▲表題は橋下さんの言いだ。
筆者もまったく同感だ。
恐らく、美味しんぼはお終いではあろうが、読者がどうしても読みたい—というなら、どこかの時点で再掲載することにすればいい。
それは読者が判断することだ。
雁✕さんの「自己崩壊」は、非可逆的なものだから、雁✕さんはこのままつっぱるだろう。(本当のことを言ってなにが悪いか--と)
それは、雁✕さんという人が選択した—そういう人生ということだ。
以下、新聞から抜粋。
週刊ビッグコミックスピリッツの漫画「美味しんぼ」の発売号に
大阪府・市の抗議文が掲載されたことに対し、橋下徹・大阪市長は、「もう十分じゃないか。あとは読者の皆さんに判断してもらえればいい」と語った。
12日発売号で、東日本大震災のがれきを受け入れた大阪の焼却場付近の
住民約800人が健康被害を訴えているとの内容があり、
府市は「不適切な表現」と抗議した。
橋下氏は、
「実際に焼却場の近くには多くの人が住んでいて、不安になるということは間違いない。
そこに対する表現の配慮は必要だった」と改めて指摘した。
一方、自治体の抗議には「表現の自由」の観点から疑問視する声もあったが、
橋下氏は「事実に基づいていないと言論で対抗したので問題ない。
表現することは自由だが、違うことであれば公権力を使わずして言論できちんと抗議をする」と強調した。
▲補足、感想など
橋下さんも雁✕さんも、同じように胸の奥底に「怨念」を抱いた人だ。
ただ、二人を見ていて、「怨念」の「昇華の仕方」が違うのだろうな。
そこに「民族の違い」を感じる。
逆に言えば、「民族の違い」というものが、上でふれたような「昇華の方向性の違い」というものを生じさせるのだな。
朝鮮民族という民族は、歴史上、本当にこれっという偉材・逸材を産まない民族ではあるが、その根底にあるのがこの「怨念を昇華させる方向性の違い(まぁ、この方向性というものが歪んでいるのだろうな。それがこの民族から偉材・逸材を産まない理由だろう)」というようなところにあるのかもしれないな。
いや、話がとんでもないところにいった。
橋下さんのいう通り、美味しんぼ騒動は一応、決着がついた。
あとは、美味しんぼなる漫画の読者が「判断し選択する」ことだ。