しい。

■毎月毎月、ネット通販の取引先が増加
 一方、経済産業省によると、2015年のBtoC-EC(消費者向け電子商取引)は前年比7.6%増で、1年間に9776億円も市場が拡大した。
 ここからも宅配便増加の大きな要因がネット通販の伸びであることがわかる。

 実際、百数十社のネット通販会社からフルフィルメント(受注から発送・決済までの業務全般)を受託しているある物流事業者によると、「毎月23社のペースでネット通販の取引先が増え、それだけ出荷する宅配便の個数が増加している。
 現在のところは遅滞なく配達されているが、宅配便は慢性的なドライバー不足で、ドライバー一人ひとりの負担が増しているようだ」という。

 201612月の職業別有効求人倍率をみると、自動車運転の職業は2.70だった(厚生労働省調べ)。
 これは全体の有効求人倍率である1.36の約2倍。全体的にトラックドライバーが不足しているが、なかでも宅配便のドライバー不足に拍車をかけているのが「再配達」なのだ。

 不在による宅配便の再配達率は19.1%で、2割弱が再配達となっている(国交省調べ)。
 前述のように、2015年度は宅配便が13100万個増えているので、その2割近くが再配達としたら15720万個増となり、ドライバーの労働量は2600万個分もよけいに運んでいるのに等しい。
 この再配達こそ、宅配便の生産性を低下させている原因だ。
 配達車両の走行距離の約25%が再配達のためであり、その分、CO2(二酸化炭素)の排出も多くなる。
 この再配達に要する労働力は、年間9万人ものドライバー数に相当するという。

■”送料無料”でもどこかが負担している
 通常のネット通販では、たいてい配達日と時間帯を無料で指定できるようになっている。
 実は”時間帯”指定と”時間”指定とはまったく違う。

 時間帯指定は2時間の幅で設定されているが、これは2時間という大枠の範囲内で配達するという約束であり、既定の配送コースをその時間内に回ればよい。
 時間帯指定ならば、1度の訪問で配達が完了する限り、再配達というムダが生じないので、宅配便会社にとっても効率がいい。
 ただし時間指定となると、ピンポイントの時間に行かなければならないため、どうしても特別料金になる。

 もっとも、時間帯指定が宅配便会社にとっても都合がいいのは、利用者が指定した時間帯に在宅してこそ。
 指定された時間帯に訪問しても不在ならば、商品を持ち帰って再配達することになり、それだけ宅配便会社とドライバーの負担が増してしまう。

 負担が重くなっているのは、宅配便会社だけではない。
 「アマゾン」や「楽天市場」など、最近のネット通販では”送料無料”のサービスが増えている。
 が、これは販売業者が送料を負担するので、利用者は負担しなくてもよい、という意味だ。
 結局はどこかが被らなくてはならない。

 利用者は送料込みの値段で、高いか安いかを判断する。
 1回分の送料は販売価格に含まれ、販売価格が高くなれば、競争上不利にならざるをえない。
 ちなみに商品の不具合やサイズ、色などの問題で、利用者が返品する場合には、返品に要したコストをネット通販会社が負担して、宅配便会社に支払うのが普通。
 これは返品率なども勘案して、販売価格を設定しているからと考えられよう。

 消費者がモノを買うにあたり、つねに考えているのが”購買コスト”だ。
 商品を購入するために要する費用であり、店に行くための交通費や移動時間、持ち帰りのための労力も含めた、トータルのコストである。
 リアル店舗で購入するかネット通販で購入するかは、こうした要素の削減も含めた購買コストを判断材料に、メリットとデメリットを比較している。

 ネット通販を選ぶうえで重視されるのは、何といっても時間コストである。
 小さな子どものいる主婦や、仕事で帰宅の遅い単身者にとっては、時間の制約がどうしても大きい。

 とはいえ、時間帯指定にしたとしても「2時間」という幅があり、その間は自宅で待っていなければならない。
 到着を待ちきれずに出かければ、再配達となり、利用者にも宅配便会社にも販売業者にも、新たな負担となってしまう。

■カギを握るのは宅配ボックスの普及
 この時間コストを解決する方策で今、注目されているのが、商品を受け取るピックアップポイントの活用だ。
 マンションだけでなく、コンビニエンスストアや駅などに、「宅配ボックス」を設置する動きが広がっている。

 非対面でピックアップできる宅配ボックスが全国に普及すれば、利用者は自分の都合で商品を受け取ることが可能で、時間コストを削減できる。
 同時に宅配便会社にとっても再配達コストの削減になる。

 日本の宅配便は世界的にも最高レベルといっていい。
 しかしそれも、ドライバー不足や物量拡大、サービスの高度化などを受け、持続できなくなりつつある。
 利用者、販売業者、宅配便会社にとって、何が望ましい形なのか。
 このまま手を打たなければ、日本の物流は間違いなくパンクする。

補足、感想など

 日本の物流は間違いなくパンクする—か。
 冒頭でふれた。
 仕事がなくて破綻するのは当たり前。
 でも。
 仕事が多すぎて破綻するか?

 パンクするかもしれないが、それは技術的なブレークスルー前夜ということだ。
 隘路があれば、その部分に改善・改革・新工夫というものが集中する。

 このパンク寸前の物流に様々な種類の人間があつまり、様々な工夫がでてくる。
 スマホを使っての、在宅確認とか、在宅しないなら、ここに預けてほしい—てなことを受けるサービスもでてくるだろう。

 なんどでもいいたい。
 仕事が多すぎて破綻するなんてあり得ない。
 その隘路部分で技術的な水準と需要がアンバランスなだけだ。
 まさに、ブレークスルー前夜なのだ。



2017年2月24日金曜日

武士道だって、我が国が起源と中国人

まぁ、完全に否定するつもりはないよ。
 江戸時代まで、武士の教養の基礎をなしていたものは、論語だし。
 様々な中国由来の書籍で、日本の武士階級は、その根本的な教養というか常識を形作ってきたのだ。

 そのことを敷衍すれば、「武士道だって、中国起源」といえなくもない。
 でも。
 中国には、じゃ、「起源たる武士道」がどこかに残っているのか。

 1960年代半ばから1970年代半ばまでの文化大革命なるもので、知識人・文化人を4千万人以上も殺害、人肉食し、日本の京都にあるような名刹を、貴重な文化財を尽く、自分の手で破壊しつくしてしまったではないか。

 先人達の営々たる努力を、先輩達の輝くような叡智の賜物を、自分たちの手で破壊する—というのはどんな気持ちなのだ?
 上でもふれた「まだ、どこかに残っていた武士道」を自分のこの手では破壊して、面白かったのか。
 あぁ、この前か、中国共産党が、文化大革命そのものを「錯誤だった」とかで総括していたが。

 以下、新聞から抜粋。

 日本ははるか昔から古代中国に学んできたため、日本の文化のなかには中国発祥のものが少なくない。日本の文化は中国文化の影響を受けつつ形成された、独自の文化であるといえるだろう。

 中国メディアの今日頭条は、日本人は学習能力が高く、日本の文化はもともとは中国の文化を基礎に発展させたものは多いとしながらも、「中国が起源でありながら、世界的には日本の文化であると認識されているものは少なくない」と主張する記事を掲載。

 記事は、日本が中国の文化を取り入れながら、非常に長い時間をかけて独自の文化を形成したと主張する一方、「和服」や「下駄」、「芸姑」、「生花」、そして、「武士道や剣道」は、もともと中国が起源の文化であるにもかかわらず、世界は「日本文化」と認識していると論じた。

 たとえば和服については「呉服とも呼ばれることからも分かるとおり、中国の呉の国から日本に織り方が伝わり、さらに唐の時代の服装が日本に伝わったうえで、それらが日本独特の進化を遂げたものが和服」であると主張。

 確かに中国では「和服は唐服にそっくり」だとする意見は多い。
 また、下駄についても「和服と同様に日本が中国から学んだものである」とし、中国では2世紀から3世紀にかけて存在した英雄たちが下駄を履いていたとし、「時系列的にも歴史に合致する」と主張した。

 さらに芸姑についても、中国の宮中に使えた「官妓」が起源であると主張したほか、生花についても「中国から日本に伝わった後に、中国では廃れてしまったものだが、日本では今なお発展を続けている」と指摘。

 また、武士道や剣道についても「武士は中国では春秋時代には登場していた」と主張。武士道と言えば「主君のためなら命すら投げ出す忠誠心」が有名だが、この忠誠心とはもともと「中国の思想家である孔子や孟子が説いた『忠』の精神である」と主張、だから、武士道も中国が起源の文化であるなどと主張している。

補足、感想など

 日本という国は、大陸から更に海に入った島国だ。
 辺境の地・草深い田舎であり、刺激も乏しいために、なかなか文化というものが発展しなかった。
 だから。
 奈良時代まで、中国の文化を積極的に取り入れたのだ。

 おかげで、日本のものは、中国にあるものに似ている。
 記事の内容をまるっきり肯定する気にはならないが、さりとて、否定することもできまい。

 ただ。
 中国と異なることは、日本は歴史で、異民族に征服されたことがない。
 歴史上、価値観の逆転が起こったことがない。

 だから。
 奈良・平安時代の百人一首が今持って、人気があるのだ。
 どうだ。
 この日本人のものもちの良さは---

 日本は、中国のような焚書坑儒の類のことが起こったことがない。
 結局、日本人の歴史では奈良時代くらいに「知性主義」というようなものが確立したのだろうな。

 中国人が、記事のごとく、日本にあるものの起源を主張しても、自分の手で焚書坑儒の類のことをやり、「起源」そのものを破壊したのは、自分の「手」ではないか。

 起源を主張するより、これから中国人として誇れるものを創造することに力を注ぐべきでないのか



2017年2月22日水曜日

大笑い、軍国主義を園児に植え付けて—と中国人

本当に、「お前が言うなよ」--て話だなぁ。
 中国人って、自分の都合でなんでも言うのだな。
 論理がどうたらなんてどうでもいい、自分の都合のためになら、なんでもあり—という世界か。

 なるほど。
 旧ソ連の北朝鮮担当者が「朝鮮人は、自分の目的のためならなにをしてもいい—と考えている。あんな人間には関わらないことが一番ですよ」とか言っていた。

 中国人、韓国人、北朝鮮人とどれもこれも同じということか。
 要するに、「関わらないことが一番」という人間ばっかりということなのだな。

 以下、新聞から抜粋。

 2017220日、新華社は「日本の右翼は園児に軍国思想を植え付けて、どんな人物を育てようとしているのか」とする評論記事を掲載。
 記事は「大阪市の塚本幼稚園で『愛国教育』が行われている。園児たちは天皇の写真にお辞儀をし、『教育勅語』を暗唱するのが日課だ。大阪護国神社にも毎年参拝させる。そして『皇国史観』を宣揚するばかりか、園児や保護者に中国や韓国への敵視を植え付けてさえいる」とし、同幼稚園が保護者向けに「ヘイト文章」を送ったとされる問題を伝えた。

 また「同幼稚園を運営する森友学園は、安倍晋三首相夫人の安倍昭恵氏を名誉校長とする小学校を建設中だ。
 『日本初の神道の小学校』を標榜するが、その『神道』はファシズム戦争に寄与した国家宗教のことである。以前、この小学校は『安倍晋三記念小学校』という名義で寄付を募ったこともあるそうだ」と説明。

 その上で、「安倍政権発足以降、日本の教科書はより右翼的になっている。安倍首相にとって、塚本幼稚園こそが『安倍教育学』のお手本なのだ」「心の真っ白な子どもたちに、右翼勢力が軍国主義や恨みの種を植え付けようとしている。同幼稚園の行為は、間違いなく日本と中国、韓国などとの友好関係の基礎を揺るがそうとするものであり、歴史、そして未来に対して極めて無責任だ」と主張。

 そして最後に「日本社会における右翼的思考の氾濫に対する憂慮が高まっており、国際社会は強く警戒せざるを得なくなっている」とした。

補足、感想など

 は、は、は。
 お前が言うなよ—という世界だな。
 中国の反日教育は、1980年代から天安門事件の後、アメリカのキッシンジャー博士に唆されて、当時の江沢民国家主席が、唆しに乗ったものだろう。

 天安門事件を見て、アメリカのレーガン大統領とその取り巻きは、「しめた」と思ったのだろうな。
 今こそ、中国と日本を離反させられるタイミングだと感じたのだ。
 このまま、10億人以上もいる中国が経済成長すると、日本 プラス 中国という経済圏ができてしまう。
 その時、仮に日本と中国が同一の通貨を使うようになったら、世界の基軸通貨が ドル → 円(元)となってしまう可能性が高い—と。
 同時に、アメリカが世界の超大国の座からすべり落ちてしまう可能性がある---と。

 で。
 キッシンジャー博士が、江沢民国家主席の「弱み」(江沢民国家主席は、戦前、中国での日本の傀儡政権の担当者の息子だ)を巧みに突いて、反日政策を採用させたものだろう。

 こうして、中国政府は、アメリカの企みにうまうま乗って、以後、反日政策を継続し、日本人も、中国人も互いに嫌いあっているのだ。

 えっと、天安門事件以後、長いこと「反日政策」を継続している中国人から、日本の教育に対してごちゃごちゃ言われる筋合いもあるまい。放っておけよ。

 それよりも、どうだ。
 長いこと、アメリカの唆しにうまうま乗って、反日政策をした結果をどう思っているのだ?
 やってみてよかったのか?
 何か、大きな効果でもあったか?

 あぁ、日本と中国との間で、先の大戦での戦時賠償問題は、1972年の田中角栄-周恩来首相との間で、完全に解決済みだ。
 南京大虐殺? 重慶爆撃? 731部隊? なにそれ、美味しいのか?
 いまさら、日本はなにをする必要もない。すべて解決済み。すべて解決済み。odaも終わりだ。





2017年2月21日火曜日

日本の映画は世界へ向いていない

いや、表題の文章は、決して、否定的な意味ではない。
 日本人は、もうガラパゴス化している。
 平易に言えば、日本人の知性は、世界水準から頭一つ抜け出している。

 だから。
 ハリウッドのような「おばか映画」を見ることができないのだ。
 で。
 日本人の視聴者というものをターゲットにしているものだから、日本の映画製作者達は、「日本人の感性」にどう訴えるか--ということしか、考えていない。

 そのあたりを、外国人からは誤解されるようだ。

 以下、新聞から抜粋。

 オランダで開催された第46回ロッテルダム国際映画祭でプログラマーを務めたジュリアン・ロスが、日本作品のセレクションのポイントと印象について語った。
 約1年間で250300作品を鑑賞したというジュリアンは「正直、日本の若手作家の作品のほとんどがかなり普通の恋愛映画だった。もう一つ担当しているフィリピンの方が製作本数こそ少ないが、多様な映像表現を見ることができた」と声を寄せた。

 ジュリアンは英国出身で、日本人の母と英国人の父を持つ。
 英国リーズ大学で日本の実験映画の研究で映画の概念そのものを再考し、博士号を取得。
 在学中から美術館やフィルムセンターでの特集上映のプログラマーを務め、2014年本映画祭にアドバイザーとして参加。
 2015年に短編部門の選考委員、そして2016年にプログラマーに抜てきされ、昨年の第45回では足立正生監督特集を組んだ。

 今年のラインナップには、ジュリアンの「今の日本映画を幅広く捉えたい」という意向が強く表れている。
 三池崇史監督の娯楽作『土竜の唄 香港狂騒曲』(2016)から、白石和彌監督『牝猫たち』(2017)と田中登監督『牝猫たちの夜』(1972)という新旧・日活ロマンポルノの“競演”、さらには造形作家・今井祝雄特集や同・小泉明郎のビデオ・インスタレーション『Oral History』まで。
 “恋愛映画ばかり”の中から、挑戦することをやめない気鋭作家の個性溢れる作品が抽出されていた。

 「中でも新人対象のブライト・フューチャー部門で音楽劇『はるねこ』(甫木元空監督)とアニメーションを取り入れた時代劇『仁光の受難』(庭月野議啓監督)を紹介し、新たな表現方法に挑んだ彼らをサポートしたいと思いました。
 松居大悟監督の『アズミ・ハルコは行方不明』は、パンク映画特集の企画者に提案しました。
 エネルギッシュな内容が、特集にうまくマッチしていたと思います」。

 ただ、今年の特徴として、日本映画の枠組みを大きく超えた日本絡みの作品が多かった。
 写真と長谷川博己のナレーションで、日本人における富士山論を展開したインドネシアのフィオナ・タン監督作『アセント』(オランダ・日本)。

 舞踊家・田中泯とジャズピアニストのセシル・テイラーがコラボレーションした『ザ・サイレント・アイ(原題) / The Silent Eye』(豪州・米国)。
 スペイン映画『アミジマ(原題) / Amijima』は、タイトル通り近松門左衛門の人形浄瑠璃「心中天網島」に影響を受けた現代劇である。「日本の映画産業の規模は大きいですが、描いている世界は狭い。

 日本の監督たちも海外へ出れば視野が広がるでしょうし、少なくとも同じような作品は少なくなるのではないでしょうか? 
 まず世界を目指すのであれば、製作委員方式やタレント主導の作品ではなく、何を描くのか作品の中身そのものに集中すべきだと思います」。

補足、感想など

 冒頭でふれた。
 日本人は、もう、世界的なレベルで見て、知性において、頭一つ抜け出している。
 だから、ハリウッドの「おばか映画」など見れない。

 だから。
 記事にある「世界を目指す」なんて、どういう意味があるのだ—と感じる。
 今度ヒットした新海誠監督の「君の名は」というアニメなんて、ちっとも「世界を目指してなんぞいない」。

 このあたりの核心ってなんだろう。
 もっと、「日本人の感性を深掘り」する--てな方向にいくのかな。



2017年2月20日月曜日

安倍さんが笑ったから-----か

朝日新聞に巣食うevenki族の人達の感覚って異様だな。
 「精神が歪んでいる」—といっても、そう外れてはいまい。

 表題で「笑う」と「嗤う」という違いがどうたら書いてあって、ふ~んと思った。
 ちょいと、その違いをネットで検索してみよう。
 --ここから--

 笑うと言うのは文字通り好意的な程度で、面白い事を笑うと言う意味です
 一方の嗤うと言うのは好意的な態度ではなく、嘲笑う意味で使います。
 表現するなら笑うは「ハハハハ」としますが、嗤う場合は目がトンでしまった状態で「グヒャヒャヒャヒャヒャ!」と言う感じですね。

 --ここまで--
 なるほど、そういう違いか。

 嗤うといえば—で思い出した。
 もう、数年も前か。
 朝日新聞に一般人のデモが押し寄せたことがあった。その時、朝日新聞社内から、日本人からのデモを見て「わらっている」記者?達の写真が公開されていた。
 あんな「わらい」か? 嗤うって。
 日本人を「上から目線」で見ずにはおられない朝日新聞社のevenki族工作員の記者達か---
 もう、精神が歪んでいるのだろうな。

 以下、新聞から抜粋。

 「仕方ない帝国」に生きてて楽しい? (政治断簡)
 2017219

 類は友を呼ぶ。

 日米首脳会談から1週間余、この言葉をかみしめている。脳内BGMは「世界は二人のために」。どこに行くのかあなたと2人、厚遇、おべっか、ナイスショット。
 2人は、「嗤う」が板についているという点で「類」だと私は思っている。
 人をバカにしたり見下したりは誰しもついつい普通にあるが、それと「嗤う」ではステージが違う。 
 あざけって、わらう。さげすんで、わらう。なかなかできることではない。ある意味才能。褒めてないけど。

 1月26日、衆院予算委員会。
 民進党の大西健介氏が質問している最中、安倍晋三首相が退席した。
 え? なに? トイレ? 騒然とする委員室。
 やがて戻ってきた首相は、ズボンをずり上げるしぐさに続き、両手を上げて伸びをして、閣僚らからドッと笑いが起きた。

 国会審議を軽んじている。カリカリと質問する野党議員を見下し、嗤っている――。
 「真意」はこの際関係ない。権力者の言動はそれ自体がメッセージだからだ。
 ああ。心がザラザラする。お前は無力だ、お前のやることには何の価値もないというメッセージを、まんまと感受してしまった。嗤われる側はそうやって少しずつ気力をそがれ、政治のダイナミズムは失われる。

 もちろん逆に、嗤う権力者を痛快で頼もしいと感じる人もいるだろう。
 だが、嗤いは嗤いを、軽蔑は軽蔑を招き、社会はすさむ。
 そう。俳優のメリル・ストリープさんが先月、ゴールデングローブ賞の授賞式で、かの大統領を念頭にスピーチしたように。
 「衝動的に人を侮辱するパフォーマンスを権力のある人間が演じれば、あらゆる人たちの生活に影響が及び、他の人たちも同じことをしてもいいという、ある種の許可証を与えることになるのです」

 嗤われるのは、数の力という「現実」に抗し、理念や理想を語る者。所与の現実から最大限の利益を得ることに腐心する「現実主義者」にとって、理想なんて1円にもならないキレイゴトだから。しかし――。現実ってなんだ?

 「現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。現実的たれということは、既成事実に屈伏せよということにほかなりません」(丸山真男「『現実』主義の陥穽」)
 そのように捉えられた現実は、容易に「仕方がない」に転化する。
 こうした思考様式がいかに広く戦前戦時の指導者層に食い入り、日本の「現実」を泥沼に追い込んだか。丸山はこう、言葉を継ぐ。
 「ファシズムに対する抵抗力を内側から崩して行ったのもまさにこうした『現実』観ではなかったでしょうか」

 既成事実への屈服が、さらなる屈服を生む。対米追従は仕方ない。沖縄に米軍基地が集中するのは仕方ない……。現状追認の無限ループ、そんな「仕方ない帝国」に生きてて楽しい?
 嗤われたら笑い返せ。現実は「可能性の束」だ。私もあなたも一筋の可能性を手に、この世に生まれてきたのだ。

(政治部次長・高橋純子)

補足、感想など

 一体、この日本にいる朝日新聞のようなevenki族工作員達の「立ち位置」ってなんなんだ?
 オレ達は、日本人じゃない・日本人には入れない、だからといって、韓国人でもない。

 在日韓国人という名の「根無し草」か。
 この朝日新聞の高橋某という人はなにものだ?
 アメリカのトランプ大統領と安倍さんがわらっていたら、自分達が「嗤われている」とでも思うのか。
 安倍さんが途中で、トイレに行ったら、民進党というevenki族政党が嗤われていると思うのか。

 もう、被害妄想の世界であろう。
 もう、精神が歪んでいないか? 殆どビョーキ状態ではないか。

 安倍さんは、潰瘍性大腸炎という難病と戦っているのだ。委員会の途中で抜け出すくらい、許してあげよ。

 記事を読んで思うのは、もう、「精神の闊達さ」というものを失った人間の文章だな。
 どういう環境の中で育ったものか。
 盆・正月には、親類縁者が集まっては、日本人に差別された—てな話ばかりを聞いて育ったのか。

 まぁ、はっきり言って、こんな「殆どビョーキ状態」の記事を書いて、日本人を説得することはできない。
 まず、「差別されたの」「虐められたの」という世界から決別せよ。
 精神の闊達さを回復せよ。

 自由な・闊達な精神から書かれる記事でなければ、日本人を納得させることはできない。
 上のような記事は、朝日新聞が 新聞業 →不動産賃貸業に転換せざるを得ないタイミングを近づけるだけだ。