2017年2月21日火曜日

日本の映画は世界へ向いていない

いや、表題の文章は、決して、否定的な意味ではない。
 日本人は、もうガラパゴス化している。
 平易に言えば、日本人の知性は、世界水準から頭一つ抜け出している。

 だから。
 ハリウッドのような「おばか映画」を見ることができないのだ。
 で。
 日本人の視聴者というものをターゲットにしているものだから、日本の映画製作者達は、「日本人の感性」にどう訴えるか--ということしか、考えていない。

 そのあたりを、外国人からは誤解されるようだ。

 以下、新聞から抜粋。

 オランダで開催された第46回ロッテルダム国際映画祭でプログラマーを務めたジュリアン・ロスが、日本作品のセレクションのポイントと印象について語った。
 約1年間で250300作品を鑑賞したというジュリアンは「正直、日本の若手作家の作品のほとんどがかなり普通の恋愛映画だった。もう一つ担当しているフィリピンの方が製作本数こそ少ないが、多様な映像表現を見ることができた」と声を寄せた。

 ジュリアンは英国出身で、日本人の母と英国人の父を持つ。
 英国リーズ大学で日本の実験映画の研究で映画の概念そのものを再考し、博士号を取得。
 在学中から美術館やフィルムセンターでの特集上映のプログラマーを務め、2014年本映画祭にアドバイザーとして参加。
 2015年に短編部門の選考委員、そして2016年にプログラマーに抜てきされ、昨年の第45回では足立正生監督特集を組んだ。

 今年のラインナップには、ジュリアンの「今の日本映画を幅広く捉えたい」という意向が強く表れている。
 三池崇史監督の娯楽作『土竜の唄 香港狂騒曲』(2016)から、白石和彌監督『牝猫たち』(2017)と田中登監督『牝猫たちの夜』(1972)という新旧・日活ロマンポルノの“競演”、さらには造形作家・今井祝雄特集や同・小泉明郎のビデオ・インスタレーション『Oral History』まで。
 “恋愛映画ばかり”の中から、挑戦することをやめない気鋭作家の個性溢れる作品が抽出されていた。

 「中でも新人対象のブライト・フューチャー部門で音楽劇『はるねこ』(甫木元空監督)とアニメーションを取り入れた時代劇『仁光の受難』(庭月野議啓監督)を紹介し、新たな表現方法に挑んだ彼らをサポートしたいと思いました。
 松居大悟監督の『アズミ・ハルコは行方不明』は、パンク映画特集の企画者に提案しました。
 エネルギッシュな内容が、特集にうまくマッチしていたと思います」。

 ただ、今年の特徴として、日本映画の枠組みを大きく超えた日本絡みの作品が多かった。
 写真と長谷川博己のナレーションで、日本人における富士山論を展開したインドネシアのフィオナ・タン監督作『アセント』(オランダ・日本)。

 舞踊家・田中泯とジャズピアニストのセシル・テイラーがコラボレーションした『ザ・サイレント・アイ(原題) / The Silent Eye』(豪州・米国)。
 スペイン映画『アミジマ(原題) / Amijima』は、タイトル通り近松門左衛門の人形浄瑠璃「心中天網島」に影響を受けた現代劇である。「日本の映画産業の規模は大きいですが、描いている世界は狭い。

 日本の監督たちも海外へ出れば視野が広がるでしょうし、少なくとも同じような作品は少なくなるのではないでしょうか? 
 まず世界を目指すのであれば、製作委員方式やタレント主導の作品ではなく、何を描くのか作品の中身そのものに集中すべきだと思います」。

補足、感想など

 冒頭でふれた。
 日本人は、もう、世界的なレベルで見て、知性において、頭一つ抜け出している。
 だから、ハリウッドの「おばか映画」など見れない。

 だから。
 記事にある「世界を目指す」なんて、どういう意味があるのだ—と感じる。
 今度ヒットした新海誠監督の「君の名は」というアニメなんて、ちっとも「世界を目指してなんぞいない」。

 このあたりの核心ってなんだろう。
 もっと、「日本人の感性を深掘り」する--てな方向にいくのかな。