▲だから、アメリカの車は日本では売れないのだ—ということを証明するような文章だ.
ものつくり信仰というのは、「技術というものへ畏敬の・畏怖の念を抱く」ということだ。
「神様は細部に宿る」ということを信ずることだ。
そのあたりがどうしてもアメリカ人には理解できないようだ。
以下、新聞から抜粋。
【経済】
ものづくり信仰が日本企業をダメにする
ものづくり。
日本でこの言葉を聞かない日はない。
テレビでも新聞でも日本人は職人芸的につくり
上げる能力を自賛する。
当然かもしれない。
弁当箱から名刺入れ、半導体に自動車まで、日本人は優れたものを低い欠陥率で生
産する能力があるようだ 。
こうした日本の工業製品の長所は世界中で認められ、日本ブランドの信頼性を高めている。
特に安全性が重視される製品(自動車や、次世代の発電所や飛行機)ではそうだ。
「中国では日本製エレベーターが使われている。中国人は日本製品を信頼し、日本のエレベーターなら命を
預けていいと思っている」と、香港の投資会社のアナリストは言う。
「上海の高層ビ
ルで中国製のエレベーターに乗るなんて、私はごめんだね!」
だが、日本人のものづくり信仰は度が過ぎている。
おかげで会社でエンジニアが発言力を持ち、マーケ
ティングやデザイン部門は彼らの言いなりだ。
だからエンジニアが自己満足に浸るためだけ
の機能が付いている製品も多い。
わが家で使っている掃除機は、吸引力を3段階に調節できる。
だが、なぜ床を掃除するのに吸引力を変える必要があるのか。
台所の壁には、風呂の用意ができるボタンがある。ボタンがそんな場所に必要だろうか。
■根本的な問題が見えない企業
日本人はものづくりに注目するあまり、別の側面、デザインとマーケティングをないがしろにしている。
ある外国人のマーケティング専門家と原宿のカフェでお茶をしたときのこと。
道行く人や車を眺め、
彼は言った。「見てごらん 金持ちの日本人は外国車に乗っている。ボル
ボ、BMW、メルセデスベンツ・・・・・・」
「日本で自動車の売り上げが落ちているのは、若者が自動車に興味がないからだとか言われるが、つまらない車しかないせいでもある。
iPhoneが売れるのは、みんなに必要だからではなくて、みんな
が欲しいと思うからだ。私は車が必要だが、日本車が欲しいとは思わない」
▲補足、感想など
なにが言いたいんだ、この記事。(ニューズウイークらしいが--)
確かに、日本において、なにかある現象の原因らしいものを指摘しているのだが、その解決への方向性がおかしい。
日本の車がつまらないから、日本の若者は車に乗らないのだ—か。
でも、軽自動車は売れているだろう。
要するに、時代時代に応じて人気となる車種というものがあるのだ。
その時代ごとに、日本人は自分の「身の丈」に応じた車にのる—ということでしかあるまい。
需要自体の減退ということであれば。
筆者は表題のごとく、団塊の世代であるが、筆者が若い頃は、新幹線なども数が少なく、ウロウロするにもなにかと不便だった。
今は、地下鉄とか新幹線なども全国へ普及して、それなりに便利になった。
要するに、時代が変化する中で「車への必要の切迫度」の違いというものだろうな。
記事中に、「余計なボタンがついて」てな感じの部分があるが、これこそが日本製品なのだ。
別の言葉でいえば、「小さな改善」だし、「ほんのちょいのプラスアルファ」だ。
競争する会社が、それぞれ「余計なボタン」をつけ続けていたら、あっという間に、「製品の中身」が変化していく。
冷蔵庫しかり、掃除機しかり。
「神様は細部に宿る」。
日本人は、「ものつくり信仰」をどこまでも持ち続けるよ。それをなくしてしまえば、もう日本人とも言えまい。