2012年5月29日火曜日

世界剣道、日本が団体戦も優勝。


3年に一度、行われている世界剣道戦が、イタリアで開催され、日本が団体戦でも優勝した。
喜ばしいことと思える。
ユーチューブで、団体戦をみていると、剣道というものはスポーツではないなぁ、と改めて思う。
剣道とは、元々が「殺し合い」の手法なのだとつくづく感じる。
そもそも木の棒で、鉄の棒で相手を殺すということから出発して、ここまでの「境地に高めた」ということに日本人の非凡さをみる。
剣道をみていて印象深いのは、まず、「声」だ。また、勝った時に特別な行動を取ってはならない(例えばガッツポーズなど)ということも挙げられよう。
考えてみれば分かる。
人を斬り殺すという行動に出るとき、通常の感覚では殺せない。
だからこそ、「踏み込み」と「声」とを同時に行なって、いわば自分自身を「狂状態」にしているのだ。
また、ガッツポーズなどとんでもない。人を斬り殺しておいてガッツポーズが取れるか。それは油断につながる。相手方がまだ生きていれば反撃を食らう可能性が高かろう。
つまり、ここにこそ、「スポーツ」と「武道」との明確な違いがあるのだ。
ローマでの男子団体戦の優勝戦は、韓国との間で行われた。
表題のように、この優勝戦において2-1で日本が勝利した。
以下、新聞から抜粋。

剣道の世界選手権は、27日、イタリアで男子の団体戦が行われ、日本は決勝で韓国を 2対1で破り優勝しました。
剣道の世界選手権は、3年に1回開かれる大会で、男子の団体戦で日本は、2大会連続 14回目の優勝となりました。
日本は今回の世界選手権で、男女ともに個人戦、団体戦を制しました。

▲補足、感想など
日本の剣道で、礼節が重要視されるのは、冒頭で書いたように、生命のやり取りをする「危険な術」であることが大きいのだろうなぁ。
ちょっとした気の緩みのようなものが、生命にかかわるということからだろう。
ところが、この武道という意味が理解できない人がいる。それが、団体戦の優勝戦であらそった韓国のチームだ。
彼等の競技進行中の行儀の悪さはどうだ。
なんどもいうが剣道はスポーツではない。つい150年前までは、日本人はこれで生命のやり取りをしていたのだ。
鹿児島に示現流という流派がある。幕末の頃、この示現流で袈裟がけに肩から斬られたものは、もはや、人間の形をなしていなかったという。
こういう殺伐たる「技術」を、「武道」「剣道」という名称のもとに、「殺し合い」の毒の部分を薄め、薬となる部分を残したものなのだ。
それは、明治の日本人が成し得た「昇華・洗練」という作業であろうと思える。
その業績に畏怖・畏敬の念を持たないか。
そのことが理解できないなら、韓国チームは、剣道の選手権に参加すべきではない。
自分達のなんだっけ、スポーツ的な「クムド」とかいうもので勝手にやればいいではないか。