▲昨年3月の東日本大震災および原発事故について、あの時どう動いたか・どう判断したか—という調査検討がなされている。
枝野官房長官(当時)に対しても、しっこくどうだったのか—とか問いがなされるようだ。
しかしなぁ、あの事故直後、まともに活き活きと頭脳が回転していたのは枝野さんだけだぞ。
菅さんも、海江田さんも、大震災と原発事故の処理という重圧に押しつぶされそうになっていて、ようやく、辛うじて判断している—という感じだった。
後からならなんでも言える。
目の前がまっしろな霧に閉ざされたような状態の中で、枝野さんだけは頭脳をフル回転させて、とにもかくにも直面するアレコレに対して「妥当な判断を下していた」。
後から冷静になれば、あれはおかしい—と思うことも一杯あろう。
しかし、あの状態の中で、大事故への悪化が防げたことだけでも、枝野さんの判断力・頭脳は賞賛されるべきではないか。決して貶(けな)されることではない。
以下、新聞から抜粋。
東京電力福島第1原発事故の際、官房長官として政府のスポークスマンの役割を担った 枝野幸男経済産業相は参考人聴取で、政府の情報発信が十分ではなかったことは認めた。
だが、住民への避難指示に関する政府側と専門家の協議内容など核心部分では 「記憶にない」と発言したり、釈明が前面に出たりした。
調査委員会の委員からは枝野氏への不信をあからさまにする発言も飛び出すなど、改めて官邸の対応に問題があったことを浮き彫りにした。
「官房長官が広報官の役割を両方やっている。調整と発信を同じ人間がやるのは正直しんどい」
枝野氏は原発事故の教訓として、内閣の調整役である官房長官が同時に政府のスポークスマン役だったことへの限界を訴えた。
これに対して委員らは「なぜ記者会見で専門家を同席させなかったのか」と、枝野氏の情報発信方法を追及した。
枝野氏はこう弁明した。
「深い専門知識があっても、分かりやすく説明できる人がいなかった。私が発信せざるを得ない状況が続いた」
聴取で焦点となったのは、避難指示が拡大されていった点と、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム (SPEEDI)の公表が遅れた点などだ。
特に、枝野氏が避難指示を発表する際「念のため」という言葉を連発したことについて、被災者代表の委員は「大臣の言葉で右に行き左に行きだった」と述べ「念のために」の避難が今も続いていることへの不満をぶちまけた。
枝野氏は謝罪する一方で「ベストを尽くしたつもりだ。今戻ってもあまり違った対応にはならないと思う」と強弁した。
▲補足、感想など
枝野さんの発言の核心はどこにあるのかな。
あ、専門家の意見を生のまま、国民に示すことはできない。
これは少し説明がいるかもしれない。専門家の発言はいわば「生のデータ」だ。かならずしも、常識人に通用するものではない。専門家の同席というのは、的外れだろうなぁ。
い、事故にどう対応・処理していくか—ということと、その事態をどう国民に伝えていくか—ということの間には、大きな間隙があり、その緩衝材として枝野さんは行動し、発言していた。
官房長官が云々という表現となっているが、あの時点で、役職がどうとかよりも、枝野さんしか、頭が充分に回転している人間はいなかった。
枝野さんは「シンドイ」という言い方をしているが、危機に直面して頭と身体が充分に働かせることができるというのは、個人としての資質・能力だ。
その意味で、東日本大震災・原発事故という危機に立ち向える能力・頭脳をもった人は「枝野さん」しか、いなかったというのが真実であろう。
枝野さん曰く--ベストを尽くしたつもりだ。今戻ってもあまり違った対応にはならない---と。
筆者もその通りだと思う。