▲ファンを狂わせる—か。
いい言葉だなと感じる。
そうでなくして、なにが面白い? どこに魅力があるのだ?
ちょっと話が違うが、ドイツ・デュッセルドルフで日本祭りとかいう祭りが毎年5月にあるそうな。
ユーチューブにも多くの動画が掲載されている。
ドイツいや、ヨーロッパでは随分、大きな祭りにあたるらしい。
それでも。
日本人としてこの日本祭りの動画をみていて、なにかわびしげな感じがする。
もっと、お神輿でも担いでわっと盛り上がらないものか。
ドイツのビールのできあがりを祝うお祭りもあったなぁ。ビールを飲むだけの。
ここらだな。
一体、このヨーロッパ人の「盛り上がりの乏しさ」の原因ってなんなのだろう。
ヨーロッパ諸国という国の成り立ちを考えると、領土争い、民族紛争などが続き、結果として現在の階層社会を成立させ、また、緯度として高いので農作物等の収穫がままならない—ということもあったのだろうな。
根底にあることは、中国と同じか。
民族としての歴史が戦争などでぶつ切りになって、文化の蓄積がままならない—ということだろう。
古くからの「お祭り」のようなものがうまく継承されないのだな。
逆に言えば、日本のお祭りの多さ、民謡の多さなど(文化の多様さということ)、日本という国が他民族からの支配を受けたことがない、価値観の逆転が起こったことがない<結果として、様々な文化的な趣味とか祭りとかが蓄積として残った>—という証拠だということだろう。
つくづく、日本という国の地理的条件の良さに感謝したい。
いや、話がどこかにいった。
記事は、先日のakb48の騒動を取り上げているようだ。
まず、記事から抜粋。
「不運ではあったが、驚くべき事態ではない。日本の“アイドル”産業は、適度にファンを狂わせることを意図した文化だ。
だから彼らは彼女たちに襲いかかるかわりに、つけ回したり、役に立たないグッズに月何千ドルも費やすようになる。
ほかの記事を読むと、このアイドルたちは脅迫状を送りつけられたり、ストーカーやいやがらせの被害に遭っていたようだ。そしてデートや、肉を食べているところを見られるのを禁じられているとか……本当に日本はどうかしている」
逮捕されたu容疑者(24)がAKB48のファンというわけではなく、「誰でもよかった」
と無差別殺人をほのめかす供述をしていることは、海外で報道されていないようだ。
罪のない少女をノコギリを持った男が襲う……今回の事件は凶悪かつ卑劣であり、決して許してはならない犯罪だ。
しかし、米国ではこれを“不幸中の幸い”と捉える向きもある。
「これは日本で起こったショッキングな犯罪です。日本に銃規制があることを神に感謝します」
「もしこれがアメリカで起きていたら、会場は死体で埋め尽くされただろう。
頭のおかしいヤツってのは大体銃で武装しているもんだ。ありがとよ、NRA(全米ライフル協会)」
▲補足、感想など
確かに、頭のおかしい人って、どこにでいる。
このおかしな人間が、ノコギリで切りつけた—という話から、表題の過度にどうたら--というのは論理の飛躍であろう。
記事で「ファンを狂わせる」という言葉を、なにかネガティブに書いているが、筆者はこれをプラスと捉えるべきと考える。
筆者は、「美少女フィギュア」が好きだ。
もう、芸術品といってもおかしくないようなものが出始めた。
団塊の世代の人間がこんなことをいうとおかしいか。
でも。
これは、おそらく日本画の一ジャンルである「美人画」の系譜を引き継ぐものだ。
このようにして、芸術というか伝統というものが、姿を変え、形を変えながら引き継がれていくのだろう。
そして、そういうことが可能なのは、冒頭で触れたように、日本は他民族から支配を受けて価値観の逆転が起こったことがないからであろう。
日本のお祭りが大きな盛り上がりをみせるのは、何百年も続いてきたからだ。
そして、ドイツの「日本祭り」というものが日本人の目から、しょぼく見えるのは、その祭り自体に充分な歴史がないためだ。
最後に、記事の中でのアメリカ人の「皮相的な見方」の背景には、同様に「価値観の安定した歴史」の「短さ」があるのであろう。