2014年5月22日木曜日

ものづくり信仰が日本企業をダメにするとさ。

だから、アメリカの車は日本では売れないのだ—ということを証明するような文章だ.

 ものつくり信仰というのは、「技術というものへ畏敬の・畏怖の念を抱く」ということだ。
 「神様は細部に宿る」ということを信ずることだ。

 そのあたりがどうしてもアメリカ人には理解できないようだ。

 以下、新聞から抜粋。

 【経済】 ものづくり信仰が日本企業をダメにする

 ものづくり。
 日本でこの言葉を聞かない日はない。
 テレビでも新聞でも日本人は職人芸的につくり 上げる能力を自賛する。

 当然かもしれない。
 弁当箱から名刺入れ、半導体に自動車まで、日本人は優れたものを低い欠陥率で生 産する能力があるようだ 。

 こうした日本の工業製品の長所は世界中で認められ、日本ブランドの信頼性を高めている。
 特に安全性が重視される製品(自動車や、次世代の発電所や飛行機)ではそうだ。
 「中国では日本製エレベーターが使われている。中国人は日本製品を信頼し、日本のエレベーターなら命を 預けていいと思っている」と、香港の投資会社のアナリストは言う。
 「上海の高層ビ ルで中国製のエレベーターに乗るなんて、私はごめんだね!」

 だが、日本人のものづくり信仰は度が過ぎている。
 おかげで会社でエンジニアが発言力を持ち、マーケ ティングやデザイン部門は彼らの言いなりだ。
 だからエンジニアが自己満足に浸るためだけ の機能が付いている製品も多い。

 わが家で使っている掃除機は、吸引力を3段階に調節できる。
 だが、なぜ床を掃除するのに吸引力を変える必要があるのか。
 台所の壁には、風呂の用意ができるボタンがある。ボタンがそんな場所に必要だろうか。

■根本的な問題が見えない企業

 日本人はものづくりに注目するあまり、別の側面、デザインとマーケティングをないがしろにしている。

 ある外国人のマーケティング専門家と原宿のカフェでお茶をしたときのこと。
 道行く人や車を眺め、 彼は言った。「見てごらん 金持ちの日本人は外国車に乗っている。ボル ボ、BMW、メルセデスベンツ・・・・・・」

 「日本で自動車の売り上げが落ちているのは、若者が自動車に興味がないからだとか言われるが、つまらない車しかないせいでもある。
 iPhoneが売れるのは、みんなに必要だからではなくて、みんな が欲しいと思うからだ。私は車が必要だが、日本車が欲しいとは思わない」


▲補足、感想など

 なにが言いたいんだ、この記事。(ニューズウイークらしいが--
 確かに、日本において、なにかある現象の原因らしいものを指摘しているのだが、その解決への方向性がおかしい。

 日本の車がつまらないから、日本の若者は車に乗らないのだ—か。
 でも、軽自動車は売れているだろう。
 要するに、時代時代に応じて人気となる車種というものがあるのだ。
 その時代ごとに、日本人は自分の「身の丈」に応じた車にのる—ということでしかあるまい。

 需要自体の減退ということであれば。
 筆者は表題のごとく、団塊の世代であるが、筆者が若い頃は、新幹線なども数が少なく、ウロウロするにもなにかと不便だった。
 今は、地下鉄とか新幹線なども全国へ普及して、それなりに便利になった。
 要するに、時代が変化する中で「車への必要の切迫度」の違いというものだろうな。

 記事中に、「余計なボタンがついて」てな感じの部分があるが、これこそが日本製品なのだ。
 別の言葉でいえば、「小さな改善」だし、「ほんのちょいのプラスアルファ」だ。
 競争する会社が、それぞれ「余計なボタン」をつけ続けていたら、あっという間に、「製品の中身」が変化していく。

 冷蔵庫しかり、掃除機しかり。

 「神様は細部に宿る」。
 日本人は、「ものつくり信仰」をどこまでも持ち続けるよ。それをなくしてしまえば、もう日本人とも言えまい。