▲中国の新聞の社説をみていると、他者を攻撃するとしてもその攻撃の仕方に品がない。
なぜなのだろう。
詰まるところ、大きくは文化大革命のせいだろうなぁ。
1960-1970年代にかけて4500万人にも及ぶ知識人・職人・文化人を殺戮して、一部は人肉食し、残りは畑の肥料にしたという。
また、日本の京都にあるような名刹から、曜変天目茶碗のような骨董品までを尽く破壊してしまった。
(まぁ、ついでのことながら、日本のテレビで骨董品の価値を問う△△鑑定団とかいう番組がある。これに中国で買ったとかいう骨董品を出す人がいる。筆者はこれが不思議でならない。なぜって、文化大革命で骨董品などというものがある訳があるまい。1960年代の中国の歴史すらも知らないのか)
また、日本のサムライ、西欧諸国の「騎士」というものを産み出しえなかった国家であり、民族だからなぁ。
封建社会という、人類が辿ってこなければならない階段を踏まずに近代へ辿りついた—いわば、非正統な国家とでもいえるのだろうなぁ。
以下、新聞から抜粋。
中国・環球時報は社説記事で、尖閣諸島問題をめぐる日本の強硬姿勢について 「表向きは強気に出ているが、実は日本の弱体化を露呈している。
日本の強硬論に道理はなく、 国際的な支持も少なく、事態を乗り切るだけの実力もない」と断じた。
以下はその概要。
野田佳彦首相の訪中は不調に終わり、日本のメディアは尖閣諸島や人権問題で日中が“激しく対立した”と伝えた。
今年は日中国交回復40周年だが、日本政府は ウイグル人人権活動家である世界ウイグル会議のラビア・カーディル議長にビザを発給した。
民主党政権は両国関係に水を差すばかりだ。
日本の政策は場当たり的に綱渡りを続け、方向性を失っている。
米軍に“占領”されている 日本社会には今、中国の台頭で焦りや不安、右翼思想が拡大している。
日本の政治は自らを欺き、他人をだまし、興奮と傲慢の中にいる。
そして、中国に対して強気に出る一方で中国から離れられず、いら立ちを募らせている。
そんな日本の強硬論は島国根性の表れだ。
それは国家利益のためというよりも、単なる虚勢。
中国はとっくにそれを見透かしている。
野田首相が人権問題に言及しても、 しょせんは欧米を真似ているだけの猿芝居。
日本社会がなぜ自らの指導者を 恥ずかしく思わないのか、われわれは不思議でならない。
▲補足、感想など
いや、なんとでも言えばいい。
民主国家とは、自由にものが言える国家であり、そして、自由にものが言えるという権利を保証している国家でもある。
中国はどうだ? 自由にものがいえるか? この記事なんか、本心でそう思っているのか?
核心はなんなのだろうなぁ。
1966年-1976年までの10年にも及ぶ文化大革命で、冒頭でふれたように多くの知識人が殺害された。
なんでも、その頃、見せしめのため中国人の家の庭に生首が転がっていたそうな。
知識人達を殺害することで、伝統とか、礼儀とか、記事にあるような社説を書く作法のようなものまでも失われたのだろう。
記事の社説と称する文章を読んでいると、品のない・どこのヤクザが書いたか—というような文章となっている。
そもそも、これが社説か。
中味は、中国人の「アセリ」のようなものを感じないか。
日本の中国離れも、もう始まっていよう。
また、日本の憲法改正とか、自衛隊の国防軍への格上げとかが順次なされるだろう。
それは、日本人が日本人なりに判断し決断していくことだ。